とりとめのない(日記)6月_
2023/06/30
セールスお断り
なんてプリントされたTシャツがあれば上手に断れるかもしれないなぁ、と思いながら。
引き受けてしまった問題について、考えている。これはもう創作ではない。
だから管轄外なんだけど、まぁ報酬がもらえるのであれば、それに見合った仕事をするぐらいは、と仮に折り目をつけておく。
特別なにかに秀でているわけでもないのに、なぜか特別にみられるのは本当にいつも不思議だ。
いや、それは自意識過剰か、問題事をなすり付けるのに最適な場所が僕だった、の方が正しい。そうであってほしい、と思う。
うおーーんおれはゴミ処理場だ。
憎悪を燃料に回路が焼き切れるまでは働くしかない。
この頃、なんとなく、でも僕は、僕の生きる世界の難易度をこれぐらいであってほしい、と、どこかでおもっているよな、と感じる。
現実が大変になると、それはそれで生きる実感もあるのだろう。
でも人間の渦に巻き込まれるより、ちょっと離れてみているほうが楽しいよなぁ。
こうなったら自分を俯瞰して楽しむしかないね。
現実リストカットもそろそろやめたいけどね。
創作
お金が関わっていてそれがやりがいになるなら、別に就職すりゃええやん。みたいな気持ちになる。それはいつも自分に対しても思ったりする。
でも自分にとって価値のあるものってなんだ?って思うと、
喜んで欲しい人に創作物で喜んでもらえる、とか、
思ってることが伝わるとか、
そういうものでしかなくて、なんか世界とか世間とか、本当にいいじゃん別に、みたいな気持ちになる。
だって世間に認められても、世間はただ怖いだけだし。
とくに今は何も考えたくないから余計に、いいじゃん、なんかそれも楽しいなら、それもいいことだね、ぐらいの気持ちでしかない。
僕の創作でもしお金がもらえるとしたら、喜んでくれる人はいるだろうか。
多分いるだろうな。それは嬉しいだろうな。
いっぱいお金もらえたら、みんなにあげちゃう。
そういうことばかり考えている。
子どもの頃、あんまり構ってもらえなかったから、まだ寂しいんだろうな。
将来の夢は仮面ライダーから、水泳選手、そして公務員に着地した小学五年生。
安定した収入があれば、大切な人と暮らせるから、そんな理由だった。
お金持ちになりたい、と思ったこともあった。
寂しかったから、みんなが住める大きな家を買って、不自由なく暮らせるようにして、
お金は全部僕が払う。そしてみんなにこにこ笑ってたら、だれもいなくならない、とかそういうことをかんがえていた。
小学生の頃、仲の良かった友達はことごとく転校した。
望んだものは手に入らない、みたいなことをアニメのキャラクターが言っていたのをきいて、刺さって、ずっと引っかかってた時期がある。
僕はちょっと早めに孤独とか、人間関係の諦めを覚えた気がするし、同時に人に縋ることも覚えた気がする。
この夏どれだけバカになれるかが今後の人生を決めるって
心がツイートしてる。
弦交換した!ハッピー!!
スキップとローファーよかった~!
2023/06/29
電車
五日ぶりにまた電車に乗っている。こないだは終点のど田舎、こんかいは終点の観光地へ向かっている。
観光をしに行くわけではなく、ちょっとした仕事のようなものだ。
普段、公共交通機関を利用しないので少々落ち着かないきもちだったが、
平日の昼どきのため、程よい密度で、座席に座りながら電子書籍を読んで安心している。
終点へ向かうにつれて田んぼや山々の景色が窓外を流れて、
ここで降りてしまいたい、と思いながら、どういう言い訳をするか考えたりした。
車内ではそれなりに長い時間座っているためかそれぞれの世間話などが聞こえ始める。
見わたすと結構な人たちが脚を組んでいて、馴れた人たちはこういう感じなんだなぁと思って面白かった。
なんだか自分が執拗に世間に対して警戒していることが、また、わかってしまって、なさけない、というかわいた笑いが腹の内でおこった。
刺身バイキング
いわゆるロケハン、というものをしてきたのだけど、昼食には刺身バイキングなるものを食べた。店員がなかなかハイテンションで、最初は活気があっていいところだなぁ、とか、こういうところで、仕事してたら、遊びの延長みたいな感じで、何も考えないで家に帰れそうだな、などと失礼なことを思ったりした。
生物を扱うため衛生面にかなり気を遣う場で、まさかバイキングで、ビニール手袋を装着するすることになるとは思わなかった。
しかたがない、と思いながらも、うーん、めんどくさい。
バイキング、とはいうものの、刺身の種類は、まぐろ、鮭、しめ鯖、カツオ、えび、鯛、たこ、漬けの刺身たち(まぐろ、鮭、カツオ)、ねぎとろ(ねぎは別)という感じだった。
これだけの単語を並べられると、けっこうあるじゃないか、と思われるかもしれないが、実際に見ると大した量でもなく、また、正直、これぐらいだったら、スーパーでもワンチャン揃えられるよね、という感想が浮かんでしまった。
しかし、それだけではなく、海鮮丼を作るのを推奨しているので、白米と酢飯があって、明太子、しらす、生卵、塩辛、数の子、あおさ、ねぎ、など、さまざまなトッピング、またサイドメニューには、カキフライやポテトフライ、ほかに汁物とデザートが二種あった。
それらの品目を取る順番は矢印で指定されており、最初はさしみ、次にトッピング、次にサイドメニュー、最後に米、汁物、デザート、が並んでいる感じだった。
丼を作ることを推奨しているくせに、一番最後に白米をとらせるという致命的な欠陥のせいで、そんなことは完全に失念していたのである。
一周目は普通にトレイに刺身をいくつか盛って、最後にごはんを椀によそって、普通に食べた。
テーブルに座って、さぁ食べるかと思ったが、よく考えると、刺身なんてこんな量滅多に食べることはないよなぁ、と思ったし、
そもそも刺身ってメインじゃないっていうか、サブみたいな感じだよなぁ、と思った。
あまり期待せずに、とりあえずマグロの漬けを食べたのだけど、まぁ普通に美味しかった。
そのあと、普通のまぐろ、カツオ、しめさば、鯛、という感じで、それぞれ少量ずつ盛った刺身を楽しんだが、どれも新鮮で美味しかった。
とくに美味しかったのはしめさばとカツオで、これらは刺身の中でもよく食べる部類なので、わかりやすく上等なものだとはわかった。
そういえばホヤもあったので食べた。人生初だったのだが、これといった印象がなかったために今さら思い出した。
人生初ホヤの感想を仕事仲間?に訊かれたので、小学校の校庭の葉っぱみたいな味がした、と言った。
正確に言うとその葉っぱを水にさらしてふやかしたみたいな感じだった。食感は貝に近かったが、大しておいしくも、まずくもなく、面白みのない食い物だな、という感じだった。
最近悪口しか出ないので、頑張って褒めよう。シュールな味わいだった、ということにする。
二週目は丼を作ることにしたのだが、またビニール手袋を装着し、矢印に沿って酢飯を丼にもり、逆走して、刺身をとらねばならなかった。
刺身をトレイに盛ってからあとで、丼で合成してもいいのだが、面倒だし、トレイもいちいち新しくしないといけないために、なんだか嫌な気分になるので、丼だけで完結させたかったのだ。
丼に盛る刺身をじっくりと考えていたら、ハイテンションのおばちゃん店員が、しらすはいかがですか?と言ってきたので、あぁ、それは後で、考えてますから、と断った。
こちらは丼の最適解をすくないバリエーションの中で考えているのだから、静かにして欲しい、と思った。
本当はウニがあればウニとねぎとろを半々、イカがあればウニとイカをあえて、中央にいくらを散りばめる、とか、
えんがわ、いか、スズキ、鯛、みたいな感じで白身オンリーにしらすをかけ、ポン酢かすだちをかける、みたいなこととか、そういうさぁ、そういうクリエイティブなことがさぁ、したかったわけ。
まぁしかし、現状に不満を訴えたところで、何も進まないのだから。この状態のベストを精一杯考えたかったのだ。
なのに!だ。なぜ声をかける。
まぁこちらはすっぱり断ったので、よしとするが、急かされているようで、すこし思考が狂ってしまった。
結局、漬け刺身、ネギトロ、カツオ(にんにく和えて)、鯛、しらす、酢飯で完成とした。生卵を乗せることも考えたが、これ以上の海鮮を摂取し、その上生卵、というのは、少々重すぎる気がしたのでやめた。
まぁ、それなりにじっくり考えたので、うまい丼はできた、しかし、もうすこし頑張れたんじゃないか、という後悔は多少ある。
申しわけ程度に存在していたサラダコーナーにアボカドがあったので、アボカド、漬け刺身、ネギトロ、とかでもありだった気がする。
二週目の丼を完食して、それなりに胃も膨れたのだが、やはりバイキングといえば、フライドポテトだな、というところに落ちついた。
また!ゴム手袋をして、サイドメニューのポテトと、デザートの杏仁豆腐と、あら汁をおぼんにのせてテーブルにつくと、また!ハイテンションおばちゃんが、「小食(こしょく)ですね」と話しかけてきた。うるさーい!!
