とりとめのない(日記)4月
2023/04/30
遅めの反抗期をひきずってしまって、抜け出すタイミングを失ってしまっている。
感情の一部がだんだん灰になって、朽ちてゆく感じがずっとある。
好きな歌を歌っても、曲を弾いても、映像を観ても、聴いていても、全部が遠い。遠ざかっていく。
子どもの頃書いていた日記はいいことだけだった。決まって終わりには今日も一日楽しかったがかならずあって、どんなに何もない日だったとしても、かならずそれを書くようにしていたし、それを書くための何かを捜していた。
本当はもしかしたら僕はそういう才能の方を持っていて、もっと幸せに近いものに触れ続けるべきだったんじゃないか、と思う。
途中からずっと暗かったのに、心はどっか明るくありたかったような気がする。
だっていつも振り返るのはあの瞬間で、僕が一番純粋だったときはきっとあの時だから、あのときの感性とか、あのときの心に焦がれるのは当然のことだ。
でもそれと同時に今の自分にもきっと意味はあるし、間違っているかもしれないけれど、おかしくはない、と思っている。
これが今のあるべき姿だし、納得もできる。
暗くなればなるほど、あの頃が明るくなっていく。
今日は少し頭が痛い。低気圧だろうか、寝覚めもあまりよくなかった。
2023/04/29
肉巻きおにぎりを作ろうと思ったのだけど、寝ぼけすぎて巻終りが上になってて普通に崩れた。味はおいしかった。
にんにく背脂、しょうゆ、しょうが、みりん、適量を混ぜ合わせて、肉巻きつくって焼くだけ。簡単おいしい。
朝は、空色のステンドグラスで目が覚めた。天気のいい日は朝日がまぶしくてよく起きる。
南向きの窓で一日中日が入る部屋で、枕を南向きにしているから当然なのだけど。
窓は縦長の引違い窓で上下半分で区切られた窓枠の上には普通のガラス、下にはすりガラスがはまっている。
今日はそのすりガラスに透けている青空が綺麗で、外に出たくなった。
天気がいいと、いろんなことがしたくなる。
今日は散歩をしようか、布団を干そうか、喫茶店にでも行こうか、外で寝転がったりするのもいいな。
なんてことを考えながら朝の生活をこなして、一段落して、文章模写などをしていると、洗濯物の影がゆらゆら漂っていて、それが気持ちよさそうで、また外に出たくなる。
暖かい日差し、涼やかな風、感触を想像するだけでも眠くなってくる。
こんなにのどかな一日なのに味わわないのはもったいない気がしてきて、ベランダで眠ることにした。
外で寝転ぶ用に2,3年前に100均で買ったレジャーシートを久しぶりに取り出してベランダに敷いて、とりあえず寝転がってみたけれど、床がコンクリートなので、少し痛かった。ベランダの床を床というのは違和感がある、なぜだろう。
仰向けになると太陽がまぶしすぎて、すぐさまうつ伏せになった。
手の甲を重ね顎をのせて、じっとしていると、こないだすこし日焼けしたうなじががじりじり熱を持って焼けている気がしたので、横になって頬杖をついた。今度は肘が痛くなったのと顔の片側が焼ける気がしたので、これは日傘とクッションが必要だなと思って、鞄から置き傘を取り出し、座椅子の腰の部分にあてているクッションを持ってきて、レジャーシートの上にそれらをひろげた。
仰向けに寝転がると、日光の暖かさがお腹にじんわりとしみこんできて安心した。
揺れている洗濯物を見ながら、ゆっくりと目をつぶって、風の音は子守唄のようで、いつのまにか寝てしまっていた。
おそらく10分くらい眠っていたのだけど、すごくいい眠りをしたときの身体の軽さだった。
来世は野良猫もいいかもしれないな、と思った。
そういえば昨日カツカレーをいつものお店に食べに行ったとき、支払いのときGWのスケジュールを教えてくれた。
いつもだと思ってたのは僕だけじゃなかったんだな、と思って嬉しかった。
自動ドアを出ると足元にその店の猫――野良なのか放し飼いなのかわからない――が逃げないで丸くなっていた。
前にここに来たときはびっくりして飛びだしていって、ちょっと悪いことをしたなぁ、と思ったのだけど、
昨日は逃げずにちょっと視線を交わして、僕は踏まないように通り過ぎた。
ここの常連になれた気がして嬉しかった。
2023/04/28
今日カツカレー食べたら、絶対旨いって、僕がずっと言っている。
カツカレー頼んだ。
ホントにおいしかった。
ゲームの見えない壁にずっとひっかかってる。バグ。創作しようとしようとすると、何かにぶつかった音がずっとして前に進まない。強制スクロールもしてくれない。
ベランダでひなたぼっこをした。何も思いつかなくて、眠くなっただけだった。風が気持ち良かった。部屋の座椅子を少し倒して、そこに横になり15分だけ仮眠をとった。
怠惰
日課にかまけて、頭をつかったり、考えることを避けている自分がいる。朗読や文章模写、日記などつけながら思考をしていないわけではないが、最近はそれがやっつけ仕事になっていて、あまり長い文章を書かなくなったし、朗読も色合いがくすんでいる。
善い循環を生むために、朝夜と日課をこなしてきたのに、自主性がなくなって、早く終わらせるために、ただ大人しくこなしているだけになっている。
始めたころよりも大分質が落ちた。のびしろや成長限界などではなく、モチベーションや意識が足りなくなっているせいで、経験値を得た感じがしない。
マンネリ化しているので、何か新しい課題が必要なのだけれど、今ある日課を削ることで何か不具合が起こったり、パフォーマンスが低下するのではないかと、不安になってしまっている。
そうなった時にまた再開すればいいのであって、そんなこと考えても仕方がない。
現に朗読やボイトレなどはよく間を空けるわけだし。
結局は新しい何かを考えたり、日課を見直して、やることを変えるのがめんどくさかったりするだけだ。
一度全部日課をやめて、またちょっとずつ増やすという強引なやり方が実は一番いいのかもしれない。
根拠のない確信がなくなった気がする。良くも悪くも。
自分を文豪だと思っている精神異常者になって書くぐらいじゃないといけない気がする。
降車ボタンまた買っちゃった!
収録ボイスが違うので嬉しい。
でもメタリックなデザインのやつが欲しかったなあ
全部で四種類だけどもう二種類手に入れてるからダブりそうで、ちょっと。
最近細かい支出が多いのでは?
2023/04/27
今日はめっちゃ天気がよかった。薄着して正解。
城跡に行ったんだけど、何が愉しいのかわからなくて、ちらほら居る老人たちに訊いてみたくなった。
結構歩いたのでそれなりに疲れた。
日焼けしてた。
2023/04/26
眠い、ライティングマラソンをやっていると、よく眠くなる。脳の疲労だろうか。日課を休む日を作った方がいいんじゃないかと最近考えている(今更)。
最近の朗読や文章模写は特に頭に入ってこないことが多いので、頭を休ませるべきだろうな。
逆にランニングの日課復活させようかな。しばらく身体を動かした方がいいような気がする。
この頃、解説系や講義系のyoutuberを視聴するようになって、3倍速くらいで再生しているのだけど、徐々に話についていけるようになってきて、聞き取れるし何を言ってるのか解釈するまでのラグが減った。通信速度が速まっている。
朗読も早口と0.3倍速ぐらいで読むのを往復して、頭の処理速度を速めたり遅めたりして、いじめているのだけど、なんとなくコントロールに少し慣れてきたように思う。
速さに慣れてきて、口も前より速く動いている。これでもっと精度があがれば良いなぁ。
諸事情により今期アニメをかなり大量に見ているのだけど、まじで発掘してしまったアニメがいくつかあって知っている人と語り合いたいのだけど、誰にも知られたくないというジレンマ。
言っていいラインのアニメと言えないアニメがある。
地獄楽とスキップとローファーおもろいよ、他にもっとおもろいやつあるけど言えん。あててくれ!!
