とりとめのない(日記)5月
2023/05/31
眼精疲労と、寝不足で目を開けているのがしんどい。お腹も空いた。しかし動くのがめんどくさい。
ティアキンのメインストーリーをクリアした。祠やクエストはほとんどやっていないので、そういうのをこれからちまちまやっていこうと思う。
それにしても泣けるストーリーだった。ブレワイのミファーには敵わんが。のんびり旅するぞー。
2023/05/30
寝る間も惜しんでティアキンばかりやっていたのが、やっと落ち着きはじめて、昨日は早寝、今日は早起きといった感じだった。
朝は早く起きた分だけ余裕ができるから、焦らずに済む。
今朝はいつもよりもゆっくりモーニングページを書いていくことができたし、内容も飛ばし飛ばしじゃなく、丁寧だった。
ティアキン以外の時間を粗末にしすぎていたな、と、少し反省した。
粗末な日常を送っていたために頭が全然他のことにまわらなかったり、心がおいてけぼりになってしまっていたのだけど、悪いことばかりではない。
じっとゲームをやっていたおかげか、喉の調子が結構良くなってきて、地声の音域も戻ってきた。
まだ少し低音を出すときにがらがらしてしまったり、高音で掠れが目立ったりするけれど、大分コントロールが利く状態になってきた。
今度は壊さないように、でも、ギリギリを攻めて練習していこうと思う。
ここ最近そもそも創作について考えたり、磨いたりみたいなことをまったくしていなかった。
こないだ、歌詞なりなんなりを書き終えて少し燃え尽きていたというのもあると思う。
感性が死んでいるというより、心が追いつく前に頭が勝手に走り出したり、暴走しているという感じがしている。
頭の中にこもっていた熱が抜けて冷静になってきた気がする。
2023/05/29
ボイトレした。
2023/05/28
久しぶりに短歌詠んだ、もう詠み方を忘れた。どうやって考えてたのかよくわからない。感覚的なところをくすぐって起こすみたいなことをなんども繰り返してやってたけど、もうそれができない。今はできない。
なので、また一からやるしかない。今日から僕は短歌初心者だし、日記も初心者ってことにしよう。
ギターの基礎練をした。なんだかんだ毎日やっててえらい、とか言ってみるけど、毎日継続することなんてへでもないので、大したことじゃない。
指の筋肉がついてきて、速い動きについてくるようになってきたが、このままだと、ただただ基礎練が上達するだけになってしまうので、何か新しいメニューなり、楽譜なりを買って、本格的に何か練習しなければならない。
朗読も比較的ちゃんとやった。すこし、波に乗る感じをおもいだした。
地盤が安定していないという感じ、以前よりもブレスの量、タイミングが悪い。基礎的な能力が衰えているのだと思う。
日常的な発生に対する意識の低下と脳の判断力の低下がある気がする。
文字の連続を一個一個追うことしかできないので、リズムが把握できておらず、その場その場の感覚で読むしかなくなっている。
譜面が読めていない。
文章が頭に入ってこない、流れてこないという感じ、仮に流れていてもそれを見落としてしまう。
本自体も最近あまり読んでいないので、読めるときに読むべきだな。
日常に関して、ふと思うことが少なくなった、世界に対して、ん?となるの機会がすくない。これが原因なのだと思う。
ぱっと思いつかない。ぱっとしない世界で、ぱっとしない人間。
キジバトの発声について考察して、それを基に10分くらい練習したら大分近づいた。
今まで得た知識と経験が活かされた瞬間である。
2023/05/27
ティアキンたのしい、武器を強化する素材が手に入るとちょっとテンション上がる。
2023/05/26
ティアキンたのしい、なんだかんだメインだけだったらワンチャン明日終わりそう。
2023/05/25
友達の誕生日なので、歌を作って送った。
ティアキンたのしー、メインストーリーにやっと触れ始めた。
漂っている言葉を並べているときと、主観から個人的な客観のフィルターを通したものを並べているときがある。
2023/05/24
ティアキンたのしー
2023/05/23
昔の自分を知っている人に元気がなくなったよね、とよく言われる。
なので、落ち着いただけだよ、と答えた。
その人はもしかしたら何気なく言っているのか、それとも何かが見えていて、それを言っているのかわからないけど、
そのひとことが自分の奥底に問いかけてくる感じがする。
そう言われるたびに確かに自分は平凡になっているよな、と思うし、
火が強くなったとき、抑えられるようになった。
そして前よりもその火の有限性を意識するようになったし、火の扱い方、向け方が制御できるようになった。
爆発の頻度が減ったのだと思う。
以前より火は燃え盛らないけれど、だからといって熱が下がったわけではないと思いたい。
じわじわと熱気がこもっている瞬間は確かにあるのだから。
朗読が下手くそになった。脳が疲れているのか、集中力が落ちているのか、と原因を挙げてみるときりがない。
でも単純に質の低い朗読を繰り返しているからだと思う。
アクセントやイントネーションに対する意識も緩んでいるし、肌感がまったくない。
声がその空気と、空間と質をまったく描写できていない。
それが書く方にも影響をきたしている気がする。
こういうとき、休んだほうがいいのか、それとも続行したほうがいいのかわからない。
自分の中の波を乗りこなすのが少し下手になっているのだろう。
こうして書くようになってから、感情的になる頻度が減った気がする。
それは現実生活の上ではかなりいいことなのかもしれないけれど、自分にとってほんの少しの不満はあってもいいのだろうと思うし、少し不便な方が愛着も湧くものだ。
なんとなくとりあえず書くが定着してきたからこそ、書かないという選択もしてみるべきなんじゃないかと思ったりする。
2023/05/22
ティアーズオブキングダム、めちゃくちゃおもしろすぎて、序盤のエリア延々徘徊している。
ギミックが増えたのでやることも増えていて、もうなにから手をつけたらいいのやら。
謎解きももちろん楽しいのだけど、たまにゴリ押しで進んで笑っている。
