とりとめのない(日記)3月
2023/03/31
今日は歌を作ることにした。Aメロはすぐできたけれど、Bメロとサビは止まっている。思いのほか書けるようになっている自分がいて、それに伝えたいことが釣り合ってないような気がして。
だから結局書けていないのだけど、心がもう少しこの曲に追いついてくるまで時間を掛けてみようと思う。
昔より素直に言葉が出てきてくれるから、もっとたくさん書いて、先へ先へ進もう。
もう少し踏み込む、というのが今の自分の明確な課題だと思っている。そのために途方もなく自分の思考を書き起こして、その道の先へ実際に赴くというのが必要だと思った。なにかしらに自分が驚いたり、喜んだりするとき、ひらめきや納得みたいな感覚がある。それは今いる現在地から、ぐっと引っ張られるような感じな気がしている。
僕はいつもその先が見える前に書くこと断念していたけれど、もう少し見苦しくあがいていいはずだし、脳内のごちゃごちゃを少しでも書き起こすことが重要な気がする。精確じゃなくていいから。
今日は僕の好きだった、そして今でもおそらく好きな人の誕生日である。毎年、三月の終わりと四月始まりはどうしたって彼女のことを考える。僕は彼女に救われたといっても同然だから、彼女のことをどんなに嫌いになったとして、彼女にどんなに嫌われたとしても、恨むことも憎むこともできない。彼女だけには僕が持つ精一杯の優しさで誠実さで向き合いたいと思っている。今でも。しかし、もうかかわることはない。その理由はかかない。
彼女は僕が拙く選んだ言葉を大切に拾い上げてくれたので、僕が人とコミュニケーションができたのはきっとあの時なのだと思う。
僕がきっと創作をほんとうにしはじめたのは彼女の言葉によって生まれた振動とその余韻がいまでもどこかで聴こえるような気がするからだ。だから時折彼女が僕にくれた言葉が思い起こされる。
とっくの昔に僕は一度あきらめていた、いろんな感情を彼女によって吹き返した。わずかに残っていた幽かな火種を春のそよ風がやさしく汲み上げてくれた。本当に世界が色づいたみたいだった。
今の僕の半分はきっと彼女に生かされている、と思う。恋というよりも信仰だった、と思う。
彼女は誰よりも愛や世界の真実の誰も知らない部分に近づいていたように思う。僕はあの時彼女が答えだと思っていた。
そして今でもそう思う。普通の人間でしかない彼女との出会いが僕にとっては人生のターニングポイントのように感じていた。
もし彼女の傍にいたら僕はこんな、復讐とか憎しみとか、そんなこと忘れているのだと思う。きっと全部を過去にできたと思う。彼女ではない本当の神様が僕を人生から救ってくれる一つの道だったはずだから。
それほどの大きな救いが目の前にあったからなんだろうなぁ。
今日は頭が痛くて変だ。
誰も恨みたくないし、恨むなら自分であってほしいと思っている。
人に救われたと感謝されるより、お前のせいでと思われる方が楽な気がする。
今日は頭が痛い。昨日の夜、少し裸で布団の上に寝転がっていたからだと思う。
昔はそんなことできなかったけど、今はなんとなくそういうことができる。
夜風は気持ちがよかったし、体が冷めていく感覚も心地よかった。
だから多分少し熱が出ている。
風鈴を買うことにした。臨時収入が入って、物欲があふれてきて、人間という化け物が自分の中にちゃんと潜んでいることを自覚して、阿保らしくなって、どうせ買うならちゃんと欲しいものを買うことにしようと思った。
最近何か癒されるような、澄まされるようなものが欲しいと思っていてその中で風鈴はとくにずっと欲しいと思っていたのだ。
明日届くらしい、すごく楽しみ。今度このお金でギターの調整もしに行きたいな。
2023/03/30
目覚ましに起こされると頭もまぶたも重く鈍い、重量上げをしている気分で身体を起こす。春の朝はこんなにも陽気なのに腑に落ちない目覚め方をして、すごくもったいなく感じた。
桜をみた。まだ満開じゃない。来週あたりにはきっと咲くだろう。
百均に行った。目の前のおじいちゃんが自転車で止まろうとして倒れたので、ちょっと助けた。他人の身体に触れることに躊躇してしまって自転車を起こすことしかできなかった。
インターネットで買物中にクレジットカードの更新を怠っていたため、新しく登録することになったのだけど、登録したらまったく違うサイトに飛んで怖い。調べても特にそういった事象はないみたい。偶然であることを祈るけど、詐欺とかにあってたらやだなぁ。そのあと普通に買物は出来たし、URL調べても特に危険性はなさそうだったけど、少し不安。
家電量販店にも行った。すごく久しぶりだった。パソコンのキーボードをいろいろ見た。ロジクールの二万円くらいのキーボードが展示してあって、ためしにタイピングしてみたけれど、気持ちよかった。けれど、そこまでほしいわけでもない。
どちらかといえばタイプライター型のキーボードが欲しいのだけど、残念ながらそういうのは売られてなくて、触れなかった。
打鍵感とかどんな感じなんだろうか、それを確認して、よかったら買いたい。
新しいミキサーかコンデンサーマイクを買うか少し悩んでいる。
密やかな結晶の文章模写がもう少しで終わる。91%。
果てしもなく感じていたのに、終わりが近づくと、歩幅がどんどん大きくなって、1%を軽くまたいでしまう。
2023/03/29
罪悪感を植え付けてで奉仕の精神を芽生えさせるというのが自分が行動するために必要な工程な気がする。
短歌もうちょっとで300首だ。実はここに短歌・俳句にあげてないものもあるので、ワンチャンもう達成しているのかも。
何を書こうか一瞬忘れた。今日はずっと眠いふりをしている。アンテナとか反射を鈍くして、あえて反応していないこととか、知らないふりをしている。結局察知してはいる。
のどが少し治った気がする。しばらくはしゃべり方とか柔らかめにして、感覚を取り戻していこうと思う。
ギターの基礎連毎日コツコツやり始めてから左手の不自由さが減った気がするし、右手もだいぶ柔らかくなってきたように思う。やっぱり基礎連って大事だな。
最近好きなアーティストが出す曲がことごとくつまらないので、本当にそろそろ自分で作らねばならない気がしてきた。
僕がその作品になにも感じない、というより、物足りなさを感じるようになった。
書くことが思いつかないのだけど、なんか書かなきゃいけないような気がしているのでとりあえず手を動かす。
昨日の夜久しぶりになんとなくVCに入って、なんとなくいろんな人と話して、自分の中のコミュニケーション脳が起きてきた気がした。
でもやっぱり今は少ない人数、限られた人としゃべる方が楽だな。結局たくさん人がいようがその中で話したい人はだいたい決まっているんだよな。その欲に僕は抗うことができない。
2023/03/28
そういえば女生徒の文章模写してたんですけど終わりました。内容はほぼほぼ覚えていません。
感情がリアルだなぁ、みたいな適当な感想。分析をまったくしない男。終わり方がメンヘラ好きそう、とかいうド偏見。
久しぶりに人間たちにおしゃべりに付き合ってもらったんだけど、マジで会話の頻度が減りすぎてまったく人々の思考についていけてなくて草。会話のペース早くね?頭の回転速くね?