そして両手を合わせて久しぶりにあった女子同士みたいにぴょんぴょん跳ねたい。
宝石の煌めきを最近またやり始めている。頭の体操にはちょうどいいかなみたいな感じで、こういう蓄積が脳にきてるんじゃないでしょうか。そろそろ脳いじめるのやめようね。
最近自信がより減衰しているなってことに気づいた。僕の頑張り方が基本自分はダメ人間で才能のないやつっていう前提で始めるので、詰め込んだり、無理のあることをしがちなんだけど、そういう重圧をはね返せなくなってきた気がする。
そろそろ褒めて伸ばしたり、自己肯定感をあげなきゃいけない気がする。
ほんといつまで自分のこと罵倒してるんだろう、とときどき思う。
ただ萎縮してる状態でも高いクオリティ出せるようになりたいみたいなのはあるからなぁ。
2023/04/25
今日は牛丼を食べたくて、あの店に来た。
くたくたに煮えた玉ねぎをデュルデュル啜った。
旨味が唾液のように湧き出すみたいな。
牛肉よりも玉ねぎがおいしかった。
前回は味噌焼きを食べたけど、焼き物の野菜の旨味が尋常じゃないレベルで引き出されている。
素材の良さも感じるけれど、料理人のわざを感じる。
夏の背景を見た。遠くの山々がもう鮮明に見える。
まだ肌寒いのに季節は先取りして、色を変える。
彩度と精度があがったような感じで、今日は外の色がはっきりしていた。
2023/04/24
今日もう一度海に行きたいと思った。
年度が変わる度に新鮮な人たちが往来を歩くのをみて苦しくなっている気がする。
焦っている。
ずっとあると思っていた感情がどこかに消えて、今さら。
短歌が詠めない。前まで勝手に繋がってたのにそれがない。
感情の触手が切断されている。
この時期特有なんだろうか、であれば覚えておかねばならない。
感情に襲われている。
夜中にコーヒーでも飲みに行ってみようか。
今日はノイズが多い。
ちゃんと排水ができてない。
何が必要かわからないから困っている。
ふと昔のことを思い出して苦しくなった。
僕はあの頃首をよく振っていた。
窓をあけたら空気が凍った香りがした。
今日はすこし寒い
2023/04/23
昨日でアープラに入って一年が経ったらしい。今日までここにいるとは思わなかった。
インターネットの人たちとなんの拘束もなく長く関われているのはすごい。
僕はすぐ厭きる人間だったはずなのだけど。
寂しいときと、満たされているときで、優しさの質が変わる。
前者は同情で、後者は見下している、ような気がする。
前者は傷の舐め合いで、後者は自慢。
萩原朔太郎の「詩の原理」を毎日読んでいるけれど、難しくてほとんど忘れている。
前に述べたとか言われると、ほとんど自分が忘れていることに気づいて、惨めな気持ちになる。
ちゃんと読もうと努力しているつもりなんですけど、どうやらこれでも中々頭に入らないみたいで、
どうすればいいのでしょうか
自分にとって寂しさは負債なのかもしれない。虚しさには馴れている。
負債の返済が完了すると独りになりたくなる。ずっとは寂しくないんだなぁ、と思う。
昔感じていた寂しさとか、もっと新鮮だった気がする。
最近自分がどうありたいのかやっぱりわからないし、これからどうしたいのかもわからない気がする。
いや、単純に目の前に大きな壁があって、その先が見えないだけなのだろうけど。
僕はこの大きな壁に人一人分の風穴を空けるか、飛び越えるかのどちらかを選択しなければならない。
僕はやっぱり空が飛びたい。
今朝空港で飛行機を見送る夢を見た。誰かが大切な人が乗ってたわけじゃなくて、ただ飛行機が飛んでるところを見たかっただけ。
飛んでいる飛行機に対しての憧れと、機内に乗ったときの現実味は、すごくリアリティがある。
それでもやっぱり飛行機に乗って雲を突き抜ける瞬間だけは夢のようだし、冒険の始まりみたいで好きだけど。
人から学ぶことが多々ある。
自分は特に生活において丁寧でないので、シャープペンシルの芯を入れ替える時に、蓋を外し、消しゴムを外して入れ替えるとか、皿を洗った後に水回りを拭くとか、よく滑るスライド式の引き出しを閉まるまで手を離さないとか、そういうことをあまり自分は意識してこなかったし、花が好きな友達に出会わなければ花について考えることもなかった。
自分は基本的に無知な人間なのだけど、独りでいると、なんでも知っているつもりになっている時がある。
つい最近やっと物をゆっくり置くことが身体にしみついてきた。
バスストップのボタンのガチャガチャとついに巡り合ったので引いた。300円。
ガチャガチャも高くなったね。
夜中に久しぶりに外で歌ってきた。一回全力で歌ってみて、復活しているのか、何が足りないのか確認したかったので。
やっぱり低音が抜けてる?下の響きが弱まっているのと、口腔をガッと開くのができなくなっている。
筋肉の衰えだろうか。
日常生活の発声は大分緩和されて、低音も入るようになってきたのだけど。
高音を張り始めると、音が全体的に上に逃げるし、背中の支えが完全に抜けているし、そこを意識すると音がブレはじめる。
地声の高音が全体的に薄いというか下手になっているので、改めて地道なトレーニングが必要かも。
最近基礎すっとばしてたからなぁ。
2023/04/22
温感はどうあれ熱感が足りない。なんかどんどん冷めているよね。
日記や感情を書き起こすことが増えたからだろうか、頭で処理できることが増えてきて。
心の中の流れはとても安定しているのだけど、その交通整備が上手く言っているというだけで、
身についた言語感覚や筋肉が、いまいち自分の主観を書き起こすこと、それらの客観的な能力や、果たしてあるかわからない知識を持って、主観を描写することがまだ掴めていないような気がする。
短歌を作るときの感覚がなかなか起こせない。
時々長文を書いているときに急にそれが降って来るというか、偶然長文の中にそういう要素が含まれていて、それを拾い上げるという行為が自分には多い。短歌を作る、というところからではなく、これ短歌だな、とか、偶然書いている最中に出て来て七七や、五七を使いたくなって、その衝動で短歌を作る。そしてその最中に、少し冷静になったり熱くなったりして、どうしても起きたい語が生れて、それを置くために整理するかを考える。
短歌を詠んでいる時はなんとなく、主観と客観のバランスがよく機能しているような気がするのだけど。
長文を書いている時にそれがどちらかに偏ることが多く。これをバランスよく使える方法や、起こす方法がないかと考えている。
だれかなんか、方法あったらおしえて。
朗読のやり方を変えている。今はひたすら速度を変える練習をしている。
今までは朗読の最中、読み上げている行の二行先まで視野に入れていて、それを頭の中で読むというのを出来ていたのだけど、この頃は読み上げている箇所にしか目がいかない。その割には、その一点に集中しているという感じでもないので。速度を変えて急に速くして落とすを繰返して、先をどんどん読む癖だったり、頭の回転速度を調整する練習をしている。
自分は感情が沸点に到達した場合にそれを蓋で強く抑え込むように理性が暴走するので、本来はいち早く火を止めたり、落着かせればいいのだけど、それが、出来ないために、強い抑制が働く。
しかしそうなると、思考が飛躍したり、早口になったり、要点の整理がついていない話し方になってしまったりする。
煙のような思考が、鬼気迫る音を立て、まくしたてる。沸騰した感情と理性がぐたぐたに混じり合い不協和音ですらない騒音を部屋全体でやかましく響かせる。
火を止めたところで沸騰して漏れてしまった感情は乾いてベトベトにへばりつく、煙の臭いしばらく残っていき、後悔でしかない。
しかし、一度吹き出してしまったらもう為方がないので、それを如何に正確に伝えるか、どう乗りこなすかの方で考えるしかない。
火をとめる方法はいくらでも世の中にあるだろうけれど、それではつまらない。僕は自分の感情が爆発している時、久しぶりに自分がちゃんと生きている実感を持てるのだから。もったいないじゃないか。
なので、頭の回転速度を意識的にコントロールできるようになって、伝わる行為をしたいのだ。
それなりにいい天気なのに、太陽がどこにあるのかわからない日ってありませんか?
