とりとめのない(日記)8月_
2023/08/31
忘れてた
やろうと思っていたことを忘れてた、というのがこの頃多い。
キーボードが届いた!
黒だと見づらそうだな、という余計な判断で、白にしてしまったのだけど、大分浮いている。
素直に黒にしておけばよかったなぁ、とちょっと思ったけど、少し慣れてきた。
見た目はどうあれ、機能性は最高。タイピング音は気持ちがいいし、キーが軽い。
これで長時間のタイピングも快適になる。
新しいのに慣れるまで、時間がかかるだろうな、と思っていたけれど、むしろしっくり来る。
ミスタイプがまったくない。やっぱりお金を掛けるとそれなりにプレイアビリティがあがるなぁ。
ギター弾き
の人たちと交流してきた。自分はやっぱりギターには興味があるのかもな、と思った、と同時にまったく知識がない、と感じた。
知っている、というのは実践において有利になるな、と思う。
僕は自分がやっていることの技術の名前などを知らないから、それの知識を集めて効率的な練習をする、なんてことは出来ない。けれど、それでもなんとかなっているからなぁ、という気持もある。
結局どれだけ難しかろうが、ゆっくりなテンポで地道にやっていけば出来なくはないのだ。
どこまでいっても感覚だよりでやってしまいたがるのは、これからもなのかもしれない。
けれど、時々刺激に触れて、自分のやり方とペースで、上達していければな、とは思う。
2023/08/30
買った!
リアルフォース買った。ロジクール中古の値段が表示されてたみたい。
アマゾン会員カードに登録し、取得した7000ポイントを全ブッパした。
気に入らなければ売れば良かろうなのだ。
明日が楽しみすぎる。今使っているキーボード、どうしようかな…。
USBアダプターあるから、タブレットで何かするときに持ち出すか。
ホテル・アイリス
小川洋子のホテル・アイリスの文章模写が終わった。不思議な読後感がある。よかったなぁ。
映画化もしているみたいで、PVを見たけどイメージとすこし違った。
監督も一度、小川洋子に脚本を返されたらしいので、うんそうだよね。とは思った。
もう一度提出して、オーケーをもらったそうだが、それでも翻訳家の印象が違い過ぎる。
街の雰囲気はイメージ通りではあったけれど、全体的に登場人物がハマらない。
原作厨みたいになってしまうけれど、この作品に登場する、アコーディオンを演奏している青年が印象的で、彼がいることで、その街の賑わいや景色などが、なんでか想像できるのだ。
青年はたしか一度もしゃべりはしないし、ただ、地の文で描写されているだけなのだけど、彼の存在感はこの作品の中で重要だと感じる。
そういった余白が面白い作品なのではないか、と思っている。
登場人物一人ひとりに不可解な点があるのも魅力で、読み終わったあとの、結局あの人はなんだったんだ?みたいなことをずっと考えさせられてしまっていて、愉しい。
こういった愉しみは、映像にしてしまうと急にそのぬるさと湿気を失ってしまう気がする。
2023/08/29
寝不足が数日続いている。別に忙しいわけではないのだけど、なんとなく空腹なのだ。
夜中は見たことのないマンガやアニメをひたすら漁っている。気が向けば本も読む。貪っている。
最近の自分を振り返って、インプットが足りなかったんじゃないか、と思っていたのだけど、もしかしたらその反動がしっかり顕れているのかもしれない。
それでもアウトプットの方が多い気がする。昨日も今日もフリーライティングをして、もうすでに5000文字以上は書いている。
そして、コンテンツをたくさん摂取する。
生活習慣が改善されて、便秘が解消されたのかもしれない。よく食べ、よく出す。
単純な話だ。創作なんてうんこなのだから、いいうんこがしたければバランスよく、よく食べる。
フリーライティングをいっしょにする人を探している。こんなことを好んでしようとする人はあまりいないだろうけれど、8セット以上に到達するには、仲間が必要なのだと思う。詳細な日時は決まっていないけれど、缶詰的な感じで、ほぼ一日中やってみたいと思っている。
まぁでも、単純に黙ってタイマーつけてれば、ひとりでできるのだろうけど。
キーボードの反応が少し悪くなってきた気がする。以前よりもタイピングの時間がかなり増えているから、よりよいキーボードを買うか考えている。やっぱりHHKBの雪がちょっとほしい。3万強だけど、これからずっと使うって考えたら悪くないと思うし、何にお金を掛けるべきかと問えば、やっぱり、日常生活などで普段使うものにだと思う。
この頃、本当に余計な散財が増えているので、少し節約して、しっかり貯金をして、年末あたりには買えるようにしておきたい、と、思ったり思わなかったりしている。
まだ踏ん切りがつかない。キーボードに3万、キーボードに3万か……。
だったらもう2万貯めて、エレキギターとか買いたい。
再起動をしたら少しキーボードの反応がよくなった。もしかしたら、パソコン自体がそろそろ耐えられなくなってきたのかもしれない。老いを感じるもの。
クッションを日干ししたのだけど、おひさまのにおいがして安心する。
いくつかキーボードを調べてみたけど、リアルフォースのキーボードも結構いいかもしれない。
REALFORCE R3S
Logicool G G-PKB-001
リアルフォースは音がかなりいい。HHKBに近いし、テンキーレスなのがいい。
HHKBはコンパクトだけど、PageUpなどのキーはショートカットキーに設定していて、それが便利なので欠かせないため、タイピングオンリーであれば、HHKBでもいいのだけど、その他の作業にも使うことを考えると、こちらキーボードの方がいい。
ロジクールのやつは比較的安価なので、今度買ってみようかな、と思っている。タイピング音の好みとしてはリアルフォースだけど、価格帯がやっぱり……。
悪くない音ではあるので、この価格帯でかつ、タイピングも軽いとなればまぁまぁ妥協できる。
現在使っているキーボードと比較して、リアルフォースやHHKBは金属の反響音があまりなく、聞いていて心地いい。
最近はマイクの返しで、自分のタイピング音を聴きながら作業している時があるので、心地いい音が出るものがほしいと思っている。
フリーライティングなどで長時間のタイピングをしていると、現在のキーボードだと少々指先が疲れる。
もともとノートパソコンのキーボードでのタイピングだったというのもあるかもしれないが、それでもやはり重い感じがするので、キーの軽さは今のプレイスタイルに合わせて軽くするべきだと考えている。
2023/08/28
アコギのアルペジオから始まる楽曲が店で流れ始めると、たぶんこのコード進行だな、とか、この運指弾いてるな、とか、なんだ今のすげえ、みたいなことを考えたりしている。
こんな時、アコギを背負ってきていれば、と後悔する。
メロディを忘れないうちに答え合わせがしたい。
感覚で短歌が詠めた。悪くない。
2023/08/27
フリーライティング日和
一昨日キッチンタイマーを買ったので、それを使ってフリーライティングに取り組んでいる。
今日は朝がすこしゆっくりしていたので、何かを始めるのには丁度いいような気がした。
以前からフリーライティングを一日中やってみたい、と思っていたのだ。限界までやったら、どんなことを自分は書くのか思うのか、それとも限界なんてないのか、とにかくそういうことが知りたい。
日曜日だから、きっといつもより朝がのどかな気がしたのか。何をするにも今日はすごくいい日和だと思う。
フリーライティングは楽しい、し、自分にとってすごく意味のある行為だと思う。
歌なり短歌なり、何かを作るときの僕の感覚は潜ることだ。
水中にいる感じがする、というのを今日しまんさんとの対話で気づいた。
この頃少し自分の感覚に鈍感になっている、というよりか、頭の方にすごく意識が向いているのだろう。
本能的ではなく、理性的にものごとを進めている実感がある。ひっかかりなく、スマートに実行できているように思うけれど、それはあくまで、心の状態を無視した形になっている。
フリーライティングで僕が大事にしていることは、とにかく進むこと。
方向はわからない、どんどん深く潜っているのか、水面を目指しているのか、後退なのか前進なのか、わからないのだけど、それらは必ず記録として残る。
その瞬間の僕の呼吸がそこに刻まれていくので、ぜったいに手を止めないことにしている。
文脈も何もかもを無視して、思いついてしまったものはすべて書く。
美しさとか、整合性みたいなものに依存しない。
言葉の海をかき分けて宝石が見つかるのをただ楽しみにしている。