今までになかったエリアを徘徊していたら、結構後半であろうイベントに遭遇してしまってボス戦に入ったのだけどこれもゴリ押しでいけてしまうのがこのゲーム。
攻撃は当たらなきゃ死なないのだ。あえてライフ少なめの方がスリルあっていいかも。
一応基礎練地獄をやったけど、ちょっと省略した。ティアーズオブキングダムやりたいんだもん。日課が徐々に蝕まれていきそうで、やばいやばい。
今日は一応全部こなしましたよ、駆け足で。
最近日記のモチベ下がり気味。かといって現実が忙しいとか充実しているというわけでもない。
でも日記のために現実を生きているわけでもないので、まあ、何もないなら何もないでええじゃないか。
2023/05/21
精肉店に行った。
クソデカチキンカツとメンチと、コロッケを買ったらおまけにもう一個コロッケつけてくれた。ありがと、じいちゃん。
ティアーズオブキングダムとピクミン4を買った。
おもしろい、しばらく日記とか全ての日課を放棄しそう。
2023/05/20
2時間ぐらい基礎連をした。それでも中々定着しないものもある。この頃の取り組みには気づきが少ないように感じる。
マンネリ化の原因はそれであろう。
出来ることをやり続けるのは練習とはいえない。
久しぶりに長時間、VCに入り浸ってみたけれど、心がすごく閉鎖的だ。
天気がよかったからカーテンをあけてみたのに、だんだん日差しがつらくなってくる。
今は少し日陰にいたい。
サーバーを作ろうか、考えている。なんというか、今新しい人々と交流するよりも、自分に興味がある人、自分が興味のある人たちと話すことの方が有意義に感じるし、自分の精神衛生上よい。放課後の部活動が恋しい。
気持がすごく鋭くなっている部分と丸くなっている部分があって、不思議だ。
ふとしたとき、激しく攻撃的で、かと思えば、凪ぐ。神経質とは違った感性の起き方。
夕方肉をいっぱい食べた。塩をかけすぎた。口の中から塩水が湧き出てるみたいな味がする。
今日少し瞑想をやってみた、悪くはなかった。比較的に今日はいろいろ集中力があがっていた気がする。
ギターのミスが少なかった。
そういえば昼久しぶりに袋麺食べた。スマホいじりながら麺茹でんのも幸せだなって思った。
2023/05/19
引き続き基礎練地獄をやっている。
弦交換したらめちゃくちゃ弾きやすくなったマジで気持ちいい。
肉屋で靴の中敷きくらいでかいチキンカツ買ってきてカレーにぶち込んだ。
マジで美味かった。
一口サイズに切り分けるとき
柔らかい肉質、サクサクの衣に包丁がすっと入っていく感じが堪らなかった。
今日のハイライトは確実にこれ。
一日のもとはこれだけでとれる
完全に雨模様で頭ん中もどんよりしている。
2023/05/18
基礎連地獄してたら、マジで一日終っていたまである。ちょっと本格的にギターの上達に取り組んでいる。
暇あれば基礎連。もっと動くぞワイの指は。
2023/05/17
煙草やアルコールで、湧き上がってくるモヤモヤを上書きしているだけなんじゃないだろうか、と思ったりする。
無理やりにでも考える状況になれば、作詞できるんだな、と思った。
最初の素材あつめの時間と、思いつくまでに耐えられないだけだし。
ほんとはいろいろ思いついてるってことにもやをかけてるんだなぁという感じ
歌の才能は特にないと思ってて、どちらかというと歌を追求する力に長けていると認識しているのだけど、才能ある、と言われてなんとも複雑な気持ちになった。
僕の下手くそな時代を知らないだろう。と言いたくなるのだけど。
チューニングをしていない楽器が音程がずれるのはあたりまえだし、発声をしらない人が高い音を出せないのもあたりまえなのだ。
教えればだいたいの人は出せるし、音感も身につく。
偶然音楽に触れる時間とか、歌う時間が人よりすこし長かったから、独学にかなり時間をかけているから、これだけできているのだと自負している。
歌の才能にかんしては僕は認めたくない。
誰もが楽しめるものであって欲しいし、誰でもうまくなれるものであって欲しい。
自分が何かもともと才能があって、ここまでうまくなっているのだとしたら、なんか救いようがない。
今日はあやふやなかんじになってる。内容がちぐはぐ。
2023/05/16
歌詞の書き方を少し人に教えた。
教えることで、自分の知識の整理や、技術のなにを目的としているかが分別される。多少は理解してもらえたし、すごいと言ってもらえたので少し嬉しい。
最近この日記書きづらいかも。ここに来るまでに何も思いつかない。ピックアップ方式再開するか。
髪を切りに行った
後ろ髪が結構うざったかったので、いつもの美容室にいくことにした。
注文がめんどくさくて、いつもの感じで、と頼んだのだけど、ちょっと思ってたのと違ったので、やっぱりめんどくさがらず、写真を見せるべきだったなと少し後悔した。
切ってもらっている間、ここらへんのおいしいお店の話をした。
おじさんはほとんどの店を知っていて、結構詳しかった。今日はその話題にあがった肉屋の惣菜が気になったので、そちらにいくことにした。
惣菜を買いに行った
以前一度だけ買いに行って、激安激うま惣菜たちで油ものパーティーを開催したのだけど、今回美容室であらたな情報を仕入れたので、おじさんチョイスの品々を頼むことにした。
くしかつ、コロッケ、ポテトサラダが絶品だということなので、そちらと、気になっていた、チキンカツを頼んだ。
くしかつとチキンカツは長さがiPhoneの最新機種ぐらいで、分厚さが文庫本くらい、間近で見てからその大きさに気付いたので、最近ダイエットしている身としては完全に自殺行為だな、と思いながら食べた。
これだけ大きな肉の揚げ物だと、火が通るのに時間がかかって、かたくなってしまうのは容易に想像できるのだけど、実際にひと口噛んでみるとあまりの柔らかさにびっくりした。
それにやっぱり肉屋だけあって、良い肉独特の甘みがあるし、衣はさくさくだけど、油の処理が丁寧にされているのか、まったくギトギトしていない。
噛みちぎるのに全然顎の力もいらないし、油の重さも感じない。
