とりとめのない(日記)9月_
2023/09/30
今日はいっぱい食べた!
2023/09/29
ちょっとやらかしたのだけど、全く心当たりがないのでノーダメージ、だからミスするんじゃないですか?
先月あたりから、ずっとミニPCがほしいな~と思っている。
チャーハン作ったけど、明らかにうまかった。もうそろそろ具材とか入れてもいいと思う。具材なしでうまいチャーハンを作る限界に来ている気がする。
久々に朗読をしたら、やっぱ下手になってた、滑舌はもごついているし、質感がまったく出てこない、でも堅苦しさはなくなったな、と思う。ここからまた構築していくか。
腹筋ローラーを3セットくらいやった。だんだん余裕になってきた。
ラジオのアプリをタブレットにもいれることにした。PCだと全然起動しない。チャンネルを選ぶときにいちいちクリックするのが面倒だから、こういうのはタッチの方がいい。
固執がなくなってきて、以前はそれを恐れていたのだけど、それがない方が視界はクリアだな、とわかる。固執とこだわりは違かった。でも固執がこだわりを育てたことは確かだったと思う。
https://gyazo.com/3925beae47ed083f5ef1e62691c8d65c
2023/09/28
江國香織『流しのしたの骨』は案外早く終わりそうな気がする。もう50ページまで進んでいる。総ページ数は250ページくらい、23日から、始めているから、一日10ページくらいは進んでいるような気がする。タイピングが以前よりも速くなってきて、フリーライティングも文字数が増えている。打つのが速いのは悪いことではないけれど、頭がちゃんとそれに追いついているのかすこし心配。
なので、模写をする前はずっと本の内容を思いだしている。あらすじは思い浮かぶけど、細かい描写とかはそこまで、記憶に残っていない。映像としては残っているのだけど、それらの音や匂いの質感をどのように文字で表していたかを忘れてしまう。それでは意味がないような気がして。少し罪悪感。
感覚と言葉の結びつきが、今は少し薄れてしまっているような気がして、朗読とか、時間をたくさんとってやるべきなんじゃないか、って思う。
色気というのはみずみずしい反動である、という言葉が降ってきた。
2023/09/27
季節のかわりめが直に響くようになってきた。
以前は余裕で半袖だったのに、最近は寒くて目が覚める。
それなのになぜか寝ている間、布団を蹴飛ばしてしまう。
そのせいで、目が覚める、繰り返し。
おかげでそれなりに寝不足。
壁のシミが虫に見えるときはやっぱり罪悪感ぎあるときだと思う。
16ビートで生きるときがある、ついでに2拍3連も混ぜる。グルービーって感じ。適度に身体が揺れるので心地いい。
ちょっと今月買い物多いよなぁって思ってたら、ズドンと引き落としがきて、ズドンと肩が落ちた。
物欲も落ち着いてきたし節約しよう。
ずっとある淋しさに耐えられなくなってきて、困っている。僕は僕のおかげで淋しさなど感じずに生きてきたのだけどな。
やらなきゃいけないことがあるけど、まったく手につかない。やる気ない。めんどくさい。これって鬱なんじゃ、とか思うけど、ほんとの鬱の人に失礼やろ、と思う。
子どもの頃、水泳を習っていた。平泳ぎがすきで、小学校の夏のプールの授業では、500メートルくらい泳いだこともある。
平泳ぎは他の種目と違って、せかせかしないし、水の勢いを最も活かした泳ぎ方ですきだ。
ターンの際のひとかきひとけりは水の流れを纏う感覚と風が通り抜けるような爽快感がある。そんなだいすきな平泳ぎで一度だけ大会に出たことがあるけど、とびこみが苦手で結果は4位だった。
どんな競技でもスタートダッシュが苦手だったけど、その中でも飛び込みは一番苦手だった。
指先からすっと入っていくような飛び込みは9年やっても身につかず、苦手意識とそれに伴う恐怖心だけが張りついていた。
とぶのは好きだった。ジャンプ。階段を毎日3段とばしで駆け上がり、いまだにそれをやっている。でもとびこみの角度、前に頭をむけてとびこむ、というのがわからなかった。
そもそも、どうして泳ぎを競うのに水の外からスタートするのか、それもよくわからないな、と感じていた。
人生とにかくとびこむのが大事、と、毎度毎度、話してくるおじさんがいるのだけど、ゲームのNPCみたいに、おんなじことを繰り返す。
それを聞くたびに、あぁ僕のストーリーの進行度はここでとまってしまっているんだな、と思うし、とびこみはやっぱりこわい、と思っている。
2023/09/26
ほんとうに眠すぎておひるねがしたい。しかし、なにもしていないという焦り。
2023/09/25
今日はやろうと思ってたタスク全部こなせたぞ!
タスクコンボ決まると気持ち良すぎて、リズム取っちゃう。
こういうときもっとダンスしとけばよかったな、とか思う。
最近ギターの基礎練サボってたから下手になってた。
でも新しいトレーニングを思いついたのでよしとする。
曲の練習が進んでないんだよなぁ。
一応下手にならない程度に一日一回くらいはできてるところまで弾いてるけど。
なんだろ、新しいところ覚えるのにちょっと抵抗があるのかな。
最近外で歌ってないから、そろそろ河原行こうかなぁ、と思ってるけど、曇り空はちょっと不安。雨の中ギター持つとか自殺行為だからね。
久々に友だちと遭遇。そいつと仲の良かった先輩が結婚したそうで、おーよかったねー、と他愛のない会話をした。
その友だちも最近かわいい女の子と歩いているのを目撃したので、彼女いるもんね、とカマかけたら案の定そうだった。幸せだこと。
出会いとかないの?なんて話になったけど、んなわけみたいな感じで笑ってたら、
どうやらそいつ、働いてる飲食店のお客さんと付き合ってるそうで、案外あるもんだよ、みたいな感じで、いやいや、、というしかなかった。
やっぱ料理ができる男ってモテるんやな、という感じ。
とりあえず究極の野菜炒めぐらいは作れるようになろう。
披露する場はない。
別の友だちとも流れでそういう話になった。
合コンとか行ったことないの?と突拍子もない質問がきて、あるわけがないと話していた。
そもそも合コン自体を世の中にあるわけがないと思っているので、
女性と付き合ったことがない、と言う彼からその言葉が出るのは意外なような、そうでないような、という感じだった。
なんか昨日からむかむかもやもやしてる感じ。頭がのぼせてるし、気圧で圧迫されてる感じ。へんなの。
2023/09/24
フリーライティングの休憩中(3分間)に腹筋ローラーをやる、というアイデアを思いついて、天才現る。早速実践した。
普段の3分間はSNSやメールを見たり、ふと気になったことを調べたり、直前の文章を読み返したりしている。
油断していると、タイマーを切ったあと5分以上休憩しているときもあるので、無意識にスマホやマウスに触れるのはやめたいと最近考えていた。
でも3分間じっとするのも暇だし、本を読めば続きが気になる、運動やストレッチをしようと思ったけど、なんとなく身が入らなかった。
でも最近腹筋ローラーとかいう激オモロアイテムを手に入れたので、それをやることにした。3分あれば10回くらいはできる。1日3セットは余裕でこなせる、なんなら、5セットも6セットもできる。
フリーライティング中に眠くなる問題もこれにより改善したので最高のサイクルを生み出してしまって笑っている。
実際、運動は脳にもいい影響をもたらすので、理にかなっているのでは。
豚バラお買い得なんだけど、うますぎてすぐ消費しちゃうからなあ。
スクボのセッティング弄るの楽しい。色変えるだけでいい気分転換。
なんか今日すこしピリピリしていて、余計なことを言ってしまった気がする。
とりま腹筋ローラーしよ。
2023/09/23
読了
江國香織『落下する夕方』を読み終えた。今まで読んだ江國香織の作品のなかで、いちばんすきだな、と思った。読んだ中での最高傑作だと思う。
肉屋
行きつけの惣菜コロッケ80円のお肉屋さんで、初めて肉を買った。何食べるの、と店主のおじいちゃんに聞かれたので、焼き肉ですと答えたら。これがいいよ、とグラム215円のいい感じの豚肉をおすすめされたので、じゃあそれにします、と言った。どこにいっても基本的におすすめされると、じゃあそれにしますと言ってしまう。
たいてい失敗はないので、別にいいのだけど、あとあとになってあれを選んでもよかったんじゃないかぁ、と思うこともあるので、まぁそれはまた次回来たときに選ぼうと思う。
はかりに経木がしかれ、その上にお肉が乗せられて、1人前だったらこれくらい、と250グラムが表示されている。
お肉は新鮮な赤みを帯びていてキラキラしていた。見ているとあまりにもおいしそうで、お腹が空いた。
なので500グラムにしてください、と頼んだ。
それと気になっていたポークウインナーも買った。
合計で1700円くらいになって、はぇ~、と内心驚いたのだけど、なんだかんだここでは惣菜をいつも1000円分くらい買っているので、大差ないのかもしれない。
けれど普段スーパーで買うお肉でも500円とかしか掛からないから、やっぱりちょっとドキドキした。
夕方食べるのでワクワク、待ちきれない。
今週の水曜に遊ぶ前にお金をおろしていたのに、お肉やお米を買っていたら、そのおろした分が、全部なくなっててウケる。魔法?