「もういっぱい食べたので」と返すと、「ああそうなんですね」としょうもない返答が来た。まだ凝りずにおすすめの品でも言ってくれた方が、話しかけられた動機に合点がいくのに。
結論としてここで最も安定しておいしく、清々しい食物は杏仁豆腐だった。
二週目から丼にこれを盛っていけばよかったんじゃねえか、と思ったりしたが、まぁ、刺身バイキングやし。
店から出て一時間ほどして、海鮮の海臭さが胃の中からせり上がってきて、まぁ予想はしていたけれど、なかなか不快だった。
今年はもう刺身とか食わなくていいな、と思った。
2023/06/28
今月中に弾けるかどうか、なんて考えていたけれど、頑張れば来週には弾けるようになりそうだ。今日はすこしリラックスして、取り組めた。
そろそろ手も休めるか。
明日はギターの弦が届く予定なので、弦交換が楽しみ。
今日はすごい雨だ。窓を開けるとザーっと大きな音がずっと鳴っている。
身体中、湿気を吸収して、なんだか重くなっているみたい。
主語もなく大丈夫?と言われると、大丈夫じゃない心あたりがあり過ぎて、一気に不安になる。話の流れから、これを指しているのだろうということは判るのだけど、自分の判断力や読解力に少々不安があるために、本当に大丈夫、と返していいのだろうか、と思うときがある。
せめて、メッセージを送る際は必ず主語がわかりやすくなるようにしてほしい。
そのたびに、その大丈夫が何を指しているのか、確認したくなるのだけど、それを確認するのは煩わしいことでしかないので、結局こちらで、〜は、大丈夫です、と間違っているかもしれない主語をおくのは本当に恐い。
こういうときに日本語って難しい、と感じるし、コミュニケーションスキル的な乏しさを自覚して劣等感を抱いたりする。
2023/06/27
米の難所を結構練習したので、なんとか乗り越えられそうな気がしている。
この一番むずかしい部分さえ乗り切れば殆んど終わったも同然なので、逆にいうとここの完成度が低いと、目も当てられない状態になってしまう。
左手の大袈裟な動き、右手の力みによる音量のムラ、安定しない目線、これらの問題の改善がそのまま攻略の鍵となった。
これらの問題は共通して、精神面、焦りと緊張からくるものだった。
難易度の高い演奏は、左手のポジショニング、右手の役割分担までを計画的にやらねば、対処できない。
今回練習するにあたって、丁寧に演奏をしていくために、遅いテンポから練習を始めたのはよかったのだが、そこから速くしてくにあたって、動きに無理が生じはじめた部分がいくつかあり、
左手のポジショニングを修正し、指に覚えさせるという作業を何度かくり返した。
これは初めの段階で、演奏者の演奏動画を見る、もしくはゆっくりやりながら、最適な動きを考えるというのをやっておけばよかったのだ。
譜読みは昔から得意だったので、それはよいのだけど、感覚的にやりすぎた。今後は左手の動きを考えることを忘れないようにしたい。
右手に関しては、普段の癖で3フィンガーばかりをやっていたせいで、薬指を使う4フィンガーという発想に行き着くまでに時間がかかった。
3か4かは本人のプレイスタイルの好みにゆだねられてはいるものの、難易度があがってくると、使わざるを得ないし、そもそも本家が4フィンガーでプレイしている場合は、それが最適化されているし、そのプレイスタイルを軸に楽曲が作られているはずなので、これは対応していかねばならない。
どちらのプレイスタイルも今後はできるようにしておきたい。
目視は今回一番大きな発見だった。
ギターを弾くのに大分慣れてきたのもあり、演奏中の姿勢が悪くならないためにも、あまり指板を覗き込まないようにしていたのだけど、今回に関しては、次に向うフレットの位置をよく確認しないと、両手が円滑に動かないことに気づいた。
これはスポーツをしている際にボールのスピードに目がおいついていないとバットを振れないみたいな感じだろう。
そして振って、当ってからどうするか、というところまでを考えるためにも、次へ次へと視点を移していくことはかなり重要だった。
これは朗読にも共通している。今読んでいる行の隣りの行を目で確認しておくことは重要だ。
運動は、動きの連なり、流れを認識できていないと上手に行えないものだ、というのを改めて実感した。
難易度の高い楽曲を練習することにより、計画的に楽曲に取り組んだり、技術を細かく観ることができている。
演奏技術を高めていくために必要なものが自分の中で組み立てられている感じがして、とてもいい。
2023/06/26
昨日からMOROHAの米を練習している、めちゃくちゃ難しいので、まともに弾けるのに半年くらいかかりそうな気がする。
左手が筋肉痛で全体的に鈍く、小指の付け根の筋肉は動かすたびに少し痛い。
ここ最近は毎日基礎練をやっていたおかげで、幸先のいいスタートを切れているとは思うものの、中盤が難しくてずっと足止めをくらっている。
しかし、そのおかげで、いままでの指の使い方などを見直す機会にもなっているので、以前より無駄な動きが減っている。
初めの頃、指の練習はBPM240に合わせるのが限界だったけど、最近は320ぐらいでできるようになってきたし、力みも抜けてきたので、かなり楽しい。
今後の練習には実践をたくさん取り入れていきたい。
2023/06/25
ほんとにつかれて昨日の日記わすれてた。
2023/06/23
芝居してきた、余裕かもしれん。昨日朗読したから、一応調子は取り戻した?