感覚をただ言葉にする、言葉によって、感覚をなぞるじゃなくて、感覚から生まれた泡をそこに記録するのだ。
それをひたすら続けている。
こんなことやらなくてもいいような気がときどき起るのだけど、僕にはきっと狂った信仰みたいな祈りと集中が必要だし、それが単純に気持がいいので、失いたくない感覚だから、止められない。
野菜炒めのランチセット(スイカ付き)
一昨日からずっと食べたかった、近所の食事処の野菜炒めをとうとう注文した。
入って迷わず、野菜炒め定食、と注文したのだけど、セットもあるよ、と言われたので、ノリでセットにした。
セットはラーメンと野菜炒め、ごはんと納豆とおしんこだ。
野菜炒め定食も、ランチセットも価格は950円なので、セットの方がお得だとおばあちゃんは勧めてくれていたのだ。
おぼんには、盛り付けられた皿が少しずつ置かれていって、僕はそれをちらと見ながら、天井の隅にあるテレビで流れている24時間テレビを見ていた。
こういう場所でみるテレビは好きだ。なんとなく懐かしいから。
おぼんにラーメンのどんぶりが置かれて、そろそろだな、と思ったら、おぼんのとなりに、スイカの乗った小皿が用意された。
まさか、とは思ったけど、おぼんといっしょにそれも持ってきてくれた。
セットには記載されていないメニューがときどきおまけでついてくる、日によって小鉢の内容も違かったりするから、そういうのがちょっとうれしい。
この夏ちょうど何もしていないなぁ、なんてことをVCで話していたばかりだから、スイカが食べられると思ってテンションが上がった。
スイカなんて種が邪魔でその割にめちゃくちゃ甘いわけじゃない、と普段はけなしているけれど、実際目の前に置かれると、これもやっぱりなんとなく懐かしいからだろうか、愛着が湧く。
最初にラーメンスープをレンゲですくって、次に麺をすすり、野菜炒め、ごはん、みたいなサイクルで食べた。
ここのラーメンはそれこそ、こういうのでいいんだよラーメン代表みたいな味がして、落ち着く。
後半に白コショーをどばどばかけて味変するが楽しい。
野菜炒めはやっぱり美味しかった。お肉はそんなに入っていないのだけど、その分野菜の旨みが凝縮されていて、お肉よりもジューシーな味がする。
野菜炒めは、口の中で広がるジューシーな脂と旨み、と、野菜という健康的な要素によって、背徳感が生まれてそれがいいのだと思う。
ここ最近あまり外食をしていなかったから、久しぶりすぎて、結構早食いで食べてしまったのだけど、本当においしかった。
スイカは塩もかけてね、なんて言われたけど、かけなくても十分甘かった、種は未だに上手に吐き出せないけれど、この水々しさとシャクシャクとした食感は気持ちがいい。
途中で塩をかけて食べてもみたけど、それもおいしかった。
この頃ちゃんと昼ごはんを食べていなかったら、お腹はかなりいっぱいになった。
おぼんを配膳のところへ運ぶと、わざわざありがとうね~、と言われた。
いっぱい食べれたでしょ、と言われたので、はい、おいしかったです、と応えた。
おばあちゃんもやさしいから、また来たくなってしまう。
お会計を済ませてごちそうさまです、といった後、店を出るときにもう一度振り返って、またお互い挨拶をした。
屈折した一直線
この短歌は、僕の今年一番お気に入りの短歌なのかな、と思っている。
この短歌は、よく思い出す、昨夜も思い出していた。
僕は理科をそこまで好きではなかったのだけど、でも光とか音とか、そういう現象のことはすごく好きなのだ。
でもだからといって、その名前を知っているわけじゃない。その程度かもしれない気持がときどき交差して集まって、多分短歌ができる。
短歌はいつも偶然だ。僕がとろうとしていないときに偶然いい画がとれる。なんとなくシャッターを切ったときに。
僕の短歌にはいつも復讐や執着が込められているものが多く、それが僕にとってはよくある感情なのだと思う。
今、別に何かに強い執着を持っているわけじゃないけれど、でも誰かの執着を断ち切りたいという執着はある。
復讐したいものも相手もいないけれど、漠然とひっくりかえしたい世界があると思っている。
そういうものがあると思っている。
この短歌は、復讐も執着も、それに僕の求めている優しさもあると思っている。
もし、執着しているものを何か一つ上げろと言われれば、おそらく、優しさ、だと言う気がする。
それは多分誰にも知られないところにあるし、誰も知らないのだろう。優しさ、という言葉の現象じゃないものが好きなのだ。
昼に一旦フリーライティングを終了して、ギターなりなんなりを弾いて、ボイトレなりした。喉の調子は大分快方へ向かっている。
思わず口をついてしまったような言葉や、そうでなければならないのだけど理由のない文章などが、時々出てくるようになってきたのは、この頃の成果のおかげだろうか。
2023/08/26
だらだらしている。
昨日キッチンタイマーを買った、ポモドーロのサイトを開くより早い。
orchisに慣れるためデスクトップのアイコンをしばらく非常時にしている。 多少は癖づいてきたけれど、ついついWindowsタスクバーから、ディスコードなどのアプリを起動してしまうので、タスクバーの表示も消すか悩んでいる。
以前は消していたのだけど、dresskeyの操作切り替えの数字が、タスクバーに表示されるので、それを確認したいがために、タスクバーを固定している。 といってもこの頃は、dresskeyの出番があまり少ないため、まったく左手デバイスに触れていない。
こちらもやはり癖付けが必要に感じるが、慣れすぎると他のブラウザやPCを使う際、かなり不便に感じてしまいそうなので、慣れすぎるのもすこしこわい。
友人から聞いて気になっていたジャンプ+の土曜日連載作品の『2.5次元の誘惑』と『魔都精兵のスレイブ』を最新まで読んだ。とてもおもしろい。
土曜日は『少女Null』ぐらいしか読んでいなかったので他に読むものが増えて嬉しい。
特に2.5次元の誘惑は泣けるシーンが多く、オタクには刺さる。
曜日ごとの上位にランクインしている作品はだいたい読んでみれば面白い。これを機に他の作品も開拓してみようと思っている。
今年の夏何もしていないな、とは思うけど、それは去年も同じことなので、まぁいいか。
でも今年はきらめきを全然吸収できていない、知覚できていない感じがする。
自分の奥から湧いてくるエネルギーとか、自然から感じるエネルギーとかそういうものをあまり感じ取れていない。
2023/08/25
忘れてた!ぼーっとしてた。
2023/08/24
アニメを見たい欲求が高まってきたので、dアニメストアに加入して、アイドルマスターシリーズを観ることにした。
こないだ久しぶりに如月千早の歌と、9th Anniversary Liveの釘宮理恵が歌った、「またね」の動画(これは定期的に見ている)が見たくなったので、youtubeで検索して見返していたのだけど、ボロボロ泣いて、泣きすぎて頭が痛くなった。
顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いたのは本当に久々だったので、自分にとってアイドルマスターが大事だということを再認識した。
懐かしい気持に浸りたい気分でもあったので、765(ナムコ)プロのアイドルマスターのアニメをとりあえず観ることにした。
このアニメが放映されたのは、十二年前になるから、もう大分内容も忘れているかな、と思いきや、まったくそんなことはなく、ほとんど覚えていて、覚えているのにボロボロ泣いた。
むしろ、好きな話の冒頭が流れるだけで、勝手に泣き出していたので、パブロフの犬みたいな状態だった。
765プロのライバルには961(クロイ)プロというプロダクションがあるのだけど、作中ではそのプロダクションにJupiterという男性三人のアイドルユニットがいる。
このJupiterが結構アツい男たちで、961プロの黒井社長に騙されて、765プロは卑怯な手を使っていると聞かされているのだけど、のちに卑怯な手を使っていたのは961プロの方だったことが発覚し、Jupiterは961プロを抜け、765プロのプロデュサーに謝罪をし、その後、プロダクションの力を借りず、アイドル活動を0からやり直す。
それからのJupiterの話を描いているのが、アイドルマスターsideM(2017年放映)みたいだ。
こちらのシリーズは一度も観たことがなかったので、先程、一話だけ観てみたのだけど、思いのほか面白かった。流石アイドルマスター。もっと早く観ておけばよかったと後悔した。