自分の知識の乏しさ、と、アンテナが錆びついてきている気がした。ちょっとおしゃべりのリハビリしないとなぁと今朝反省したりしていた。
みなさんの高速回転のお陰で僕の鈍い歯車も回り始めている感覚がありました。昨夜はどうもありがとう。
とりとめのないラジオを十五日ぶりにやったらしい。たった二週間しかたってないのか、と吃驚。先月くらいの感覚でいたのだけど。モーニングページをはじめ、以前より日記に書く内容とか指向性が変ってきていて、以前よりすんなり出しやすくなっている。昨日はかなりたくさん話したけれど、大分スムーズに話が進んだ気がした。
なんとなくあてもなく進んでときたま地図を開くという散歩のようなことをずっとしているのだけど、もうちょっと明確にしたほうがいんじゃないの?目的地とか、目的とか、みたいな気がすることもある。まぁ、このままでええやろって思うけど。
なんか昔はもっといろいろ分析してたんだけど、それをまったくやらなくなったんだよなぁ。どっかで何かを分っている感覚はあるのだけど、全くそういうのを言語化しなくなったかわりに、創作の方にそれを持っていっているような気もする。
もうちょっとあてのないことをたくさん書こうと思う。
今日はいつもより遅い起床だけど、一日がすごくゆっくりしている気がする。
これは動力をもらったからだろうな。
書き方じゃなくてたぶん居ずまいを学んでいる気がする。
2023/03/27
あんまり馬鹿なことを言ってはいけないような空気を感じる。他人が僕に対して品を求めているのか、人間に対して品を求めているのか、後者だろうけど、前者と錯覚して被害妄想をすることがある。
ちょっと疲れた。
日記を書いていると体力がすこし戻るというか、溜まってたゴミ箱をやっとすてた、って感じになる。
喫煙所みたいなもん。
煙草休憩について昨日後輩と話したんだけど、そういう問題に関してはわりと「しょうがいないにゃあ」と心の中で済ませているので、麻痺してるというか完全にもやがかかっている、それはヘビースモーカーがたくさんいる喫煙所とおんなじくらいに。
後輩君には、おのおののペースとかやり方とかがあるもんだから、それを貫いてるならいいかな、という適当な返答に加え煙草休憩はマスターベーションだと思えばいいよ。とクッソ失礼な考え方を教えてあげた。
しょうもない発言に笑ってほめてくれる後輩君はほんとうに理解のあるいいやつである。
最近は朝トイレで短歌が思いつくことが多くて本当に困っている。
短歌について考えることもトイレが多い。
短歌とどう向き合っていこっかな~と思って、まぁ、感性の貯金もしくはメモだと思っておくことにした。
短歌一個一個をつなげたり、掘り下げて物語作ったりとか出来そうだし。ないよりかマシ。
自分のアイデアだから使っても罪悪感なし!最高!
喉治ってんのかよくわからなくて草。薬は飲んでるけどずっとおんなじところで修復が止まってるって感じ。
エラーの原因は検索かけてもだいたい見つからないんですよね。
継続には自信があるんですけど、筋トレ関連はあんまり。
腹筋はなんとか続いている、これはTo Doリストのおかげ。
だって筋肉なくても生きていけるし、誰に見せたいわけでもないし。
ワイ骨格ウェーブなんで着痩せしてみられるからって怠けてると太るので、ダイエットするぞ!!
2023/03/26
雨が降っている、結構な勢いだ。窓越しにごうごうと音が聞える。雲は灰色、荒廃した空。
喉が直ったような気がしたのだけど、そうでもない様子。静かにしよう。
定期的な掃除のおかげで箪笥の上に何かものを放るときに埃が舞うのが気にならなくなった。あと空気がきれいになった気がする。
アコギの弦が届いた。2,000円くらいのいいやつ。エリクサーのエクストラライト。値段だけ見ると高いのだけど、この弦はとてもコスパがいい。もちが良いのだ。弦はだいたい一ヶ月くらいで交換するのだけど、この弦は二ヶ月半くらいはもつ。ギターの弦の平均的な価格は1,000円くらい、となるとこのエリクサーの方が結果的に安い。人によってはエリクサーを半年くらいつけっぱなしにしている人もいる。ちょっと錆びてきた弦の音も僕は好きなので僕もたまに変えないでいることがある。
言語化が上手いって褒められた。
予測変換と変換候補であれば前者がうまく後者が僕には少い
今日の口癖は女の子とデートして~
2023/03/25
パジャマのスウェットの首元によだれが垂れまくっていたのか静かにしているとよだれのにおいがする。
今日はアコギをたくさん弾いた、本はあまり呼んでいない。200字作文参加してみたけど、どうなんだろう?誰かから感想とか評価がほしい。
書き始めると思いの外筆が進んだので文字数制限が苦しかった。かといってあの先を書く気力ももうすでにないのだけど。
やらなきゃいけないことを投げ出したい。だってめんどくさいんだもん。
To Doリストに掃除を定期的に通知させることで清潔な部屋が保たれているけどくしゃみが頻発するので、ほこりが原因じゃないみたい。
寒さを感じると必ずくしゃみが出るみたいで、調べてみたら寒暖差アレルギーらしい。
なんかどんどん無駄に繊細になってきていないか?
低気圧頭痛の存在を知ってから、自分がそれな気がして低気圧のたびに頭痛がするのだけど知らなかった頃はあんまり気にしてなかった。病は気から?
あ~めんどくさ~い。とりあえず腹筋しよう。腹筋ローラーちょっと欲しいんだけど、効くの?