2023/06/22
なにもしない
今日はなにもしない日にした。なにもしない日サイコー。今週は二回なにもしない日を作ることにした。
どっちにしても最近なにもできないので、なにもしていないようなものなのだけど。
だったらひらきなおって、なにもしない方がいい。なにもしないって決めたことがすごい。
夕暮れの風呂場
今日は夕方に風呂に入った。こんなのいつぶりだろう。夕方に反響する音たちは、淡泊でさわやかにぬるい。
風呂の白い壁はあたたかいクリーム色に染まっていた。夜とは違って白色灯に照らされていないから、影の部分も光の当たる部分もすべてが淡い。
湯に浸かると、疲れがとけていく。
すべての空気が洗い流されていくようだった。
疲労の仕草
僕は疲れていると、風呂場でよく顔をさわる、ということに気づいた。
僕が主に感じる疲労は頭とか目とか、頭部のことばかりなのだ。
肌荒れを気にして、日常ではまったく顔を触らないけれど、風呂場に入ると途端に顔を触る。
濡らしながらであれば、触っても大丈夫だろう、と勝手にそう思っている。
シャワーを顔にあてながら、おでこから、まぶた、鼻筋、あご、までをべったりなぞる。
それを何回も繰り返す。
顔に張り付いた疲労を剥がそうとしているのだ。
僕はよく、それを疲れの抜けきらない朝にも、顔を洗いながらやる。
ひどい日は、もう一回、水で顔を洗って、頬を強くはたくこともある。
そんなことをしても疲れを剥がすことはできないので、逆に、疲労感がただ濃くなっていくばかりだ。
人間と人間味
人間は原始的な生き物の本能からくる動き
人間味は社会とか文化、人間がつくる大きな渦の中でどのようにもがくか、だと思う。
2023/06/21
ざわざわ
心がざわざわしている。
疲労
昨日あまりにも疲れすぎたのか、その疲労をそのままひきずっている。
明日はちゃんと休もう。
人嫌い
絶賛発動中かもな、と思う。でも同時にちゃんと人とコミュニケーションをとりたい、ともおもう。
感性が麻痺しているから、感性でボコボコにしてくれって、思う。
新しいことに挑戦するらしい
それについて、時々考えを巡らせるけど、まったくイメージがつかないし、少し不安だ。
やってみればどうせできるのだろうけど。自分はなんでもできる、という気持はまだ少し残っている。同時にだいたい死に物狂いでやればできる、とも思っている。
誰もが本気を出していないだけだ、と思う。
だからなんとなく人と接してて温度差に敏感になる。
2023/06/20
ゆらゆらしている
今朝はなんだか身体なのか、心なのか、ゆらゆらしていたきがする。
掃除
掃除をした、いつもより少し丁寧に。ほこりの溜まっているところに掃除機をかけた。
左手が鈍い
毎日の基礎練の成果が出てきたのか、左手の握り具合ががっしりしてきた。筋肉が少し疲労しているため、重々しい。
喉の調子がよくない
この頃、朝起きると口が空いていて、喉が連日ガラガラになっている。喉のコンディションがメンタルに影響を及ぼすことはあるけど、メンタルのコンディションが喉に及ぼすことはあんまりない。
声を出すのが少し億劫になってきて、会話がめんどくせえなぁ、と思ったりする。
僕はとてもケチくさい人間なので、他人に愛想を振りまくくらいなら、喉を労わる。
ありがとう
この頃、人に言えていない。
言う機会が少ないくせに、その少ない機会すらも逃してしまっている。
恥ずかしいわけではないと思う。
なんとなくそれに見合ったお返しを行動でせねば、という意識になる。
言葉のこと大好きだし、けっこう縋っているくせに、こういう肝心なときに言葉よりも行動だ、なんて、くだらないプライドで口も開けないのは情けない。
僕は人間とのコミュニケーションが結構得意だ、と自負しているが、最近はそうでもないな。だって全然人間と関わっていないもの。
結構人と話すときは、相手の発言よりも目線とか、しぐさとか、行動をよく見ている。
インターネット上だとそれが出来ないから、声音やテンポ感、こちらが何か投げかけたときの反応、スピード感とかで、判断する。何を言っているかよりも、その発言のときの発声の響きとか色をみている。
言葉はその補助みたいな、確立を上げる要素みたいな感じで聞いている。
自分だってそうだけど、他人だって、必ずしも自分の心をそのまま言葉にできているわけじゃない。
喜怒哀楽も言葉じゃなくて、言葉に乗っている波で感知することの方が多い。
言葉に頼りまくっているくせに、最終的にはいつも疑ってかかる、不誠実だなぁ。
でもいつも心がどうしようもなく破裂しそうだったり、沸き起こるときは絶対に言葉が口を突いて、勝手に溢れ出す。
言いたいことが全部言葉になって、どんどん流れてく。
言葉は心に素直に応じているはずなのに、ケチな警戒心で出し惜しみをしている。
僕は本心ではそこまで、他人に感謝していないんだろうな、とおもう。
自分がケチなんじゃないかってことに引っかかっている。
自分の時間超大事人間なので、それを邪魔されると嫌だったりする。
予定外のことが起こると不快になる。
これってみんなそう?
あんまり他人にケチって言われた記憶はないけど
それぐらい自分でやりなよって言うとケチって言われたりすることがあって
それがしばらく引っかかったりする。
同時に僕って何かあなたに要求しましたっけー?みたい性格の悪い部分が出てきたりするので最&悪だなと思ったりする。
そういうことちまちま気にしてたりするのがケチくさいんだよ。
なんて今日は書いてるけど明日になったら完全にどうでもよくなってる。
ワシ、ケチじゃねーし、世の中の人間が他人に期待しすぎなんだわ。
なぜか
やったことないのに、できるでしょ?みたいな体で話しかけられることがある。
なんで?となる。
勉強苦手だったのに、勉強できるでしょ?とか
本をただ読んでるだけなのに、台本書けるでしょ?みたいなことを言われる。
絶対偏見。
頭がよさそうに見られるせいで、頭脳労働をやらされそうになるときがある。
そういう前提で頼まれると、バカだと思われたくねぇ!みたいな気持になったりして、なんとかしようとはする。
でも僕はどちらかというと肉体労働が好きだったりするので、ムキムキマッチョにならないといけないのかなぁと思う。
ムキムキマッチョなやつは多分頭よさそうなんて思われないだろ(ド偏見&失礼)
他人から期待されるのがとことん嫌なんだなぁと感じる。
それはたぶん家庭環境だなぁ。
親として、こうしなければならない、みたいな考えが強い家庭だったから、そういう枠みたいなのを強く意識させられていた気がする。
貧乏な家庭なのに、貧乏だと思われるのを嫌がっていたし、僕がそういう理由でいじめられないように、というのもきっとあるだろうけど、そういうのをすごく気にしていた。
僕はそのおかげで金持ちのぼっちゃんだと思われていた。別に高価な服を着せられていたわけでなく、ただなんどなく周囲から金持ちだと思われていたのは、本当に謎だった。
母はとびきり美人で、それを維持する努力もよくしていた気がする。
母親がおばさんくさいとあんたも嫌でしょ、と何度か子供の頃言われたが、別に母親がブサイクだろうが美人だろうが、正直どうでも良かったりして、むしろ美人だったせいで、まわりからお前母親に全然似てなくね?と言われるのが、多少刺さったりした。
今思えばうちの家族は
世間体みたいなのをすごく気にしていたような気がする。
その抑圧が嫌なんだろうなあ、と思う。
子どもの頃、毎日友達の家に遊びにいっていたけど、