そしてコロッケ、じゃがいもの下処理にはかなり時間をかけているらしく、終わるのは昼頃になるらしい。
これもやっぱりおいしかった。じゃがいもの自然ないもの甘みがするし、ひき肉もそれに負けてない肉とじゃがいも本来の甘みが互いに引き立てあって、不思議な甘さがする。
こういった揚げ物にはだいたいソースをかけるのが主ではあるが、ここの惣菜たちは、ソースで味を消すのがもったいないくらい、素材の味がいいし、チキンカツなどの下味はちょうどいい。
ポテトサラダはおじさんがおっしゃる通り絶品だった、少し母がつくるものに味や作り方が似ていて、なんというかほっとする味でもあった。
じゃがいもの処理の丁寧さが食べるだけで、わかる、というか、口にいれた瞬間に作り手の思いやり感じた。
これら4品でもう食べきれないくらいお腹いっぱいになれるのだけど、価格が衝撃的に安い。合計で690円。
良心的すぎる店にはどんどんお金を費やしたくなってしまう。
この頃推しが増えすぎてつらい。
友人の誕生日が近いのだけど、今年はあちらからもらっていない。
毎年曲を作り合って送ろうという約束をしたのだけど、実際そこまで頻繁に遊ぶこともないし、連絡も取り合わないので、表面的にはかなり疎遠ではあると思う。
一応、まだ曲できてないみたいな、ことを言っていたので、もしかしたら僕が作った曲にアンサーをしたいのかもしれないとポジティブに思考を巡らしている。
友人が僕に対して、正直今何を思っているのかきになるところではあるが、僕は僕で曲を書くことにしようと思う。それぐらいしかできることがない。
2023/05/15
な~んもしてない!
昨夜寝る前に一瞬で歌詞書いてやるって意気込んでたら、起きて速攻書き終わった、何も悩むことなんて無かった。だって毎日いろいろ書き出してたし、素材はたくさんあったもの。蓄積って大事。
髪も切りたいし、ご飯も食べに行きたい。いろいろやりたいけどめんどくさい。
2023/05/14
漂っている。なにかが。
花束が枯れたらしい。頭がつぶやいている。脳内Twitterみたいな、とりとめのないことが、ぽつぽつとふってくる。
作詞をしていたのだけど、なんとか書けた。追加があるらしい。難しい。
じっと待っていると、たまに降ってくるからたのしい。
思わず「わ、降ってきた」と声をあげてしまう。
昨日日課をやらなかったのが、いい反動になった。休日がちゃんと休日らしくなった気がする。めりはりって大事だなぁとおもった。
僕は歌が上手いらしい、ということをようやっと自覚しはじめた。
でもそれでもまだまだ。マライアキャリーとかブライアンマックナイトくらいにならないと。
2023/05/13
三秋縋の『君の話』を読み終えた。これから僕は夏を徘徊する幽霊になるのかもしれない。
ずっと夏について考えている。僕には特別な夏の思い出なんてなくて、記憶に残るのは幼稚園の頃ベランダで小さめのビニールプールに入ったこと、アパートから出てすぐの物置の前になぜか一本だけ立っている街燈の下で、幼なじみたちと花火をしたことくらいしかない。
僕が過した夏は思ったよりも空っぽで、ずっとラムネの瓶の中のガラス玉を取り出すためにどうすればいいかを考えていただけの季節だった。
ごく一般的な友情や家族愛は享受してきたけれど、自分の少年時代の夏に憧れることはない、あの頃はよかったなどど言える、歳では、まだ無いのかもしれないけれど。案外退屈な夏を過ごしていたことには今も変らなくて。
あの頃からずっと、夏に漠然とした憧れを抱いていたことだけがずっと変わらない。
子どもの頃、幼なじみに何度か誘われて祭りに行った気がするが、僕は結構単独行動をしていたような気がする。
屋台の灯りはそれなりに魅力的ではあったものの、それらが対して自分を喜ばせるものではない気がしたので、僕は未だにりんご飴もチョコバナナもかたぬきもやったことがない。やったことがあるのはくじびきとわなげぐらいだった。
くじびきは運でしかないから、期待がない。わなげは簡単そうだからやっていた。実際簡単だった。
金魚すくいをよくやりたがったのだけど、母には、飼えないからやるなと言われていた。それでも何度かやって、幼なじみの水槽で飼ってもらっていた。
書きながらそんな記憶もあったなという感じだった。祭りが楽しかったか、と考えると、そうではなかったような気がする。
当時から少し自分が変っていることが自覚していたし、幼なじみはみんな年上で、めんどうを見ていてくれているという感じがあったし、祭りで僕がすれ違う人たちは他人ばかりだったけど、幼なじみたちは級友たちとはしゃいでいた記憶がある。
なんとなく自分だけが、賑わいやその熱から浮いているような感覚はあった。だからいつも淡白で30分ぐらいで帰っていた記憶がある。
たいした夏の思い出が自分にはなくて、理想の夏だけが、漂う。
中学時代、好きになった人がいて、僕は未だにその人を考える。その人に似た人と街ですれ違うと思わず追いかけてしまいそうになるくらいだ。僕の理想の夏は多分その人と夏祭りに行くことだったのだと思う。
最近はあまり考えてなくて、大分薄らいできた気がしたのだけど、『君の話』のせいでそれが思い出された。
当時の僕にとって彼女は、何か、を持っている人だったし、彼女も僕に、何か、を感じていたから、わけもなく、自然と話すようになっていたし、僕が部活の朝練で廊下で楽器を吹いている姿を彼女はいつもじっとみていた。僕がみているテンポ60のメトロノームの後ろに立っていたり、壁に寄りかかって窓の外をみたり、しゃがんで目線を合わせてくる彼女。
楽器を吹きながら僕は目だけで、困ったように笑ったり、メトロノームを見る振りをしながら、彼女が眺める窓の外と外光に照らされた彼女を見ていたりした。僕も彼女も互いに互いの視線をいつも感じ取っていた、教室にいるときも、授業を受けているときも、なんとなく彼女の視線を感じたとき、そちらを見るとかならず目が合って、僕がふと彼女をみると、彼女は僕に気づいていた。
クラスで男子の中で腕相撲が流行った時期があって、いいところを見せたくて、握力を鍛えていたことを思い出した。