ギター弾きてえ
2023/03/24
空前のジムノペディブームが来ているので今日は何かをするとき必ず聴いている。アコギで弾けないかと考えている。この曲は呼吸とか頭の回転とかを自然と元に戻してくれるような気がする。今日は歌が作りたくて、いろいろ降ってくるメロディを口ずさんだり、言葉を浮かばせてみたりしたけれど、それらは整列せず宇宙を漂っているだけだった。アコギを触りながら素敵なイントロやフレーズを考えるのは楽しいのだけど、それらがすべて穏やかすぎて、自分の復讐心をここに込めるのはなんだか、心苦しい。音楽を慈しむ心と相反していて、穏やかな心の萌すのと同時に荒んだ感情が暴風を起こしているような。
どちらを、どちらも、自分を自分たらしめる心であるけれど、これらが混じり合うことは常にない。だからいつも誰かに優しい眼差しを向けながら、冷酷な感情や静かな諦めを抱いている。思ってないでしょ、とときどき誰かに言われるのだけど、それはきっとこの感情ともうひとつの感情が相殺しあっているからだと思っている。
君と出会えて嬉しい、けれど、僕たちはいずれ離れるだろうし、疎遠になるかもしれない、そういう可能性が常に潜んでいる。僕たちは愚かでときに自分の都合に合せて他人を解釈しようとすることもあるし、支配しようとすることもある。君がどれだけ僕が見えているのか、君の都合でどのように僕が映っているのかわからないけれど、少なくとも僕が見えている部分は上澄みの綺麗なところだけで、これから、君を嫌いになる可能性だって大いにあるわけで……。なんてことを人との関わりの上で思ったりする。他愛も無い会話の中のささいな理不尽が蓄積されて嫌になったり、勝手に期待して落胆したり、自覚のない下心で人を傷つける。信頼という言葉を怠慢のために利用して欲を貪るだろう、愛されることが当然のような顔をしている君を僕はゆるせるのだろうか。嫉妬や劣等感を抱いて苦しむのではないか。当然のように君を愛する資格がそもそも僕にあるのか。僕と関わっていったいなんの得があるのか、もしかして騙されているのではないか、下らない警戒をして、無闇に疑って、騙して、また自分の罪悪に呑まれるだけなのに、やめられない。
きっと世界への復讐ではなく威嚇なのだ。怯えているのだ、僕は。世界との正しい距離感を、居心地のいい距離感を僕はずっとわからずにいる。だからずっと足元が浮いているような感覚がずっとあるのだ。幽霊みたいに。
歪んだレンズが生む屈折は影を伸ばしている。
僕の創作はきっと祈りじゃなくて償いかもしれない。自分に欠けているものを創作で埋めようとしているのかもしれない。
書くの疲れました!
2023/03/23
朝、昼、夕の服薬を守っているだけでほんの少し真人間に近づいた気がする今日。最近抜いていた昼ご飯もちゃんと食べるようになり、ダイエットも兼ね夕飯は少し食事量を抑えている。三十一日分の薬が僕の生活をどんどん正しいものへと導いてくれている。そのまま三十二日目からもどうか健康な生活とダイエットを継続していておくれ。
薬を飲み始めて約一週間、医者からは黙っていれば一カ月くらいで治ると言われた喉の調子が大分良くなってきている気がして、試しにいろいろ歌ってしまった。これを繰り返して僕は完治する前に毎回喉を壊すのである。
しかしながら、しっかりと回復しているみたいで、以前より声のガラガラは減ったし、高音での掠れや、音の出だしのラグもなくなってきた。確実に快方へと向かっているので、ここから調子に乗って歌ったりせず、安静にすることをここに誓う。
もう歌わない。とりあえず一週間、また今週と同じように黙っていよう。
今回は着実に服薬しているため治り方がはっきりしている。なぜならTo Doリストくんに朝、昼、夕通知してもらっているからである。
以前からこなしていた日課に加えて、服薬や掃除、筋トレなどを追加したのだけど、これは結構いい。
普段の日課はこなせば、ミッションクリアした気持ちになれるのでいいし、忘れがちなことや、悩んで結局やらないものなどが通知されると、やっておくか~という気分になる
今朝、新たに掃除をTo Doリストに入れたのだけど、これを入れとくと前日に明日掃除しよっかな~みたいないい加減な思いつきをしなくてすむ。
最近は喉のことも考えて定期的にやらねばという意識は強まっていたのだけど、やろうかなぁ、やらなきゃなぁ、と頭の中で漂わせているとだんだん鬱陶しくなったり、どうでもよくなってくる、もしくは、どうでもいいの理由付けをし始めるので、であれば自分との約束にしておいた方がいい。
今までスケジュールとかも記録しないで全部記憶していたのだけど、もしかしたらそれが原因でいろいろ厭になっていたのかもしれないな、と思った。
明日の予定をTo Doリストに書き起こしておくと、余計なことを考えなくてすむのと同じように、もしかしたら、先の予定とかも全部カレンダーに記録して通知してもらえばいいのでは?と思った。
決まった予定は書いて忘れて、近づいてきたら通知してもらうをやれば、あぁ、そういえば明日はこれかぁ!みたいになって余計なことを考える時間が減りそうな気がする。
スケジュール帳とかってもしかしてそういうことのためにあったの?