夕方
今日の夕日きれい。壁に掛けているギターに光が反射したりするのを眺めるの、いいなぁ。でもほんと束の間、すぐぼやける。
腹筋ローラーもした、文章模写もした。今日から江國香織の流しのしたのほねを模写する。それと、辻仁成の本を読みたいと思っている。
お肉食べた。おいしかった~。くさみがなく甘みがあって柔らかかった。いいお肉を食べると、生きてる!って感じがする。
よし、六日ぶりにフリーライティングやった、めっちゃ書きやすかった。知らないうちにいろいろ溜まってるんだな、と言う感じ。まぁ、普段あまり表にださないからね。改めてフリーライティングしてると自分の愚かさとか、極悪人の側面が見えて笑えてしまう。別にそれでいいし、それとどう向き合っていくか、おもしろがっていくか、が重要であって、別に何かを改善しようとかそういうつもりはない。
金木犀の香水
僕は未だに金木犀をちゃんと見たことがないので正体を知らないのだけど、この時期になると世の中の女性がこぞって金木犀になりたがる。
僕はその金木犀A、B、C、Dたちに惑わされて、本物の金木犀の香りを知らないまま、死ぬのかもしれないと思うとぞっとする。
フリーライティングをしていて、香水が苦手な理由が少しわかった。
本物じゃない匂いに嗅覚がとらわれるのが、嫌なのだと思う。それと単純に外の匂い、街や、そこにあるものが生み出した空気の味や匂いの成り立ちが好きなのだ。香水は脈絡がない。
その香りを纏う人たちには、そういうものがあるのだろうけれど、僕は世界の匂いにノイズが混じるのはまり好きではない。
香りは脳を直接刺激する。
例えばそれがとても甘い香りであれば、僕は理性をほんの少し失うだろうし、爽やかな香りがすると、昔付き合っていた彼女を思いだしてしまう。
なにより、自分がそういったものにまんまと引っかかってしまう、というのがなんとも馬鹿らしく感じる。
別に香水に罪はないのだ、と思う。僕だっていい香りシャンプーをした翌日は自分の髪の毛の匂いをかぎたいし、それは楽しいことだ。
その楽しさを纏っている人たちがただそこにいるだけで、僕は被害妄想を膨らませ、街の臭いにまぎれているモブキャラなのだ。
他人からの褒め言葉や感謝に対して、自分が否定的というか素直に受け取れない理由もなんとなくわかった。
勘違いしたくないのだと思う。自分はすぐ勘違いをする、調子にのるから、そういうところで恥をかかないようにしているのだと思う。
くだらないプライドにくだらないプライドを上塗りしているのだ。
夜寒くなってきたから、布団かけれるの嬉しい。
2023/09/22
ここ最近になって休みの過ごし方がよく分からなくなっている。前日やその一週間前とかには、あれをやろうこれをやろう、と考えているはずなのに、当日になると、まったくその気が起きなくて、どうやって時間を潰すかをずっと考えている。
最近は流行りのスイカゲームをやったり、アマプラでアニメを観たり、ギターを弾いたりしている。そのどれもがなんとなくはじめていることで、これをやろうの中には一つも当てはまっていない。
時間を浪費しているなぁ、と思いながらも、でもそれがいいのかもしれない、と、揺られている。
なんとなく喉のリハビリのために、ボイトレをしているのだけど、やっぱりどこか詰まっていて、思い通りに声が出ない。ムカつくのが器用に引っかかるポイントを無意識に避ける発声をしてしまうところだ。
ずっと声が上の方に響いていて、女性みたいであまり好きじゃない。
今はそうでもないけれど、昔は声変わりをしていないんじゃないかってくらい声が高かった。日常的に肩ひじを張っているような振る舞いをしていたからなのか、無理に明るく接するのが板につきすぎていて、上ずった声を出すのがあたりまえみたいな感じだった。
背の低い腰のまがったおばあちゃんと話す際に、そのおばあちゃんが僕の声だけを聞いて、お姉ちゃんありがとね、と言ったこともあった。それくらい声がやけに高かったし、みずみずしい反響をしていた。当時はその声が嫌ではなかった。今は、あまりその声を出したくない。その声にふさわしい状態にない、と思っているから。
シーリングライトの明るさと暖色と感触の幅を選べるのですごくいい。今すこし暖色でうっすらとした明りにしている。
火の光がほしいなと思うのだけど、喉が乾燥するのが恐くてそれが出来ない、だから、お線香とか、アロマキャンドルとか、そういうものも難しいと感じる。
加湿器と同時に焚けばいいのかもしれない。けれど、加湿器はカビが……、などとおばさんくさいことを考えたりする。
つぶやくような家具がほしいのだと思う。こぢんまりとしたやくわりのものが好きなのだ。
でもすごく無責任な人間なので、そういうものを管理することが出来ない。
細やかなものを眺めるのは好きだけど、絶対にこわす、かなしい怪物とかじゃない、ただのばかだから。
フリーライティングも音楽理論もめっちゃサボってる!!やばいよ~、これやめる流れだよ~。夕食を食べながら自分の中が騒がしかった。そうこの頃、危機感センサーがいちいちうるさい。こないだの早朝の地震速報だった。
こんなしょうもないことで騒ぎ立てるな、今僕は悠々自適に、怠けた暮らしというものを貪って、熟成され、のちに苦しむさまを愉しむ、その大事な過程なのだよ、とも申しており。こころがふたつある~。
ふたつじゃない、何十個もある。本当に物騒。世の中に対する嫌悪と愛しさと切なさと?みたいな感じ。どうしてそこまで複雑にいつも絡み合っているのかわからない。もっとシンプルであれよ感情。
それらの一つひとつに向き合っていくとほんとうにろくでもない。絡まったコンセントみたいに一度すべてを外して、いらないものや古くなったものは捨ててしまえたらいいのに。
文章模写もサボっている。というか気乗りしない、だって次の一回で、この作品が終わってしまうんだもん……。すねたクソガキが出てきている。
後半に差しかかってから面白くなりすぎて、一日30分って決めてるのに、1時間やったりしてたから、そりゃ終わりに近づくのも早まるわけで、自業自得である。この頃、ごはんはゆっくり食べられるようになってきたはずなのになぁ。
ギターも今日はあんまり弾いてない。でも最近弾きすぎてるから、適度に休むのも必要だ。ギターに対してはかなりモチベが高い。ふとした時に何かひらめきが起る。こないだも用を足しているときに、ペンタトニックスケールのアドリブのアイデアとか、スケールの見つけ方とかが急に繋がって、ほんとうにわけがわからない。対して学習もしていないはずなのに、どこかで小耳に挟んだ情報が何かの衝撃?(用を足して踏ん張ったときなのか……?)でパズルのピースがハマるのだ。急に思いだす、つい最近まで忘れていたことが。これって神のお告げなのかな、と思う。
こういうとき、いつもそう思う。やっぱり僕の人生はギターを弾くことが正解ってこと?みたいな気持になる。
だってほんとうにタイミングがいいのだ。
昔、初恋の人が忘れられなくて、まじでワンモアタイムワンモアチャンスしてたとき、ふと思いだすたびに、なぜか人づてで、その人の話を聞けることがあった。だからすごく期待していた。彼女も僕を憶えていて、こうして思いだしているんじゃないか、と。
なんとなく見えないところで通じ合っているんじゃないか、と思ってしまう。
どんなときも目が合っていたから。
結局、僕はその人の告白を断ったのだけど。
それまでもそれからもずっと気になってたから。
思いだすたびに、誰かからその話を聞けたのは、神様が会うべきだと告げてたんじゃないか、と思う。
こういうとき昔のドラマのプロポーズ大作戦を思いだす、僕には過去を変えることはできないのだけれど、神様がいまからどうにかできるんじゃないの~?とハレルヤチャンスを与えてくれているような気がするのだ。
でも僕はそういう自分の中にある雲を晴らそうとはしないのだよな。
そのどんよりした空模様に差す光にあこがれているのがすきなのだ。
そういう手の届かなさが、僕にはいつも似合っていて、落ちつくのだ。
でもいつか僕はやっぱり音楽番組に出て、一発上手なギターと歌をかましてやりたい、と思う。
高校の頃、好きだった村下孝蔵が、歌唱番組で『初恋』を歌うとき、そのエピソードを話したら、初恋の人がステージにあらわれるというサプライズがあったのだ。
僕はそれがずっとうらやましい、と思っている。
別にそうでなくてもいい。僕が道端でギターを弾いていて、偶然彼女に会えればいい。そうしてまた必然のように目があってくれたら、どんなにいいだろうか。
今日はいつもより素直に書けているな、と思う。最近よくギターを弾いているとき、ずっと笑っている。歌っているときもずっと。こんなに楽しいことはない。だって、ちょっと弾いたらきれいな音が出る。いろんな音階が弾ける。言葉が反響する。それはなんだか、色をつけているみたいだし、満たすような感覚。それらはきっと僕にしかみえない。ぼくにしか見えていない世界がちゃんとあることが嬉しいのだ。この頃、没頭すること夢中になること、潜ることずっと考えていたけれど、僕は自分の空間を持つことを忘れていたのかもしれない。潜ってばかりでお家に帰っていなかったのかもしれない。
心がどこかへずっと旅立っているような感覚があるなぁ、と思っていたけど、ようやっと、戻ってきたのかもしれない。
今日はとてもタイピングのリズムが弾んでいる。
犬が飼いたいな、と思う。さんぽをしたい。さんぽをしようと言ったら、喜んで雄叫びをあげる犬とさんぽがしたい。
少し前、駅前に言ったときにオフィスカジュアルな格好をしたお姉さんが小型犬とさんぽをしていたのだけど、もうその犬が、もう最高です!と言わんばかりに飛び跳ねて、そのお姉さんは困りながらもたくさん笑っていた。
こんなに喜んでくれる子がいたら、毎日だってさんぽしたくなるだろうな。
でも多分、犬飼ったら、まじで人間と関わらなくなりそうだな、と思う。
今だってギターを触るのでさえ大分充実してて、人と関わんなくてもよくね~?みたいになってるのに、犬までいたら、もう人間いらないやん。
2023/09/21
気分転換に旧キーボードを使っている。やっぱりキーが重い。いままでの感覚でタイピングをしていると、バネに押し返される感じが指先でよくわかる。
音も今よりもよく鳴る。カチャカチャキャツ、という感じでおもしろい。ちゃんと押せばちゃんと音が鳴って、リズムが明瞭な感じがする。
今のキーボードはすごく流れるようにタイピングが出来るから、喋っているような気分になるけれど、こちらの旧キーボードはちゃんと押そうとしないと間違える。正確に打たなければ、という心構えがすこし必要な気がする。疲れてきたから、もう戻そう。
うん。やっぱりすごくなめらかな感じがする。とろけていく感じ。キーの肌触りが書籍用紙に少し似ていて、指さきにすいつくような感覚がやっぱり心地いい。音はすごくもくもくとした印象で、考えごとをするのに向いている気がする。
眠いなぁ、と思いながら、ずっと起きている。どうして身体の意思に反する行動をとってしまうのだろう。
眠るのがもったいない、と感じているからだろうな。だから、夜は限界まで起きて、朝は一発で起きる、早すぎても場合によって起きる。
でも結果的に得はしない。
遅寝早起きをくり返せばくり返すほど、不純物が堆積して、頭の中を圧迫していく。そんな調子で一日を過ごしていると、だいたい何もできないで終わる。
それだったら早く寝て起きて、健康的に過ごした方がどれだけマシなことか。
わかっているのに、睡眠負債と人生負債が積み重なっていく一方なのだ。馬鹿だなぁ。
音に意味がないことに気づいた。歌に色気はあっても、音色に色気がない。今は楽器の音から光景が映るまで、同じところを反復している。
Twitterとかやめてもいいかもなぁ、と思いはじめている。サーバーも抜けていいし、なんか全部余計なものとっ払って、ただ調べ物をしたり、こうして何かを書くだけのスペースにした方が、きっといい。
2023/09/20
友だちとお好み焼きを食べた。初めて店でお好み焼きを食べた。キャベツがたくさん入っててぶ厚かった。味は普通。焼きそばの方がおいしかった。
友だちとは彼氏彼女の話になった。
僕が、みんな欲しいの?って訊いたら、あたりまえじゃん!と即答された。
そこがズレてるよな、とひっそり自覚した。
鉄板に転がっていた、焦げた野菜の屑をヘラで集めて自分の皿にのせて食った。
2023/09/19
脂ののったサーモンは美味しい。ってことはやっぱり脂が美味しいってコト?