このJupiterの三人が出始めた頃から、なんとなく嫌いになれない、というか、むしろ好きな三人だったので、彼らがいいプロダクションで自分たちの目指すアイドルへ近づく姿を見れるというのはとても嬉しい。
続きを観るのがすごく楽しみ。
https://youtu.be/71hFJDmpzm4?si=BdQ_ZL97KGfdMQM3
今日はこれを聴きながら日記を書いている。気持ちがいい。最近は炭酸水や氷をかきまぜる音をずっと聴いている。耳が涼しい。
2023/08/23
外に出ると、かわいい女の子がたくさんいる。
ぱっちり二重のシースルーの人もいれば、ショートヘアでさっぱりした人、お腹を出しているスラっとした体型の人などなど。
世の中ってこんなにビジュアルの強い人たくさんいたっけ?と思う。
男の人もかっこいい人がたくさんいる。
努力してお金を掛ければ、足下ぐらいには近づけるだろう、とは思ってみたりするけれど、そんな勇気もやる気もない。
ビジュアルをしっかりと整えてきている人を見ると、それだけで尊敬する。
最近八時半ごろから眠気が来る。夜は最近何もする気が起きない。かといって寝るわけでもない。朝も強いわけではない。
すごくシンプルに身体のパフォーマンスが低下してきているような気がする。
筋トレはめんどくさいからランニングでもしようかな、と考えているが、ランニングウェアが長袖しかないので、萎えている。
歌を作るときあんまり悩まないな、と思った。
2023/08/22
結局今月、何も出来ていないなぁ、と思いながら、過ぎていく日々たちを眺めている。冷房をつけているのに、皮膚の内側がジンジンと暑い。何かを持て余したような感覚がずっとあるせいで、後悔や罪悪感ばかりが募っていく。
今年の夏はあまりよくない夏になってしまいそうだ。結局ラムネも飲めていない。
誰かを誘って祭りに行ったりしたかったな。なんて思ってみたりもしたけれど、これは世間体から来るオートマチックな思考であって、別に僕の感情じゃない。
僕は一人で、祭りに行って、どこかすこし外れたところから、賑わいを眺めて、ラムネをちょっとこぼして、こっそり恥ずかしくなって、一人で来たことが、なんだか急に恥ずかしいような気がして、ラムネを急いで飲んで、もったいないことをした、と少し後悔しながら、ゆっくり歩いて帰りたいだけだ。
一人はたしかに寂しいのだけど、寂しいからちょうどいい。そんな心もとないスペースがあることを確認できると安心する。何かで満たされているとそれはそれで疲れる。
張り詰めたリュックを背負っていると心までそんな感じになってしまう。
すこしゆとりがないと、予定外の荷物にストレスを感じてしまうかもしれないから、すき間はあったほうがいい。
でも、すき間は多分いくらでも見出すことができる。
小さな寂しさをやりすごせない日もある。そういうとき、よけいなものを買ってしまう気がする。
ひとまず書いてみる、というのが今の自分には大切な気がする。書くことがないなぁ、とぼんやりしている時間があるなら、書きながら探した方がいい。安全な方法が見つかってからじゃ、出遅れる。
日に日に人が嫌いになっているような気がする。というか、人に尽くすことが嫌になっている。ケチになっている。
他人から、時間を奪われたりすることを避けたがっている。
いつにも増して、この頃は一人の時間がないといけない。
その割には時間を有意義に過ごせていない、というか、感覚に触れる時間が少ない。
ノイズキャンセリングをしているときと似たような感覚で生きている。
2023/08/21
無職転生の原作をちまちま読んでいるのだけど、ときどき文体が引っ張られてるな、と感じる瞬間があって、ちょっと気になる。
毎日、小川洋子の作品などを文章模写しているのになぜに無職転生。
多分、寝る前と起きた時に読んでるからだなぁ。
こんなに暑いのに八月はもう終わろうとしている。嘘だろ、さよならなんて言わないでくれよ。みたいなね。
ながら作業があまり好きではないので、音楽や動画など、作業中に流すことはないのだが、あまりにも眠気が意識を吸い取りにきていたので、試しに軽快な音楽を流しながら、作業をしてみた。
思いのほか捗ったので、場合によって悪くないなと感じた。
どうやら僕は集中する際に最適なテンポやリズムがあるらしい。
無意識ではあるが作業中にテンポが乱れると、がっかりする。
逆に安定したテンポ感でグルーヴが出てくるとかなり作業が捗るのだ。
没頭するタイプの集中ではなく、浸透して波にのるような感覚で作業をしている。
ここ最近、集中がうまく出来ないことに対して悩んでいたのだけど、自分に合ったやり方をできていなかっただけだったみたい。
2023/08/20
喉の調子がちょっと悪くなってきた、というか上側を使うのが癖になっている。
定期的に力が抜けた状態を確認してる。つまり無意識に力んでいるときがある。
2023/08/19
弾き語りのレパートリーを増やしたいなぁ、と思いながらも普段聴いている楽曲のコード譜がまったくネット上にないので、結局増やせずにいるのだが、そんなところで立ち止まっていてはいつまで経っても上達しないので、自分で耳コピをしてコード譜をつくることにした。
作譜は主にコード解析アプリなどを使うことが多いが、ほぼ耳コピでやる場合もある。
特に不思議なコードを使った楽曲などは、AIもなかなか解析できないので、結局耳コピしてから、コード理論などで調べたりして、一番近そうなものを当てはめていく。
そういったやり方で進めていくとなると、結局音楽理論は勉強した方がいいのだけど、あえて耳でゴリ押しして、一音一音聴き取って、声に出しながらギターで同じ音を出し、重ねていく。
楽器の演奏は最終的には身体感覚なので、耳で和音を覚えてパッと鳴らせるようになれば、わざわざ理論を調べなくてもだいたいできてくる。
音楽は理論を超えてくる瞬間があるので、基本的には理論は後出し、確認のためのものとして扱っている。
作譜の際に利用しているものは
の三つを主に使って、スクラップボックスのページにメモをしている。
今日作譜している曲は、伴奏がシンセとエレキで、あまりごちゃついてはいない。
しかし、特殊な和音や、音を揺らがせているために、AIくんもまぁまぁ間違えていて、結局ほぼ自力で解析している。
途中ではあるけど、かなりいいクオリティで仕上がっている。
主要な和音はだいたいわかったので、あとはそれを並べ替えるだけなのだけど、
同じ和音でも押え方が違かったりするので、結局細かく聴き取らなければいけない。
なんとなくで仕上げても、そこまで問題はないけれど、せっかく作るのだから、極力原曲に近づけたい。
以前、ギターを弾いているネッ友に作譜を依頼されたとき、その楽譜の再現度の高さに感動して、めちゃくちゃ感謝されたことがあったので、やっぱり手は抜きたくない。
今回は自分のためなので、別に適当でもいいのだけど、ずっと聴いている曲だし、ここまで頑張ったのだからもう少し頑張りたい。
今週中に仕上がればいいなぁ、と思っているが、和音を一個ずつ、一音ずつチェックしているから、ほんとうに途方もない。
台本の確認の催促をしてから、一度も連絡が来てないので、流石にもやもやしている。
先程、人づてで、相手はかなり忙しいらしい、と聞いたので、じゃあ仕方がないか、という気持にもなっているのだけど、
いやでも、流石に、だからといって、それはおかしくないか?とは思う。
これで、書き直しだのなんだの言われたら本当に嫌だなぁ、と思う。
でも、同時にここは指摘されるだろうなぁ、といううしろめたい部分もあるので、今のうちに直すべきなんじゃないか、という焦りもある。
相手の都合に対していちゃもんをつけたい気持もあるが、自分が完璧な仕事をしたか、と問うてみると、決してそうではない。
ある意味でこの催促は、判決、もしくは断罪を待っているようなものなのだ。
だから僕は、僕が100%悪くないとは言い切れない。
フォントを変えるとタイピングが楽しくなる。
2023/08/18
歌を作ろうと思って、パッと思いついたサビとAメロを書き出していた。
最近はスクラップボックスにコード付きの歌詞を記録して、仕上げた段階までの音源もそこにアップしている。
ネットができる環境さえあればいつでも見かえすことが出来るのですごく便利。
しかも最近Chromeから移行したブラウザ、vivaldiのウェブパネル機能によって、より効率よくコードを割り振ることが出来る様になった。
普段曲を作るときTAB譜制作ソフトをサブモニターで立ち上げ、作詞のテキストファイルをメインモニターで立ち上げ、ソフトの方では主にコードの逆引き検索をして、そこで出されたコードの名前をメモ帳に記録している。