好きなnoteを書いている人がもしかしたら同じ市内にいる可能性があって、マジでどうにかして出会えないだろうかと思っている。すれちがうだけでもいい。
会って、どんな歩き方をするのか、歩いているときに何を見るのか、どんな立ち姿、服の色あいとか、立ち止まり方とか、喋り方とか、そういうのを見たい。どんな生き方をしているのか触れてみたい。
魅力的な詩や文章を書いている人には一度会ってみたい。直接言葉を交わしてその人が差す光の角度を知りたい。
ああいうものを書けるようになりたいという気持もあるけれど、それを僕の完成とするのは違う。
タイトルを付けない方が日記っぽくて可愛い気がしてきたので、最近はちいさいタイトルをつけないことにしている。
あとタイトルを考えたり、置いたりすると書きづらい。もっと自由に書き始めて、勝手に進んで、勝手に逸れて、勝手に終わりたい。他愛のない話をしたり、感情の切れ端がここに残っている方が最近の僕にとって有益である。以前の日記をちらっと見て、あれ、タイトルつけないの?と僕が僕に問いかけてくるので、ここにタイトルをつけないのもいいじゃない?と言っておく。
2023/03/22
旧友から花見をしないかと誘いのlineがきて、迷ったけれど、一応行く前提で話を進めている。当時の僕と現在の僕はかなり人間性というか向き合い方が変わっているはずなので、昔の自分をみている人と会うのはだいたい怖い。
僕は人間関係や環境の変化で振る舞いが変わるので、彼らと会う前に昔のバージョンを再インストールをしなければならない気がする。不便だなぁ。
現在のバージョンに至るまでの不具合や修正点のレポートをまとめるのも面倒なので、失望してもらった方が楽なのだけど、
勝手に何か期待されていたりしても嫌だし、いろいろ考えてしまって勝手にモヤモヤしてしまう自分にも嫌気がさす。
人と会うよりも一人で喫茶店に行ったり本読んだりする方が自分にとって得なんだよなぁと思ってしまっている自分がいて、そういうときに損得勘定をしている自分も意地汚い気がして気持ち悪い。
現実の人と会うのには本当に精神力がいる。もうすでに胃が痛くなってきた。
お酒とかあんまり飲みたくないなぁ。
すごくどうでもいいことに集中力を消費しすぎて、エネルギーが不足しかかっている。今日はきっと快眠だろう。
人間に対してフラットに接したらめちゃくちゃ不愛想なので、自分的にはかなり愛想をふりまいているつもりだ。
だから人間と会うのが面倒くさい。昔仲の良い友達で、いつも財布を持たず、持っていても空っぽで、おごってくれたら行く。というやつがいて、僕はそいつが好きだった。見た目は悪くなく、適度にクズで、ヒモになる才能を持っているようなやつだった。彼は恥ずかし気もなく、おごって、というし、めんどくさいことは、すべてめんどくさいと一蹴することができる。当時まじめなイエスマンだった僕からしたら、なんて素直でどうしようもないやつなんだろうと憧れと呆れを抱いていた。長いものにはまかれるやつでもあり、適当にスルーしたり、面倒ごとだけを上手に避けることができるやつで、要領もいい。
性格は社交的でさっぱりしていて彼のおごっては、まったく嫌味がなかった。
次人格アップデートが来るなら僕もそんなどうしようもないやつになりたいと思っている。
気まぐれでまたダイエットをやりはじめて昨日は腹筋をしたのだけど筋肉痛がキツい。
腹筋の筋肉痛はなぜか胃痛も引き起こすので困る。この胃痛を言い訳に僕は毎回腹筋をやめている。唯一続かない習慣な気がする。だって筋トレしても誰にみせるわけでもないし、生活に必要な筋力はあるものね。
ただ太らないでくれればいいのよ、マジで。
この頃おすすめに岡田斗司夫が出てきて、暇つぶしにちょくちょくみているのだけど、モーニングページというのを紹介されて、それを最近やっている。毎朝手書きで自分の思考を書き起こすのだけど、なにも思いつかなかったら、何も思いつかないをずっと書き続けてもいいみたいな、ライティングマラソンの手書き版ってコト…?なんですけど。これの大事なポイントはまず排水であるということ、最初に結論を書かない、みたいな感じのこと、誰にも見られないものであること、だった気がするのだけど、手書きノートなんてロック掛かってねえんだから、死んだら誰かに見られちゃうじゃん、と思った。
なんかそういうケース買った方がいいかなぁ…。
見られることを前提にしてしまうと、格好つけてしまって、それっぽい結論ばかりを並べて、そこに至るまでの思考のぐちゃぐちゃした部分がなくなるからあんまりよくない的なことを斗司夫が言ってたので、なるほどーという感じなのだけれど、でも手書きは絶対死んだら誰かに見られるじゃん。絶対鍵を掛けて厳重に保管したとしても、うちの親族は意地でもこじ開けそうな気がする。ワイで家系を途絶えさせて、最後まで生き残るしかねえなぁホンマに。全ページ書き終えたら燃やすのも手段としてあるけど、いつでも読み返せるようにしたいしなぁ。
あ、個人プロジェクトに模写すればええやん。天さーい(凡人)。
2023/03/21
カカオが香るミルクチョコレートを二袋買った。ぴったり600円だったので、今後は二袋で買おうかな。お釣りが綺麗に返ってくると気持ちがいい。
帰り途のスーパーで背脂にんにくも買った。これはラーメンにいれたら絶対美味しいだろう。楽しみすぎる。
一昨日の喫茶店にとんかつを食べに来た。
ここらへんで有名なとんかつ屋が少し歩いたところにあるので、セブンの隣に地方のコンビニがあるみたいな緊張感。
正直ちょっとあのとんかつ屋を前にしてとんかつを出すのは度胸ありすぎでは?と思っていたけど、食べてみたらかなり旨かった。
分厚い肉と薄めの衣、サクッとした食感から
弾力はあるけど柔らかい身。何もかけずに食べてみたけどすでに旨かった。
あっちのとんかつ屋に引けを取らない実力で、こんなに噛み易い豚肉は久しぶりだった。
価格的にも実力的にも、定食としての総合力もあちらに優っていた。
あまりに旨かったのでごはんをおかわりした。
2023/03/20