腹筋ローラーやらないとなぁ
昨日少し早めに寝たから体調いい感じ、でも地震速報が早朝鳴ったので、一度叩き起こされている。
上はシャツを着ていたのだけど、下がパンイチだったので、警報の鳴る中でハーフパンツを履いていた。
履いてからは、布団にうつ伏せで二度寝の態勢に入っていた。
ゆらゆら揺れていて、嵐の前の静けさかぁ?と、期待していたのだけど、フェードアウトしていった。
一応一分ほど様子見をして、結局揺れなかったので、ハーフパンツを脱いで寝た。
髪を切りにいって、たくさん話して、帰り際ドアの枠に頭をぶつけた。今日もなんとなくいい感じに切ってもらえた。もしかしたら自分に合う髪型がもっと他にあるのかもしれないな、と、毎度考えながら結局、具体的な案は出ないし、出たとしてもピンとこない。
一生この髪型でいい、長いとうざったい。
どうして昔は平気で目を隠していたのか今となってはわからない。
曲の練習が思いのほか順調で、昔はこんなに弾けていたっけ?とふと思った。そんな気はしないけど、もしかすると上達しているのかも。
最近はギターと読書のモチベが高い。
以前よりギターは理解できることが増えたし、読書は落ち着く。
少し前まで読書は修行じみていたのに、今は完全に楽しんでいる。
考察とかまったくしないから、たまにレビューとか、感想みてると、なんかすごいなぁ、と思う。同時に、自分は一体なにを吸収したのだろう、と思ったりする。でも本を読んでていいのは、静かに素直でいられることだ。
ひとりの時間だなって思う。
この頃、修行の意識が抜けたんだなって思う。なんにせよ全てインプットで、それを効率よく行うことを意識していたけど、そういうのやめた気がする。どうでもいいことが、ただ楽しいからやってる。
今やってる曲が、恐ろしく根気のいる曲で、できたところで誰にも大して喜ばれないであろう、知名度の低い曲なのだけど、それについて、できてどうするのか訊かれて、なんもない、とこたえた。
登ったら気持ちよさそうな山があったから、満足出来るとところらへんまで登ることにしただけ。
趣味でいいし、お遊びでいい、そしたらどこまでも登れる。
今日は三日月。三日月は月の膨らみが見える。月って丸いんだ。ということを今さら感じる。
初めて三日月を見る子どもはそれを面として捉えるのだろうか、それともその膨らみを感じるだろうか。僕が子どもの頃はどうだったろう。
2023/09/18
寝不足
5時間程の睡眠でなぜかすっきりとめざめてしまって、そのまま起きていたけれど、普通に寝ればよかった。眼精疲労なのか、湿気なのか、寝不足なのか、いくつか原因が思い当たるが、とにかく頭が鈍重だ。やっぱり生活習慣は乱さない方がいい。
2023/09/17
会話
人と話していると日記に書かなくてもいいかな、と思ったりする。話すことも、書くことも、単なるアウトプットでしかなく、表現にはなっていないのだ、と自覚する。
最近の歌も、メロディをなぞっているような感じがする。自在でない。
しかし、この頃、会話のグルーヴを取り戻しかけている。
書くときもそうだけど、グルーヴがつかめると勝手に身体がノリ始めるように、手が動き、口が動く、そうして自然にどこかへ着地する。
自由に飛び回って、しっかり着地する。そういうことができる。
グルーヴを生むにはやっぱりテンポキープだし、韻だし、音価を守ることだと思う。
音価を守ることは、ある意味、短歌を読むことに似ている。
いままでの短歌の作り方はおそらくグルーヴで作っていた、リズムが言葉を引き出すのだ。
偶然的な必然、反射的な動きで、心が踊るのだ。
この頃、心はぎこちない踊りしかできない。それはきっとアイソレーションを怠っているからだろう。
踊りの基礎はアイソレーションだ、部分ごとに動きを確認して、その部分だけをはっきりと動かす。
もし心に部位があり、それぞれに味蕾があるとして、感じる味や刺激に反応できるのか。心が正常に反射するのか。
部位があったとして、きっと動かすことは意味がない。
動く状態を意識することだ、コントロールをすることじゃなく、コントロールされる状態を覚える。
何に動かされるのか、震わされるのか、躍らされるのか。
その複雑な味をわかるには、ただじっくりと味わうのみだ。
物欲
欲しい物がたくさんある、と思っているけれど、きっと書き出してみれば、大した量じゃない。
身長の高いテーブルとイス、Bluetoothキーボード、ラジオメーター、爽やかに甘いもの。
テーブルとイスは合わせて八千円くらいだろうし、キーボードは四千円、ラジオメーターは三千円、爽やかに甘いものは、その都度買えばいい。
合計で一万五千円だ、今の僕に必要なお金はこれだけなのだ。これらを買ってしまえば、また、何か物欲が湧くのだろうか。
爽やかに甘いものの代表は、いまのところやっぱり、さらっとしぼったオレンジである。これは自販機で百六十円だった気がする。
あとは、桃の天然水、グリーンダカラ、ぶどうや桃のゼリー、とかそれぐらいだろうか、あまりぱっと思いつくものがない。
僕はこういうとき、具体的なものをぱっと出すことを苦手としている。
あ、でも、くだものだったら、梨だ。梨が完璧だと思う。梨の果汁をそのままゼリーとかにしたら、きっと求めているものができるような気がする。
今度やってみようかな。
点滅
一昨日から、シーリングライトが点滅して、正常に点かなくなったので、蛍光灯を変えたのだけど、それでも点滅。
なので買い替えることにした。
でも、冷静に考えると、電気なくても暮らせるよなぁ、と、思ったりして、もうこのままでいいんじゃないか、とも思った。
だから、昨日電気を点けずに生活をしていたのだけど、日常と大して変わらず、あれやっぱりいらない?と思っていたのだけど、
お風呂上がりのときは、なぜか必ず電気を点けるのが身体に染み付いていて、点けて、点滅して、目が痛くなって、うわ、そうだったと思い出し、すぐさま消す。
それを今日もやってしまったので、これはもう必要なんだな、と思い、注文した。
喫茶店の音~
最近、喫茶店の喧騒?雑音?生活音?を聞きながら、作業をするのがめっちゃいい。眠くならない、集中できる。
周囲の中の静かさと、自分の静かさって関係ないんやなって思う。
2023/09/16
あらたに課題曲を決めたので、鬼のように練習している。そこにすべての時間を捧げるぐらいでやる。文章書くときもそれくらいの熱量で出来たりしませんか?