2023/04/21
マジでなんも出てこないからとりあえず過去に書いたものたちを基に歌を作ったりしてみることにした。
とりあえず歌いだしだけ作ったけど、どうなるだろうか。
自分が作ってみたい雰囲気の歌を初めてつくってみることにした。
歌詞はどうあれメロディは気に入っている。
昼、食べすぎた。太る気がする。
やらない善よりやる偽善が、一周回って食い込んでいる。
自分はよく人のおせっかいに対して、どうしてそれが余計だって気づかないんだろう、と心の内でイライラしていることがあるのだけど、それに+αで良い方向に修正することをしないし、改善点をわかっていても黙っている。それはただの冷たい人間だな、と思った。
最近何をすべきかはある程度明確になってきているのに、実践するまでに至らない。やっぱりチャレンジが怖い。テーマ出しも今のところうまく言っていないし、もやもやを書き起こしたりして、自分の中の問題意識とかを洗い出してみているけれど、それらに何も光るものを感じないし、それを拾い上げる感性が欠けている気がする。
どんどん感性が死んで来てる感覚、没個性になっていくのが怖い。もともと個性なんてそんなにないのだけど。
全体的にキレが悪い。自分の状態を以前より良く把握できていて、改善や向上の取り組みもできているけど、この規則正しさが逆に良くない気がしている。
かつての僕が書いたものたちはすごく健康的だし、幸せをよく書いているなぁと思った。ちょうどそのころ温感とかを持ち始めたころだったからだろう。今身体が健康で心もその方向に向かっているけれど、創作の意欲だけ反対をむいている気がする。
僕は日々小さな復讐をしているなと最近自覚した。
2023/04/20
日々を懸命に生きるフリをして、神様を如何にして騙すかに身を削っている。きっとそれはもうバレているのだけど。
春が終わる。桜など咲かない方がよかったかもしれない。僕はもう桜の散り際に哀しむことなんてない。それは毎年起こることだし、散ったからといって樹は折れていない。髪の毛が抜け落ちたようなもので、それはまた生えるので。人間がハゲることよりも深刻じゃない。そちらの方が哀しい。散っていく時間が辛い。梅雨が来る。この頃曇り空も雨の日も少しずつ増えている。
時の経過を感じるのがただただ怖い。それでしかない。
嫌いな人に対して、嫌な臭いを臭わせるのが自分は巧い気がする。あからさまなだけで下手くそなだけかもしれない。
VCの人たちを見て、あぁ今日も楽しそうだな、行ったら楽しいだろうな。と想像する。いったいどうして、リアルに対しては悲観的なくせに、インターネットだと、楽観的に考えられる。
連作も崩しも今はまったく考える気が起きない。空っぽ、平坦。カロリーメイトが主食のやつみたいな心境。
頬に面皰ができて、これはチョコレートが原因だな、とわかるくらいには、人生の仕組みがわかってきたつもりではある。それがどことなくつまらなくしている。もうわかったつもりでいる。ある程度の知識や教養があれば、ってね。
今日は少しチョコを食べ過ぎ。
今日は書けないというか書きたくないのかもな。書きたくないことは書かない。
才能とか能力について褒められると、いや、お前らも絶対できるからやれよ。みたいな気持ちになる。
そういうの出来ないからすごい、みたいに言われると、そりゃ誰にも教わってないからだろうし、知る必要もないし興味もないし、調べる必要もないから、できなくて当然で、でもその必要性が生じたりしたら、きっと君はやるし、できるよ、と思う。
創作においては特にそうで、すべてが才能になり得る可能性を秘めていると思うからこそ、自分の持っている才能を石ころ程度にしか思っていないのに嫉妬しているし。他人が持っているものに対して劣等感を抱く。
自分の持っているものをどう磨きあげるかをわかっていない。
何か湧き起こる感情があって、それを形にするということが多々あるけど、蓄積したものがないと自分は湧き起こらないのかもしれない。
基本的には空っぽな容器で、名前は着けられてないけど、容器がいくつかあって、感じたことが分別されてるのだと思う。
で、どれかがただのストレスで、どれかが創作ようのストックになってる。
創作やってて自分空っぽだなって感じるけど、空っぽだから詰め込むふりを必死にしてるんだろうし、ゴミ漁りをずっとしているんだろうなぁと思う。
肌触りばかり気にして、じっと温度を感じることを最近通り過ぎているよね。
2023/04/19
昨日は楽しかった。僕の周りの人間はいい人間しかいない。よく話を聞いてくれるし気遣いのある返答をしてくれる。
すこし、ふざけたことを言ったり、きついボールを投げてもうまくキャッチしてくれる。意思疎通に隔たりがない。
昔話に花を咲かせるというのはこういうことなんだろうなぁ、と思った。歳をとって良かったのかも知れない。
喫茶店に行った。味噌焼き定食(600円)を食べた。店員のおばあちゃん、今は健康だけれど、もういつ体調が悪くなったり、怪我をして動けなくなってもおかしくない感じなので、そうなる前にメニュー全制覇したい、遅くても今年中には制覇したい。
とりあえず来月、再来月にはランチは制覇しておきたい。
最近言葉が出てこない、頭が疲れているような気もするし、空振りしているような気もするし、そもそもちゃんと考えているのか?みたいなときもある。
フルタの生クリームチョコをこないだ買ってから毎朝一つ食べてる。今日の朝食もそれだった。最近、朝、胃になにかいれると、消化に気を取られて、以後の作業の集中力がわずかに落ちるのを感じていたので、朝は作業に集中して、遅めの朝食?ブランチにすることにしている。糖分を補給すると、頭が回転する気がする、集中しやすくなる。
生クリームチョコはカカオが香るミルクチョコレートより、甘すぎるけれど、慣れてきて、けっこうクセになっている。中のクリームがしゅわっと溶けて、それが心地よく儚い。
2023/04/18
旧友を待っている。今日で会うのが最後かも知れない。
何を訊かれるのだろう、話すのだろう、不安ではないけど、曇り空がそうさせているのか。
2023/04/17
昨日ちょっと食べ過ぎて体重が増えた。単純。
くっそキツいけどライティングマラソン的なものを導入している。今日はボウズって感じ。釣り針が逆になくなったまである。
チョコレートじゃなくてナッツを買おうかなと思いついたのだけど、結構高い。だって、これ買うんだったらカカオが香るミルクチョコレート二袋買えるもの。
文章模写の時間を少し削って、というか、この頃集中の持続時間が短くなっているので、文章模写の時間を減らすことにした、ちょっとマンネリ化もしているし、今のところ模写したい作品がない。とりあえず青空文庫の萩原朔太郎と室生犀星を漁っている。