どこの家も適度に放任してる感じがして羨ましかったのを憶えている。
2023/06/19
早朝の子ども
朝5時くらいに目が覚めて、外で子どもが大声を出していた。大きな虫をみつけたらしい。
どうやって触ればいいの?っと怯えた声を出していた。うわぁ!と驚いた声を出しながらも好奇心と恐怖の入り混じった声で、親に話しかけている声がきこえた。早朝ということもあり、親は少し静かにしてね、みたいなことを言っていた気がする。
いったいどんな虫がそこにいたのかわからないけれど、朝から新鮮で伸びやかな声がきこえて、案外気持ちのいい朝だった。
ぬるく濁っている
このトピックにをあげた瞬間の記憶がまったくないので、何を書きたかったのか知りたい。
今朝は結構天気がよかったから、感覚の話だろうか。
水溜りに落ちたガソリンが反射して青と紫色に見えるみたいなかんじがする。
トマトジュース
今朝は目が覚めてから、起き上がるまでがとても早かった。トマトジュースを飲みたかったからだ。
早朝にトマトジュースを飲む。なんて健康的な朝だろう、と思いながら、まだ味わったことのない、その朝の味をすこしでも早く確かめたかった。
昨日は買って帰ってきて、まだ冷えていない状態で飲んだけれど、きっと冷えたらおいしいだろうなぁとも思いながら、コップに注がれていく、真っ赤な液体をみていた。
思ったよりもとろとろしていて、注ぐというより、コップにドレッシングをかけているみたいな感じがした。
コップに溜まった赤は鮮やかで飲んだら健康になれそうな気がした。
思えば朝に何かを飲む、ということはしたことがなくて、いつも寝起きに枕元に置いてあるペットボトルの水を飲むくらいだったから、なんだかすごく特別なことのように思えた。
トマトジュースは思ったよりも青臭くなく、酸味も控えめで、まろやかな口当たりと甘みだった。
なんとなく容量が多いトマトジュースを適当に買ってきたのだけど、正解だったかもしれない。
すっきりしすぎない感じがちょうどよかった。
寝起きは喉が渇いているからいっそう飲み物がおいしく感じるけれど、これは潤すというよりも、充たす、とか、流し込むみたいな触れ方で、生命って感じがした。
今朝の第一印象はとても健康的で誠実な味がして、安心感があった。
今日はここ最近で一番元気だったような気がする。
明日の朝もトマトジュースを飲むのがすこし楽しみ。
2023/06/18
トマトジュース
最近頭が重い。六月の湿気と低気圧のせいなのか、脳に熱がこもっているような感じがして、何か作業をしようにも、読み込むのに時間がかかる。
チョコレートはぬるくなって、食感がぬめっとしていて少し気持ちが悪い。
味はおいしいのだけど、油の塊を歯に塗り込んでいるいるような感じがして、虫歯になりそうで、いやだ。
こんなに蒸し暑いのにもかかわらずこの頃は油物やカロリーの高そうなものを接種していて食べた後にそれに気づいて、ゴミ箱から包装紙や袋を取り出して、裏側を見て、摂取したカロリーを確かめる。確かめたところで、運動をするわけでもなく、ただ、呆れる。
この頃何も思いつかないのは、身体が脳が重いからなのか、それとも低気圧がのしかかってくるからなのか、どちらもなのか、それ以外なのか、よくわからない。
ただ、はっきりとわかるのはコンディションが万全ではない、ということだ。
机の上を茫然と見ながら、扇風機の風で頭が冷えるのを待っていた。
どうして脳には排熱機構がないのだろう、と思った。
暑いと、ただをこねたくなったり、理性が緩むような気がする。
それが表面に出る前にまた理性が働いて抑制をかける。
何か動くのにもいちいち、パスワードを打たないといけないみたいなかんじで、この頃は動いている。
そこまで厳重にする必要のあるものなど何もないのに。
ただ、動きたくない、考えたくない、そういう気持ちを合法化するためにセキュリティを厳重にしている。
無駄なことばかりにエネルギーが持っていかれるから、動けないのだなぁ、と書いていて思いながら、とにかく、この環境に適応するために、健康な身体づくりを少し心掛けることにした。
現状の問題はなんとなく籠っている、とか、つまっている、みたいな問題。以前の虚無感は無い、というか、それ自体を感じなくなって、今は一時的に健康を装っている。
虚無感の喪失が一番大きい問題なような気もするが、まずは小さな問題から解決していく方が手っ取り早いし、結局健康になっていけば、おのずと頭も回りはじめて、何か答えもみつかるはずだ。
それで、YouTubeでだらだらと健康に関する動画を垂れ流していたのだけど、トマトジュースについての動画が出てきて、なんとなくそれがいいような気がした。
トマトは焼いて食べる方がいいらしいし、生で食べるより、ジュースの方がいいそうだ。
なのでさっそくトマトジュースを買った。
血液がさらさらにになれば、頭に熱もこもらないかもなって、思って。
単純で薄っぺらいなぁ、とは思うけど、なんとなく自分の健康に貢献していると、自己肯定感があがる気がする。
明日から毎朝トマトジュースを飲んで美肌にでもなろうと思う。
2023/06/17
祠巡り完
昨日の今日で、祠巡りを終えた。普通に攻略サイトを利用したけれど、それを使っても四つの祠を巡るのに、一時間近くかかることもある。
祠は主に謎解きなのだけど、そうでないものもいくつかあって、洞窟の奥にダンジョンがある場合や、ある条件を果たさないと入れないタイプの祠は殆どが祝福系の祠になる。
祝福系の祠は、宝箱とステータスの上げるためのアイテムをもらえるのみで、他には特に何もない。
今日の祠巡りは特にそれが多くて、スルーしていた洞窟やギミック系だったので、必然的に祝福系が多かった。
今作ではゾナウギアという、アイテムを組み合わて移動手段や兵器をつくることができるのだけど、これを駆使して謎解きを行うこともあるのだけど、基本的に祠内で使えるギアは限定されているので、多少考えねばならない。
しかし、祠外であれば、自由にギアを取り出すことができ、便利な移動手段を作って、ゴリ押しで、洞窟の奥地や、空中に浮ぶ島に到達することができる。
僕は目的を速く達成したいので、悠長に謎解きなぞせずに、移動手段をすぐさま作成して、さっさと攻略していった。
自由度の高さ故に、マイペースに楽しむことができるが、こういうコンテンツの早食いぐせは少々行儀が悪い気がしてくる場合がある。
しかし、これで重要な作業は終了したので、ここから気ままにプレイしていこうと思う。
扇風機
だいぶ暑くなってきたので、扇風機を導入した。いっきに夏が身近になってきた。扇風機の羽音と風が気持がいい。
こういう動きに伴った自然な音が好きだ。風がすこし風鈴に触れて、ときたま音が鳴る。室のなかに夏が充たされていく。
音楽
この頃、音楽をまったく聞いていなかったので、A Flower is not a Flower を聞いている。どんな時も、この曲だけは邪魔にならない。今朝も、今も、ずっとリピートしている。
せっかくSpotifyPremiumに加入したのに、結局同じ曲ばっかり聴いている。
部屋
部屋、室、最近はちょっとこれに悩む。今読んでいる本でよく出てくるのは室で、他にも"気持"で悩んだりする。
ここでは躊躇せずに室や気持を使うことができる。
それはここの人たちが僕よりも本をたくさん読んでいるので、世間の人が見馴れない漢字でも、わかってくれるだろうと思うからだ。
部屋だと、なんか大袈裟な気がするのだ。室の方が小ぢんまりとして収まりがいい。あと畳の匂いがする。
2023/06/16