2023/09/15
フリーライティングらない
この頃サボっている。
このまま少しずつ疎遠になっていくのだろう、という予感はしているけれど、引き止めようという気も起きない。
健康的な食事をした方がいいとは、わかっているものの、ジャンクフードを食べてしまう、みたいな状態が続く。
悪循環に嵌っているのだ。
季節のかわりめだからか、体調が優れない。
修復できないほどの歪みが生じてしまっている気がする。
上手に開かなくなってしまった窓があって風通しがとても悪い。
慈悲とか慈愛とか
そういうものが失われてしまっていような気がする。そうなってくるとどうしたって人と話すのが難しくなる。
共感もできず、かわいがることもできない。
ただただ、どうでもよくなってしまっていて、何もない。
同時に、求めなくなった気がする。
そういうものは得られないのだと、いつのまにか腑に落ちてしまった感じがする。
欲がないのでなく、諦め、手放した。
誰かに優しくしてほしいなら、まず自分から。
そういうことを昔から意識してきたのだけど。
そうなると自分からせずとも何かを得られる人もいるのだ、なんだかそういう人が羨ましい、と感じる。
上手な文章
とは、なんなのだろう。それが分からないから、いつまで経ってもお祈りをするしかないのだろうか。
上手な文章を書けそう、と言われてみてから、そんなことを考えていた。
人と話すなんてことしばらくまともにしていないから、話しぶりからしても、世辞でもいい文章が書けそう、とは思えないだろう。
日記はこうして書いているけど、と言ったけど、これだって偶然をずっと待ってるだけだもの。
やめよ
なにかを意識してる。特に詠むときに。
自分の在り方を創作に求めても意味がない。
2023/09/14
自転車
この頃、積極的に日を浴びるようにしている。そうすれば健康的になるのではないか、と思っているからだ。
別に生活リズムは乱れていないのだけど、なぜか、体調がよろしくないので、外に出て、日をたくさん浴びて、身体の調子を整えようという試みだ。
今日は一時間半も自転車を漕いだ。あてもなく、通ったことのない道を適当に進みながら、目的地のダイソーを目指した。
自転車は好きだ。好きな乗りものTOP3を決めるなら、1位が自転車で、2位が船、3位が飛行機だ。
自転車は気持ちいい。季節を感じられる。風の匂いや、草花の匂いがする。それに早すぎない。
世の中の乗りものは大抵早すぎて不自然で、なんというか地に足がついていないような感じがする。
その点で船と飛行機はそもそも地に足がついていないのでいいのだろう、と感じる。
船は海の匂いがずっとするし、海上だからゆらゆら揺れているし、飛行機は空を飛んでるから、地面は関係ない。
地下鉄やバスなどの地面を走っているものに乗っているとなんだか緊張する。
なにかの拍子に倒れたり、妨害されるおそれがあるからかもしれない。
それを言えばすべての乗りものに、そのおそれはあるのだけど、公共交通機関は利用者が多いからその分可能性も上がるし、利用者が多すぎてくさい。
僕は乗りもの酔いも激しいが、人酔いもするので、とにかく気持ち悪い。
だからもし、4位があるとしたらタクシーになる。でもタクシーは運転手ガチャがあるので、そこがマイナスポイント。
大抵の乗りものは他者に委ねる形になる、それも地に足がつかない感じがして嫌なのだ。
かといって、車は大嫌い。理不尽だし、自己中になる人がいるから。
自転車はそういう人、あまりいないと思う。
自分を守るものがないから、何か起これば自分の責任になることばかりだから。
ぶつかれば自分だってけがをするし、危険を自分で選ぶことができる。言い訳の余地がないから潔い。
車に乗っていたら、白線をはみ出ないように気をつけなければいけないけれど、自転車を漕いでいて、よっぽどどこかからはみ出ることなんてない。
自転車は、道とその選択肢が広いと思う。
その選んだ道を自分の力で漕ぎ進めていくのは清々しい。
進むために漕ぐ、行動が意味づいていて安心する。
腹筋ローラーを買った
目的地のダイソーでは、腹筋ローラーを買った。
最近、頭が回らなくて、困っていたのだけど、運動が脳を活性化させる、という情報を得たので、それを実践しようと、散歩なりなんなりをしているのだ。
それで、毎日散歩でもいいかな、とは思ったのだけど、この人間、散歩をすると腹が減り、帰りにには0カロリー理論を提唱しはじめ、家で爆食いしてしまうため、最近、体重が1kg増えたのである。
脳の活性化が主目的ではあるけど、できればついでにダイエットもできれば、と副次的なものも狙っていたのだ。
実際には体重は減る気配もなく、頭も中々回らない、ぱっと効果の出るようなものじゃない、とはわかっていはいるものの、何かしら実感できないと、モチベーションが落ちていく。
そのため、もう少し負荷の掛かる運動をすべきなのでは、と考えてはいた。
けれど、こんな糞アツい時期にランニングなど地獄だし、かといってジムに通うなんてこと継続的にできるわけがない。
キツイけど家で出来て、お金が掛からない、もしくは、安上がりのものはないだろうか、と考えて、思いついたのがHIITと腹筋ローラーだった。
HIITは実際にやってみたのだけど、膝を悪くしそうな項目が多かったのでやめた。それにインストラクターがウザい。
自信に満ち溢れた声と、張りついたような笑顔、インストラクターというのはそういうものだとわかっているのだけど、ウザいものはウザい。
なんというか引きずりあげられる感じがする。
まあとにかくそうなれば腹筋ローラーしかなくて、前々から買おうか悩んでいたので、これを機会に踏みきることにしたのだ。
予定では腹筋ローラーとヨガマットを買おうと思っていたのだけど、腹筋ローラーしか置いておらず。
とりあえずそれを買って帰って、道中で見つけたさらっとしぼったオレンジを自販機で購入した。(ついに見つけた)
あてもなく、だらだらと進んでいたのには、さらっとしぼったオレンジを置いている自販機を見つける、という隠れミッションがあったので、そのまま直帰しようかと思ったのだけど、やっぱりヨガマットはあった方がいい気がしたので、目的地のダイソーとは反対の方角にあるダイソーへ向かうことにした。
道中、スポーツショップがあったのでそこで買ってもよかったのだけど、やめる可能性が高いので、意地でもダイソーを目指した。
反対側のダイソーへ向かう際にも、あてもなく、知らない道を適当に進み、気づいたら河原に出たので、スピッツのロビンソンを歌いながら、河原の道を自転車で駆けた。
河原から知っている道に合流したので、そのまま、目的地のダイソーへ、そっちのダイソーにはヨガマットが置いてあって、腹筋ローラーがなかった。
なんというか、伝説の武器を完成させるために、転々と移動しているような気分になった。
とにかく、目的のヨガマットを手に入れて、レジに並ぼうと思ったのだけど、ついつい100円の魔力に誘われ、ガジェットコーナーを見てしまう。
どうせ置いているものなどいつも一緒なので、記憶しているのだけど、なぜか毎回見てしまう。
で、結局余計なものを購入してしまった。
お会計は600円くらいで、ヨガマットを含め計二品。
小さい時計を購入した。
時計は正直あまり好きではない。時間を見ていると焦燥感に駆られるからだ。でも、見ないようにしても結局見てしまうし、そのために、いちいちタブレットやスマホをつけたり、デスクトップの小さい右下の時間を見るのがストレスだったので、買うことにした。
今も、目の前にその小さな時計が置かれているのだけど、日記を書いているとあっという間に時間が過ぎていくので、おもしろい。
見た目は安くさくて、ふとしたときに捨ててしまいそうな感じがするのだけど、まあ、今のところはわるくない。
帰宅してから、さっそくヨガマットと腹筋ローラーを広げ、組み立て、使ってみたのだけど、キツい!!
何回かやりながら、馴れてきて、姿勢を意識しながらやってみるとさらにキツい!!
ほんの数回で、これだけ負荷が掛かるなんてなんてコスパ、タイパのいい商品なんだ、と感動しながら、20回くらい往復した。
その頃には、キツさも忘れて、無限にできそうなくらいだったのだけど、お腹が減っていたので一度中断することにした。
ヨガマットを丸め、腹筋ローラーを持ち立ち上がろうと思って、わずかに腹筋に力を入れた途端、ビキッ!と激痛が走った。
いっ……たぁ、とほんとうに痛いときのやつが出た。そこから10秒くらい動けなくて、ほんとうにビビった。
このまま今日一日動けないんじゃないか、と思ったのだけど、もう一度立ちあがったら、大丈夫だったので、そのまま片付けた。
野菜炒め
片付けを終え、野菜炒めを作ろうと思い、冷蔵庫の下段の野菜室から、キャベツを取り出す際、わずかに腹筋に痛みが走り、軽い猫背の状態で料理をすることを余儀なくされた。
ずっと腹筋に鈍痛が残っていたので、料理に集中できず、キャベツだけは丁寧に切ったけれど、それ以外は適当で、適当に調味料を取り出し、適当にフライパンにすべてをぶちこんで野菜炒めを作った。
そしたら、これが案外美味しかった。前回試したレシピとほぼ同じ調味料ではあったのだけど、すべて目分量でやったら、それのほうが確実においしかった。
そうなんだよなぁ、結局目分量でぶちこんだ方が毎回うまくいくんだよなぁ、となんかかなしくなった。
それにしてもおいしかったなぁ。
気だるさ
ここ数ヶ月気だるさがまとわりついて、それが肥大化している感じがする。もうなんもできん、という状態がずっと続いていて、いい加減うざったいので、どうにかしてくれ~、と思っている。
とはいえ、こうして日記をたくさん書けているので、別に何も出来ていないわけではなく、そういう傾向に心が沈んでいってしまっている、というのもあるだろう。
目の前の時計には温度も表示されているのだけど、クーラーをつけないと室温が30℃であることを知り、ぁっ、そりゃ、頭もおかしくなるわ~、と思った。
100均だから、正確なのかはわからないけれど、こうして数値化されると、一つの判断の基準にはなるな、と思った。
2023/09/13
だるい、湿気なのか体調悪いのかわからん。
今日いっぱい食べたのに全然力が出ない。
新しい本が届いた。とうとう僕の本棚の一部が江國香織だけで埋まりそうだ。結局、ほとんど江國香織しか読んでいない。kindle unlimitedで辻仁成の本もダウンロードした。気になる。
今は落下する夕方、まど・みちお詩集、とにかく散歩いたしましょう、を読んでいる。もうすぐ落下する夕方が終わるから、次は今日届いた、流しのしたの骨を読もうと思っている。
でも小川洋子の本大分積んじゃっているので、そろそろどれか一つ読み終えたい。一応、内容の記憶はまだ残っている。
学校の壁のペンキ?をペリペリと剥がして、そのまま知らんふりして床に落とすのがちょっと好きだった。今たぶん、そういう状態。