代わりというわけじゃないけれど、ライティングマラソン。こっちは写すわけじゃないからタイプミスがなくて楽。
というか多分文章模写も15分ごとに、一回戻した方がいいんだろうな。
今日は実験的にライティングマラソンを6週してみたけど、そもそも今日散漫な感じなので、あまり。
毎週月曜テーマを考えるのもあるのでその時間をライティングマラソンでやってみたけど、ちょっとガス欠気なのか、エンジンがうまく回っていない。こういうときの再スタートの切り方が自分は下手なのかもな、と思った。
今日は久しぶりに少し寒い。最近は二桁の気温の日が続いていたので、その温度差で余計に寒く感じている。風がいつもよりひんやりとしている。
やっぱり今日不調だな。
最近頭を起こしたり、スピードを上げるためにYouTubeでお話している人たちの動画を3倍速できいているんだけど、意外と聞こえる。読み込み速度を無理やり上げれば頭の回転が速くなるかな、という魂胆なんだけど、正直その効果が出ているかはわからない。まあでも時間短縮していろんな動画見れるから悪くないかも。で話の間とか、空気感がつかめないのはあんまりよくないような。朗読のための吸収ができない。
何かトピックをあげて話すということが特にないんだよなぁ。
前の書き方もちょっとリハビリするか。
食生活の乱れ
ダイエット(腹筋)を始めてから、二週間が経って大分軌道にのってきたのか、食事にも意識がいくようになった。
以前より食べる時間帯や量、油などを意識して、胃に負担の少ないもの、ヘルシーなものを選び、炭水化物をすこし減らしている。好物のごはんを一食一杯にするのは少し苦しいけれども、最近は少したくさん食べることへの罪悪感とか、胃が重い感じがあったので、おいしく、快適な食事に切り替えていくという意味でも、適度な量を見直すことにした。
食べる量を減らしてからというもの、次の行動に支障がないし、急に動いてお腹が痛くなったりとか、食べ過ぎて動けなくなったりみたいなことがなくなった。今まで二杯だったごはんを一杯にするのは本当に辛いのだけど、二杯だと、もう、そろそろキツイ年頃なのだと思う。
しかし、それでもいっぱい食べたい日もある。
それこそ昨日はそういう日でお昼は油そばをおかずにごはんを食べた。
それだけにとどまらず夜はピザをおかずにごはんを食べるという、完全なるデブ活なのだけど、今朝の体重計はなんとか0.5kgの増量で留まってくれていて、ここ数日の我慢の甲斐があったな、と前向きに捉えていくことにしたのだけど、せっかく減量傾向にあった体重を一日にして途絶えさせてしまったという罪悪感。理想の身体の創造は険しいが破壊はこんなにも容易い、という事実への恐怖がじりじりとにじりよってきたために、今日の朝食は菓子パン一つ、お昼も惣菜パン一つ、という感じになった。しかしこれが痛恨のミスを招く。
途中小腹が空いてしまいポテチを食べてしまった。これはやってしまった、対して腹も膨れない上に油と炭水化物のかたまり、これはデブのもと、小学生の頃、毎日ポテチを食べていたせいで、ぶくぶくと太ったことを忘れてはいないにもかかわらず、ついついポテチを食べてしまって、開けたからにはやっぱり最後まで食べなければ、ポテチは開けたてが一番おいしいのだから、と言い訳をして一袋をたいらげてしまう。久々のうすしおポテチほど、理性の箍を外すものはない。
僕は欲望に負けて、しょうもないところでつまづきかけている。
ダイエットには適度な食事による食欲のコントロールが必要であることを学んだ。
なんか書ける?もしかして
2023/04/16
眠い。仮眠をとった。最近昼寝が増えている。これが老化?
ダイエットと並行して、フェイスラインのストレッチ?もしてるんだけど、顔がちょっと痩せた。触って判る。
カカオが香るミルクチョコレートを断っているんだけど、禁断症状的なものが出てきている気がする。セブンを見るたびにやっぱり買ったほうがいいような、と思うんだけど、マンネリ化してきてるような気もするし、なんかもう一つ、いいチョコレートをみつけたいところ。今のところ生クリームチョコを候補にあげている。今日とりあえず買うか。
新しい習慣として、小銭の貯金を検討している。期限とか関係なく年末とかにお年玉感覚で開いたら楽しそうな気がする。1万円くらい貯まってたら嬉しいよね。ちりつも。
腹筋の練度があがってきたのか、トレーニングの最中の筋肉への意識がつよまって効率があがっている。そうそう、やってればわかるんだよね~。そういうコツみたいなものを掴み始めるとだいたい面白い。わかる感覚が増えるのは嬉しい。
2023/04/15
ライティングマラソンを三回やると短歌が詠める。現在の傾向。
体重は依然としてあまり変化はない。明日からまた頑張ろう。今日はちょっといっぱい食べたい。
やっぱり復讐をしたい感情がまた湧いてきた。どうやら波があるみたい。ある程度吐き出すと、今度は綺麗なものを作りたくなったりもする。しかし今はまだ溜め込む時期、短歌はそのピン留めであったり、小さな結晶たち、いずれアクセサリーを作るときにきっと使用するから、それまではそのまま綺麗なままで、磨いていくよ。
僕はやっぱりわかりやすい美しさを語ることが、悔しくて嫌いだ。それがわかるならもっと、人を愛せるんじゃないか、とか、もっと人に理解を持てるんじゃないか、とかそういう希望を持ってしまう、そしてそれを押しつける。
わかりやすい美しさがあるんじゃなくて、美しいものはそうじてわかりやすいのかもしれないけれど、そうじゃないだろうな、わかりやすく美しさを模倣してくれてるものが世の中に多いだけで、それを美しいと判断できれば自分は正常な目や心身を持っていると安心できるだけだ。そんな健康確認をされたところで、ああよかったねとしか思わない。
それならその健康の秘訣を教えてくれよ、毎日何食べてるの?何時に起きるの?どんな音楽が好き?どんな空の色が好き?すきな数字は?時間は?きっとそういう、そういうものだよ。
着こなしてない美しさなどいらない、君は着せ替え人形でそれで喜ばれてるだけだよ。
そういう心がやっと以前より明確になってよかった。
2023/04/14
少し痩せた。このままそういう傾向でどうぞ。
タンブラーにわかめスープをいれることにした。次はお吸い物もいいな。味噌汁入れない。馬鹿になるから。
ざらざらした砂糖の降りかかったパンを食べた、これの名前を知っている人は教えてほしい。かわいい味だった。世の中の砂利がこういう味だったら平和だろうな。
ポケモンカードは30万で取引される世の中ですが、村上春樹の新著の中古はおいくらで?