暇な時は家でも学校でも、手をグーパーグーパーしていた。
楽器が重かったというのもあって、中1の頃19ぐらいしかなかった握力が中2になってから、40ぐらいになっていた。
腕相撲は徐々に勝てるようになって左手の方ではかなりいい線までいっていた。彼女は別にそんなことには興味はなさそうで、廊下の窓際で友達と外を眺めていて、たまに目が合うと、なんとなく呼ばれたような感じがして、気づくと会話が始まったり、じゃんけんとかしりとりとかそういう遊びをしていた。
中学2年の1年間の僕の記憶のフィルムには必ずと言っていいほど彼女が写っていた気がする。
彼女が意図的に僕の視界に入っていたのか、僕が彼女を見すぎていたのかわからないけれど、一生で僕があんなに一人の人をみたのはあれきりだと思う。
お互い部活動はそれなりに多忙だったから一緒に帰る機会なんてほとんどなかったのだけど、集団下校の時に、おそらく始めて、一緒に帰った。とはいっても、方向が近い人達と2列に整列して、校門から行進していくみたいな感じだった。
隣の人は小学校の頃の同級生で、足が速くってかっこいい男子だった。昔ドッジボールのキャッチが苦手で教えてくれた。
なんの話をしていたかは全然覚えていないけど、学校からそれなりに離れて列も乱れ始めて、みんながばらばらに歩道を歩き始めた頃、少し後ろにいた彼女が小走りで僕の横に並んで歩き始めて、とくにこれといって話すこともなく、ただ帰路を辿っていた。男友達は一歩ひいて、他のクラスメイトたちと話していた。今思えば、めちゃくちゃいいヤツじゃないか?
集団下校ではあったものの、彼女と歩くと、同級生たちの話し声はただの喧騒でしかなくて、二人で帰っているような錯覚を起こしていた。
軽い世間話などもなく、なんとなく無言で、彼女がふいに、「〇〇(僕の名字)はさ、、彼女とか欲しくないの?」と訊いてきた。
僕は困惑した。彼女に対して、特別な何かを感じていながらも、彼女がこうして僕に接してくれているのは、何かしらの意図があると思っていた。そうしないと安心できなかったのだと思う。
当時、すこしいじめのようなものを受けていたから、なんとなく、同情されてたり、するのだろうか、と思ったり。
彼女の友達ともそれなりに僕は仲良くさせてもらっていて、その友達も僕と同様にどちらかといえば、ぱっとしない感じで、その仲を取り持つために彼女がいて、彼女はただのキューピッド的立ち位置の人間なんじゃないかと、わかのわからない見当違いの推理に思考をめぐらした。
とにかく、どんな意図があったにしても、彼女が僕に好意があったとして、僕とそういう関係になりたいという可能性があるということを拒絶したかった。
その可能性に期待する自分が嫌だったし、もし、可能性があったとして、そうなったとして、僕は彼女の重荷しかならないことがわかりきっていた。だから、
「今はそういうことを考えられない」と応えた。
彼女は少し俯いて、いつもの様子で笑って、「そっか」と言って、後ろにいる友だちの方へかけていった。
普通に笑って話をしていた。
男友達の方が隣に戻ってきて、「お前馬鹿だな」と言われたのが本当に深く刺さったのを覚えている。
学力的にも馬鹿だったけど、人間的に愚かなことをした自覚があって、罪悪感が滲んでいった。
以降少しずつ彼女との関係は少し薄らいでいった気がする。疎遠になったというより、彼女は遠くで僕をみるようになった。
けれどバレンタインデーにアポロをもらった。僕は未だにアポロを食べたことがない。
ホワイトデーは部活の遠征などで忙しくて返すタイミングを失った。結果返せないまま終って、中学3年になって、クラスがすごく遠くなって、以降関わることはなかった。
放課後の掃除の移動で彼女のいる教室の前を通るたびに僕は彼女を捜したけど、彼女と目が合うことはそれ以降なかった。
もし、あのとき彼女が欲しい、とか、君がすきなんだと思う、と言えていれば、必死に勉強して同じ高校に行ったりしたのだろうか。
進路に部活に追われ続けて、碌に勉強もできなかったから、すごく頭の悪い高校に入学した。
それでも受験勉強はしっかりしていたおかげか、入学先では成績優秀者として、卒業のときなにかしらの賞をもらった。
高校生活の間は彼女のことをずっと考えていた。
どこに入学したのかも、進路はどうしたのかとか、なにも知らない。知っていたのは、集団下校のときに通り過ぎた彼女の家くらいで、何度か通り過ぎたり、立ち止まったりして、高校のときはほぼ毎日思い出していた気がする。
そういえば中学3年の職業体験のとき、同じところにいった、その写真を今ももっているはずだ。本当になにをやっているんだろう、と思う。いろいろなタイミングでチャンスはあったのだろうな。
高校時代はほんとに退屈だった。でもたまたま出会った中学の同級生がきさくに話しかけてきた。
僕は全然その人について記憶がなかったのだけど、
「足が速そうだよね」と言ってくれて、それが嬉しかったんだよね、と言っていた。そういえばそんなこともあったな、という感じだった。別に足が速いことを褒めたわけじゃないんだけどな。
それからその子が彼女とそれなりに仲良くしていたことを知った。
その子からは、バレンタインデーのアポロは僕だけにくれたものであったこと、彼女は僕の話をしていたことを聞いた。
その後もたまたま仲良くなった女の先輩が、彼女と同じ大学にいることを聞いた。どうあがいたって運命でしかないと、とうとう思い込む程驚いた。
先輩は同じサークルで、彼女とは仲がいいらしい、バイト先を教えてもらって、行くか行かないかで毎日悩んで僕は結局行けなかった。
一度行ったけれど、その日はシフトが入ってなくて、街中のバイト先で、人混みが苦手な僕からすると、もう一度行くのにはかなり勇気がいる場所だった。こんなにもチャンスをもらったのに全部棒に振って、後悔だけが残った。
もう無理だなと悟ってから、忘れる努力をした。目の前のことにとにかく打ち込んで、必死にやってたのに、その翌年ぐらいに、ダンスを習ってた頃、仲良くなった人が、僕の話を他のレッスン先でしたら知ってる人がいて、という話になって、それが彼女だった。