落下する夕方の続きが気になって気になってしょうがない。いつも終わり際にノリ始める。最初はダラダラ読んでるくせに。
宝石の煌めきをやった、久々だったけど、それなりに勝って、調子に乗って続けてたら負けた。
夜なのにカラスが鳴いている。なにかあったのだろうか、探しもの?いつもはそんなに鳴かないのに。
鈴虫が等間隔で鳴いている。ときどき右耳から聞こえる声が左に、正面に、来たりする。そんな気がする。
2023/09/12
まぶしさ
久しぶりに早く起きた。三ヶ月前はあたり前だった時間に。ノートを開いて、日付と時間を書いて、朝の日記をつけた。
『散歩にいきたい』、そう思わせてしまうほどのいい天気だった。適当な頭と服で、何も持たないことだけを判断して、靴を履きかけて、やっぱり財布から300円だけ取り出して、ポケットにいれた。
外は思ったよりも熱かったし、まぶしかった。しばらくはずっと細目のままで外を歩いて、日なたに出るたびにくしゃみをしそうになった。
適当な服は黒ばかりだから、スキニーが熱を吸収して、じわじわと熱かった。
行き交う車や人々は、迷いのない足取りで、心もとないのは僕だけのように感じた。
歩き馴れた道ばかりを歩いて、見慣れた景色が目の前に映っているのをぼーっと眺めていた。
昨日の夜も散歩をした。同じような道をゆったり歩いていた。
夜はみんな眠っているから、秒針はあまり進まない。歯車が動かない。
遠く感じていた場所もあっという間についてしまう。
朝は、みんなが歩いているから、秒針がどんどん進む。
まだ開いていないお店のなかからも活発な人の気配がする。
無用心なアパートの住人のドアのすき間から、今朝のニュースが流れてくる。
立ち並ぶ家々の生活の気配や呼吸。
背中とうなじに当たる日ざしが、身体の深いところの細胞を煮え立たせるような感覚。
熱に馴れたのか、身体が熱を放出し始めたからなのか、だんだんと足取りがリズムを生んで、かかとの感覚がはっきりしてきた。
どこかの自販機で、何か飲み物を買おうと、帰りはルートを決めて歩いた。
どの自販機に何があるのかもだいたい知っているくらいこの道を歩いているから、結局買いたいものはなかった。
さらっとしぼったオレンジが、飲みたいのだけど、ここらへんの自販機に置いていないのも知っている。
けれど、毎回見てしまう。DyDoの自販機はここらへんに一つしかない。
結局何も買わずに家についた。ポケットの300円のうち200円をなんとなく貯金箱にいれることにした。
この200円は本来使うはずだったものだから、ここにいれてもいいな、と思った。
スキニーを脱いで、部屋着に着替えると、眠気がどっと来たと同時にお腹が減った。
身体が正常に活動しているのを感じた。
充分な朝食
帰ってきて、着替えて、スポーツドリンクを飲んだ。まだ暑いから、こういう爽やかな甘さのものは気持ちがいい。内側から汗が洗い流されるような感覚と、身体にエネルギーが充たされる感じがして安心する。
朝食はいつも通りに、トマトジュースとヨーグルト、だけでは足りなかったので、ウインナーを焼いた。もちろんごはんも食べて、パンも食べた。
せっかく30分ほど散歩をして、いい運動をしてきたのに、こんなに食べてしまったら、痩せられないなぁ、と思いながら、また歩けばいいか、と、パンを紅茶で流し込む。
しっかりごはんを食べたら眠くなったのに、満ち溢れてくる感じがして、結局そのまま起きた。今もまだ眠い。
明白
最近、明白なことが増えたのだと思う。かわりに面白いことが減った。いやな大人になってしまったのだろうか、なんとなくいろいろなことに納得ができてしまって、ムキになることがない。
ほんの少し、そんな瞬間があったとしても、でも、それはあなたのここに問題があるからでしょう?と、たしなめてくる。
面白いことを見つけるには、多少のストレスが必要な気がしたりする。
一歩間違えれば、怒ってしまいそうな、ぎりぎりのライン。自分の中にあるルールのぎりぎりなのか、常識のぎりぎりなのか、世間体のぎりぎりなのか、わからないけれど、そういうぎりぎりが面白いのかもしれない。
でもそのラインがぷつんと切れてしまっているような感じがこの頃しているのだ。
何かに突き動かされて、自分の思わずしでかした行動や、口をついて出た言葉を、面白いと感じたりするのだけど。
そういった瞬間のそうせざるを得なかった状態の溢れている感覚にすごく生きている感じがして、それが面白い、というより嬉しくて笑いが出る。
ああ、今に生きている、と思えるのだ。
生きている実感が、この頃あまりないのだ。だからきっと短歌が詠めない。
あれもこれも、きっとこういうことなのだろう、とわかってはいるものの、解決をしようとしない、その心もわかってしまって、いやになる。
あいだ
『冷静と情熱のあいだ』という映画を観た。原作は辻仁成と江國香織。だから観た。名前の知っている俳優はユースケ・サンタマリアしか知らなかった。
僕は俳優の名前を覚えない。知りあいとときどき芝居の話をするのだけど、正直言ってまったく知らない名前ばかりだったりする。
ただ、話の腰を折りたくないし、芸風、というか芝居の話を聞いていれば、誰が誰だかだいたい検討はついてくるし、わからなくても別にいい。
関係のない人はどんどん忘れる、今も何人か思いだしてみたけど、みんな名字が思いだせない。
ちゃんと覚えている人は、今関わっている人と小学生のころ、毎日遊んでいた友人と、初恋の人だけだ。
冷製と情熱のあいだは、十年前に付き合っていた恋人と再開する話だ。
こんなことありえないでしょ、ってくらい偶然が重なったりして、でも、そういう現実もあるのかもしれないと、思ってしまう自分もいて、そして、もしかしたら、自分の人生にもこういうことが起こり得るのではないか、とどこかで期待している自分を見つける。
十年前の約束を彼も彼女も覚えているのだけど、そんなことだけはあるような気がしている。
ここ最近は、誰かと約束なんて全然していないのだけど、昔、もう思い出せなくなった人たちとの約束は覚えている。
いつかそれを果たせたらいいな、とときどき思ったりするし、偶然、町ですれ違いたい人がいる。
2023/09/11
まだ暑いし、湿気だってすごいのに秋だ、なんて思いこんで、寒いふりをしている人。
セミが鳴かなくなったから、空が薄くなったから、日が短くなったから。
夏を通り過ぎて、秋を手繰り寄せても、タオルケットはまだ暑い。
子どもに話しかけられた。
ママのお手伝いをしているの。
今日はパパが帰ってくるの。
えらいね、よかったね。
と、返したけれど、
後になってパパが帰ってくることがあの子にとって嬉しいのか、分からなくて。
よかったね、とあしらった自分を少し責める。
ママを大変にさせてるから、私たちを寂しい思いにさせているから、そういう気持だってあるかもしれない。
パパが帰ってくるの。って言われたとき
嬉しい?って訊けばよかったのだろうか。
でも、嬉しいというのが模範解答だ、と指し示すみたいでいやだ。
楽しみだね。というのが一番正解だったような気もする。
でも彼女の気持を訊くことが一番大切だったはずだ。
2023/09/10
落下する夕方
本を読んでいて、ふふふ、と声が出るのは幸せだなと思う。続きが気になってついつい文章模写の時間を増やしてしまっているのだけど、このままペースがあがったら、すぐ終わってしまうじゃないか。
この本の模写を始めて二ヶ月くらい経っていて、少し忘れている部分があるので、読みかえしながら、好きな文章をメモしている。
収集しよう、という意識がはたらくとどんどんいいものがみつかる。
短歌もそういう感じかもな。
お急ぎ便
なぜか知らないけれど、USBポートが足りないのでUSBハブを昨日注文した。
お届け予定日は今日で、13時頃配達中となっているのだが、20時になっても届いていない。
近所の郵便局(徒歩10分)で中継しているので、14時には着いていてもいいとは思うのだけど。
一時間おきくらいでメールを開いて、到着のメールを待っているのだけど、まったく気配はない。
今すぐ必要、というわけではないので、明日でも構わないのだけど、配達中から、もう7時間程経っているので心配になる。
配達員の方が何かトラブルに巻き込まれているのではないか、実は配達員は仕事に嫌気がさしてお客さんの商品を転売している悪人なのではないか、などと想像を膨らまして、勝手に不安を募らせている。
今日が終わるまでにまだ3時間もあるのだ。
その日のうちに届けば約束どおり。
Amazonを、配達員を信じて待つしか今の僕には選択肢がないのだ。
と、思いきや届いた。噂をすればなんとやらだ。無事に届いてよかった。
2023/09/09
本を買った
やっぱり江國香織の本がおもしろいから、他の本も読みたくなって、買ってしまった。まだ読み終わっていなものがたくさんあるのに。
2023/09/08
音楽理論
明日で、前提知識の勉強が終わるのだけど、ほとんどわかってた。いつどこで、その知識を得たのかは知らないけど、なんとなく知ってた。
知らなかったのは調性とレラティブ。ほかにもあったかもしれないけれど記憶にない。
明日は前提知識の勉強が終わったら、全体をさらおうと思っている。
調性、というのは、なんというか不思議なもので、日常で例えるなら、その人の言っていることが本当な気がする、のが調性がある、で、そうじゃない場合調性がない。みたいな感じ。この例えいらないかも。
音楽には「調」というのがある。
音楽の授業などで、ハ長調やト短調などを耳にしたことがあると思うが、
このハ長調、というのは、
ドレミファソラシドの日本語版、ハニホヘトイロハから持ってきているもので、「ハ」というのは「ド」であり「C」でもある。
そして「長調」というのは明るい音階の配列のこと、逆に「短調」は暗い音階の配列のことである。
「ハ長調」というのは、ハ(ド)を中心に明るい音階の配列をしたもの、という意味で、ハ長調の場合の「ド」は中心音というものになる。
この中心音というのを人間は無意識に聞き取れる能力が誰しも備わっているらしく、この中心音がある音楽に対して、「調性がある」という。
逆に、この中心音がよくわからない音楽に対しては、調性がない、というわけだ。
楽曲のサビの終わりなど中心音の伸ばしとかにすると、めちゃくちゃ着地感がある。
この「調性がある・ない」、というのは議論や会話にも使えそうな気がする。
このワードをどのように解釈するかによるけど、僕はこれを「着地点がある・ない」、というふうに考えている。
着地点のない議論や会話に対して、調性がない会話だ、ということが出来るのではと思ったりする。
次にレラティブ、これは結構エモい。
また調の話になるのだけど、ハ長調とイ短調は、配列が違うのだけど、使っている音が同じなのだ。
ハ長調
ドレミファソラシド
イ短調
ラシドレミファソラ