基本的には大まかなコード進行と、弾き方のパターンを決めて終わり、という感じなので、TAB譜は作らずに、コード付きの歌詞を記録して終わる。
しかし、このコードの名前が複雑になることが多い。
一般的なコードの押さえ方をすればシンプルなのだけど、僕の場合使いたい音を一音ずつ選んで重ねてみる、みたいなことを繰り返しやっているので、一般的なものと異なったものがちらほらあり、その偶然できた響きの名前をTAB譜のソフトでいちいち検索して、当てはめていくのである。
けれど、TAB譜作成ソフトは検索機能が律儀すぎるので、コード名の隣にパーセンテージを置くのだ。
例えば、僕の好きなコードで、Cadd9というのがあるのだけど、これは
ド レ ミ ソを重ねた和音である。
これはC(ド ミ ソ)というコードにレを足した、という解釈なのだけど、違う解釈の仕方もあるのだ。
Em7+5/C (ド レ ミ ソ)
この『/C(onC)』というのは一番低い音が
ド ですよ、ということである。
そして『+5』というのは五音、この場合E(ミ)から5つ離れた音
ミ ファ ソ ラ 『シ』
このシが五音に当たるのだけど、+5というのはその五音から半音上げた音になる。
つまりシ 『ド』 なのだ。
この+5や/Cなどは普段あまりつくことはない、
なので、Em7(ミ ソ シ レ)
というコードに、足された装飾のようなものだ。
ミ ソ ド レ
ミが一番低い音であればEm7+5という解釈がもっとも正確だが、場合によってはCadd9/Eという解釈もあり得る。
話を戻すが、それぞれの解釈に、TAB譜作成ソフト君はパーセンテージ振って、10個ぐらいの候補を出してくるのである。
そしてそれらの判断は文脈に依る。
第一志望おちた、からの『マジで』と
第一志望受かった、からの『マジで』みたいな感じで
それまでに鳴っていたコードの雰囲気、メロディに使っている音階、
文脈から、とか、言葉遣いから、みたいな感じでその後出てきたマジで、の印象が変わったりする。
で、たくさん候補を出されると助かるのだけどパーセンテージを振られると少々困る。
どれが正しいのか、みたいな余計な葛藤が生まれるのである。
困る程度の基礎知識しか持っていないのだ。
なのでパッと出してくれるサイトが欲しいなぁと思い、探していたら、めちゃくちゃ便利なサイトを見つけた。
ギターの指板の画像があり、自分が押さえているとこに該当する部分をクリックすると音名が出る。複数クリックすると、その鳴ってる音たちから和音の名前を出してくれるのである。
こういうのをコード逆引き検索機能みたいな感じで言われているのだけど、探せば普通にこういったサイトはたくさんある。
しかし今回見つけたサイトの優秀な点は、解釈に対して簡単な解説や関連した和音などを出してくれるのである。
おかげで判断の材料にもなるし、勉強にもなるのだ。超お得である。
なのでそれをウェブパネルに登録していつでも召喚できるようにした。
最初から理論をしっかり勉強すればいちいち検索する手間も省けるのだけど、一音ずつ重ねていって、知らない響きが出てくるのが楽しいので、あんまり把握したくない。
勉強はしたくないが経験値を積みたい、みたいな自分にとってはすごくいい環境が整いはじめている。
2023/08/17
まじめに掃除をした
四日間くらい掃除をサボっていたので、少し根を入れて掃除をした。普段は動かしてないものも少しどけたりして、掃除機のアタッチメントも付け替えたりして、窓の溝にも掃除機をかけた。
焼肉定食
昨夜、寝る前に孤独のグルメを観ていたのだけど、あまりにもおいしそうで、よし!明日は豚肉を食うぞ!と決めていたので、お昼は、行きつけの店で焼肉定食を頼んだ。豚肉の脂の甘みももちろんうまいけど、肉の下に敷いてあるもやしとかたまねぎの炒めものも旨みがジューシーに広がるのが最高。久しぶりに食べにいったから、無我夢中になりすぎて、けっこうお行儀悪く食べてしまって、シャツにタレが飛んじゃったりしていた。恥ずかしいなぁ、とは思いつつも、食べる手をとめられなかった。
2023/08/16
Notionの設定はめんどくさがるくせにスクボのCSSを弄るのには時間をかけられる不思議。
用途にわけて複数の個人ページを作っているのだけど、その用途ごとに雰囲気や使用感を変えてみることにした。
CSSなどProgateで少し触ったことのあるくらいなので、0から書く、なんてことは出来ないが、何を意味しているかは物によって判る。
幸いなことに、もうすでにそういったコードを書いてくれている方々がいるので、
それをコピペして、幅や色の設定などを弄ることにした。
CSSを触るのは1年半ぶりくらいだけど、触ってみると面白いものだ。
自分の再現したいものが、指示によってどんどん更新されていく様を見るのは興奮する。
これを機にもう一度、プログラミングを触ってみようかな、と思ったりする。
さまざまなレイアウトが成されたページを覗いて回ったけど、原型を留めていないページなどもあり面白かった。
そのようなページのsettingsなどを覗くと、一体何時間掛けたのかわからないくらい、膨大な量の書き込みがされていて圧倒される。
これだけ自由にカスタマイズ出来るからこそ愛着も湧くし、その面白さにハマっていくのだろうな、と思う。
新たなスクボの側面に触れ、今後も継続して使っていきたい、という気持ちが強まった。
タイピングの姿勢
首や腰がくつろいた姿勢で、普段タイピングを行っているのだけど、それが眠くなる原因みたいだ。
連日フリーライティングを続けていて、必ず三、四セットめで眠気がきて、ほぼ目を瞑りながら、タイピングをしているのだが、この現象が毎日ほぼ確定で起っていて、それ以上のフリーライティングの継続が困難になり不便だったために原因を探っていた。
基本的には直感で、ひたすら手をとめずに書いているので、頭を使っている、という実感はないに等しいのだが、もしや、長時間連続で考え事をしているのに、脳みそが耐えきれなくて、眠くなっているのでは、と考えたりしていた。
しかし、文体や構成などはかなりでたらめであり、そういったところに全くリソースを割いていないため、脳に対する負荷はあまり感じていなかった。
手や体が、疲れている、という感覚もなかったため、寝不足などが原因なのだろうか、と思っていたのだが、別にそういうわけでもなかった。
三セットめに入る前の休憩時間の間にストレッチや、カフェインの摂取をして臨んでみたのだけど、それでも眠気は関係なく、押し寄せてくるので、いったい何が原因なのだろう、と考えていたのだが、ようやくその原因がなんとなくわかってきた。
これは発声などにも関連しており、最近少し改善がみられたのも、これを改善したからかもしれない。
それは、腰や首が寝ている、ということだ。
タイピングをする際、かなりくつろいだ状態で行っているのだけど、全く身体が動かないので、どうやら頭が寝る状態と錯覚し始めるみたいだ。
自分は昔、うまく眠れなかった頃、意識的に身体の力を抜く練習をして、眠るようにしていたのだけど、その際に抜ける部分が腰や首だった、と思う。
そのプログラムが残っているのか、どうやらそこの力が抜けた状態でじっとしていると身体が寝る態勢に入るみたいだ。
今日フリーライティングの際に、背もたれから、腰を離して、身体の軸を起こした状態で、三セット目を行ったのだが、全く眠くならなかった、それ以降も眠くならずに行えたので、おそらく、この仮説はかなり当たっていると思う。
腰や首を起こすと、身体の軸の力を感じることが出来て、自分の実体を自覚できる。思えばこういう感覚で生きていたのだ。
特に腰の中心にある軸の部分から全身に伝わるエネルギーは、自分にとってかなり重要なものであることを思い出した。
チャーハン作った
久しぶりにチャーハンを作ったのだけど、ラードがなかったのでサラダ油で作った。なかなか美味しくできた。今日はすこしさっぱりした感じだったが、味付けはかなり成功していた気がする。にんにくを入れるタイミングがよかったのだと思う。
また、全体にまんべんなく火や味付けが通るように、念入りにフライパンを振ったので、それもよかったかもしれない。
ピザ
ピザを食べた。サルサ。クミンの味がしたので、すこし嬉しかった。
この頃クミンが調味料の中で強いやつなんじゃないか、という説が自分の中であるので、クミンの味には敏感である。
今まで意識していなかったのだけど、その味を舌が記憶しているために、あ、クミンが含まれているな、と判ることができる。
これは面白い。音楽の和音みたいだ。
死ぬ理由がなくなったら、どうする?