いい加減にしてくれ、という気持と、彼女が僕を憶えてくれているという事実に喜んでいた。
彼女は今どうしているの、とその人に訊いた。
「東京で、芸術家?デザイン?とかそういう感じのことしてるイケメンの人と同棲してる」
ほっとした。
彼女がちゃんと幸せでいることが嬉しかったのと、僕のことを憶えていてくれていて、かつ、ちゃんと自分の人生を歩めていることに安心した。
おこがましくも、長い期間彼女のことを思い続けて、もしかしたら、彼女もそうなのではないか、という期待と不安がずっとあった、だから漸くそれから解放されて、安心した。
かなしいとかくやしいとか、そういう感情はあったかもしれないけど、どうでもいいと思った。
その日の帰り道はとても心地がよくて、彼女が住んでいた家の前も通ったけど、それまでとは違う心持ちだった。
今はもう彼女を思い出すことはあまりないのだけど、ふとしたときに潜んでいるなと思う。
そろそろ吹奏楽コンクールの時期だ。たまにチューバを吹きたくなる。メトロノームを置いて、ロングトーンがしたい。
2023/05/12
王様ゲームで好きな子とポッキーゲームをすることになるか、カツカレーが食いたい。
ちょっと疲れてる。方針が定まらない。これといった思いいれがなくて困っている。
僕はどんな終わりを迎えたいのだろうか。
2023/05/11
心臓と心が苦しい。そういえば今日は朗読してなかった。
何もしたくない、というより、何もかもつまらない気がして、無駄な気がするのだろう。
何かを創ろうとする時こわい。
自分が座標もわからない場所で輝く名も無い星の一粒であること自覚して、
果てしもなく遠い誰かへ届くきらめきが、果たして、ここに存在しているのか。
自分というものはただのガラクタの集合体です。
誰にも見出されたくもない、と思ってしまう。
自信を持って、と言われることが多い。
僕はいつも自信がないから、何を書いても情けなくなってしまう。
自分を一生ゆるさないことをゆるして生きてきたから、それが自分の生き方だったから。
自信を持てなんて、簡単に言わないでくれ、と叫びたくなる。
その人にとってきっと最大限の思い遣りに対して、まっすぐ向き合えない自分があまりにも醜くて呆れる。
なんとなく、ただ生きてきただけなのに、信念なんてなにもないのに。
今朝の短歌はよかった。自分の中の詩情が蒸発して、砂漠になってしまったような気がしたのだけど、奥深くへ掘り進めていけばいずれは湧き出してくるマグマのような感情もある。
読書をすれば心は潤う。
2023/05/10
この日記を書き始めて、もうすぐ一年が経つ。まだ一ヶ月も先のことではあるのだけど、きっとこれからあっという間に時間は過ぎていくだろうな。
家族も友人でさえも、ほとんど近況を知らせることはないのだけど、今日ちょっと友人に話してみた。
「そういうの出来ないから、マジでスゴいね」と褒めてくれた。なんだか嬉しそうだった。
あまり言葉には出さないけど、僕に対する向き合い方とか、振る舞いとかで、支えてくれていることは感じる。
不思議と不安とかはないのだけど、創るのがめんどくさいという感情に苛まれている。自信があるわけじゃないけど、なんとかなるような気がするのは、なんなんだろう。
この頃心の状態が前向きになっている。イナイレでも観てブーストかけるか。
今日はお気に入りのお店のランチを食べた。ヒレカツ定食。ちょっと高め。
いつも最初はみそ汁から、と決めてるのだけど、あまりにおいしそうだったから、さきにヒレカツを一口。
サクッとした衣に、肉厚な食感、肉の甘みの余韻。
ついついごはんをかきこみそうになったけど、我慢。
だしと味噌が沈殿してきれいな上澄みができたみそ汁をかきまぜて、水中で砂埃が舞って広がっていくみたい。
ここのみそ汁はちょっと薄めで、口直しにちょうどいい。浅漬けもおいしい。
給仕のおばあちゃんの喋り方が前よりも気さくな感じになったきがする。ランチ行ってよかった。書いてたらお腹減ったかも。
今日継続についてネットの人と話した。
大抵の人は限界を感じたり、成長が見えなくてやめるらしい。
僕にとってそれは、やめたいからその理由を上げているようにしか見えない。
どれぐらい継続したのかにもよるけれど、短期間で出る結果なんて、たかが知れているし、だいたい余力を残して取り組む人が大半だったり、そもそも思考を働かせないで、トレーニングや勉強の質を根本的に下げている場合がある。
自分の望む未来に事が運ぶようにゆるやかな下り坂を作っているようにしか見えない。僕は嫌なことに対してそうしてきたし、好きなことに対してはそうしなかった。
歌は特にそう、未だに、変わらないスタンスでやってるし、失敗したら、その時考えている。
それなりに蓄積したものはあるのだけど、未だによく喉を壊している。喉を壊すまでのデータが欲しいし、ある程度発声が安定してきた状態で喉が壊れる理由を知りたい、それに壊すことで、あらたな発声法が見つかったり、限界突破できた経験もあるので、負担になりすぎない程度に壊している。
いまだにコントロールできない、発声できない声もあって、それらをどうやって攻略するか、どのように歌で使っていくかなどを考えるのは面白い。
失敗は大前提で、成功なんてほとんどない。
でもなんとなく、才能のありなしなんて考えたことなかったし、プロだって、多分ただもっと頑張ってたり、効率よく積み重ねてきただけだと思っている。自分の歩いている道から地続きのその先でしかなくて、なんの高いハードルもない。
ただ僕は知らなかっただけで、これから知ればいい。
教わってないんだから出来ないのが当たり前。
継続して損がないんだったらとりあえずやっとけばいい。
やらないより多分マシ。
2023/05/09
大変である。
余計な行動を自覚して行うことがこの頃多い。
ラグによって、2フレームくらい遅れて操作入力がすでに適応されてしまうという場合。
やめとけばよかった、と後悔する。馬鹿だなぁ。
少なくて狭いところで話したい。
考えごとがしづらくなってしまったために排水をするしかないという状況。まぁたくさん書くための燃料になったらいっか!
