なぜ視覚は主観的ではないのか
ヴィトゲンシュタインは言う。「視覚は主観的ではない」と。「えっ」と驚く。「視覚は主観的である」と普通は思うからである。なぜなら私の見ているこの景色は私にしか見えないものであり、これほど主観的なものはないであろうからである。ここにからくりがある。これほど主観的なものはない、まさにヴィトゲンシュタインはそう考えているのである。つまり、視覚は主観的でしか有り得ないのである。視覚が客観的になる可能性がそもそもゼロなのである。客観的になる可能性がなく、100%主観的であるならば、「主観的」と言及する必要性が生じないのである。「主観的」と言及する必要性が生じるのは、「客観的」という言及が意味を持つ場合だけである。ゆえに、ヴィトゲンシュタインは言う、「視覚は主観的ではない」と。視覚の例に限らず、言葉の使い方でヴィトゲンシュタインはこのような思考法をよくする。「ある」が意味を持つのは、「ない」が意味を持つ場合だけであるという感じで。はじめ.icon