この頃、あまり、希死念慮――というと大げさすぎる――死にたい、という感情が湧かなくなった。
別に生活が裕福になったから、とか、辛いことがなくなったから、とか、そういうわけではない。
自分がなぜ死にたいのか、というのがはっきりしてきて、それがあまりにもくだらないもので、どうでもよくなってきたから、どこかに放り投げた。
最近自分がすごくがさつに生きているなぁ、という多少の申し訳無さと、呆れた笑いが、よくせり上がってくる。
孤独による淋しさが、自分を苦しめている側面があったのだけど、それに慣れたのか、割り切れたのか、全然淋しくなくなった。だから、あまり恋をしなくなった。僕にとって恋とは盲信に近い。
死にたい、にはいつも理由があった、以前は、死にたい、がメインで、そこに適当な理由をくっつけているだけだ、と考えていたのだけれど、その適当な理由たちが無くなれば、僕は黙るしかなかった。
多分、愛する人に愛されて、人に囲まれ、孤独を感じずに生きていれば、僕は死にたいなんて思わない。
結局、正常な人間なのだ。正常な人間がちょっと間違えた道に進んだくらいの問題でしかない。
過去の僕がどんな理由で死にたかったのか、僕にはもうわからないけれど。
孤独に耐えられなくて、淋しくて、不条理があって、無力で、いろんな理由があっただろうけれど、その一つひとつに向き合うのがめんどくさいから死ぬしかなかっただけだった。だから別に死にたいんじゃなかった。
生きるために必要な部品が欠けていたので、壊してほしかっただけだ。
だから死にたい、というより、殺して欲しい、だった、そしてそれよりも、どうしようもないさびしさが、ただそこにあっただけだった。
僕が言えるようにならねばならないことは、死にたい、じゃない。
寂しい、できない、こわい、やりたくない。言ってこれなかった言葉をただ言えるようになればいいだけの問題だった。
だからある意味でこうして日記やモーニングページ、フリーライティング、また本を読むことは僕にとって救いになったわけだ。
だからといって完全に救われているわけではない。
ただ前よりもマシな解像度で書けるようになった、それだけであって、もっと解像度を上げられたら楽しいはずだ。
だから、もっと楽しくなりたい。
死にたい、というのも、それもまた都合のいい生き方だ、と思う。
どうせ死ぬんだから、というのもそれも都合のいい生き方だ。
人間はどうかわからないが、僕は、都合のいい生き方を選び続ける、結局。
死にたいと言いながら、救いを求めるなんて、溺れる魚みたいじゃないか。
泳げない魚類なのだとしたら、陸を歩くしかない。
2023/08/15
ただただ夏を模倣するだけの季節。
Notionを使ってみようかしら、と検索をかけて、ページを開き、タブレットでアプリもインストールし、Googleアカウントでログインして、いざ!と思ったけれど、別にToDoも他のアプリで設定してあるし、読了した本の記録なんてしても、どうせそんな事実は忘れて他人のものになるので、また読み返す。
日記もこことか、個人のスクボのページにあるから、わざわざそっちに移行とかする方が手間すぎるし、仮にリンクをNotionに貼ったとしても、Notionを開いてここに飛ぶくらいなら、普通にブックマークバーとかから飛べばいい話で、まったく良い活用の仕方が思い浮かばなくて、また挫折した。二度目の挫折である。
Notionの活用記事や動画を少し覗いてみたのだけど、細かい設定というか、整理整頓がめんどくさすぎて、やっぱりハードルが高いなぁ、と思った。
風呂場の石鹸やシャンプーの詰め替えなどを怠って、なくなってから気づくような人間が、細かくカテゴリーやジャンル分けをして、使いやすい環境を作るなんてやるわけがない。
長期的に考えて、自分がそれをやっている光景が見えない。
もしそれができているとしたら、Notionを整理するためのToDOリストを作っているだろう。
講座の動画では、Notionはこたつのようなものだ、と言っていた。
あたたまるまで時間はかかるけど、あたたまったら、その近くにいろんなものを置きたくなってきて、どんどん便利になっていく、とのこと。
それでいうと、すでにパソコン自体が僕にとってこたつのようなものであり、便利で事足りている、と思ってしまったので、すごくどうでもよくなってしまった。というかvivaldiでいい。(クソステマ)
僕の場合、大抵見返すことがないので、こたつというより、物置になってしまう気がする。
今年の夏は何もせずに終わってしまうなぁ、とか思ったりすることあるけど、それは春もじゃん。
去年の冬だって何もしてないやん。
何、夏だけ勝手に空想のノスタルジーに浸っているんですか?という気持になる。
何もしない日もサイコーですが!?
一日四セットくらい、フリーライティングをやれるようになってきた。しかしクソ眠いのである。三セット目あたりで、目を閉じながらタイピングをしている。今日なんかそのまま夢の世界へ生きかけて、その一瞬の映像に対するリアクションをタイピングしていたので、うまくいけば夢の中の実況ができるんじゃないかと思う。
こないだ夢の中で、めちゃくちゃいい感じの歌詞と歌を作っていたのだけど、朝起きたら綺麗サッパリ消えていて、ほんとうに悔しかった。なんでそんな大切なこと忘れちゃうんだよ人間はぁっ!!
難しい熟語とか言い回しとか、使いたいな、と思ったりしていた時期があったけど、今の僕にはそういうのがちょっとむずかしいみたい。
自然とそういうのが書き出される瞬間があったりして、自分でもびっくりすることが時々あったけれど、最近はそれがない。
もうちょっとラフな恰好の方が自分にとってはいいのかもしれない、と思う。
モーニングページを一日一ページではなく、飽きる前にやめる、というルールにした。飽きたら結局どうでもいいことしか書かないし、ただノルマを達成するための文字数稼ぎになる。それはくだらない。たくさん書いたからって偉いわけじゃない。
思っていることを書けてないのなら、そこに書き続けても意味がない。
前は一ページ埋まるくらい書けていたっていう事実はもちろんあるけど、今はそんなに書く必要がないくらい、がさつな生き方になっているのかもしれない。それはよくもわるくもある。
でも無理はよくない、それだけははっきりしている。
最近ちょっとずつ、リハビリしている。文章模写とか、ボイトレとか、七月中できずに鈍ってしまった身体をすこしずつ取り戻している。ギターもそろそろ練習しないとな、と思っているけど、なんとなく、ここから先に行くために、それなりに知識を蓄えないといけない気もしている。
七月は台本のこともあるけれど、単純に自律神経がおかしくなっていたのだろうな、と思う。この頃すごく安定して、感情に振り回されている感じがしない。あとは、この感情に頭の方が並走してくれればいいな、という感じ。
ここ最近、感情と頭が方向性の違いで解散しかけていたので、ほんとうに危うかった。
フリーライティングは絶対に必要だと確信している。祈りの回数を増やして奇跡の確率を上げるのだ。
それに書き続ければ、書く筋力はつくと思う。文章力や語彙力がどうなるかは知ったこっちゃないが、実践をやるスタミナがつくというのが、もっとも大事だ。
結局何かを本当に書きたい、とか、創りたい、と思ったら、体力とか根気勝負になる。
スタミナが持たなくなってから、言い訳を考え始めるのが大半だから、だったら余裕で駆け抜けられるように、書くしかない。
そういう思考でボイトレをしてきたんだよなぁ。壊しまくって、負荷かけまくって、高い音とか力で出し続けてもきついと思わないくらいの筋力をつければいい。
めちゃくちゃ脳筋だけど、自分にはそういう愚かなやり方が一番似合っていて、そういう自分のことをいつまでも好きでいたいし、その瞬間が一番笑える。
最近のフリーライティングではめちゃくちゃすぎて、笑い声をあげながらやっているときがある。
ここまでで2195文字らしい。今日のフリーライティングでは4912文字だったので、7107文字。
毎日一万文字書いたら文豪になれたりしない?