ちょっと元気になってきた。馬鹿でよかった!!
今日はチャーハンを作った。
めんどくさくて、小さいフライパンで作ってみたら、全然振れなくて、少し焦げた。
チャーハンの調理に関して過信しすぎて、完全に初心を忘れてしまっていた。
今日は少々心が浮足だってもいるために、不安定である。
それがこの結果につながったのなら、それは仕方のないことだ。
身近な人の声がすごく恋しくなる瞬間が僕にもあるというか、基本的にそういうのがないから、一気に来るのだろうな。
こないだ好評だった文章がきっかけで、何かいい展開になっている気がする。誰かに頼まれて何かを書くことになるかもしれない。
それで少々、昂奮していて、なんとなくいろいろ手につかない。
なんというかいろいろ話したいことがたくさんある。けど、そういうの話せる相手が全然いないのと、それによって感情の蓄えが出来るので、まあいいか、まあいいのか?みたいな状態を右往左往している。
軸を見失わなければいける。
2023/05/08
この頃、離人感が強まっている気がする。中学生以来だ。ストレス耐性があがったわけではなく、やり過ごす頻度が増え、麻痺してきただけなのだと思う。
周囲との怒りの温度差によってストレスが加速する。
自分が冷めすぎていて、どうしてこんなくだらないことでいちいち苛々しているのか、
自分たちを棚に上げて、どうしてそこまで言い切れるのか、
外の人たちはなんの理解もないのに言いくるめるのに必死で、向き合っているわけじゃない。
もうわかり切っていて、凝り固まってしまったものにぐちぐち言ってるのが結局楽しいのだ。
誰も真剣に問題を解決する気なんて無くて、ただ問題について話し合っている自分たちという肩書きが欲しいのだ。
誰もが本当はこうすればいいってわかってる、でも本当にしょうもない、ささいな理由で、誰も一歩を踏み出さない。
ただのマスターベーション合戦でしかない。
ぐちゃぐちゃした環境の中にい続けるには神経を図太くするか、精神を殺すしかない、そんなことやってたら、そりゃぁ感性も死ぬわな。
冒頭に書く内容としてはかなり不健康なものになってしまっているな、と思う。
とりあえず五月病かなにかだろう、と自分に言い聞かせている。
今日の朝食は菓子パン二つで昼兼用だった。最近は欲求が湧かない。唯一湧いてくるのは睡眠。
三代欲求、食欲、性欲、睡眠欲がいままで、5:3:2みたいな感じだったのが、3:2:5ぐらいになっている。
疲れやすくなってきたのだろうか。
食欲に関してはこの頃制限もしているし、それに慣れて、落ちてきたのは当然ではあるのだけど、性欲が落ちているのは、本当に加齢なのだろうな、と思ったりする。
なんというか創作と性欲は自分の中でけっこうリンクしている気がするからあったほうがいい、と思っている。
睡眠欲が増えているのは、睡眠時間が短いのと不規則なのが原因なのだろうと思う。
脳と心身の疲労をまったく考慮していないことは自覚している。
昨日、四時間程かけて書いた文章をツイッターの方で公開したら、内輪で好評だった。
いままで書いたものをここまで評価されたことがなかったので、好評価をもらえたのは嬉しいことだけれど、多少そういったことを狙って書いたものでもあるので、まぁ当然といえば当然。いいねをたくさん貰う快感を学んだ。
折りたたみのキーボードを買うか悩んでいる。鍵盤の方ではなく。
書けるタイミングをもう少し増やしたい。
ふとしたとき、ポケットから取り出して、スマホに記録したい。
自分は、というか、もしかしたら大抵の人がそうなのかもしれないのだけど、あまり憶えていられない。
日頃、YouTubeやTwitterなどなど、情報の波にさらされているからなのか、どんどん記憶が流れてしまうことがあり、
その瞬間の感情などもいっしょに流れていたりする。
そのため、最近はとくに思ったことを書き残しておくことの重要度があがって来ている。
なので折りたたみキーボードの購入を考えているのだけど、疲れているときなどに、どかっと坐ってケツポケットに入れていたキーボードを破壊してしまうのではないかという懸念があり、購入を渋っている。
2023/05/07
六時半に起床した。早起きは三文の得という言葉が日々を焦りながら生きている自分にはぴったりな気がする。
自分は感触を風景に写すのがうまいのかもしれない。
音楽から見える情景や、風、温熱、湿気、それらを感じ取り、言葉で描写することに長けている。
だから多分僕は音楽をイメージしたら何かを書けるんじゃないか、と思う。
頭いたい、眠い。
感覚と言語をずっと結びつける作業をしてた
この頃愛情欠乏症?