祠巡り
ティアキンで祠巡りをしている。
祠というのは、主人公リンクのライフやスタミナを増やすためのアイテムを得るために攻略する、主に謎解きのダンジョン。
この祠が、広大なマップの至る所にあって、大体百個以上はある。
前作ブレスオブザワイルドでは一応、全部制覇したので、今作も制覇しようと思っている。
本来であれば、いろいろな土地を巡りながら、偶然、祠を見つける、みたいな方が楽しみ方として正しいような気もするのだけど、
あまり行ったことのない土地を歩いていると、祠のことをいつでもさ〜がしているよ〜、どっかにき〜みの姿を、になってしまい、のんきに歩くこともできないので、とりあえず、祠を制覇してから、探索しつつ、コログの実とかいう、今作900個もあるらしいアイテムを探しつつ、細かいサブクエストや、料理のレシピなどのやりこみ要素を楽しもうと思っている。
祠もやりこみ要素ではあるのだけども、前作の傾向から、おそらく全制覇すると、なにかしらストーリーに関連することが起こる可能性が高いので多少優先順位が高め。
きらめき
自分の中で、組み立て編み出したものはひらめき、感覚的に湧いてきたものをきらめき、とすることにした。
歌詞を書くときはひらめきが6割で、きらめき4割、といった感じなのだけど、
短歌になると逆転する。
場合によっては、きらめき8割みたいなことがほとんどだ。
だからこの頃はきらめきが少ない。
全然短歌がパッと出てこない。組み立てようとすると、全部が違うような気がしてくる。
いったいいままでどんな風に詠んできたのかまったくわからない。
心の中の創作部屋が開かずの間みたいになっているというか、音楽系の漫画でありがちな、主人公が『もうやめたんだ』シリーズみたいに、埃をかぶっている。
ということは、もしかすると、また火をつけてくれる何かが現れるかもしれない。
そうであってくれ。
ライティングマラソン
をしようとして、一回目でやめる。ちょっと前まで書くことが無数に思いついていたし、気になることや、おもしろいことがたくさんあったはずなのに、どうやらそのアンテナが弱っているじゃないか。
そんな現状を書きながら把握するのがみじめで、できない。
2023/06/15
やきそば
やきそば美味しくする方法で調べて、その通りやったらおいしくなった。野菜の甘みが増した。インターネットありがとう。
カカオが香るミルクチョコレート
昨日買って、今日5個ぐらい食べたら、夜になって、ニキビができた。早すぎる。
2023/06/14
文章模写
ふりがなをふるためのショートカットキーを設定したので、タイピングのテンポがすごくよくなった。
この頃はティアキンにどっぷり浸かっていたために、ほとんどの日課が疎かになっていたのだけど、
初心にかえって、最低でも必ず30分はしっかり集中して取り組んでいる。
その集中を補助するために、タイピングのテンポ感というのはすごく重要なのだ。
途切れずにタイピングができるというのは、音ゲーでいうフルコンボしている状態に近い。
これが途切れると一気に萎える。
タイピングは止まらずに、一定の流れを維持しながら、やるのが気持ちがいいのだ。
タイピング音がカタカタと室内に響くのはとても心地がいい。
自分が何かとても意味のあるメロディを奏でているような気持ちになる。
それが目の前のウインドウ上で編まれていく感じがとてもいい。
機織り機で、何か反物をつくっているみたいな感じだろうか、
書けば書くほど、意識が研ぎ澄まされていく。
きめ細かい編み目がどんどん近くに見える。
その模様を眺めるのが楽しい。
雨
今日は雨が降っている。明日から雨の日が続いて、すこし途切れて、また雨が続く。
雨はどこへ向かうのだろう。
雨が降ると、人の安全を願う。
転ばないように、水をかけられないように、うつむいてしまわぬように、そういうことを考える。
晴れてほしいとは、思わない。
雨の匂いは好きだし、あがってくる草や地面の匂いも好きだ。
みんなが寝静まった頃にたくさん雨が降ってくれたらいいな、とは思う。
そんな時間はないのだけど。
チョコレート
チョコレートが食べたいな、と思っている。
ミルクチョコレートを買わなくなってから、そろそろ一ヶ月くらい経つ。
別になくても困らなかったけど、寂しくなってきたのか、甘い気分に浸りたい。
集中する時間がちゃんと戻ってきたから、甘いものが欲しくなるのかも。
基礎練
ほぼ毎日続いている。ちょっとずつテンポをあげてもできるようになってきた。最初は出来ないと思ってたけど、やっぱりそんなことないな。
2023/06/13
塩辛
今朝塩辛食べたら完璧だな、と思ったので、コンビニ買いに行った。起きぬけは雨が降ってたけど、すこししたら晴れたのでよかった。幸運。
riffs and runs
日本語だとフェイクって言われる、歌唱技術。
音程がコロコロと転がるような感じの歌い方の技術で、楽譜でいう装飾音符的な音を出したりする。メリスマとも言われるみたいだけど、メリスマとriffs and runs(以下リフ)は、ちょっと違うっぽい。
歌唱技術の練習で、フェイクがやりたいっていう人の大半はリフになる、はず。
日本語だと演歌のこぶしに該当するのかなぁ、と思うけど、こぶしに対する印象がかなり異なるので、なんとも言えない。
DAMの精密採点で判定されるこぶしがフェイク、リフに該当した気がする。
リフは邦楽でも耳にするようにはなってきたけれど、主に洋楽でしか聴かない。
プロでも綺麗にリフが出来ている人はいないし、出来たとしても、基本的に拍の取り方が簡単な取り方になってしまうし、せいぜい3つの音を転がすぐらいで、大抵メロディが下降するタイプの歌いまわししかできない。
日本人の音程の狙い方とリズムの取り方の問題で、ちゃんと出来る人が少ない。
リフはR&Bというジャンルで主に聴くことができる。
もちろん日本人でもそのジャンルの歌手はやっているし、聴くことができる。
けれど洋楽はジャンルに関係なく、ほとんどの歌手がリフを打ち込んでくる、みたいな感じなので、
洋楽のR&Bなど聴くと、曲の大半がリフといっても過言ではない。
それと比較すると、日本のR&Bは大人しいし、限られた場所、というか、リフのバリエーションが限定されてるし、発動条件もだいたい同じという感じで、これはおそらく日本語の問題もあるのだけど、根本的にリズムの取り方に問題があるのだろうな、というのは、すごく感じる。
これは自分が練習しているときに感じることだからだ。
プロと同じ土俵に自分を並べるのはおかしい話なのだが、リズムの流れが取り込めていない、流れが自分にないから、語尾に3つ4つの下降とか、ありきたりな形のリフしかやらなくなる。
そこにしかリズムのゆとりを感じられていないからだと思う。
洋楽のR&Bは隙間に入れてくるし、リズムを上手に整理して、ハマるように歌っている。これは、16分とか、32分とか、もっと細かい感覚でリズムを感じ取れているからで、それが当り前になっているのだ。
歌も楽器も、音楽の演奏を上手にできるようになるためには、もちろん音感も必要だけど、リズム感がある方が重要だと感じる。
2023/06/12
最近はかなり精神が安定している、と同時に以前よりストレスが可視化できているような気がする。今これをやったら、ストレスになるな、みたいな最善のタイミングみたいなものが、察知できるようになってきた。そのおかげもあり、ストレスフリーな生活を送っているのだけど、このまま固着してしまってはあまりよくないのでは、と、ふと自分を焦らせにくる、もう一人の自分がいるが、大丈夫、今はすこし落ち着きなさい、という感じで、静観している。