くじらの刺身買うか迷っている。買った。
連作のことをちょっと考えている。それっぽいものを作ってみたりしたけど、どうなのって感じ。
簡易的だけどライティングマラソンをしてみている。いいかもしれない。習慣化の余地あり。しかし時間が食うので何か減らさねばならないような。結構選りすぐりの面子なんだけどね。
ライティングマラソンをすると、短歌が作りやすい。個人ページでdripっていうページを作っているんだけど、まさにそれに近い。もっと荒くていいからたくさん書いた方がいいんだな。
くじらは普通だった。食べたことなかったから勉強になった。もしかしたら世の中にもっと上のくじらがあるだろうなと思った。
先日iPhone6sにガラスフィルムを貼ったのだけど、画面が分厚くなったので相対的にホーム画面が深くなって気持ちいい。
たくさん押したくなる。
このごろ少しお金を使いすぎている気がする。気を付けなければね。
ギターはモテたい人がやってるみたいなことを言ってる人がいて、いつか殺そうと思ったのを思い出した。
だから曲を作るんだなぁ。
もうちょっとでなんか出てきそうなんだけど。めんどいから焦らしとこ。あしたあしたーって昨日の自分を忘れるんだよなぁ
Twitterのトレンドで自殺動画をみた。花火みたいな音がした。どうやって拡散した?
調べたら本当だった。自殺を選ぶ人のこと可哀そうなんて微塵も思わないから、インターネットでくだらない騒動を起こすな、と思うけれど、騒動を起こせるのはインターネットだけだから、しょうがないね。
インターネットを知らない新参者達が、コンプラとか道徳とか倫理観とか振りかざしてくだらない法整備しないで、さっさとインターネットやめよう。ハッシュタグでわらわら群れるのはキモいよ。まぁそれもインターネットかぁ…。
配信サイトとかで自殺が流行ったりしないでくれ、なんとなく流されて死ぬやつはなんなんだろうか。せめて一作著書を書け、歌を作れ、絵を描け、詩え。
インターネットはじめじめした暗い洞窟みたいだったのに、いつのまにかスラム街みたいだなあと思う。
2023/04/13
ライティングマラソン的なことをした。特に意味がないような気がするというか、今日の自分がすごく虚しいことだけがわかった。漠然としている。
ここ最近、空洞とか虚しさとかそういうものについて考えているからだと思う。
暗い曲を作ってみたいと思って今週考えているけれど、今週中に出来る気がしない。
というのもそういう感情に素直に向き合って、言葉をすくいあげることが苦痛でしかない。
それらの羅列を作品として仕上げたり、攻撃性のあるものにしたり、何かしらに躊躇があって苦しい。
僕は何も悲しくないから悲しくない。何も悲しくないことが悲しいなんてくだらないことは言わない。
虚しいだけである。
だから暗いこと曲ってなんだろうってわからなくなる。何が暗いのかわからなくなる時がある。いやだって暗いところにいるだけで確実に光はあるじゃない。
真っ暗だから自分がわからないのか、わからないふりをし続けて、わからなくなったのか。
考えるのがめんどくさい。昨日から。
今朝は卵焼きを作った。普通のフライパンで出来る卵焼きの作り方をYouTubeで調べた。おいしく出来た。鶏ガラぶちこんどけばだいたいウマいんだわ。
ライティングマラソンでも書いたけどやっぱりインプットが必要な気がする。けど、インプットもめんどうくせ。インプットっていうか充電かも。
一回リフレッシュしないとな~と思ったりしてる。どうやってリフレッシュしようか。
創作もリフレッシュになるのだけどね。
こんなことしたって意味はないでしょ、ってこと正直自分の人生で過去も現在も無限にあるけど、だからなんだよ?って思ってる自分がいて、そういう自分のこと一生大事にしたいと思う。
近い中外で弾き語りの練習したいんだけど、なんか寒いんだよなぁ。
最近しかもちょっと体調が不安定だし。こころもとない。
2023/04/12
肺が痛い。心臓も痛い気がしてくる。
創作が思うようにいかないのだけど、心の中はすっきりしている気がする。春風が吹いてる。
日に日に我慢をすることと妥協ではないけれど、満足することが上手になっている。これはいいことなのか悪いことなのかわからない。世間体でみればようやっと大人になってきた様な気がするけれど。なんというかつまらない。
言い聞かせ方がうまいというか、この頃身に着けた思考が自分を丸め込んでいる気がする。このままでもいいのだけど、よくもない。バランスが取れすぎているような気がする。自分の精神ってこんなに安定するものなのだろうか。
バランスよく立てていることが気持ちが悪い。これがおそらく正しい状態であって、いままでが異常なのかもしれないけれど、不安定ですぐ揺れる感情の方がいとおしく思える。めんどうのかかる方が可愛いみたいな。
薄々インプットが必要なんじゃないか、とも思いながら、それがお得意の逃げや言い訳のように感じてしまって、気にしている。
今日は一日連作について考えた、大きな流れに注目する力と、破調をどう活かすかが今後の課題のように思う。
まだ何も思いつかないけれど焦りは禁物だ。
心がスースーしていて、違和感。時々漠然と焦りを感じては、期待が湧いてくるような感じ。いったいなんなのだろうか。
断片的だけど、とりあえず書いていかないとわからない気がする。
今日の自分だけの日記などを読んで、いつもより冴えているように感じたのだけど、どこかで踏み外した?なんだか適切じゃない。
日々のストレッチの効果か、身体が全体的に軽い。逆に、少しでも疲労が溜まるとそれを感じ取りやすい、自分の身体の感覚にはかなり敏感な方だと思うので、少しでもなにか起こると煩わしい。疲れないでほしい。
喉がよくなった。メンタルがフラットになったからか、発声もそれに引きずられている。ピッチはフラットしていない。
今朝モーニングページを書くときに下敷を使ったのだけど、とても心地よかった。芯が当たって反響する音が気持ちいい。ほんのすこしだけど木の温かみとか朴訥な感じが愛おしい。かわいい下敷がほしくなった。
作曲をしたいのだけど降りてこない、結局待つことが肝になってしまっている。受動的。
もうすこし能動的に作りたいのだけど、いまいち踏み出せない、怖いのかもしれない。ひたすらにあまごいをするしかないのだろうか。
この頃、ふと、独りになりたい気持ちがちらつく。
世の中の人が自分を嫌いになってくれたら楽なんだけどなぁ。
結構悪人のはずなんだけど。
脚が鈍い、なんで。
2023/04/11
牡蠣フライ食べた。100均でえんぴつホルダーとキャップ、その他諸々便利そうなものを勝手設置したりなんだりした。
いつもほったからしていたリモコンの置き場がようやく設置された。ついでになぜかいまさらスマホにガラスフィルムを貼った。ブルーライトをカットしたところで、僕の視力はこれ以上下がりようがない。
オーディオインターフェースやものの配置も少し変えたりした、円滑になった気がする。
牡蠣フライ、本当においしかった。昔一度だけ3000円くらいの牡蠣フライのランチを食べさせてもらったことがあったのだけど、正直そこと同等か以上の旨さだった。なんとお値段610円。1/5である。
牡蠣の海くさい感じが全くなく、まさに海のミルクといっていいほど、とろっとした舌触りと甘みがあった。
ジュージーでサクサクした衣の内側は、とろとろ、ぷりぷりした身が覗いていた。
牡蠣フライといえばやはりタルタルソースなのだけど、またこれが旨い。