2023/05/06
待ち合わせ、間に合わせ
待ち合わせにぴったりついた、ほんとギリギリ、おしりに冷や汗、間に合わせている。
クレーマー
世の中に対して心の中でクレームをつけすぎていて、周りが大人な対応を取り始めて何も言えないという感じになっている気がする。
冷静に見れば大したことはない。
2023/05/05
寝違えた
朝からうなじの左側が痛い。
こういう時まず最初に筋肉痛を疑う。
とりあえず声を出してみて、調子がおかしくない場合にやっと寝違えたと判断がつく。
毎日首のストレッチは重点的にやっているので少し驚いた。
左側を向くと、僧帽筋の左側が痛い。
こういうのは大体昼間には治っているはずなのだけど、19:38現在でも治っていない模様。
もしかして筋肉痛なのか?
生きるツイッター
後輩やネットの知り合いにツイッター見たいと言われる。
アープラのvcでは結構喋る方だけれど、リアルで話すときや、大して考えないで話すときはひと言で済ますことが大半だ。
それがツイッターのつぶやきみたいだと何度か言われて、こないだ知り合いの配信でコメントを送信していたら、また同じようなことを言われた。
久々のカップ麺
横浜系豚骨醤油ラーメンというのを食べた。最近の昼は菓子パンか、お気に入りの店か、抜き、という感じだったので、お湯が沸くまでと、注いでからがそれなりに長く感じた。
カップ麺にしては家系ラーメン独特の上顎から鼻腔を醤油豚骨の風味がぶわぁっと広がって満たしていく感じがあって、おぉ...!と声が出た。
どうせ消えるなら残しておこう
トピックスタイルは大変だけど忘れやすい自分には効果的だと思う。
正義と微笑
昨日から文章模写を始めた。
アニメで泣く
誰かの代わりに怒れるってかっこいいなぁ、と思った。青春が刺さる。
不器用な反抗。
2023/05/04
え、今日って5月4日なんですか、まだ3日の気分でした。
Amazonプライムを開いたら、なんかdアニメストアが2カ月99円とか行ってきたんで入会した。
最近は少しでも安いと買ってしまう。財布の紐というか、それに紐づく危機感が緩んでしまい、これが老いというやつか……と考えたりする。
しかし、入会した瞬間に2カ月後しっかり退会するように設定しておいたので、ぬかりはない。
まどマギとか見たことないので、とりあえず観てみようかなと思っている。何かおすすめのアニメおしえてくり~~
ゴーストオブツシマが欲しくてPS5が降ってこないかなぁと思ったりしている。
この頃、うんこちゃん(加藤純一)がTwitchでゴーストオブツシマを配信しているのだけれど、それが面白い。
発売当時から有名で、いろいろな実況者のプレイ動画を観たけれど、最高難易度でやっている人は始めてみた。
こういった和ゲーは好きで、主人公が侍のゲームは無条件に好感をもってしまう。
毛色は少し違うけれど、侍道というゲームが好きで、難易度設定に一撃死モードみたいなものがあったのだけど、
それとほぼ同じ難易度のものがゴーストオブツシマにもあるのである。
やはり刀を交える戦いで、なんども振り回して敵を倒すというのは現実味を欠く。
敵と相対するときの緊張感が刹那的に繰り返されるあの感じは観ていても昂奮する。
あの静けさと、剣戟の熱烈さはとても見ごたえがあって、戦闘を見ているだけでも面白いのだけど、
そのように難易度を上げることで、いわゆる死にゲーが完成するわけで、プレイヤーがそれに悶え苦しみ試行錯誤する様がまた面白い。
その死にゲーの難易度で敢えてプレイし続ける、うんこちゃん。
加藤純一最強と言われる所以はそこにあるのだろうか。
死にゲーが好きなのであれば、と、ブラッドボーンやダークソウルなどの有名なタイトルを勧められたことが過去に何度かあり、一度やって、あまり理解できなくて途中でやめた。
操作性は楽しいのだけど、ストーリーを理解するのが手間で退屈だった。
しかし面白いのがそれらの洋ゲーを日本人が作り、和ゲーを外国人が作っていることである。
武士の心や教え、国と捕らえられた叔父を救うためにその誉れを捨てることを天秤にかけられた主人公、境井仁が葛藤しながら進んでいく物語はドラマチックで、面白い。どうかSteamでも配信してほしいゲームである。
今日はボイトレをしたりした。大分治ってきた、というか、多分治ったのだと思う。
裏声の音域も壊す以前に戻ったし、高音の張りはより強くなってきた気がする。
喉の調子がいいとその分だけ心も上昇志向になる。自分のメンタルは喉の状態でだいたい決まるし、メンタルが不調だとだいたい声が出ない。
外に行って歌おうか悩んでいるのだけど、準備するのがめんどくさくて、あくびばかりしている。
タイピングしている暇があったらちょっとずつギターケースに荷物を詰め込んだ方がいいのかもしれないな。
この頃は本当に久しぶりによく歌えているので、自分で聞き返して、うまいな、と思うときがある。
それくらい歌えない時期が長かったから、ちょっと別人みたいな感覚でもある。
2023/05/03
寝て起きたらまだ話している人たちがいたので、朝の日課をしながら交流した。
まこてぃにあって、結局寿司を食べた。念願のうずら納豆巻きを食べられたのでよかった。
少し眠い。今日は朗読するか考え中。昨日結構読んだしな。
2023/05/02
何がしたいのかよくわからない。タイピングだけがどんどん滑らかになってきて、思ったことが消えないうちに書き起こすことができるようになったけれど、ねるねるねるね的なことができない。考えるのがすごくめんどくさいけど、考えないと時間が無駄になっていくような気がして怖い。
何をしていても、何もしなくても時間がどんどん経過していく、時計は止まっているのに、秒針が進む音と、その裏側の歯車がツクツクと鳴っているのが聞える気がする。
書き進めて掘り下げていくことができていない。