サビが降りてきたので、とりあえずコード決めて一通り作った。今日はかわいらしい曲を作りたかったので、ちょっとふわふわした感じでかつ、不安げに。韻というか気持ちの良いリズムになるように言葉をあてはめたのでくせになる感じで、歌詞もシンプルにした。ひと昔前のボカロっぽい気がする。
サビができると結構あっという間に他も出来上がったので30分くらいでワンコーラスできあがった。
最近ChatGPTでコード進行つきの歌詞を書かせてメロディだけつける練習をしていたからかメロディが思いつくのが早かったし、GPTの歌詞があまりにありきたりなので添削したりしていたので、それも良い効果をもたらしたような気がする。
もっとこうしてほしいんだよなぁ、みたいな垢ぬけない部分を絶妙にGPTは出してくるのでそこが自分にとってよかったのかも。
自分にとって何が好きかよりも何が嫌いかを刺激される方がやりやすいので、今後もGPTに協力してもらおうと思う。これはとてもはかどる気がするぞ。
おにまい見たいんだけどいろいろやってたら忘れてるんだよなあ。
おにまいだけは絶対にながら見しない
2023/03/19
目覚めは春らしい朝で空の青が優しく沁みる。新品みたいな空気で満たされて、それが自分だけに届いた春みたいで、そういう短歌を詠みたくなった。今日はいつもより風通しよく短歌が生まれた気がする。これが果たして世間にとってよいものかどうかはわからないけれど、暗号は暗号のままでいいだろう。世界の秘密は多い方がいい。
朝食は目玉焼きとベーコンにした。ベーコンは少し長めに焼いて片方をパリパリにした。ごはんをたくさん食べて、デザートにヨーグルトも食べた。すごく健康的な朝食を摂取して、なんだか自分がまっとうに生きている気がした。
今日は外出をしたい気もするけれど、家でゆっくりしたい。こんな日はきっと何をしても幸福を感じられるような気がする。
今日は雲見びよりだ。
ラーメンに背脂を入れたらだいたい旨くなるという仮説が生まれた。
散歩をしている。先日購入したアウターがあまりにも気に入りすぎて出不精の僕でも外に出たくなってしまう。髪も切ったのですっきりしている。うなじが風でわかる。
気になっていた近所の喫茶店に来た。
背の低い小鳥みたいな目をしたかわいらしいおばあちゃんが出てきて案内してくれた。
思ったよりがっつりした食事メニューを出していたので、今度お昼を食べに行こうと思った。もうちょっと軽食があればそれを頼んだのだけど。
せっかくなので飲んだことのないオレンジフロートを頼んでみることにした。
おばあちゃんはちょっとアイスクリームたくさん盛っちゃったと言って、おちゃめに笑っていた。
僕は初めてだったからこれが多いのかわからなくて、え、と返すと、もう一度多く盛っちゃったと言ってくれた。
オレンジフロートを見て、ふふふ、と二人で笑った。
ささっているスプーンとストローのスプーンの方をとってアイスクリームを食べようと思ったらオレンジソーダが溢れそうになって、アイスクリームもちょっと落ちそうだったから、先にストローでちょっとだけ飲んだ。
久しぶりの炭酸は爽やかで甘い。
アイスクリームはバニラで少しだけシャーベット状。しゃくしゃくとした食感。降り積もった雪ではしゃぐみたいに楽しい。舌触りはなめらかでバニラの香りが鼻を抜ける。炭酸のオレンジはしゅわしゅわとゆったりとした甘さを流していく。バニラと少し混ざり合うと炭酸の刺激がまろやかになって魔法みたいな味がした。アイスが溶けてオレンジと混ざって白くなっていたので、それを啜るととても甘くて懐かしい味がした。なんの味かはわからないけど絶対誰もが知ってるような甘い味だった。テーブルの上には観葉植物があって、今この葉っぱを食べたらとっても苦いだろうな、と思った。
2023/03/18
僕は継続という名の復讐をしている。短歌を詠み始めてかれこれ半年くらい経つがいまだに継続している。こないだ破ったけれど、とりあえず定形で300首は作る。
正直こんなことしたって意味はないことはわかりきっているのだけど、何かを継続をすることに意味があると思っているから多分創作をしようとしている。
創作は結局継続だと思う。理想を追い続けている。完成は全部道の途中。僕はずっと寄り道をしている。
その旅に少しでも思い出やたくさんの発見を見い出せるように。
きっと意味のあるものだったと思いたいのだ。無駄なことを僕は嫌う。上辺の言葉のやりとり、怒りに身を任せること、何もしない理由を並べ続けること、それらを僕は結局やってしまう。
言い訳のように意味を持たせようともがく。ずっと無駄なことばかりしている。吝嗇である。
300の定形なんてきっと意味はないだろう。僕は頭が悪いので、それを意味のないものとしてなんの成長もせず、思考も挟まず努力をするフリをしていくだろう。僕がその意味を全部なかったことにする。それができる。
それをやる虞れのある人間である。時間を棒に振ることに関して躊躇がないところがある。
だから抗ってみる。意味のないことだとしても、とにかくやってみる、どうせやらない理由ばかりを探しているだけだったから。
たった一個やる理由をみつけるための100首を、たった一個で広がった100首と、広がった世界で僕だけが見たい世界の100首を残しましょう。そういう感じでいいんじゃないか。
気に入らない短歌をここに晒す恥があってよかったように思う、晒す場所があってよかったと思う。
もう少しで300首が終わる。
そしたらまた100首詠んで、また100首詠もう。
馬鹿みたいに素振りする。
今日は久しぶりに寒い一日だった。もうすぐお別れだから冬が遊びに来てくれたんじゃないか、雨の中にほんのすこし雪が混じって寂しく落ちていった。本当にあれが雪だったのかわからないくらい雨と同じ重さで。
自分にとって誰かを愛するのは常に実験であるような気がする。仮説を立てて実験をして結果を得る。なにごとにおいてもきっとそうなのだろうけど、直感的に人を愛することはとても難しく感じる。特に異性との関わりにおいて、性欲とどう向き合っていくかというのは自分にとって永遠の課題である。
継続せずに後悔してきたものが思えばたくさんあるような。どうしてやめたんだろうか。やっぱり無駄だったから?つまらなかったから?苦しくなったから?