どちらの調も#や♭などがつかない。ピアノで言えば白鍵のみで弾ける調なのである。
このように中心音が違うだけで、使っている音がおなじものをレラティブ、という。これはエモい。
例えば、自分と限りなく近い考えを持っているのに、最終的に暗い方向へ向かっている人間と明るい方向へ向かっている人間がいたとしたら、それはレラティブな関係だと思う。エモい。
でもこのレラティブには境目がないのよな、だから、音楽訊いてスケールあてはめるとき、たまにAマイナースケール(イ短調)だ!と思ったりするのだけど、公式ではCメジャースケール(ハ長調)と言われていたりする。でも別に間違ってはいない。
A(ラ)が中心なのか、C(ド)が中心なのかは、認知の問題だそうだ。エモい。
サッポロ一番みそラーメン
食べたくなって、買っちゃったぁ!!うめ~!!マジでうめえ。
今日はケチってもやしだけだけど、鍋にサラダ油ひいて、具材炒めて、にんにくとしょうがのチューブをぶちこんで、いためた鍋にそのまま水いれて、麺ぶちこんで茹でる。で卵ぶちこんで終わり、これだけで、ガチでうまいみそラーメンできる。うますぎて、笑いながら上みてハフハフしてた。
ギター
ギターをいっぱい触った、基礎連上達したおかげで、コード押さえやすくなったし、前より動けるようになったと思う。
2023/09/07
目覚めたら土星に居たんじゃないかってくらい、身体が重い感じがして、まぶたを開けるのもやっとだった。とにかく今日は眠くて、身体を引きずりながら、よたよたと歩いていた。
ここ最近、ちょっと頑張らなければならない瞬間があって、脳がオーバーヒートしているな、という実感があったから、そのツケが回ってきたのだろう。
今日は本当になにもできなかった。焼き肉とか食べたい。
2023/09/06
大雨
朝目が覚めると、外では轟音がなっていた。近くで道路工事をしていたからだけでなく、痛々しい雨音がずっとうちつけていたからだ。
昨日、貯金箱を買いに出かけたときに、誘導してくれたお姉さんが、今日も誘導してくれた。
誘導灯の点滅は、苦しみを訴えているようで、この雨の中では息をするのもやっとだった。
土を運ぶ人はきっと重いことだろう。
雨の音を聴いている時や打たれている時、いつも誰かのことを考えている。
母や友人のこと、無事に過ごしているだろうか、憂鬱な気持で歩いているのではないか。
行きつけの店のおばあちゃんはどんな気持で窓の外を眺めているだろう。
ただ雨が降っているだけなのに、その人たちのことを思うと、自分が悪いことをしてしまったような気持になったり、その人たちの役に立てたらいいのに、と思うときがある。
お昼には、携帯の警報が鳴った。土砂くずれに注意とのことだった。
少しほっとした。たとえば、この雨の中で大きな地震が起こったらなんてことが少し浮かんで、もし、そうだったら、一瞬心がきゅっとなった。
夕方になって、雨は少し落ち着いている。
みんな仕方がないような顔で外を歩いている。
チャーハン
昨日オイスターソースを買ったので、チャーハンを作った。
きっとおいしく出来たのだろうけれど、味がよくわからない。最近自分で作った料理がおいしいのかよくわからない。以前からそういう傾向にはあったのだけど、なんだか余計に。
どんなに味を濃くしても、一定範囲の味しか感じ取れない。
作っているときに、おいしそうな匂いはしているのに、食べてみると味がわからない。
ただ、胃を満たしているだけみたいな感じがして悲しくなる。
持ち重り
江國香織『落下する夕方』を読んでいたら、この言葉に出会って、いいな、と思った。
江國香織はいつも最適なタイミングで気遣いをしてくれて、
ひらがなが続いている流れで、漢字が出てくると、そこで詰まらないように、そんあに難しくない漢字だったとしても、ふりがなをつけてくれていたりする。
でも、ごく稀に本当に初めて見る漢字や熟語が出てきたりして、そういうのがすごく物珍しく感じるし、魅力的だ、と思う。
委ねる
昨夜久しぶりに詩の朗読をしたし、ラジオも録った。
朗読の録音はいつもより、適当だった。けれど、なんとなくその場の流れを記録できたんじゃないか、と思う。
昨日の読みは結構気に入っている。
結局、いろいろ試行錯誤して、伝える努力や技術を駆使しても自然体でいるときに勝てないと思っている。僕の場合は。
自然体でいることが僕にとっての最大の表現だと思って、あまり意識せずに読むことにした。
考えないで読む詩はすごく広い。
2023/09/05
特大野菜炒め
最近、おいしい野菜炒めを作れるようになりたい、と思っていたので、今日は一つレシピどおりに作ってみることにした。野菜炒めのレシピとしてはなんの変哲もない感じで、普通においしそうなものを選んでみた。
レシピを見ながら、スーパーでキャベツ、ピーマン、もやし、にんじん、豚こま、それと、オイスターソースをかごに入れて、セルフレジで会計をしてみた。
そのセルフレジがちょっとめんどくさい仕様で、
レジの左側に購入かごを置き、右側にマイバッグを置くのだけど、バーコードスキャンは固定の場所ではなく、スキャナーを持って商品のバーコードに当てるタイプだった。
もしバーコードスキャンの場所が中央に固定されていれば、左手で商品を持って、スキャンして、右側のマイバッグに入れる、ということが可能なのに、
スキャナーを持つタイプのせいで、右手が塞がり、左手で商品を持ちスキャンをしなければならない。それだけならいいのだけど、セキュリティのためか、スキャンした商品は必ず右側のマイバッグにいれないと、次の商品をスキャンできない仕様になっているのだ。
なぜ、右側にマイバッグを置かせているのに、右手が塞がるような状況を作らせるのか。
スキャンしては、一度スキャナーを置き、商品をマイバッグに入れる、という非効率的な作業をくり返して、なんとか会計を終え、雨が降りそうな中を急ぎ目で帰った。
レシピの内容はシンプルで、にんじんは短冊切り、ピーマンは1センチ大にカット、キャベツはひとくちサイズに、豚こまは塩コショウで下味を、あとは、途中でかけるタレを作っておいて、炒めるときに一気に入れられるように時短をしているのが特徴だろうか。野菜炒めはスピードが命なのだ。
最初に油をひき、豚こまを炒め、さっと炒めたら、その残った油で、にんじんを炒める。にんじんは火が通るに時間がかかるため、一番最初に炒める。
炒めながらタレを入れる。
にんじんが柔らかくなってきたら、次はピーマン、これもしなしなになるまで待つ。次にキャベツ。
少ししたら、もやしと豚こまを入れる。もやしは最後、もやしは炒めすぎずにシャキシャキかんを残す感じで。
野菜炒めは結局もやしの食感にかかっているといっても過言ではない。
それなりにいい匂いがして、野菜もタレがしみ、色づいてきたので、大皿に移して、完成。
味はまぁまぁ美味しかった、なんとなくパンチが足りないな、と感じたのだけど、にんにくを入れるべきだったとあとで気づいた。レシビ通り作りすぎて、完全に思考を放棄していた。
まぁでも劇的においしい!という驚きなどはなく、なんとなく、不完全燃焼な感じがある。
自分で作る料理、というのは、タネのわかっている手品を見ているような感じがする。
料理は匂いや、味の想像が引き立てられた状態で食べるのが一番おいしいのだけど、作っていると、それに慣れてしまって、感動が薄れるな、と思う。
確かに手についた料理の残り香はおいしいはずなのに、実際に食べると、なんだかすこし味気ない。
行きつけの食事処の野菜炒めが恋しくなってしまった。
貯金箱
野菜炒めの具材を買いに行くのはサブの目的で、メインは貯金箱だった。最近なんとなく貯金がしたい、と思っていて、何かにつけて貯金のルールみたいなのを設定して、ちまちま、と別々で貯金をしている。普通に一気に5,000円とかを貯金、にすればいいのに、ここでは2,000円ずつ、ここでは3,000円ずつ、みたいな感じで、謎に仕分けている。明確な決まりはないが、漠然と用途を分けようとしている。
そして今日買った貯金箱は、ペナルティ貯金箱にすることにした。何かやらかしたら100円を入れるみたいな感じ、これもルールは曖昧、過ちなど考えればいくらでも掘り起こせるので、考え方によっては一日で10,000円貯金できるかもしれないけれど、まぁ、気づいたときにちょくちょく100円を入れておくみたいなものになるだろうと思う。他の案で、一日の終わりにその日の点数を100点満点で採点して、その点数分入れておく、みたいなことも考えた。86点だったら86円、みたいな。でも、そんな細かいお金を常に持っているわけじゃないし、場合によっては0点みたいな日もあるだろうし、めんどくさそうだから、やめた。
大した額が貯まるわけじゃないだろうけれど、ふとしたとき、気軽に使えるお金がある、というのは助かる。その額は高ければ高いほど嬉しいかもしれないが、別に500円自由に使えるとかでも全然嬉しい。
ペナルティ貯金で、たまに焼き肉でもいったり、誰かを誘って奢ったりするのもいいかもしれない。でも小銭が多くなるのはちょっと面倒だな。
基礎連
ギターの基礎連に対する意識がまた少し向上した。以前からわかってはいたことではあったのだけど、改めて、ギターを弾く手の動きを言語化することで、手の動きがなめらかになってきた。主に左手の指板を押さえる方の手の話だけれど、単音にしてもコードにしても押さえるときには、指先だけでなく、手首や、てのひらの向き、ひじの入り方、脇の締め方、など、手に連動する全体の動作をバランスよく行う意識が大事なのだ。
初心者が挫折すると言われるFコードなどはそれこそ、指先だけでなく、手首や親指の位置など、一見関係のないと思われる箇所の使い方によって問題が解決すると同時に視野が広がるきっかけにもなるのだ。
この頃、なんとなく基礎連を行っていて、あるテンポになると指が追いつかなくなっていたのだけど、脇から手首にかけての連動を意識して、やることによって、なめらかに指が動くようになってきた。
こういう動きに確認は定期的に行わなければならない。
確認を怠ると、力みや余計な疲労、変な癖がついてしまう原因になる。
感覚的なタイトル
トピック形式で日記を書くとやはり書くことが、一気に増えるような感じがするのだけど、以前はもっとタイトルが直感的だった。書く前からすでに伝えたいことが決まっているような感じがしていたのだけど、最近はそうではなく、とりあえず書きすすめているという感じがする。タイトルを考えるのが楽しさの大半を占めているといっても過言ではなかったのだけど、最近は書くのに余裕を感じているからか、とにかく何か書きたくて、タイトルが朴訥?な感じになる。書きながら頭が回転していく感じとか、指がどんどんそれに応じて動いていく感じが気持がいいのだと思う。
今は目の前の新しいおもちゃに夢中だけど、いつかはタイトルをつける楽しみもちゃんと思いだしてほしいと思っている。