夜もフリーライティングしようかな。
2023/08/14
一年も日記を書き続けてるなんて信じられないな、と、ふと思う。
ときたま読み返そうと思うときがあるのだけど、まぁまぁ多いからもう読み返せない。
ちょっとずつ読み返して気に入った文章とか保存しときたい。
2023/08/13
フリーライティングが苦じゃなくなってきた。直感的に書き続けて、ばったりいい表現と出会う、みたいなのが楽しい。
野生でありたいのだなと感じる時がある。何かを教わるにしても誰かにではなく、誰かのもつ感覚からその波長を掴みたいのだと思う。
もうあまり嘘をつきたくないので、言葉を吐くのをやめよう、というのは、危険な目に遭わないために一生家にいようということで。
誰とも関わらなければ、誰かに嘘をつくことは無くなるけれど、本当のことも言えなくなる。
ずっと家の中にいても自分のにおいと湿気がそこに滞留していくだけ。
それがだんだん腐っていっていつか蛆がわく。
だからまた嘘をつくしかないのだろうな、と思っている。
言葉はどこまでいっても嘘くさい。
真実を語ったつもりでも、心とは縮まらない距離がある。
僕は自分さえも騙せる嘘を外の世界に求めているのだと思う。
2023/08/12
議論と椅子取りゲームってちがくね?ってこと。
2023/08/11
ヘッドホンが届いた
ついに、Anker soundcoreのノイズキャンセリングヘッドホンが届いた。
もともとノイズキャンセリングの搭載されていない、似たような機能のヘッドホンを持ってはいたので、少し買うのに渋っていたのだけど
こないだそのヘッドホンのイヤーマフが破れてしまったので、購入に踏み切った。
今回購入したヘッドホンは比較的軽めでフィット感も悪くないが、もう少し、イヤーマフが大きくてもよかった気もする。
ノイズキャンセリングはしっかりと機能していて、物音などはほとんどカットされている。
普段、ヘッドホン等をしていても、そのような機能はなかったので、まだ慣れない。
結局外音取り込みモードにして、周囲の音を聞いている時間の方が長かった。
音質は中の中、という感じ、ヘッドホンはよっぽど高い価格じゃないと差はでない気がする。音の良し悪しは結局好みなので、それで言うと好きでも嫌いでもない。
もう少し低音がしっかりなってくれていいし、密閉感があと少し強ければ、という感じがした。
8,000円の価格帯で、それなりにしっかりした機能が搭載されたヘッドホンが買えると考えると悪くはない、という感じ。
確認の催促
台本の確認の催促をしたら、もう一度送ってくれませんか、と言われた。
ダウンロードすらしていないとは、いったい。
断りのメールを一時間ほど考えて、ストレスを発散して、ちょっとヒスってるから、送るのは遠慮して、普通によろしくお願いします、と送信した。
今後はこの人から台本の依頼は受けないと誓った。
2023/08/10
書くことを忘れてしまった。こういうのが日常に対する無関心をどんどん加速させる。知覚が鈍っているなぁ。
朝食をしっかり食べた。目玉焼きとウインナー、白米、ヨーグルト、トマトジュース、どうみても健康的な朝食だと思う。
やっぱり朝食をしっかり摂ると、活動しやすい。今日は日課がほぼ全部できた。
ヘッドホンを買った。前々から購入を悩んでいたヘッドホンをカートに入れ、決済した。いずれにせよ買う運命にあったような気がする。
無職転生を読んでいる。マンガとアニメは見ていたのだけど、続きが気になって原作を見ることにした。もう完結しているらしいので、気楽に読める。長時間読んでいたため、目がチカチカしている。
途中から拡張機能で自動スクロール機能を追加したのだけど、かなり快適に読めるようになった。
スクロールって地味にめんどくさいんだな、ってことに気づいたのと、そのめんどくささがケアされると、大分読書が楽になることに気づいた。
しかし、なんでもながらでできるようにするというのは、あまりよくないのでは?と思ったりもする。
2023/08/09
vivaldiの設定をいじくるのが楽しくて気づいたら一時間くらい経ってた。
設定で右か左にスマホぐらいの幅でウィンドウを出せるのだけど、それが地味に便利で
右クリしながら、マウスを右にスライドすると、右側からウィンドウが出てツイッターのページを表示してくれる。
他にもGPT君や、コトバンク、Spotify、青空文庫、ポモドーロタイマーのサイトなど、とにかくWebブラウザであればなんでも開けるので、使いそうなものをすぐに開けるよう設定しておいた。
ちなみにスクボも開けるので、気になった単語のページなどを作るのにはめちゃくちゃ便利だと思う。
2023/08/08
天下一品こってりMAX完飲
一昨日から、無性に天下一品が食べたくなっていて、今日やっと!食べることができた。
無性に、と書いたが、食べたくなった理由はいろいろと思い浮かぶ。
二週間ほど前にもこうが、天下一品を食べに行く動画を上げていて、その動画を観たのと、一昨日夢でラーメンを食べる夢をみたからだと思う。 そしてこの頃まったくラーメンを食べていなかったのが最大の理由だ。
ときたまUber Eatsのアプリを開いて、ラーメンが視界に入るたびに、ラーメン欲という隠しゲージが高まっていたのだと思う。
最近ちょっと、油を摂取することをやんわり避けていたので、その反動が来たのだろう。
天下一品に最後に行ったのが七年くらい前で、その頃はゆでたまごがお通しみたいな感じでついてきたのだけど、今はそうじゃないらしい(貼り紙がしてあったので、店舗によるのかもしれない)。
お昼時、少し時間をずらして来たのだけど、席はほぼ満席で、カウンターテーブルは不等辺三角形みたいな感じで、入り口付近に頂点が一つあって、右側と斜め奥の窓側に辺が伸び、どちらも壁に付き、辺の内側は調理場となっている。
僕はこってりMAXの食券を買って、その入り口付近の頂点に坐った。
こってりMAXは最近出た新メニューで、通常のこってりラーメンよりもスープがどろどろらしいのだ。
通常のこってりラーメンでさえもどろどろで、麺にスープが絡みつきすぎて、麺を食べてるだけなのに勝手にスープがなくなってしまうほどなのだ。
それだけどろどろしていると、熱が逃げないのか、両隣の客はかなりゆっくり食べていた。
彼らが半分ほど食べている最中に、赤い器に入ったこってりMAXが目の前のテーブルに置かれた。
器を少し手前に引き寄せ、コップは右側に置き、カウンターの奥にあるわり箸に手を伸ばす。
とりあえずわって、さぁ食べよう、と思ったが、スープからいくか、麺からいくか、で少し悩んだ。
思えばラーメン屋でラーメンを食べること自体がかなり久々だったために、わり箸をわるところまではよかったが、それ以降の流れを忘れてしまっていた。
いつもどうしていたっけなぁ、と初めてラーメンを食べる人みたいに、箸で麺をつかんでは、持ち上げて、スープにいれてかき混ぜる。
どろどろのスープは、その麺が沈んだところに渦も巻かずにセメントのように流れ込む。
そう、ほんとうに一日くらい置いていたら、カチコチになってそうな感じのスープ、というより、ペーストだった。
とりあえず困ったときはスープから、スープから味わうのが通っぽいからそうしてるみたいなところはあるけど、舌に味を馴染ませるためにもそれが一番いい。かけ湯のようなものだ。
レンゲにすくったそれは、少し焦げたクリームシチューみたいな色合いと粘度だった。
すすってみると、じゅじゅじゅじゅっと音が鳴る。味は思ったよりも刺激的ではなく、凝縮された旨味が濃厚に絡んできて、一度味わえばしばらく舌から離れない感じだった。
後味、というか、食べたあとの感触がそれこそクリームシチューに似ていて、上の歯から奥にかけてざらざらした感じが残る。
ここまでの描写だと、いったい何を食べているのかわからないのだけど、僕も何を食わされているのかよくわからなかった。
一般的な流れとして、スープを飲んだら次に麺をすするのだけど、この麺を持ち上げると、カルボナーラ並みにスープが絡みつき、そこそこの重量が手首にかかる。
普通にちょっと重いかもな、と思ったので、いったん下ろして、再度、少なめの麺を持ち上げた。
しかし、このペーストが完全に麺と麺を連結させて、同時に持ち上がる。