最近えんぴつを使って手書きで日記を書いているのだけど、芯が丸くなって字もそうなってくると内容までもふわふわしてくるような気がして。ドレスコードって大事なのかなと思ったりする。
丸くなった芯が気になって削ると急に表情が変わるからそれはそれで、削った痕跡がわかるからなんだか恥ずかしいような気もする。まだ自覚はないけれどこれを繰り返すことでえんぴつがいずれは短くなっていくのだろうな。彼が命を削って、このノートに字が、生きた証が残って、このノートもまた書く場所がどんどん少なくなって寿命を迎えて、消しゴムだって僕が字を間違えればすり減っていく。彼らの頑張りと同じくらい僕は自分の心を削り出すことが出来ているのだろうか。ほんのすこし不安になるし、いずれは彼らが居なくなることを考えて少しでも長くあってほしいというわがままと、彼らを全力で使い切るべきだという誠意があって、少し複雑な気持だ。字を間違うとえんぴつが生きた証を消しゴムの命でかきけさなければいけない。それがなんだかとても悲しくて、だからあんまり間違いたくない。それに間違うのは集中が途切れていたり、考えが分散しているとき、そんな中途半端な状態で書くのも考えてみれば申し訳ない。彼らの命を少しでも無駄にしないために僕はもっとちゃんと字を書きたいし、自分の中のこたえをちゃんと導き出せるようになりたい。手書きをしていてよかったことはこれに気づけたことかもしれない。
2023/03/17
散髪
稽古が一段落したのでようやっと髪を切ることができた。いつもの美容室。「なんか疲れてる?」と訊かれたので、「やっと髪切りにこれて安心しました」と言葉がこぼれた。
いつもどおり僕は近況を語りながら、おじさんはたまに笑いを挟んでくれるのでとても話しやすい。
いつもと同じ注文の仕方で、調子で僕の話しもおじさんのハサミも進んでいく。微かになっているBGMが間を埋めてくれる。
今日は少し愚痴が多かったように思う。おじさんも「それは難しい悩みだね」と返すことが多かった。
「僕が考えすぎているっていうのもあるんですけどね」というとおじさんは笑った。こういうところで普通に笑ってくれるところが気楽でいい。否定はしないけれど、うまくスルーしてくれてる感じがして助かる。
いろいろ聞いてもらって、でも最後には「楽しいんでしょ?」と言われたので、「そうですね」と迷わずこたえた。
「じゃあ、頑張ってね」と「お世話様です」と言って店を出た。
カラオケ
散髪後、久しぶりにカラオケに行くことにした。平日の昼間は人が少いだろうと高をくくっていたのだけどそれなりに部屋はうまっていた。ドリンクバーでコップ水を入れると、コップが汚れているのか、水の出るところが汚いのかわからないが、注がれた水の上の方が白濁していて、少し不安だったが、めんどうなので普通に飲んだ。およそ三年ぶりなので何をどうすればいいかも忘れかけていて、とりあえず曲を入力して送信するまではなんとかできたけれど、その後もぎこちなく操作をしていた。先月のコロナに罹った後遺症か、その前後の喉の使い方が悪く慢性的に疲労やダメージが溜まっているからか、思うようにピッチのコントロールができず、声を張ることも難しかった。決められたテンポとメロディに合わせて歌うことは前までなんら難しいことがなかったのに、今となっては声色を変える余裕もない。歌えば歌うほど喉の不調というか不具合が明るみになってきて、落ち込んでいく気がしたので一時間ほどでやめた。採点も入れてみたりしたけれど、なんだか自分の思っている点数より高かったり、低かったりするので、気持ち悪くて不快だった。左右の部屋から流行の歌が流れ始めて、流行から取り残されてる自分の肩身が狭くなっていく気がして厭な気持がした。他人の歌が聞こえているということは自分の音も聞こえているはずで、壁越しに他人の気配を感じるのもあまり心地のよいものでなかった。お互いに耳ざわりのよくない歌を間接的に聴かせ合っているというのは気まずいし、カラオケの伴奏はやっぱりうるさい、カラオケが年々苦手になっている。
図書館
あまりに喉の状態がよくないことを自覚し、カラオケを出たのが十三時。それから耳鼻咽喉科に行くことに決めたのだけど、午後は十四時からとなっていたので、それまで時間を潰そうと近くにある市の図書館に寄ってみた。白色灯はなんだか濁っていて、壁も床も灰色すべてがくすんでいる、視聴覚室みたいな感じで居るだけで眠気を誘う空間だった。入り口から奥まで一通り見渡して奥の方で軽くマスクを外して息を吸うと古い本たちの匂いがして落ちつく。窓際にはたくさんソファが置いてあって、老人たちが新聞や難しそうな本を読み耽っている。本棚のジャンルを見ながら前を通り過ぎてもまったく微動だにせず、活字と日ざしを吸収して根を張っているみたいだった。僕ははじめに小説の本棚から江國香織と小川洋子を探して、意外にもすぐに見つかり、自分の読んでいる本がいくつか置かれていて嬉しかった。本の話など人とすることが基本無いので「あー」の本棚に「江國香織」とラミネート加工された紙で区切られていたり、「小川洋子」と同じ紙で区切られ、『博士の愛した数式』が、『猫を抱いて象と泳ぐ』『最果てアーケード』などに挟まれているのを見て、本当に世の中にあるんだ、と思って、これらを読んだ人たちがここにもしかしたらいるのかもな、とか、みんな知っているからこうして区切られているのだろうなと思って、少し誇らしい気持ちになった。他にも「池井戸潤」や「恩田陸」、「村上春樹」など僕でも知っている作家の本がいくつも並んでいて、宝の山みたいだった。気になっていた本の冒頭を流し読みしつつ、詩と短歌の本棚が近くにあったのでそちらにいった。
どれも古くさい感じの本で好んで選ぶのが難しかったので適当に手にとり、開き、流す。どれも面白そうに感じたけれど、本の冒頭はだいたい決まってわくわくするものだ。いろいろと中途半端に読んでうろうろしていたら時間はもう十四時近くになっていた。一度館内から出て病院に予約の電話を入れ、「受診番号は二十番で診察できるのは十四時半ごろになると思います、十四時から午後の診療開始しているので早めに来ていただけると助かります」と言われたのですぐに向かった。
耳鼻咽喉科
図書館から五分程の距離に耳鼻咽喉科はあって、先程のカラオケはその向いにある。耳鼻咽喉科が近くにあるカラオケなんて喉壊し放題じゃないか。
十四時ぴったりに到着すると診察券と保険証を渡し、問診票を書く。熱は35.2だった。
症状は喉のかすれと不調に丸をつけ提出した。
ここの耳鼻咽喉科はけっこう繁盛している、というと不謹慎だが、いつでもたくさん人がいる。
住宅街の中にあるので子連れや老人がたくさん来るのだ。
受付の方に「三十分程お待ちください」と言われ、椅子に座って田山花袋の蒲団を読んでいた。青空文庫はいつでもどこでも読めるから助かる。隣りに座っている五十代ぐらいの女性も文庫本を読んでいたのだけど、院内が少しあたたかいのと、適度な環境音と、込み合っているために酸素が薄かったからか、うとうととして途中で本を床に落とした。
蒲団を読みながら画面上に表示されている時間を見る。|14:30|