この頃、人とコミュニケーションをとるのがだるかったのだけど、そろそろ人と喋るのも悪くないな、と思えるようになってきた。しかしまぁ、アープラにはあまり顔を出さないだろうとは思う。
今日は少しお腹が痛い。夕方になってから、ずっとお腹が張っているので、少し窮屈だ。お腹は体の中心だから、中心が不調だと動きづらい。
体幹
体幹トレーニングをやり始めて一ヶ月半くらいがおそらく経過しているのだけど、以前より筋肉がついたためかものを持ち上げたときに、身体がふらつかなくなったのと、立ち上がるのが早くなった気がする。歩くときの姿勢も少しよくなった。
体幹がつくと身体を動かすのが、より楽しくなる。
またダンスとかしたいな。
歌
今日はかなり歌の調子がよかった。低音は未だに完全復活していないけれど、ある程度は鳴っている。
この頃は鼻腔や頭の共鳴がつよくなってきて、波形を見ても上の方が強めに響いている。あまり強く鳴りすぎると、音が硬くなってキンキンしてくるので、そろそろ低音も戻ってきてほしいところ。
2023/06/11
湿度
70%ぐらいあるやろと思ったら、90%で草
もう水じゃん。
2023/06/10
ティアキン
祠をググっているので、探索もクソもない。こういうプレイがゲームの旨みをどんどん削っていってしまうんだなぁ、と思いながら、ある程度達成しとかないとモヤモヤするから、早く終わらせたいという気持がある。
もっと長くゆっくり楽しめばいいのになぁ。
2023/06/09
快眠
新調したマットレスと枕は大分睡眠に良い影響をもたらしている。
正直普段と違う感覚で眠るわけだから、うまく寝付けなかったり、浅い眠りになってしまうのではないかと懸念していたのだけど、まったくそんなことはなかった。
明らかに質が向上すると、そういうささいな違いなんて気にならない。
向上というか、そもそもいままで使っていた布団や枕がそのレベルに達していなかった可能性すらある。
新しい布団と比べると、厚さは5cmくらい差があるし、枕は柔らかく首にしっかりフィットするから、寝返りをうつこともないし、首まわりがきになることもない。
今使っているマットレスも枕も時間が経てば、そのように固くなっていったり、ぺちゃんこになるのかもしれないけれど、
そうなったらすぐ買い換えようと、寝具に関しては思った。
眠りの質があがるだけで、こんなに調子が快復してくるとは思わなかった。
それなりに眠りには気を遣ってきたつもりだったけど、かんがえてみれば枕の好みとか、昔とちょっとかわってるんだよなぁ。
ボイトレ
ちょっとキツめにボイトレをやってみた、というか、改善すべきポイントが明白なので、そこを追い込んでいるという感じ。
トレーニングをやったあとだと一時的に改善するけど、次の日になると少し忘れる、やっぱり時間をかけて定着させていかないと、すぐに悪い方に戻ってしまうので、意識していかねばならない。
2023/06/08
外付けテンキーを左手デバイスにする
文章模写でふりがなをふったり、太字にしたりするのが以前からめんどくさいと感じていたため、何か楽にする方法がないかと思っていたところ、
しかし中華製品のため、はずれ個体をひく可能性や、謎のソフトウェアをインストールして設定しなければならない点が不安であること、微妙に金額が高いことで、買うのを躊躇っていた。
左手デバイスは欲しいのだけど、実際に導入してみても使わない可能性もあるので、できるだけ安価で済ませたい。
amazonを徘徊しながら、ふと目に入った外付けテンキーで閃いた。
「外付けテンキーの設定を変更して、左手デバイスにできるんじゃないか?」
こんなこと誰でも考えるだろう、誰でも考えるようなことはインターネットの誰かが必ずやっている。
検索をかけたところ、めちゃくちゃヒットした。
Dresskeyというソフトを使えば外付けテンキーにショートカットなどを割り振れるらしく、これは勝ったな。と思った。
amazonの検索内容は外付けテンキーに変わっていた。
価格的には1,000円程で、左手デバイスよりはかなり安く済ませられるし、ボタンの数もこちらの方が多い。
いますぐ、欲しい!と思ったので、お急ぎ便よりも早く手に入れるために、近所の電気屋へ向った。
新製品が安いケーズデンキのキーボードコーナーへ行くと、2,000円~3,000円の外付けテンキーしか置かれていなかった。
普通のキーボードでさえも3,000円程で売られているのに、なぜ外付けテンキーがほぼ同じ価格帯なのか、わけがわからなくて萎えた。
これに3,000円を払うなら、と、中華製品が頭を過ぎったが、一度店を出て、違う道で帰りながら、考えた。
と、ゲオを通りかかった。
試しに入ってみたら、キーボードコーナーに一個だけ、800円で外付けテンキーが売られていた!勝ったな。と思った。
すぐさま買った。そして帰った。
帰って、ソフトウェアをダウンロードして、テンキーを接続して、設定した。二時間くらいかかった気がする。
しかし、めんどくさいショートカットキーとか入力が一発で出来る。最高すぎる。
これでふりがなをふるのも楽になる。
魔法科高校の劣等生
アニプレックス?が月額55円のキャンペーンみたいなのがあったので、ちょっと入ってみたら、魔法科高校の劣等生があったので、観ている。おもしろい。なんだかんだこの作品3回くらい観てる気がする。
新枕&マットレス
爆睡できた。眠りが深すぎて、永眠するんじゃないかってくらい。
なんでか知らないけど
なんでか知らないけど、短歌が詠める。と一日中自己暗示している。根拠のない自信に水をやっている。
2023/06/07
雲
ふと空を見上げたら、すごく立体的だった。夏の雲だなぁと思った。その峰から伸びる山脈をなぞってみた。青空の海が広がっている。
枕
枕が届いた。すごく首にフィットする。今日も寝るのが楽しみ。今朝も大分快眠だったので、期待大。
このまま永眠するかもしれない。
二日ぶりにギターをさわったら、少し下手になっていた。一日だったらいいんだけど二日あくとダメみたい。
この頃何をやっても意味がないみたいな気持ちでいきていたので、文章模写とか、朗読とか、歌とか、全部雑だったのだけど、
初心にかえって、もう一度丁寧にやることにした。
文章模写では、砂時計を使わなくなっていたので、それを使って。
朗読は自分のペースとかブレスを意識して。
歌はちゃんとボイトレとか、心の動きを感じて。
そしたら、なんとなく戻ってきた気がする。
全然気づかなかったけど、だんだん適当になってしまっていたんだなぁ、と思った。
それじゃ意味がないし、実感もない。
意味がないことはやりたくないけど、意味があるかどうかわからないやり方をしている自分にも問題があったな、と反省した。
この頃、なんかそういうのを信じる力とか、根拠のない自信が、なくなっていた気がする。
僕は一生勘違い野郎でもいいので、そういうのだけは失いたくない。
2023/06/06
スペースが足りない
マットレスが届いたので、いままで使っていた布団を収納スペースからよけて、新しいマットレスを収納しようと思ったら、横がつかえて入らない。
配達された段階では、思ったよりも小さめのダンボールに梱包されていたので、これならちょうどよさそうだな、と考えていたのだけど、ただただ、とても丁寧にビチッと圧縮されて折り畳まれていただけだったようだ。