仮眠をとった
あまりに眠くて仮眠をとった。なんだか久しぶりに滑り落ちるように寝て、すっと起きた。すごく静かな目覚めだった。
ここちよい沈黙のまがさりげなく続いてただけで、呼吸の音も忘れて、ぼーっと世界を眺めていたような感じ。
あ、日記の文字数分貯金とかでもいいか?でも、多すぎるな。ちょっとずつやるのがみそなのだ。
夜、ネロを読みたくなった。
https://scrapbox.io/files/64f754905736a1001bc46e7d.mp3
2023/09/04
ジャズ
20世紀以降のジャズの話を読んだ。クラシックとは別で、流行り始めた音楽ジャンルで、即興とか、怒涛の展開とか、音の濁りとかを楽しむような感じ。
現代ではジャズというと、オシャレなイメージ。古びたバーなんかで演奏されているようなものもあれば、ビックバンドが華やかに響かせるようなものもあると思う。
演奏する人の目線で見ると、ジャズというのは少し敷居の高いジャンルだと認識している。なぜ、そう捉えているかというと、ジャズというのはマナーのようなものがあるからだ。
もともとジャズが流行りはじめたころ大衆向けのジャンルであり、当時最先端のダンスミュージックでもあったそう。
即興や激しい展開が起こる「ビバップ」というジャズの中のジャンルが流行り、そういったスキルが求められるようになる。
けれど、20世紀以前の音楽は作るもので、わりと標準的、即興などということはしてこなかったので、そういった理論は当時まだ確率していなかった。
流行り始めた10−20年経ってやっと理論が出て、それはモダンジャズ理論というものに
なる。
このモダンジャズ理論は、音楽理論の二大流派のひとつで、もうひとつは昨日学んだ古典派音楽理論だ。
モダンジャズ理論についてはまだ詳しくは学んでいないのだけど、これはジャズをやる上でのマナーブックみたいなものだと認識している。
アドリブをする際決まった音階を使うのだけど、その音階の中でも、伴奏がこういう和音のとき、この音は避けた方がいい、という感じで、即興演奏のガイドライン的な内容が書かれている。
ある種、型のようなものが存在しているのだけど、音楽をやっている人間の性なのか型を破壊したがる人間が再び出ててくる。音楽理論の歴史はマジで破壊と創造を繰り返しているな、と思う。
そんなわけで、モダンジャズ理論から、一部のジャズプレイヤー独自の理論を展開して、ジャズはだんだん難しくなって、大衆から離れていく。
そしてそのかわりというわけではないと思うけど、次に流行ったのがポピュラー音楽になる。今の音楽ってこと。
でもポピュラー音楽は理論が確立していないそうで、その理由として、従来の音楽理論で事足りるということ、そんなに需要が高くない、など、諸説あるらしい。
まぁ、つまりジャズはデュエルマスターズってことかな、とおもった。
フリーライティングが楽しい
普段は禅問答みたいなことをずっとしているのだけど、今日は性について考えていた。
今はそうでもないのだけど、昔はそれなりに性的なものに対しての漠然とした嫌悪感があった。
日常会話で出る下ネタだったり、時折人間が見せる下心だったり、性欲的なものは良くない、と考えていたのだ。
されど、性欲は三代欲求、他の欲求がゆるされて、なぜこいつだけ、ゆるされないのか、個人的に嫌悪感を抱いてしまうのか、ということについて考えた。
その内容については書かないのだけど、これが結構おもしろくて、途中笑いながら書いていた。
肉体関係、と、精神関係(こういう言葉あるのかな?)みたいなのがあるとして、
それが最終的に求めているものって、わりと同じだったりしないか?みたいなことを考えていた。純潔、プラトニックな付き合いってなんなんだ?とかんがえたりした。
結構面白かった。
まぁ多分肉体関係は本能的に求めているもの、獣的な意思が働いていて、自分の支配下から逸脱した感覚なのかな、とか思ったのと、
精神関係で求めているものは、理性があって求めている交わりなのかな、と考えたのだけど、でも結局それって本能的に理性的な関係を求めているみたいな感じがした。
ちょっと何言っているのかわかんないですね....。
場合によっては肉体関係が精神関係の後押しをすると思っていて、とくに言語化のできない相手に対する感情表現として、性交渉は最適な手段なのでは、と思ったりする。
精神的なつながりを援助する役割を肉体関係は持っているんじゃないか?みたいなことをかんがえていた。うーん、よくわからん。
ラジオ
ラジオのフリーソフトをPCに入れて、暇な時に聴いたりしていた。放送大学のラジオも聴けるので、社会心理学の講義を聴いたりした。ぜんぜんわからないけど面白かった。
ラジオいい、YouTubeとか見るよりなんかしっかり摂取している感じがする。
2023/09/03
音楽史
今日は音楽史、古典派理論のところページまでを読んだ。
紀元前にピタゴラスが音律を見つけて、音楽が始まるぞ―ってところから。
西洋音楽理論は宗教きっかけで発展したらしい。
聖歌の斉唱から始まり、ハモリを乗せるようになったのだけど、
聖歌は神に捧げるものだから、きれいに作ってね、とか、こういうのが神聖ですよ、みたいな、ルールや禁則などがあったらしい。
教会以外でも世俗音楽といって、吟遊詩人などが、自由に音楽を作っていたのだけど、当時は神の冒涜だと非難されたこともあったらしい。
今となっては音楽の発展に貢献していると評価されている。こういうことが音楽では多いらしい。
16世紀~17世紀で今の音楽と同じような形になって、
それまで旋律を掛け合いハーモニーを作っていたものから、
伴奏とメロディという形になる。
18世紀
和声論?(これは多分コードとかの話しだと思う)が発表されて
以降、音楽は身近なものになっていったそう。
大衆に認められればアーティストとして生きられる時代であったため
大衆ウケを狙った音楽や、昔、貴族達が聴いてた音楽ってダサくね?みたいな反骨心が込められた音楽が流行った。
ここらへんで古典派理論ができて、
作曲のテンプレみたいなのがでてきた。
19世紀からは、
そのテンプレつまんなくね~みたいなことになって、
新しいことをやり始める人がたくさん居たらしい。
で、それだと今までの音楽理論で、分析できないから、
もっと理論をシステマティックにしようみたいな感じになる。
20世紀
あらかたテンプレ破壊をやりきってそろそろネタ切れなので、
もう今までの音楽の枠組み捨てよう!となる
新たな理論を構築して、既存の音楽から脱却!
音楽理論はルールからツールになったよ
みたいな話だった。次回はジャズ。
音楽理論はルールという認識は自分にはなかったけれど、
クラシックなどでは厳しいという話は聴いたことがあったから、
そちらの方では理論はルールとしての役割が強いのかもしれないな、とおもったりした。
今ではおそらくジャンルによって、ルールが厳しいジャンルもあればそうじゃないところもあるのかな、という印象。
といっても、ジャンルがもう多岐にわたりすぎて、今は判断が難しいと思うのだけど。
トイレットペーパーを買いに
トイレットペーパーを買いに、近所の小さいスーパーに言ったのだけど、店の外に陳列されていて、ちょっとヒヤヒヤする。防犯カメラと監視中という貼り紙があり、盗む人なんていないのだろうけど、それでも何かの気の迷いでこれを全力疾走で盗むこともできるよな、と考えたりする。
そんなことは断じてしないのだけど、なぜか試されているような気分になる。
店のものを外で持っているという状況がすでにうしろめたい。
一度、店内に入り店員さんに、トイレットペーパーって外にあるものだけですよね?と確認をした、「はい、そうです~」とすこし申し訳無さそうな声色で返事をされた。
これしかなくてすいませんね~ということだろうが、別にトイレットペーパーの種類なんてどうでもいい。ケツがふければいいのだ。
意を決して、外にあるトイレットペーパーを手にとり、店内に入り、お会計にいったら。誰もいなかった。
店員はみな品出しをしているようだった。
カウンターにはチーンと鳴らすベルがあったのだけど、作業中の店員の邪魔をしてわざわざ会計するのがなんとなく申し訳ない、と感じる。
すこしうろうろしようか、とも考えたのだけど、たかがケツをふく紙を買うためだけに、そこまで気を使っていたら、胃が痛くなってしまって、またトイレットペーパーを買い足しにいかなきゃならんくなるだろう、と思ったので、ちょっと勢いをつけてチーンと鳴らした。たまに、軽く触ると、チ、チーン、とコミュ障みたいな音を出してしまうので、これだけはちゃんと押すようにした。
値段は400円ぐらいだった気がする。最近なんでも高いな~とか思ったりした。
2023年
帰宅して、昼飯。カップのみそラーメンを食べることにした。激安なので、おいしくはなかった。
細麺のストレート麺で、みそスープがまったく絡まないので、風味程度の味わいしかなかった。
まぁ安いカップ麺など大抵これぐらいの味の薄さだ。
今さら文句をいっても仕方がないので、秘密兵器の背脂にんにくをぶちこむことにした。
これをぶちこむと、大抵のラーメンは背脂にんにくの味に変わる。
安物のカップ麺をすべて背脂にんにく味にできる万能調味料なのである。
冷蔵庫の一番上の棚の奥に置かれたそれを取り出し、賞味期限を確認したら2023.4.14と書いてあった。
来年だな、と一瞬思ったのだけど、カレンダーを見たら2023年だった。
集中
最近、集中の深度を上げることに注力している。そのため修行としてフリーライティングをしている、みたいなところがある。
効果が出始めたのか、以前より、心の中が静かだし、時間があっという間に過ぎていく。
今日はかなり丁寧にギターの基礎連をしたのだけど、全然集中が乱れなかったし、出来なかったテンポで一度成功した。
この頃は集中を乱さないために、ながら作業を日常でもあまりしなくなった。
フリーライティングの休憩中にTwitterを開かなくなったし、ギターの基礎連中に本を読んだりアニメを観なくなった。
マルチタスクは集中力が分散する。わかってはいたけれど、甘くみていたと思う。
最近になってやっぱり、一点集中の方が捗ることに気づいた。その点フリーライティングは、ながらが出来ないので助かる。
2023/09/02
トマトジュースとヨーグルト、とフレンチトースト
朝食をトマトジュースとヨーグルトにしてから、一ヶ月半が経過して、胃が大分慣れてきたのか、朝はあまりお腹が空かなくなった。
まだ暑いこの時期の朝は、たいてい乾涸びているから、最初に飲んだ飲みものはなんでも染みわたる。
トマトジュースはデルモンテの無添加無塩のものをケースで注文して、一日一杯、ごま油を少し入れて、飲んでいる。
油を入れると吸収率が上がる、とたしか言っていたので、最近はごま油を入れているのだ。