そろそろ呼ばれるだろうか、とあたりを見回したけれど、僕より先に来た人たちがまだぜんぜん呼ばれていなかったので、大分先になるだろうな、と思った。
隣りの女性が呼ばれ、そろそろだろうかと眠気とたたかいながら、まったく内容の入ってこないまま活字を追っていた。
少しして受診番号十九番の人が受付に来て、「あと十分程です」と言われていた。
じゃあ僕ももう少しだなと思いながら、少し目が覚めて、もう一度同じところを読み返しながら呼ばれるのを待った。
それから五分程で呼ばれて、「喉はどんな感じですか?」と訊かれたので、先月コロナに罹って喉が腫れたことや、稽古で声を使ったことを話した。
「じゃあちょっと鼻消毒しますね」と言われ、「声帯見てみましょう」と細い線に先にカメラとライトがついたものが用意され、モニターにそのカメラが向いている景色が映っていた。
カメラがゆっくり鼻へ入り声帯が見える所でとまった。僕もモニターを見たけれど腫れなどはまったくない感じだった。
「軽くえーと発声してください」と言われ、声を出すと先生が「ちょっと力入ってるなぁ」とボソッと言った。
「もう一度優しく発声してください」と言われ優しく発声した。
普通の状態と、発声した状態の写真を撮って、すぐさまカメラは引き抜かれた。二回目だからというのもあるけど今回もまったく痛くなかった。
写真が映し出されて、「特に異常はないですけど、声帯が赤黒くなっていて、通常白く張りのある感じだけど、プルプルになってる感じなので、前回と同様の炎症を抑える薬と痰の薬処方しますね」とのこと。
「それってどれくらいで治りますか?」と訊くと「通常の人は一カ月くらいだけど、あなたの場合は声を頻繁に出すだろうから、少し延びるかもしれない、できるだけセーブできるなら、そうしてあんまり使わないようにしてくださいね」と言われた。
「一応、強めの薬も出しておきますか?」と訊かれ、よくわからなかったので反応に困っていると、「よっぽど声がでないとか、ひどい時のための薬なんで、一応副作用ありますけど、今日は結構喉の調子はどうですか?」、あまりよくない、とこたえると、「であればそういった日に飲んでもらって、うまい具合に状態みて自分で調節してください」と言われた。
診察室のカーテンを看護師が開き、「じゃあ診察は以上ですお大事に」とすみやかに誘導される。
「お世話様でした」と言って僕はそそくさと待合室へ戻った。
そのあとすぐに支払いで呼ばれ、薬を受け取りに行き、「前回から二年経ってましたけど、その後の経過は大丈夫でしたか?」と訊かれ、そんなに経っていたのかとびっくりした。
「良くなりました」とこたえて、二年前に聞いた覚えのある薬の説明と、新たに追加された強めの薬の説明を受けた。
どうやら副作用で眠くなるらしいので、眠るのが下手くそな僕にはちょうどいいかもしれない。
もろもろを済ませて時間を確認したら|14:57|
図書館にもう一度寄って本を読もうか考えたけれど、眠ってしまいそうだったので帰ることにした。
2023/03/16
何も書くことがねええええええええええええええええええ、と思いながら『E』を打ち込みまくってウォーミングアップするのもまた書いていくための方法かなと思ってます。創作意欲がまぁまぁ湧いてきて、いま何か奥底で静かに答えが澄んでいく感覚があるような気がすると同時にいろいろなアイデアが波紋みたいな浮んできたり、頭の中の色がひたすらに回転しているような気がする。本当にそろそろ何かを創らないとヤバいぞ。いかにしてスイッチを入れるかというのが現状の課題のような気がする。
昨日は戒めとして自分に対して、ひたすら攻撃する日記を書いたけれど正直まあ普段自分に対して思っている感情をただ書き起こしたまでなので、まあそんなことはわかっているんですけど、と呆然としたまま殴られるサンドバッグと化すだけで、これといって燃え上がることはなかった。やはり人に殴られたり、突きつけられる方が自分にとってはいいのだろうけれど、そこを他人に依存してしまうのはいかがなものか。
自分の中の膨大なエネルギーを制御するための機構が大分以前より整っているものの、創作に対して向うための機構がまったく整っていない。
創作をするまでの回路というか、導線があまり自分にはないような気がする。絶対に一度手をつけたら、進んでいけると思うのだけど。
創作をする状態、したい状態を捨てることで、現実でどうにか生きているのだとしたら、もう少し極端になってしまった方がいっそいいような気もする。
僕は自分が創作をするためのスイッチをいま工作しなければならない。
タイピングをしはじめれば実際は勝手に文字をうちこむことはできる。自分は頭の回転が速すぎるのか無なのかどちらかなのだと思いたいのだけれど、回転の速いところに手を突っ込むのが恐いのだと思う。それと自分のペースというものを見失っている。自分が対応できない速度で物事を読み込もうとしたり、伝えようとしているから、行き過ぎたり、空振ったり、スッポ抜けたりするのだ。それに回転が速くなっていくにつれて熱がたまってくるのか感情の暴走していることももちろんあるけれど、理性も暴走しているような気がする。これがやっかいすぎる。エネルギーのパワーが大きくなればなるほど防衛機制も強く動き始めるから本当に邪魔なんだよな。
昼寝をしようかと思うほど今日は眠かったのだけれど、結局昼寝はしなかった。未だに頭はすこし鈍いしあくびも連発している。最近は寝起きに鼻詰まりとくしゃみが何度も起きるのだけど、それも今日は一日中発動している気がする。いったいなんなんだ。自分が花粉症だとはあまり信じたくない。
自分がラブソングに涙する人間に対する嫌な感情について話していたのだけど、まああまり気持ちのいい話ではないわなという反応を持たれたように思う。とくにYoutubeでのコメント欄で自分語りをしている人間は気持ち悪い。正直これはラブソングに限らず、特定のアーティストなどでも似たような気持ち悪さが湧く。amazarashiや最近知ったMOROHAもその系統にある気がしていて、自分は彼らの音楽は好きなのだけれど、彼らを好んで聞いている?一部の人間は信仰だな、と思う。音楽は宗教だなとは思うときもあるけれど、救いにはならない気がする。その音楽が体内に巡りはじめたときに、なんとなく自分の感情がデトックスされていくような感覚があるのであって、別に現実は特に変わることはない。通勤時間に好きな音楽をきいたところで職場に行けば嫌なことは普通にあるし、帰りにまた音楽を聴いていたとしても、ときには思考の邪魔にさえなり得る。僕は音楽を好きだけれど、それを自分の栄養にして生きようとはあまり思わない。自分はあまり音楽を聴かないし、聴くとしても三つの曲を毎日ローテーションするくらいで、ほかの音楽は全く聴かない。スムージーくらいの感覚でいい。
例にあげた二人のアーティストはカロリーが重めな気がするし心を抉ったり突いてくる曲を生む。
amazarashiはもっと底へ踏み込ませてくれるような気がするし、MOROHAはただ刺さればそれだけでいいような気がする。