仕方なくそのまますすろうとしたが、ペーストでかたまりになっているためか、まとめてすすることが困難だった。
そのため、左手で持ったレンゲでそのかたまりを削ぎ落とし、麺を食べるという工程が必要になった。
人生でこんなレンゲの使い方をしたのはこれがはじめてだ。
少し軽くなった麺をすすると、普通に旨い。味は本当に旨いのだけど、熱い。
右隣の人もこってりMAXを頼んでいたのだけど、やけに食べるのがちまちましている理由がよくわかった。
しかしだからこそ、ラーメン屋の水はさらにうまい。
あっついスープからの冷えた水、どろどろスープからの洗い流す水。
ラーメンはあつければあついほど、スープは濃ければ濃いほど、水がうまくなる。
ラーメン屋で一番うまいのは結局水なんじゃないかってくらい、このこってりMAXは水との相性がいい。
少しペースをあげて、どんどんすすった。幸いスープがどろどろすぎるために、水滴なんてものはまったく飛び散らなかった。
七割くらい食べ終わった頃、両隣の客が同時に店を出たので、さらにペースをあげて食べた。
スープの温度はまったく変わらなかったが、麺の重さには大分なれて、豪快にすすった。
麺はほとんど食べ終わり、器を見ると、スープもほとんどなくなっていた。
これぐらいの量しかないのなら、とレンゲでちまちますくいながら飲んだ。
スープをすくうためにレンゲを沈めると、ゆっくりと流れ込んでくる。
それを持ち上げると、端からこぼれるスープの水滴がぺちゃっと器に落ちる。
レンゲがスープに入るまでがあまりにスローモーションすぎてイライラするので、器を持ち上げて直接一気に飲んだ。
すごい喉ごしだった。
もし、スープが満タンの状態で一気飲みをしたら、喉にスープの膜ができて多分窒息するぐらいではあると思う。
スープを完飲したあとの水は恐ろしくうまかった。
高校の夏熱中症になりかけたときに初めて飲んだソルティライチと同じくらいの衝撃があった。
なりゆきで完飲してしまったが、カロリーが気になって、あとで調べたら949kcalらしい。
その割にはお腹はそんなにいっぱいではなかったのだけど。
ブラウザを変える
Chrome君を長年愛用していたのだけど、最近動作が重い気がしていたので、ちょっと変えてみることにした。
名前がいいなぁ、というのもあるけど、豊富な機能が魅力的で、前々から気になっていたのだ。
マウスジェスチャー機能や、スクロールでのタブの切替、タブの整理や、複数のページを同時にいい感じに表示してくれる機能など、とにかくいろいろと便利。
その分少し、設定にも時間がかかったのだけど、おかげで、かなり快適に操作できるようになった。
Chromeの拡張機能も入れられるので、使い勝手はほぼ変わらずに、便利な機能が増えたという感じ。
Chromeはアンインストールするつもりはないけど、もうあまり使わなくなるような気がしている。
日課
やらなくなったものがかなりある。日課の項目インプット系に変えようかな。なにかをするよりも、なにかを得る時間みたいなのを作った方がいい気がする。Twitterとかやってる場合じゃねえ。
2023/08/07
ちょっと寝不足、頭が痛い。でも近頃よく眠れているおかげかそこまで大きなダメージじゃない。
2023/08/06
昨日結構書いたな、と今朝日記を見返して思った。書けない書けないとうだうだ言っていたけれど、単純に集中しきれていなかったのだと思う。
ゲームをしている最中なども、マルチタスクでやることばかりで、一つのことに集中して取り組む意識が全くなかった。
時間の使い方がケチになっていたくせに、短時間でちゃんと集中していたわけでもなかった。結局無駄なことに時間を使うくらいなら、自分のケツを叩いて、しっかり切り替えた方がいい。
書き始めればだいたい書けるわけだし。
2023/08/05
今日は実験的にポモドーロタイマーをつけて、日記を書くことにしている。
この頃、集中が途切れやすくなっていたり、出だしにつまずく、というか、何か始められない言い訳ばかりをして、まったくモチベーションを向けることが出来ていないので、強制的に、意識を向けるきっかけを作ることにした。
根本的に集中できない原因はあるだろうけれど、それが改善するのを待つのは少し時間がかかりそう。
シンプルにストレスというのもあるし、生活のリズムが七月の間にいろいろと乱れてしまったのが原因だと思う。
また、今年の暑さに身体が負けているというのもあるだろう。
とにかく、厭でも、日記はちゃんと書けたほうが僕にとって、いいリフレッシュになるし、アンテナの状態、心の触覚、空間を換気するためにも必要だ。
ポモドーロタイマーは十分でセットし、休憩時間は三分にしている。これぐらいが軽い運動と同等の負荷になると思う。
十五分以上書き続けるのは今の自分には高負荷で、トレーニングには適切かもしれないが、ストレッチやリフレッシュにはあまり最適ではない。
着実に書けるペースで、無駄な時間を作らない取り組みをするほうが結果的に効率的になると思って、実験的にポモドーロを取り入れている。
今回使っているアプリはこちらである
八時間睡眠
近頃は夜、よく眠れていて、身体が夏に慣れてきたのかもしれない。
しかし、あと数日もすればその夏も終わるのだ。日に日に夕方の時間が短くなってきているのを薄々感じている。
朝起きると、まず起きた時間を確認して、自分が何時間寝たかを確認している。
五時間であれば、何か眠りを妨げる要因があるのだろうと考える。六時間の時はすごく寝覚めが良い場合と恐ろしく悪い場合があり、前者であればそのまま起きることにしているが、大抵一日中あくびをしている。後者の場合は潔く眠る。
もしうまく寝付けない場合は、身体の状態を確認する。
空腹か、トイレを我慢していないか、寒くないか暑くないか、身体が訴えているクレームを一つひとつチェックする。
お腹が減っている場合は、胃の内容物が気にならない程度に軽食をとり、もう一度眠れそうだったら眠る。
七時間の場合は、80%くらい体力が回復している感じがするので、だいたいは起きる。
自分にとって七時間以上の睡眠はよく寝たのラインに入る。なので基本的に二度寝をすることがない。
二日酔い(滅多にない)や前日が忙しすぎた場合などは、二度寝をする、が、二度寝は余計に自分をドロドロにするので、逆効果だったりする。
自分にとって二度寝はほとんどメリットがないので、あまり好きではない。
合計睡眠時間が八時間よりも一回の睡眠で七時間以上の睡眠が自分にとっては大事なのだ。
なので、中途覚醒なしで眠れるように気をつけている。
しかし、なかなか難しい。なぜか知らないが寝ているときほど、外の環境に敏感になっている。
おそらく僕が何かに集中する時よく目をつぶるのが一つ原因になっているのかもしれない。
今年の七月中は特にストレスもひどかったので、自分の感情が膨張して、肌感との距離が限りなく狭くなっていたため、かなり外気、外の状況に過敏になっていたのだと思う。
今は一時的にだけど、考えないようにしている。悪いものにリソースをさきすぎない。そういう姿勢で生活している。
思わぬところで行動規範が自分の生活に良い影響をもたらしてくれているおかげで、この頃は八時間睡眠が意外とできてしまっている。
散財したい
ストレスが貯まると散財したくなる。この頃はヘッドホンかスピーカーのどちらかが欲しいと思っている。それなのに関係のないものにお金を使いすぎて、結局その欲しいものたちから、どんどん遠ざかっている。
関係のないもの、というのは、ランチだったり、ちょっとした、コンテンツへの課金だったり、小さな出費が積み重なって、あとで計算してみると、あ、ヘッドホン買えたやん、という感じになる。
散財したい欲求のおかげなのか、この頃、結構無駄な買い物が増えて、それはそれで面白い。
今まで手を伸ばさなかったものが急に欲しくなってみたりしている。少し時間を置けばやっぱりいらないな、というものが衝動的に欲しくなる、その発火力が以前より増して、安いものであれば、気づいたら決済が終わっている。
お金に余裕がある、というわけではないが、以前より推し活、という言葉が自分に馴染んできた気がする。
いいと思ったものに素直にお金を掛けるのはすごく幸福なことだと思う。
散財するにしても自分のためになるであろうもの、後悔しないものに散財していけたらなぁ、と思う。
掃除をしていない