真っ白ではなく少し肌色がかったタルタルソースで、普段味わうような酸っぱさを後に感じるようなものではなく、深い甘みがありバランスのいい味だった。本当にこの値段でいいのだろうかと思うほど充実した食事だった。
今日は100均で下敷も買った。下敷ってなんとなく昔から必要性を感じていなかったのだけど、使ってみたくなった。当時の感覚を甦らせたい気がした。文房具をじっと見ていたら、子連れの母親が子どもの名前を読んだのだけど、偶然に僕とおなじ名前だった。少しびっくりした。母親の声色を感じた。
連作
もってくる
僕たちは鋼鉄の皮膚を持ちその熱が伝わるまで冷めきっている
2023/04/10
牡蠣フライを食べたら一日に満足できる気がする。
めちゃくちゃ自分に対して抑制をかければそれを撥ね返す欲求が湧いてくるんじゃねえか、みたいな人体実験を考えている。
現実って糞だなぁ、って考えてるとでもほんとうは世の中はもっと美しいから、それを一瞬の荒んだ感情によって、お前自身のレンズが汚れているだけだから、ていう抑制がかかる。
僕が悪くなっているから、世の中が汚れてみえるんだ、と言い聞かせることによって、なんとか現実を生きているし、まぁ確かに現実には美しいものがある。
現実を受け止める姿勢と視点を変えて楽しむ努力をすれば、この胸糞悪い現実の模写たちを読解していけば、まあ面白いこともないわけでもないし、自身の教養、知識次第でそれなりに攻略法とか、愉しみ方があるのだろうなぁと思うのだけど、好かん。
好かん、好かん、好かん。シンプルに好かん。
結局世界への理想を捨てきれないから、現実に対して嫌悪を抱く。頭ではあ~そうそう、世の中ってそういう仕組みだもんね、人間てそういう生き物だもんね、とかわかってはいるものの、感情はまったく割り切れていない。僕ら人間等しく欠陥を抱えていて、頭が悪いのに、なぜ時折、なにかが見える人間と見えない人間がいる。
幽霊が見えるといったらきっと恐がられるから、黙っていなきゃいけないその人間の苦悩はどのように解消されるのか。
なぜそのような呪いを授けられている。どこで習得した。
思えば暗い歌を作ったことがなかったので、今日はそれを作るための感情を吐き出してみた。とりあえず止まらないでそのまま脳内を模写していく感じで。自分の脳の回転に以前よりもタイピングが追いついていてびっくりした。
いろいろ書き出してみたけれど、結局僕に暗いものよりも、空洞や虚しさの方が大きいなぁと思った。陰でも影でもなく。光は時折あたる場所で、ただ灰色の木漏れ日が射した廃墟みたいな場所が自分の心の中にたくさんある。残骸、廃屋。それらはもう住処として機能していないけれど、何かを思い出すにはあっていいものなのだと思う。
全体に色は灰色がかっている、もや、荒廃したものたち、抜け殻。そういうものをずっとイメージしていく感じだった。
自分は空洞が多すぎて何かが触れてもその感触を内側と外側から感じられない瞬間がある気がした。
何かをいつも満たそうとしていた時期があったように思う。
今日は頭がいたい。ブルーライトの影響?眼精疲労なのか、それとも単純に気温が高いからなのか、いつもより過集中の時間が長いからだろうか。
約三週間分の薬を飲み終えた。あっという間だ。飲み始めた頃と今の僕は何かが変わっているのだろうか。
モーニングページのノートが残り一ページとなった。一本目のえんぴつも長さは半分以下であと一週間くらいで小指の第一関節くらいになりそうだ。何かを消耗している感覚が、残念ながら生きる実感を与えてくれる。
結局今日は牡蠣フライ食えてない。牡蠣フライ入ったカレーも食べたいし単体でも食べたい。なんでこんなに牡蠣食べたいんだろう。明日食べに行こうかな。
喉が治ったというか発声も修正されてきた感じがする。今日ちょっと張ってみたけど、まあまあ出るようになってはいる。しかし音域は依然として一音ぐらい低い気がする。首の後ろが重い。ここが重いと頭痛になることがたまにある。今日もしかして、それが原因か。
たばこのにおいやっぱり好かんな。もしかしたら好きなにおいもあるのかもしれないが。
火がないのに煙が出てるのが嫌なのだと思う。煙じゃなくて僕は火のゆらめきで安心を得たい。
時々無性にマッチがほしくなるときがある。
この頃書くことが増えてきた気がする。
萩原朔太郎の作品を毎日読んでいるのだけど何かしら刺激される感じがする。
老年と人生面白かったな。中学時代に性欲にくるってたことにめちゃ親近感が湧いた。
面皰面の中学生みるとフラバしてつらだよね~。
2023/04/09
ノイズが蠢いていて寝付けない。
少し落ち着いたような気もするけど完全には消えていない、心臓がやけどみたいにヒリヒリしているせいで何かしらの感情が吹き抜けるたび、 痺れのような感覚がじわっと広がる。
To Doリストのおかげで今まで行っていた習慣などに迷いなく取り組むことができるようになったので、以前よりも時間に余裕が生まれている気がする。現在はできること、できていることをリストアップしているが、今後はチャレンジしたいことを書いてみるのも大事だと思い始めた。文章模写やギターの基礎連、朗読など、最低でも10分毎日こなしているだけで、何かを克服しているわけじゃない。漠然と芽が出るんじゃないかと期待をこめて、続けているだけのものでしかない。それは例え芽が出たとしても一週間後には枯れてしまうものだ。どれだけ習慣を増やし土地を耕したところで、育てるものがそのようなものであれば、いずれ腐る。新しい取り組みをしていかねばならないように思う。明日からひたすら何かを書き出してそこから創り出す作業を時間をかけてしていくつもりだ。毎週月曜日はテーマやアイデアを見つける、ひとまずこれをリストに新しく加えた。
自分の決意というのは今まで脆いものばかりなので正直不安ではある、小さな挫折を増やすだけではないだろうかという気持ちの方が強い。
明日のためにやらねばならないことを今日中に終わらせよう。
2023/04/08
あれれ~おかぴーぽー何も書くことがない。
最近ギターの基礎連を継続しているので、基礎力があがってなんとなく出来ることが増えた、ギターは見様見真似で弾けばだいたい弾けるっていうのが結構いいところなんだけど、頭がわかってても指先が思うように追いつかないことってたくさんあるからね。いつでも動けるように指の神経を起こしておくってのはとっても大事だなぁと思う。
暇だったから一時間くらいピアノの練習?というかピアノで遊んでいた。ちょっと「ザナルカンドにて」を練習してみたんだけど、冒頭が弾けるようになった、多分。ギターをやっているからなのか左手が思いの外よく動く。
2023/04/07
無味無臭な生活。不快感もないけれど、快感もない。
今日ほ書くことがないことはないかもな、と思うほど、何も思いつかないし、何も思い出せない。
書こう、書こう、とりあえず引き起こされるものがあるかもしれないのでとにかく手を動かしてみる。
昨日から萩原朔太郎の「老年と人生」と「詩の原理」を読み始めた。前者は文章模写で後者は朗読をしている。
どちらも面白いのだが、胃に入った感じがしない。自分の感性が死んでいるというか、何も吸収しない状態になっている。
もう水を吸い切ったスポンジみたいに吸いたくても吸えないのだ。
なんとか詰め込もうとして、同じ項目、段落を反復して読んでいるのだけど、理解したらしたで今度は、どんどんどこかへ流れて遠くへいってしまう。脳内にピン留めできない状態になっている。ストレージが限界なのか、それとも変な癖がついているのか。