特別なんのストレスもないはずなのに、疲労感がすごいのはなぜなのだろう。
ここ数日朗読のプレイングを意識しているので、一度放流しかけたものがまた改に集合して違う形を成しているような気がする。今は自分のスピードに振り回されている状態なので、ブレーキをよく使えるようにしておかねばならない。
今は中身が、自分の中の熱を全く感じ取れない状態なので、形から入って、よくこの歯車を廻して発電しなければならない。
中心の歯車が動き出すまで、道化だとしてもひたすら演じ続けるしかない。
今日は結構喉を酷使した。明日からは暫く大人しくしていようと思う。
思ったことがそのままタイピングで文字に起こされるのが結構恐かったりする。こんなに早くなったせいで本当に考える余地がないというか、考えていることそのままなので、あとで、いや、これはこう書いた方がいいだろうとか、これは書かなければよかったかもしれないな、と思うことが多々ある。
ギターのアドリブや装飾ができるようになりたいと思って、スケールを覚える練習をしている。
すこしずつだけれど、頭に入っているので、今後もコツコツやっていきたい。
日記の話をしていたら、周りの人が何人か書き始めたらしい。自分が久しぶりに他人に影響を及ぼしている実感を得て、その生命の反響みたいなものが、嬉しい。
毎日たくさん書かなくてもいい、書くものを用意するので断念する可能性もあるから、適当にスマホのメモでも、メモ帳の切れ端でもいい、日付を書いて、何か線を描こうと言った。
書くじゃなくて、描く、描写、自分の心の中を、間違った言葉遣いでいいから、自分だけが納得できる文章がかければいい。
頭で理解できるものじゃないものを書いたほうがいいといった。
わかちあいたければそれを少しずつ解いていけばいい。
とにかく書く週間をやめた。書けない自分に苦しくなる。素材は多分いくらでも散らばっているし、書きたくないときに書くものじゃない。自分に強制するのは違う。発露だ、僕が求めているのは。だから、自分の摂理に反したことをするのはおかしい。それがどんな拙い理由であったとして、頭じゃなく、心が納得いかないことを続けるのは、ただ蝕んでいく行為だ。
僕はそれが嫌いなのに、それを自分に強いた、それがよくなかったのかもしれない。
2023/05/01
三度寝した。合計睡眠時間は八時間程だけど。
睡眠に関してこまかい決まりが多く、それらのどれか一つが欠けていたり、乱されると大抵目が覚める。
シーツのしわが身体に触れない状態であること、枕元にタオルがあること、PCやスマホなどの明るさは最低にして、寝る前はすべて閉じた状態にすること、(その他光を発しているものたちも布などを被せておくこともある)、タオルケットと掛け布団が変なずれ方をしていないこと、またそれから足がはみ出ないこと、仰向けで眠る際はかならず両手がシーツの外にはみ出ないようにすること、日差しが入ってこないようにしっかりとカーテンをしめること、寝る前は換気をしておくこと、といちいち寝るまでの条件が面倒くさい。
そして睡眠時間の制限もある。
僕は基本、だいたい六時間寝ると自動で一度目が覚める。そしていつも二度寝して二時間、合計八時間になることが多いのだけど、二度寝の二時間はほとんど睡眠に含まれていないに等しい。
カーテンがちゃんと閉まってないとまぶしくて起きる。なので、暗いうちに早めに寝るのがおそらく現状のベストなのだけど、どうしても夜の時間は楽しいものなので、なかなか素直に眠るのは難しい。
遮光カーテンにしようか時折悩むこともあるのだけど、夕焼け色のカーテンはお気に入りなので、あまり変えたくない。
今朝まぶしくて一度起きた時、顔の周りを日陰にすることを思いついて折り畳み傘を日傘にしてみたのだけど悪くなかった。
顔の近くに物があると、気配で眠りが浅くなりやすいので、顔の周りを覆うドーム型の頭を突っ込む枕などは考えられなかったが、日傘なら結構大丈夫な気がする。
短歌を三百首読んでから、パワーがリセットされて、また一からレベル上げしてくださーい、という感じになっている。
連作や字足らずについていろいろ考えていたら、今までの感覚が少し抜けてしまったような。
まだ定着していなかったのだろうか、どうやら自分はあと三百首作るぐらいじゃないとうまくいかないような気がしている。
前回作った三百首のことは忘れて、改めて定型で三百首詠もうか考えている。やっぱり千首詠んでもいいんじゃないだろうか。
新しいものを学ぶというよりは、今は去年得たものたちを定着させることにしばらく時間を使ってもいいのかもしれない。
最近少し焦り過ぎているから余計に。
たくさん睡眠をとったら、ほんとうに起きるのが大変だった。
寝る時間が長ければ長いほど、泥の中に埋もれている感じがする。
起き上がるとき、頭も身体もまぶたもすべてが重い。睡眠負債という言葉がよぎった。
でも、その分今日は昼寝もあくびもせずに一日過ごせていて快適である。
朗読をするのがやっぱり鍵であることに変わりはないらしい、昨夜朗読をしてるときに言葉のリズムや波を乗りこなしている感覚を思い出したし、反射神経が起きてきて、咄嗟の表現にいい具合に力が入ったし、小気味いいステップが踏めたような気がする。聞いてくれていた方たちの反響もよかった。
この頃スピードを早めたり遅めたりして読む練習をしていたからか、前よりもスピードのコントロールがよくできるようになっていたのだが、単語やフレーズに対する意識が少し薄くなってしまっているので、こちらは今夜の朗読で改善していきたいポイントである。
久しぶりに心と頭の使っていなかった部分をしっかり動かした感じがあったので、最近機能していなかった部分が本当に動きはじめた気がする。一度駆動し始めたら、あとはどんどん加速させていくのみである。
今夜も蒲団を読むぞ!