一応三つ折りのマットレスで、買う段階では収納のしやすさも考慮していたつもりだったのだが、詰めが甘かった。
横幅のことなんてまったく考えていなかったので、これはやってしまったなぁと思いながら、
以前から考えていた模様替えを決行するに至った。
といっても、そこまで大げさなものでなく、壁にマットレスを立てかけるためのスペースをつくるため、ハンガーラックを移動させ、軽く掃除をする程度だ。
布団の収納スペースに縦においてもよかったのだけど、取り出すのが少しめんどくさいので立てかけるなら、敷くスペースの近くに置くことにした。
普段、見える範囲、届く範囲でしか、掃除機をかけていなかったため、ハンガーラックの後ろはかなり大きな埃の塊があった。
すぐさま掃除機をかけて、どうせだから、と周辺の四隅もけっこうがっつりやったりして、雑巾掛けもした。
最初はほこりで霧がかかっているようだった木目ははっきりと光を反射して、指でなぞってもほこりはつかないくらいにきれいになった。
なんだかんだで掃除に熱中してしまって、ギターケースのほこりや、ギターの配置もちょっとかえたりしちゃったりしたので、一時間くらいかかった。
以前からハンガーラックを移動させたかったので、実際にそれが出来て満足なのと、そのおかげか部屋が少し広くなったような気がしたので、ハッピー。
値上げ
いつものご飯屋さんで、カツカレーを食べることにした。ここ最近はあまりいいペースで行けてなかったので、なんだかんだ久しぶりな気がする。
ランチを制覇しようと、通っているのだけど、あと六品もある、にもかかわらず、一度頼んだカツカレーをまた頼んでしまった。
常連客のほとんどが合言葉のようにカツカレーというのもうなずけるほど、ここのカツカレーは完成されているために、圧倒的な吸引力がある。
毎度毎度ここに来るたびにランチメニューの上から二番目のカツカレーをチラチラみてしまう。それほどに旨いのだ。僕が頭の中で思い描いているカツカレーがまんま具現化したような、カツとカレーなのだ。
それに加えて、必ずランチにはみそ汁がついている、というのがポイント高い。
今日は少し遅めに行ったら、いつもの席が空いていたので、そこに腰掛けて、トラックなどが行き交う大きい道路を窓越しに眺めていた。
おしぼり、と水のはいったコップがおかれる。
ここはいつも、コップのギリギリまで水をいれてくれるので、水をたくさん飲む人間としてはとても嬉しい。
おばあちゃんがメニューを持ってきたときに「来月から100円くらい値上げします」と言われて、なんだか嬉しくなった。
普通だったら値上げはちょっぴり嫌なものなのだけど、ここは普段安すぎるから、むしろもう100円上げたっていいくらいなのだ。
それなのにちょっと申し訳なさそうに、だけど、親しんだ感じで言うから、嬉しいのだ。
きっとおばあちゃんは来月も僕が来ると思って教えてくれるわけなのだから。
僕は3秒くらい悩むふりをして、「カツカレーで!」と言った。思っていたよりも明るい声色で出たので、自分でも少しびっくりした。
ここのカツカレーはやっぱり旨い。スタートダッシュが早すぎて喉につまりかけたので、一度深呼吸して、ゆっくり味わった。
今日もとてもおいしかった。帰りに野良猫と目があった。
ここに住み着いている猫ともちょっとずつ仲良くなっているような気がする。
タスクスケジューラー
決まった時間にブラウザを立ち上げるみたいな設定とかアプリってないのかなぁって思って調べてみたら、あるじゃない。
早速今日設定して、日記とかが立ち上がるようにしている。便利。
二文字の名前
二文字の名前が結構好きなんだけど、思えば好きだった人とか仲の良かった人、ほとんど二文字だったので、そういうことかぁ!と勝手に納得した。
2023/06/05
明日、マットレスが届く。枕は明後日。待ち遠しくて、夜も眠れません。とりあえずお風呂に入ろう。
昨夜久しぶりに外で歌った。喉を壊す勢いで、たくさん叫んだ。前よりも歌えるようになったものや、声が音の跳躍に耐えられるようになってきたような感じがする。成長を実感しつつ、同時に衰えた部分を発見した。
呼吸がかなり浅くなっていて、前の感覚で歌うと息が続かないことが多々あった。それを補うように発声の効率や、鳴りはよくはなっているようだけど、ブレスが浅いと、すべての出だしに色がつかないし、その空間を飲み込めない。
空気からその瞬間の味がしないのは生きる実感を失っているようなものだ。
それに気づけただけ、かなりいい収穫になった。今日は気づいたときに、呼吸を丁寧にやるようにしている。
2023/06/04
日記のタイトルを変えようかすこし悩んでいる。
書けない、と、書きたくない、がある。この頃すごく閉鎖的。
アマゾンのタイムセールでマットレスとまくらを買った。
このごろ眠りの質がよくないので、改善を試みる。
2023/06/03
今日はゼルダやったりボイトレしたりした、以外に特にこれといったトピックが思い浮かばないぞ。
あ、米を炊くときにみりんと買いだめしてる水を使って炊いてみたら、甘みが増した気がした。
器用貧乏と時々言われることがあって、たしかになぁ、という感じ。マリオカートでマリオを使う人なんてそうそう見ない。
良く言えばオールラウンダー、みたいな感じかもしれないけれど、パラメーターが平均的すぎて、戦略が立てづらいし、浪漫がない。
だいたい、いい線までいくけど、その線を越えることはできない、そういうことをずっと繰り返している気がする。
ギャンブルをやっている人は自分の期待がはずれたことに絶望しないのだろうか、と常々思う。僕の周りにはちらほらギャンブルが好きな人がいるけれど、全く興味を持てない。
お金が欲しいなら、浪費を削って、コツコツ貯金したり、使わなくなったものを売ったりすればいいと思うのだけど、どうして、当りもしない一攫千金を狙うのだろうか。
楽して金を稼ぎたい気持は僕にもあるけれど、現状だってほとんど楽なのだから、その現状に適応する方向でチューニングした方がもっと楽だし、確実なのでは?と思う。
なにより真剣に賭けようが、結局は運任せで、水の泡になるというリスクがあるのに、絶望しないのだろうか。
僕だったら一度負けた時点でもうやらないだろうし、偶然勝てたとしても続けないと思う。
宝くじは買わなきゃ当らない、というのはごもっともではあるけれど、買って当たらないのを何十回も繰り返していたら、やめたくならないのか。
あぁ~なんにも書けなくなっちゃった。
他人と関わることについて、今日、考えていたことを思い出した。
自分は相談を受けたり、真面目な反応をするのがもともと得意だったのだけど、それだと堅いとか、笑いが少なかったり、重くなってしまうのが自分的にすごくよくないと感じたので、以降面白い話し方とか、他人に依存しすぎない、というか自分が主体になって喋るみたいなのを意識的に続けていた。
おかげで人と関わるのが難しくなくなったけど、なんかめんどくさい時期がちょくちょく来る。
不公平なんだよな、自分が話すのが当り前になってたり、理解してくれてると信頼を向けられたり、いつもそうしなきゃいけないような気がして、一度得てしまった信頼を、ささいなミスで失ってしまうことが恐かったりして、だから、みんな自分のことを最低最悪のクズだと思ってくれたらこんなにありがたいことはないのに、と思ってしまうときがある。
今日とかはまさしくそう。人間メンドクサDayが来ている。
2023/06/02
あと二週間くらいで、たぶん一年経つんじゃないか?