昔はもっと記憶できていたはずだし、集中ももっと深かったはずだ。
最近は階段を降りるとき、足がつく瞬間に足場を見失うときがある。普通にそのまま着地すればいいはずなのに、なぜか疑ってしまって、踏み外しかけることがある。
脳に不具合が起こっているのか、経年劣化なのかわからないが、対処法を考えねばならない。
ストレッチを始めて二日目だが、効果をかなり実感している。首、肩回りがだいぶ軽いし、心なしか姿勢も改善された気がして、歩くときの足運びが昔に近づいてきた気がする。
身体がどんどん健康になってきているから、吐瀉物みたいな感情も減ってきているのだろうか。だとしたら、穏やかではないかもしれない。
すこし日記を読み直したけれど、意外と思い出せる。この書き方になってから、よりどうでもいいというか、流していたものがたくさん書けているから、自分にとってはすごくわかりやすいものになっている気がする。
使い方がほぼツイッターに近い気がするのだけど、実際にツイッターでこのようなことをつぶやく気にはならない。
最近は温かい日が続いていて、上着など着なくてもいいだろう、と思って出てみると、意外とまだコートを羽織っている人たちがたくさんいて、なんだか場違いな気がして恥ずかしくなる。着なくてもいいということは、着てもいいぐらいの寒さでもあって、まだ寒さを感じている人たちのことを少しうらやましく感じる。自分はあまりもっていないのだけど、コートが好きで、その人にしかないキャラクター性を感じるから、コートを着ている人を見ることができる冬は楽しい。春の肌寒い時期の女性が着ているトレンチコートなどはひらひらしていて可愛いし、腰ベルトのリボン結びと襟のシュッとした感じがギャップがあっていい。最近は首元がしっかり隠れるものとか、もこもこしたものとかコート、上着のバリエーションが増えていて見ていて愉しい。自分もなにか羽織るものを買ってしまいたくなる。
2023/04/06
朝布団の上でうだうだしている時間がもったいないので、新たにストレッチと筋トレを追加することにした。まじでTo Doリストの言いなりと化している。ちなみに夜もストレッチと筋トレをしている。これは発声の運動が衰えているのを感じたため、特に背中、肩甲骨あたりを起こす目的で行う。体幹トレーニングもやったほうがいいような気はしているがとりあえず今のところはこれで様子見。
鼻腔共鳴というか声の共鳴の意識が薄くなっている気がした。これは環境によるものだと思う。昔から声の通りがよくてうるさいと時々言われることがささいなコンプレックスにつながっていて、声を抑えるために共鳴のない声も練習していたのだけど、逆に鳴らせなくなってきている。共鳴を忘れるかわりに小声を覚えたのだけど、これはむしろ能力ががくっと下がっている。
触覚が麻痺している気がする。ここ数日いろいろと放出した感覚があるので、もしかしたらインプットの時期なのかもしれない。
からっぽ、というより、まっさら。ここからどうしようか、次の目的地を考えている。
感情は川みたいにきらきらせせらいでいて、時折その光を反射するけれどすぐにまた違う光になる。流れていくものたちを一つ一つスローモーションで見ることができたらもっと楽なのに。
この頃物欲が絶えない、というとおおげさか?未だにデスクトップPCを毎夜眺めては、「こないだ必要ないと結論を出したじゃないか」「いや、でもやっぱりあったらいろいろできるよなぁ、最近PCも重くなってきたし」などと煩悶している。
今日の昼はふとヨガマットと腹筋ローラーをAmazonで購入しかけたのだけど、その二分後にはやっぱりいらないな、となってキャンセルした。
見た目に対するコンプレックスが頬や腹の贅肉とともに膨張しているので、これをどうにかしなければならない、と思うたびに安直に腹筋ローラーを購入しかける。そうして毎回、いやいやダイエットで大事なのは継続だし、今はYouTubeでいくらでもダイエットのためのトレーニング動画が上がっているじゃないか、お金をかける必要なんてないでしょ、となる。
今月は数年ぶりの旧友と会うので、「年取ったな~」とか、「太った?」とか、あんまり言われたくないのだ。しかし体型は数週間でどうにかなるものではないことは分っている。いや、激しく追い込めばもしかすると五キロくらいはやせることができるのかもしれないが、たった一日、ほぼほぼ他人のような感覚で会うのだから大した得もない。
久しぶりの友人に会うテンプレみたいな会話は心を無にしてスルーすればいいだけの話であるが、自分の老化と衰退をヘラヘラ笑って受け流すことほど不甲斐ないことはない。
だから彼らが発する言葉を、現状を受け止めるしか無いのである。そうして毎年恒例のなぜかとりあえず夏までに痩せようキャンペーンがまた始まるだろう。
彼らはそのきっかけをくれる人間であるから、その礼を述べて、笑われてやろう。無駄に蓄えた脂肪も笑いに変わるならまだマシだ。
2023/04/05
昨日の夜久しぶりにswitchを起動してマリカやアンダーテールをやっていたのだけど、ふとサンズを殺したくなったので、サンズ用のセーブデータを作っているので、それでログインしてサンズを倒しにいくことにしたのだけど、二時間くらいかけて返り討ちにあうだけだった。もう十回以上は倒した経験があるので久しぶりにやっても勝てるだろうと高を括っていたのだけど、そんなことはなく、死んでは挑みを繰り返して集中力だけが無駄に削がれていくという結果だった。夜も結構遅かったので、お腹も減ってきて、ふとおにぎりが食べたいと思ったので、明日の朝憶えていたらにぎろうと思って、電源を切って眠ることにした。
それから六時間くらい寝て、いつもより一時間くらい早く起きて、モーニングページを書いて朝ごはんを食べるときに、また
おにぎりが食べたいと思っていたので、ごはんを丼ぶりに盛って、手を濡らして、掬い取ってぎゅっと握った。
具はこんぶの漬物で味が薄めだったので塩もかけた。おいしかった。
2023/04/04
思考がせせらいでいる場所にたたずんでいる。
薬の副作用なのか、少し眠気を感じる。今日はずっと考えごとをしていたような気がするけれど。
一体何について考えていたのかは憶えていない。
曲をつくった。本当はこれぐらいのペースでできるのかもな、と思う。
いつも考えすぎだし、急に真っ暗になるからおそるおそる歩いている。
いつもゴールにたどり着けないまま終わるものも多いが、それらは砂になって崩れる。
ふわふわしている。…………..................................................................
少し長い日記を書きたいようなそうでないような。書きたい気持はあれど、それが面倒くさくて書く気になれない。今日はもうこれ以上頭の中で何かをこねくり回したりするのは疲れる。
密やかな結晶の文章模写が終わった。初めて読んだときよりも何か感触が違う。もう一度読んでみていい気がする。
ずっと薄目をあけた状態で書いている。タイピングが心の声をそのまま写し出してくれるようになっているからすごく楽なのだけど、感情や声がどんどん吸われていくような感覚もある。この頃は声の出し方をいちいち考えたり、準備しなければならない。
ほぼ寝ていた。
2023/04/03
できた。不格好でいいか。勢いだけでワンコーラス。二番は作りたかったら作ろう。とにかく休みたいけど、また何かをつくりたい気もする。考えることをやめたくなった?