今日掃除をしようと思っていたのに、VCにこもって作業なりなんなりをしていたら、掃除をするのを忘れていた。
掃除は毎週火・木・土と決めているのに、七月の間それが乱れてから、まだその軌道に戻ってこれていない。
三日以上掃除をしないとモニターの足場が埃で白く掠れて気になる。
机の上に埃が溜まると、多少イライラする。机の木が濃い色をしているので余計に気になる。
街へ行った
久しぶりに街に行ってきた。今日は土曜日で、祭りもあったのだろう、ちらほら浴衣姿の人もいて、とにかくたくさんの人の足音や車の走る音がにぎやかでやかましい。それに伴うにおいも夏の熱気で蒸せ上がりくさくてやかましい。街に行ったところで大したメリットなんてない。
おいしいごはん屋は近所にある。本屋だってそう、楽器屋もある。わざわざ街に行かなくても、今はいろいろ手に入る。
どうしてわざわざ街に行く必要があるのか僕にはわからない。なんせ、一緒に行く人がいないからね。
精肉店
帰りに行きつけの精肉店によった。閉店ぎりぎりだったから、結構走った。暑かった。帰りがけにメンチカツとうずらフライとハムカツを買って食べながら帰った。これが青春というやつだと思う。
抹茶アイス
帰ってきて、あまりに暑かったので、抹茶アイスを食べた。抹茶アイスが子どもの頃から本当に好き。
抹茶のお菓子とかもまぁまぁ好きだけど、やっぱりアイスが一番いいと思う。
冷たい甘みと爽やかな苦味はすごく相性がいいと思う。
貧乏性な人間ではあるのだけど、上品な甘みのお菓子がすきなので、実際は安価でも抹茶みたいな甘味を含んだものはちょうどいい。
2023/08/04
自己紹介カフェの改善案を考えた。今月中にいろいろイベントをやらないとな、と思っている。(少々出遅れている)
今日はいくつか本を読んだ。檀一雄おもしろい。
精神的な疲労がある、というか、こころが閉じ切っている。
自分はエンターテインメント性とか、ホスピタリティとか、そういう意識を持っていたつもりでいたが、今はまったくそういう感覚、感情が自分の中に無い。
自分が搾取されることを恐れている。
無駄な疲弊などを避けたがっている。
ケチになっている。
短歌俳句の投稿時間を見てニヤニヤしている。偶然なのか必然なのか。
毎日毎日下手くそな朗読をやっていると、さすがにたまにはちゃんと読まないとな、とスイッチが入って、急に身体が文字のグルーブにノリだす。だから毎日やってたほうがいいんだって。
でも、朗読しすぎたのか、ちょっと喉がうわずってきた気がする。今日、低音の練習もしてないしな。
2023/08/03
いつの間にか頭を掻くのが癖になっていて、このまま行くと本当に禿げるんじゃないかと心配になる。夏の暑さで汗をかいているから、というのもあるだろうけれど、なんとなく、無性に頭がかきたくなって、それをやっていると、心の中で砂埃が舞い上がる。むしゃくしゃしてるんだな、というのがわかる。最近は機嫌がいい時間が短い、どちらかと言えばほとんどが、不機嫌な時間で、こんな状態では何をしてもうまくいかないような、やるせなく、空回りばかりしているような感じがするのだ。
生きている実感がどんどん遠のいていって、こんなことならさっさと死んでしまいたいと、時間をどうやって浪費するか、加速させるか、その方法を探し求めて放浪している。本当はなにか作ったり、練習したりすればいい、とにかく有益なことに時間を使って、すこしでも無駄のない時間を過ごせばいいのだろう、ということはわかっている。だけど、それをする気には全くなれない。自分を締め付ける感情が空虚すぎて、苦しい。
インターネット越しだけれど、花火なんていつぶりだろう。綺麗。
こういう理屈なく、直感的に綺麗だとわかるものが、いつまでも残るのかな、と思う。
そういえば弦交換したんだった。自分の日常に対して無関心すぎない?
2023/08/02
昼食
久しぶりに昼食を食べた。昼食を抜いても意外といけるじゃないか、と思いながら、生活をしていたけれど、自分はそれに適した生物という訳ではないみたいだった。
一日二食でも活動は出来るが、それはコンディションやパフォーマンスを無視すれば、という話でしかなく、ここ最近の不調はどうやら昼食を抜いていたことが原因らしい。
久しぶりの昼食はずっと食べていなかったどうでもいいカップ麺と、白米という味気ない感じではあったのだけど、それを食べてから、最近張り付いていた昼間の眠気や倦怠感が一気になくなった。
この頃ランチを食べにいった日なども活力に溢れている実感があったけれど、特別それがおいしかったというのももちろんあるが、やはり昼食を摂るというのが、自分の身体の調子を整えるのに必要不可欠であるということがわかった。
健康な身体でないと結局、まともな活動は行えない。
判断力も行動力も衰退してしまう。
僕の活動を支えるものは、そういうふつうの生活なのだと思う。
2023/08/01
久しぶりにボイトレをやった。どうやら発声に力みが入っていたみたい。
ここ最近のボイトレは筋力の要るものばかりやっていたので筋肉が固まっていたのだろう。
高音や裏声の発声などを重点的にやりすぎていたせいで、声の響きがすべて上にばかりいっていて、首筋の筋肉も緊張していた。緊張を緩めるためにも、バランスよく低音の練習もしなければならない。
低音のトレーニングをおざなりにしていたのは、下の響きが全く使えなくなったのがきっかけなのだけど、これにはどうやら口腔の使い方が関係しているみたいだった。
どうやら以前の自分は発声練習をする際、また歌唱をする際に、顎を縦に伸ばすみたいな、あくびの感じで発声を行っていたのだけど、それがいつのまにかなくなっており、縦の開きが甘くなっていた。
それが原因で力みや上への響きを誘発していたのかもしれない。
現在は少しあくびのイメージで、もしくは、口を縦に開く、顎を伸ばすみたいな感じで、低音を出してみているが大分出るようになってきている。
それに加え息のスピードを少しおそめて、音域をコントロールしてから息を流すのでなく、息がどれくらいのスピードで流れたら、どの高さの音が出るかというのを再確認することにした。
どうにもここ最近は力で発声を制御しすぎていたみたいで、無理なやり方になっていたみたいだ。
発声は制御をするのでなく、それができる状態を作る、考えるというのが、今までの自分のやり方だったのに、その一番大事な部分を忘れてしまっていた。今後は気をつけたい。
発声にずれを感じ始めてから、なんとなく自分の顔が丸くなった、ような気がしていたのだけど、これは意外にも関係がありそう。
ふとしたときに自分が奥歯を噛みしめているのに気づくときがあったのだが、それは力みとも関連しているし、口が縦にひらかれないのもそうである。
子供の頃からの歯列矯正が原因で長時間、口を開いていたためか、よく日常生活でも開けっぱなしのことがあり、それを気にしていた時期があったのだが、今は逆に閉じすぎているのかもしれない。
最近の口の閉じ具合いは、滑舌にはいい影響を及ぼしていて、以前よりしゃべりやすくなっているのだけど、音の響きが平べったく、音色がつけずらいと感じていたのだが、どうやらそれは口腔が狭くなっていてニュアンスを作れなかったのだろう。
考えてみれば当たり前なのだけど、身体感覚というのは徐々にずれていくと気づかないものだから、日々のストレッチやトレーニングを欠かさないように取り組まなければならない。
口腔の意識、縦の開き、息のコントロール、基本的な部分だけれど、これらを再確認することができてよかった。
飴を噛むということをあまりしてこなかった気がする。
はじめの方からバリバリとかみ砕く友だちも居たが、それはもったいないし、野蛮だと思っていた。
子どもの頃から貧乏性というか、もったいない精神があったから、ガムや飴などのお菓子は少しでも長く味わうようにしていた。
それに飴をかみ砕くことは痛いだろうな、と思っていたし、あまり気持のいい食感ではないだろうな、というのは予測がついていたから、まったくかみ砕くメリットが想像できなかった。
そもそもあのように透き通ったガラス細工のようなものを、いっぺんにかみ砕くというのはどうなのだろうか。
哀しくはならないのだろうか。
かみ砕いた破片が歯のすき間や奥歯の溝に入ったら気持わるくないか。
僕は未だに飴をかみ砕く人の気持がわからない。