オリーブオイルの方がいいらしいのだけど、普段の料理であまり使わないものだから、買っていない。
ヨーグルトにはなにも入れない。
砂糖とかはちみつとかそういうものを入れるとおいしいのは知っているけれど、なにもいれなくてもこのぽってりとした感触を口にふくむだけで、満足感がある。
一ヶ月半継続して感じるのは、胃の調子がよくなったことと、肌が明るくなったこと。
それを期待して、摂取していたので、狙いどおりでちょっとうれしい。
今後も継続していくつもりだけれど、あわよくば胃袋も小さくなってくれれば、と思う。
以前から太ってきたなぁ、と危機感を覚えているので、食べる量を無理なく減らしたい、と思っている。
継続の甲斐あってか、朝も昼も以前より大分食事量は減っているのだけど、今日の夕方、ごはんを三杯食べてしまった。
まぁ、土曜日は一杯食べる日と決めているのでね。
お腹が満たされると、単純に幸せになれる。
逆にすこしでも、もの足りなさを感じると、侘しい気持になる。
朝食のメニューには大分慣れてきたものの、日によってはやっぱりもの足りないので、そういう時は、バナナやパンを食べたり、卵焼きを作る。
今日はセブンイレブンのフレンチトーストも食べた。
フレンチトーストをいつか作ってみたいと思っているけれど、仕込むのがめんどうなので、結局やらないし、明日食べよう、と思っても、明日の僕が食べる気になるわけでもないので、と、いいわけをして作るモチベを毎度削いでいる。
でもやっぱり、あのじゅわっと溢れ出る幸福な感じは出来たてじゃないと味わえないのだろうな、思いながら、フラットなフレンチトーストを味わった。
お断りのメール
台本を提出してから一カ月、確認の催促をしてから、二十日程が経ち、先日の夜中、連絡が来て、三度目の正直か、と思い、開いてみれば、もう少し待ってほしい、とのことだった。
怒り、などという感情はとうに忘れ、呆れ、を通り越し、無関心だった。
別にどうでもいい、どちらにせよ、これでは間に合わないだろうし、仮に間に合ったとして、突貫工事になる。
そのようなものを提供するのは、お客さんに失礼だな、と思った。
依頼を断らず、なぁなぁで続けて、それなりにやり過ごすことも出来たと思うし、昨日の連絡が来るまではそのつもりでいた。
けれど、充分でない仕事をしている自分の情けなさ、思うように書けない憤り、書きたい気持に気力がついてこないことへの不安や苦痛。うしろめたい感情がじわじわと心の端を腐らせていく感覚に耐えられなかった。
ここ数日、もう一度書き直すべきだ、とプロットを立て直したり、書き直しを試みたのだけど、そこまでやる義理があるのか、という気持が、ずっと横やりをいれて、そのつどテキストファイルを閉じた。
なんで今さらこんなこと。そのループから抜け出せなくなっていた。
これ以上、書くことができない、と思ったし、自分のためだったとしても、個人的にやりたい、と思った。
お金がもらえる、とか、経歴ができる、とか、ほんとうにそんなことどうでもいい。
同じような気持や熱で、仕事をするとか、創作するとか、生きるとか、そういう人がいてくれたら、いい。
もし、その人が仮にそういう人だったとしても、それを信じる機会を失ってしまったのだから、その人は僕にとっては背景でしかないのだ。
だから、お断りのメールを送った。
二週間前にも一度、似たようなメールを考えていたので、それとうまく組み合わせて送った。
その文章を考えることのほうが、楽しいと感じてしまったし、皮肉にも自分の伝えたいことが、以前より書き起こせるようになってしまった実感をこんなところで得てしまった。
ツァイガルニク効果、というのが起るのかな、と思っていたのだけど、今のところ、引っかかりはない。
あの台本は未達成だけど、未達成でいい、と思ってしまったからだろう。
送ったあとは楽しくゲームをしたり、ニヤニヤしながらアニメを見てた。まだ確定していないのに、すごく解放された気分だった。
送ってからすぐに既読がついたけれど、返信はまだ来ていない。
次に何か返信が来ても、どうしたって、断る気がしている。そういって、断れない自分がまた顔を出すかもしれない不安が少しある。でも、断れたらいいな、と思う。
もしかしたら、責任の話とか、将来の話とか、そういうことをされるのかもしれないけれど、どうでもいい、って言ってやろう。どうせ死ぬからいいんです。って病んだ人間の振りでもして、上手に言い逃れよう。
どうか何事も起こりませんように。
落下する夕方
江國香織の落下する夕方を模写しているのだけど、とてもおもしろい、ここ最近読んだ本でいちばんすき。
表紙のデザインも手触りも、背の色も、スピンの色も、見返しの色も、内容も。
上手な感想は思いつかないのだけど、でも、全部がいい。
梨果のはな歌も、自身の誠実さと欲に振り回されている健吾も、違和感のない華子も、みんなすき。
どうして江國香織はこんなに人間関係を書くのがうまいんだろう。
ふと、手に取りたくなってしまう本だ。
続きが気になって一生、文章模写をしていたいのだけど、これは楽しみでいるための儀式でもある。
コンテンツを早食いしてしまう自分への躾けでもある。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、愉しむのだ。
ギターチェア
ギターを弾くとき用に、背のたかい椅子を用意しようかな、と考えている。
ときどき動画でお世話になる、ジャズギタリストの宇田大志さんが言っていたのだ。
練習用に椅子を用意して、朝起きたら、まずそこに座って練習する。一段落したらごはんを食べる。
ギターを始めたての頃、その動画を観て、それはなんだかいいことだな、とは思っていたものの、実行には移していなかった。
今日試しに、弾く用の椅子ではないけど、椅子にすわって、弾いてみたら気持よかった。
気持いいから推奨しているわけじゃなく、椅子にすわったら、ギターを練習するスイッチをつくる目的で、提案しているのだけど。
これはやっぱり、なんだかいいことだな、と思ったので、ギター用に背の高い椅子を用意するか考えている。
加えてメトロノームも買うか悩んでいる。
こないだキッチンタイマーを買って、使ってみて思うけど、すぐ触って操作できるものがあるのはやっぱりいいな、と思った。
ネットやアプリで、タイマーもメトロノームもチューナもピアノもなんでもあるけど、やっぱり直接触れるものがある方がラグがなくていいな、と思ったし、家にメトロノームがあるとうれしい気がする。
電子でもいいけど、アナログの、セイコーのメトロノームとか置いてあってもいい気がする。
音楽理論
音楽理論をちゃんと勉強しようかな、とこの頃ずっと思っていたので、強制的に始めることにした。
タスクスケジューラーに毎日、音楽理論のサイトを開くように指示したので、明日から毎日、一項目ずつ学習していく予定。
ちなみにフリーライティングのページもタスクスケジューラーに設定して、毎日開かせている。
ここ最近、自主的にやるようになったけれど、それまではとりあえず開かせて、意識だけしておくみたいな感じで、書いたり書かなかったりしていた。
本当に習慣づけたいこととか、意識しておきたいことは、タスクスケジューラーに開いてもらうようにしている。
今日は音楽理論の必要性と音楽理論を構成する知識のカテゴリについて学んだ。
今さらそんなところ読まなくても、必要性を感じているから勉強をするのだけど、そういうどうでもいい、と思っているところを読み飛ばすと案外後悔することがあるので、一項目ずつじっくり考えながら読むことにしている。
理論の勉強は、楽典や教科書的なものでもいいけど、独学でやるならサウンドクエストがいいと思っている。
音楽理論の必要性、というのは、どんなふうに役立つか?みたいな話。
けれど、用途の目的は人それぞれだから、役立つの?と訊かれても困る、とりあえずそれを理解して、自分で判断して使ってみてねみたいなことが書いてあった。
音楽理論は、音楽を作る・弾く・分析するのに役立つものだけど、作る、弾くに関してはなくてもできる人もいる。
これは、絵の描き方や色の名前を知らなくても絵が描けるのといっしょ、みたいなこと。
実際、僕も理論をそこまで知らないけれど感覚的に歌を作ることはできる。
けれど、楽譜に書き起こす、とか、音楽上の言語化は出来ないので、コミュニケーションがとれない。
まぁ、基本個人でやってるから、コミュニケーションの必要もないのだけど。
でももっと音楽を楽しめるなら、やっぱり勉強する価値はあるし、ギターの技術面の成長にもつながると思っている。
感覚的なものにたよりすぎてるから、知識を増やして、技術をふやすか、感覚の範囲を広げたい。
フリーライティングをしていない
日記を書けないんですよね~、と言ったら、そりゃ毎日フリーライティングしとるからやん、としまんさんに言われたので。たしかに~、と思って、今日はやってない。もう今日はやらない。夜も遅いし。
実際めちゃくちゃ書けているし、やっぱりトピック形式がいいのだな、と思った。
ってか書けすぎでは?長時間書いてても全然疲れない。
出家するか悩んでいる
サーバー抜けようかなって~、考えている。なんとなく?明確な理由がないのだけど、今は居る理由がないし、居たい理由がない。かといって抜ける理由もない。じゃあ、いてもいいじゃん、って話なんだけど。
シンプルにフリーライティングが愉しい、ので、人との会話いる?みたいになっている。これは極端な思考。
あとは、会話する人間をがらっと変えたいんだと思う。
2023/09/01
家具の向きを変えてみた。
衣服の収納ダンスを、部屋の真ん中において、しきりを作っていたのだけど、それをやめて壁につけることにした。
当時はしきりを作ることで、狭い空間ができて喜んでいたのだけど、近頃は開放的なほうが好みなので。
部屋に奥行きができて、これはこれでいい。
新しい家具なども買って、この際まったく違うレイアウトにしてしまおうか、とも思ったけれど、現状の利便性にそれが勝るのか?という疑問が浮かんだので、やめることにした。
でも、窓際にカウンターテーブルを置こうか、という案は悪くないと思っている。
最近、元気がないことを、老いかな、とうやむやにしていたので、ちょっと元気に振る舞ってみることにした。
声とか明るめに結構ハキハキ喋ったりすると、やっぱり気持がいい。
部屋や空間に自分の声が反響しているに耳を澄ますのが好きだ。
実は共鳴させると、かなり声が響いてしまうので、室内や日常会話では共鳴をさせないように気をつけていたりする。
でも声を抑えたりするのは、体感だけど、喉によくない影響を及ぼすので、本当はいつでもでかい声を出してもいい環境にいたい。
書いてて確信とか、指針とかそういうのがなくなった気がする。
放牧された。
新しいキーボードの感触がよすぎて、それを目の前にすると、タイピングがやめられない。