日記を書くこと自体は大して難しいことでもないのだけど、一年間なんとか生きられているのがすごいなぁとは思う。
なんとなく生きてるだけであっという間なんだから気づいたら死んでるんだろうなぁ。
最近自分の中で熱が失われているような感覚がずっとあって、それに苦しんでいたのだけど、失われたのは熱ではなくあたたかみであることに気づいた。
僕は今誰かにやさしくしたいとか、誰かを助けたい、尽くしたいみたいな感情が薄く、完全に忘れかけてた。
子供の頃の最初に設定した目的地はやさしさで、持っている性質は一生懸命みたいな感じだった。
途中からやさしさを継続していくための合理性みたいな、自分にもメリットがあるかどうか、みたいなのを考えるようになって、選別ではなく、全てにどのようなメリットがあるかを見出すようになった気がする。
それからは、やさしさを軸にアクションの仕方を考えた。
あえて厳しくする、とか、一緒にがんばる、とか、細かい手助けをする、とか、人それぞれに対してどう接するのがベストか?みたいなのをいちいち考えていた気がする。
いい関係性が築ければ、だいたい自分が損をするなんてことは大抵ない。
とにかく最短で、効率的に人と仲良くなることを途中から追及していた時期があって、ある程度攻略法というか、方程式的なものが感覚でわかるようになってから、めんどくさくなってきた。
ぶつかっていい壁とぶつかっちゃいけない壁みたいなのがいちいち見えて、人間イライラ棒みたいなのがはじまり出したからだ。
その壁をかいくぐるのは楽しいときもあるのだけど、正直今は他人にきらわれても心底どうでもいい、と思っているので、突き破った方が面白い。
それにコミュニケーションの上で相手を気持ち良くする、というか、お互いの心の安全を守るコミュニケーションはギャルゲー的というか、アイマスの「うん、楽しく話せたな」みたいな感じなので、本来のコミュニケーションとすこしズレる。
自分の情報を伝えきれなかったり、相手に遠慮して言いたいことが言えないなら、そもそも話す必要なんてないような気がする。
お互いに触れてはいけない壁がわかっていて、それを上手に避けているという上手なコミュニケーションをしあうのもそれはそれで悪くないのだけど、別にコミュニケーションに能力なんてそもそもいらない気がする。
やりたくないとか、避けてるコミュニケーションってだいたい諦めてるだけだし。
諦めてるのは能力じゃなくて、自分の性格とか気分の問題だし。
諦めとか、気分とか性格が相手にそれで情報として伝わって嫌われるなら、それも一種のコミュニケーションだし。
アンテナが生きてるか死んでるかと、送受信の電波が悪くなければ、あとはご自由に解釈していただいて、と思う。
長々となんでこんなことかいてるんやろうなぁ、とおもったりする。
やっぱ長文書くの下手になってね?
そもそもうまいわけではないのだけど、ちょっと前すごく調子がよかった気がするから、
まぁ、これが本来の実力ってことか〜。
いまは自分が損をしたくないので、言いたいことは言うようにしている。
悪いものは悪いし、良いものは良い、そしてそれらは全部どうしたって主観だし、正当性とか常識とか気にしてもしょうがねえ!と思っている。
お前ん中ではそれが真実なんだろうな!でいい。
それで他人がねじ曲がろうがそれはもう僕の責任じゃないということで、
嫌なら関わるな、と思って生きる。
ひえ〜、こわこわ。
自分の危険性を示すことが、他人の安全性を守ることにつながるといいね、と思う。
こんな雨の日は家系ラーメンが食べたくなるなぁ。
というわけで、で、で、出前がスイスイ、で注文!
こんな雨の中ワイのためにラーメン運んでくれてありがとう!
今までのダイエット全部ドブに捨てるくらい食った。
息が苦しい。これが生きるってことかぁ。
湿気で蒸れた体臭がにんにくまみれでないことを祈るばかりです。
老いによって何かが衰退するんじゃなくて衰退の言い訳を老いにしたいだけなんだなんだわ。
2023/06/01
それなりに喉が枯れている。今日は低音のボイトレを長時間やったけど、喉の耐久度というか、回復が遅くなっているのかなぁと思う。昨日、一昨日の負債が残っているという感じ。
朗読室で久しぶりに朗読をすることにした。人に聞かせるのと、自分でやるのだと全然違う。エネルギーの放射量とか拡散の仕方とかそういうのが違う。日光をちゃんと浴びた日の健康的な循環を感じる。
長文を書く集中力がなくなった、というか枯渇している。少し前まで、波に乗れていた気がするのだけど、ひっくりかえっちゃって、次の波が来るまで待っているという感じ。波の見極めが下手くそになっているのかもしれない。”ここ”ってところで自分の芯がつかみきれない。
朗読が少し下手になっていると思ったのだけど、かろうじて人に小さな火をつけることはできる程度ではあったことが確認できて、よかった。
まぁ下手になっていることは変わりないので、精進せねば、と同時に喉のケアもアップデートしていかなければと思った。
これでも最近は毎日毎日朗読をしているのだけど、やっぱり、その元となる心の源泉?が干上がってるみたいな感じ。声もカラカラからガラガラに進化してる。書くのにも読むのにも今は迷いしかない。
なんとなくこのまま創作にすがりついていていいのだろうか、という漠然とした不安がここ最近あって。
それは没情感、広がった空洞で、その穴を埋めるためなのか、それとも、隠すためなのか、必死に頭を回している。
でもそれはすべて空振りになる。
書けば書くほど自分には何もないというのが明らかになってきていて、自分の抱いている不安や悩みなどが総じてしょうもないことであることも同様に。
今の僕は何をどうしたい、がない。
拗れたものでも、荒んだものでもいい、それがすべて間違いだったとしても、僕は僕を見失わずにいたいのだけど。
夕食中、なんとなく『サムウェア・ノットヒア(小野崎まち)』がよぎって、その言葉も内容も、その一瞬で全部が腑に落ちたような感覚があった。
もう一度読んでみようか。
僕は何度も同じ本を読む。忘れやすいからだ。なんでもそう。
人も本もアニメもゲームも勉強もよく忘れる。興味がないことの方が多いから。
だから、自分の中で記憶しているものは、大事なもの、記憶していないものはどうでもいいもの、となっている。
愛情を表現するのにも、どれだけ覚えているのかが、差になると思う。
愛情はその人にまつわる記憶をどれだけ覚えていて、それ以外の人とどれくらい量や質に差があるかでしかない。
愛情は結局”差”なのかもしれない、と中学時代からずっと考えていた気がする。
中学時代、博愛主義者になろうと思ったときがあって、そのときにそれを考えていた。
みんなに公平に接することはできても、それはなんとなく愛情ではないような気がした。
高校時代、嫉妬心の強い彼女に振り回されて、その差のつけ方を学んだり、自分がいかに他人と個人に対して差をもっていないかが明確になった。
正直自分に害や不利益がなければどうでもいい。みんな勝手にすればいい。
例え害や不利益があったとしても、それを活用できたり、自分の精神の成長や気づきを得られるならいい買い物だとも思う。
そもそも害や不利益は自分に原因があってそう判断していて、それを警戒しなかった自分や、あえて掛かっている自分がいることも、客観視していたので、すべてが当然の出来事だった。
そういう風に上手に折り畳んで、収納してしまった抽きだしはほとんど開けることがないし、その取っ手すらも見当たらない。
僕には記憶のトリガーがあまりに少ない。
すべてが一般的なものに見えてしまうからだ。
他人の出来事が、他人にとっては当然のものだ、と解釈してしまうからだ。
僕という人間が、他人を理解しているなんてことはない、と思っているからだ。
寝るといって、寝ていない。書けることを書くしか今の僕に道はない。
差をつけることでしかわかりやすい愛を表現できない、というのは、ばかだなと思う。
天井が低くて、それ以上の高さで、純度で人を愛せないのと、それ以上の努力を他人に費やせないのと、だ。
ただ正直言えば一人一人が特別である、と思う。自分みたいな生き物と関わってくれている人々に感謝しているし、うっとうしいとも思っている。
どんなに好きな人間でも、嫌いだと言えなければ特別ではないのだと思う。
僕が持っている好意はあこがれに近くて、親しみがない。
たくさんの人にあこがれていて、親しみを装ってすりよっているのだろう。
だから気持悪いのだ。