人に説明するのが難しくなっている。というかもっと具体的に説明したい欲求が強くなっているようにも感じる。あんまりわかっていなさそうだった。もやもやだけを残してしまって申し訳ない。
デスクトップを買うのをやめようと昨日決めたけれど、結局見てしまっている。以前からずっと欲しいとは思ってたものなぁ。
でもまだ買う時期じゃないな。もう少し頑張ってからにしようと思う。なにを?いろいろ。
できることをしているだけ。できることをやり続けていれば、それを努力と装って、繕えばゆるされるわけではないよね。
この頃自分の苦手とか避けていることに向き合ってみるべきだと感じる。
今日はいくつか詩を読んだ。いろいろと思い浮かべたけれど、僕にはまったく理解できていない気がする。
それがよく言う人間の愛に似ている。自分がなにものかすらもわからなくなってしまいそうな言葉だ。
花見のスケジュール的にあきらかに散っているということで、普通にごはんを食べることになった。夜はやめてくれよ、夜は家でゆっくりさせてくれ。
今日の日記は二行が多いな。PCだと二行だけど、携帯だと何行になっているだろうか。こういう日ぽつぽつと呟く程度の感情を拾い上げて、残すべきではないかと今朝思っていた。
アンダーテールの実況を観て泣いた。既プレイだし、いろんな実況を見ているのだけど、久しぶりに泣けた。そうそう、そういうささいなことでもっと泣いてくれ。今だったらもう少し何か書けるはずだから。
病んでるでしょ?と言われたのだけど、応答に困った。確かにそのように見えることもあるのだろうし、そう見られることでメリットもあるだろうし、否定するほどの精神の調子が良いわけでもないといった感じ。
病んでいるというより、大人しくしているだけだよ、と教えたのだけど、あまりしっくりこない様子だった。
言い当てたかったのだろうな。僕ももっと適切な言葉を選びたかった。
病んでいるという言葉はあまりにも幅が広すぎる。確かに他人から見た自分の状態を表すにはある意味適切かもしれないけれど、病んでいるという言葉に内包されるのはなんとなく腑に落ちない。
仮に僕が病んでいるとしてもその人たちには解決できない。僕は自分で解決をするし、甘えたい人にしか甘えない。
歌を作っているとか、何か考えごとをしている時期はその人にいつも病んでる?と訊かれる。
2023/04/02
空洞感。何かを得れば満たされる感じではない。
自分をみるための顕微鏡がほしいなとこの頃思っている。
今朝モーニングページをかなりゆっくり書いた。書くスピードは早ければ早いほど通り過ぎていくことが増える。はしゃぐ犬みたいにどんどん加速して頭の中をかき乱していくようなときがある。だから今日は手綱をしっかりと握って、じっとしてみた。
効果的かどうかはわからないけれど、昔の集中の感覚が戻ってきたように思う。子どもの頃はよく手書きで日記を書いていた。
今のところ文章模写、朗読、を用いて、読書をしているけれど、喉が不調だと出来ないし、文章模写は文章はもちろんだけど、言葉選びとかふりがなとかそういう部分にばかり目がいって内容があまり入っていないときがあるので、これは果たして意味があるのだろうか、と不安になる。
久しぶりに朗読室で朗読をした気がする。少しテンポが早かった。この頃は自分の滑舌の不具合を修正していたので、かなりスムーズに朗読ができたように思うけれど、軽快さに流されて速度の抑揚がまったく生まれていなかったこと、景色の一つ一つが車窓から眺めているようにどんどんと過ぎ去っていくような感覚があった。プレイヤーとしては心地よいものではあるけれど、聞き手に伝わる解像度でいえば少し低い気がした。まだまだである。
この頃は落ち着いて読むというか、感じる時間を短くしすぎである。僕は感じ取ることができないのではなく、時間が掛かるだけだ。
作りたい歌があるのだけど、目的がまだ定まっていなくてすこし頼りない。不安である。本当はとりあえずこのまま進んでみるべきなのだろうけども僕にはまだその勇気がない。石橋を叩きすぎて割らなければいいのだけど。
歌を作りながら、ずっと逃げたい、逃げたい、と言っている。口に出すときもあるし、出さないときもある。
とにかく逃げたい。心もとなくて怖い。ずっとどこかで不安があって、黙っていたり、滞り始めると、それが広がっていく。
それに時々逃げる。逃げる瞬間がわかるようになった。考えながら、だんだんすり替わったり、違うところに意識を逃がそうとしたりするときに、あ、今逃げた。とつぶやくようになった。そしてすかさず軌道修正をする。もう少し踏み込みたい。けれど、まだ少し怖い。その繰り返しをずっとしている。少しでも怖がらないためにずっとその歌について思うことや考えていることを書き起こしているけれど、まったく終わりが見えない。終わらなくてもいいはずなのだけど。
頭が速く回転しているとき、自分は結論を出したがっているな、と思う。特に対話においては、結論を出すことが勝ちみたいな。かるたみたいな感覚で対話をしているときがある気がしている。しかし焦りすぎるとお手付きをしてしまう。
最近の日記の書き方はすごく書きやすい。
最近詩を読まないといけないような気がしている。僕が感じている空洞を埋める、というか、響く、通り抜けるもの、触れてくれるものは、そういうものな気がする。だから時々青空文庫で詩をクリックして目を通しているけれど、どこかでなんとなくわかりながらずっとわからない感覚が混じりあったり、分離したりしている。
坂本龍一が亡くなったのをヤフーニュースで今さっき知った。
今朝はちょうどエナジーフロウをきいてたしウクレレで少し弾いたりもした。
一度だけ同じステージに座ったことがある。目の前で戦場のメリークリスマスを聴けたのはよかったし、彼の曲を演奏してそれを褒めてもらえたことはいい思い出だ。
デスクトップパソコンを買うか悩んでいたのだけどやっぱり買わないことにした。
多分そんなに使わないし、スペックあげたら、ゲームとかいっぱい買っちゃいそうだし。
それよりも今あるギターの整備とか機材の導入か新しいマイクを買いたい。
今日はまだ詩を読んでいない、一日一つくらいは触れてもいいような気がする。短いものだし、もっと気軽に一つまみするくらいの感覚で。
To Doリストくん便利なんだけど、なんかもっとバリエーションないですかね。ヤンデレの女の子に言い寄られるみたいな感じで。ねえ〇〇なんで終わってないの?みたいなのとか、タスク終わったときにもう勝手にチェックされてるとか、そういう。
今から〇〇やるんでしょ?とかね。
密やかな結晶の文章模写がほんとにあとちょっとで終わる。途中読んでると忘れてるのに、クライマックスに近づくとすごく既視感。
2023/04/01
歌を作っている、穴を掘り続けている。自分の中の答えが見えない。立ち止まっている。
明確な答えじゃなくて、在り方、姿勢、そういうもの。あとは視点が足りない。
風鈴が届いた、どこに飾るかは決っていない、この子にはどこでどんな風に生きていてほしいのか、そういう感覚を歌にも込めたい。
歌詞についてずっと考えていて昨日は頭が熱っぽく、今日はぼーっとしている。
いろいろと思考を書き出してはいるものの、そこにあてはまるピースはまだ見つかっていない。
今日はもうあまり書ける気がしないと言いながら、ここに現実逃避している。
一度壊してしまった方がいいのかもしれない、書き起こしているものたちから何かしらのインスピレーションは感じるので、バラして組み直すというのも手ではあるのだけど、今の形の方がきっとあの人は好きだろう、と思ったりする。
僕は僕の中にいる幽霊に向けて、今その人のためだけに曲を作っている。僕にとって歌は手紙に近い。
こうして自分の創作の意志というか理由を書き出すのは補強として必要な気がする。僕は少し今遠ざかっている。
思ったより身体が重い。最近は少し寝不足気味かもしれない。足取りが重々しくて、足音がドカドカとしていて不快だった。
踵から伝わる振動で眼球が揺れている気がした。
今日はあまり風が吹かないので、あまり風鈴がならない。そよ風が通り抜けるととくるくると少しまわっている。
完全に集中が途切れた気がするけど、感覚的にはいまの状態は間違っていないような気がする。
思考の探究
仮の目的地をもうすこし置いてみてもいいかもしれない。
効率を重視するのが果たして良いことなのか疑わしい。