それらがもちろん助けになるような気もしたのだけれど、現実はもっと自分だけで考えたいことだらけだったから、音楽はただの逃避の場所であり、別に救いではなかった。現実に生きている以上は現実から逃れることは僕には出来ない。
今まで聴いてきた曲たちはいろいろな角度から自分の内側を照らしてくれた瞬間はもちろんあったけれど、だとしても僕は自分をもっと醜いもので、愚直なものだと信じたい。そういう綺麗な明かり映し出されるようなものであっていけない。
死とかやるせなさとか、情けなさとか、うしろめたい気持ちを彼らは多分ちゃんと手を突っ込んで触れてくれるような気がするけれど、なんだかそれで救われる程度の生き物でありたくないなと思った。
MOROHAが刺さらないやつは終わってる。なんて言葉をどこかできいた気がするけど、MOROHAが刺さっちゃったやつはもう、終わったあとなんだ、と主張したい自分がいる。
こんなことを言ったらいろんな人に批判を食らうだろうからこの日記の中にだけとどめておきたいけれど、僕はいつかそれを振りかざしたくなるだろうな。
MOROHAはむき出しの刃物というよりも、素振りした木刀が風に研がれて刃物になったようにみえるときがある。
あの音楽を聴いていままでの自分を内省して涙を流したり、噛み締めたりする暇があったら、創作の壁を殴り続けて血を流す方が僕にとっては数倍意味があるはずだと思う。
このごろは感情なのか理性なのかわからないくらいにいろいろな思考がごちゃごちゃしすぎていて書き起こすのに時間が足りないし、タイピングもこれ以上速くなる気がしない。もっと速くなればいろいろ書き出せるのだろうか、と思ったりするけれど別にそうでもないんだろうな。
防衛機制が複雑になってきているのであって、根本の部分は実はめちゃくちゃ単純なんだよなぁ。
手癖について
創作を億劫がる理由の一つとして、スタートに手癖が入ることがある。でも周りを見渡せば世のアーティストもアマチュアもだいたい手癖で、単に手癖とその方程式のバリエーションの多さの違いでしかないと思ったので、とりあえず手癖をいっぱい使ってそれを伸ばしながら、合うものを見つければよくね?というマインドになっている。
2023/03/15
今月ももう半分が過ぎたけれど、これといった成果物は何も創っていない。あまりに不真面目で臆病すぎる。だいたい創作ができないのはまず最初に屁理屈で次に言い訳で、いろいろな感情をかき分けて最終的にたどり着くのが無だったりする。実は何にもできないんだけど、出来るフリがうまくてなぜか期待されていて、それに応えようと自分の首をしめているだけだったりするので情けない。何かを創れるだろうという期待と、創作に対する理屈がひたすら組みあがっていくだけで、恋愛をしたことないやつが恋愛のアドバイスをしているみたいな感じになってしまうのでどうしようもない。あとはひたすらバレないようにどう繕うか、ある意味で自分の仮面を創ろうとしているので創作なのかもしれない。これだけ上手に偽れるのだから、これだけのファッションセンスがあるのだから、自分にも何か創れるはずだ。と僕は自分を信じるしかない。ちなみにファッションセンスというのは、服装の話ではなく、選ぶ音楽や作品に対して自信を持っているというだけど、しかしそんなもの実は誰だってもっている、と本当はときどき思う。
このごろ本当に書くことがない。日々を記録しているわけでもなく、ここに感情を垂れ流しているのだけど、それようの日記もあるのでこれはいったいなんなんだ。しかしながら場所が変われば話すことも見える景色も考えもかわるのでそういった点で作業場というか、スペースがたくさんあるのはいいことだ。
今日は先日話した稽古の、本番の日で久しぶりに芝居をしたというか、しっかり声を出したなという感じなのだけど、自分より若い人や近い年齢に人たちと比較して圧倒的にポテンシャル高いやろワイ。と思った。これが多少の年齢による差なのか集中力なのか、地力の問題なのかよくわからないけれど、とにかく自分が一番カラフルな芝居になった気がしてよかったんじゃないか、と思っている。
イライラしないの?と友達にあることについて訊かれたのだけど、その質問が自分のイライラを引き起こすことをもうわかっているので軽く受け流した。そんなものよく考えたらだいたいなんにでもいい加減なところはあって矛盾ばかりだし、イライラするのは当たり前である。しかしそれらが人間の営むもので、そういうものであるのだから仕方がない。それについて考えるのは創作のときだけでいい、現実にイライラをぶつけたって、そこにいるしかない自分がどうしようもないんだから。逃げ出す勇気のない自分が悪い。それをこの人たちはイライラという対象を見つけて、そこになすりつけているだけなのだ。根本の原因は僕にあるから、現実をいちいち突きつけられてもという感じ。
2023/03/14
疲れた。眠い。
2023/03/13
これといって書くことがないので、書いている。最近はけっこう空っぽの状態に不安を覚えなくなってきている。とりあえず手を動かせば何かは書けるだろうし、何もしていないよりはマシ。
この頃は短歌が全体的に納得のいくものになっていて愉しい。短歌を考えるのは起き抜けか寝る前と、だいたい決めているのだけど、早朝の短歌たちは大分新鮮なものになってきた気がする。寝る前の短歌は結構頭を使っている気がするので、正直そこまで気に入っていない。頭で考えたり、なにか飾り付けるような感覚で言葉をあてはめたとき一気に短歌の質が落ちる。その質というのが何によって見出されているのかわからない部分はまだまだあるけれど、悪いものは悪い。
朝は特に感覚を澄ましたり、一つのことについて考える時間を作っているので、以前より言葉の結びつきや響きあいが強くなってきたと思う。夜にいい短歌が詠めたと思うときはだいたいちゃんと待てたときだ。最近変化を感じるのはいやらしさに対して自分があまり潔癖にならなくなってきた。
自分のいやな部分をひけらかすというのが全体的にゆるせていて、それが発散につながっていてすっきりしたものになっている。これはもしかしたら、完全にマスターベーションで、はたから見れば稟が落ちたように思うかもしれないが、見栄を張った創作よりかは大分マシな気がする。
朝は探して、夜は待つ、が、最近の短歌との向き合い方だ。
今日は久しぶりに雨の中を歩いた。アスファルトを踏みしめるとぴちゃぴちゃと音をたてて小さいしぶきがはねる。空には雲が低く垂れこめていて、飛んでいた鳥もどこか着地する場所を探しているようだった。
降ってくる雨に重力を押し付けられるような感じで足取りはいつもより重く、首もうなだれてしまう。
誰もがこんな雨の中を踏みしめているのだなと思うと身近な人の苦労や寂しさを思い出して、なんだか申し訳なくなった。
さっき見た暗雲がそのまま自分の中に立ち込めるような気がして、いっそ雨が降ってくれれば全部洗い流せるのに、と都合のよいことを考えるけれど、純粋な感情だけがきっとマンホールへと流れて、汚い感情だけが残るのだろうなと思った。
2023/03/12
小学生の口から出る「うんこ」の純粋さ
ウコンの力を見たキッズたちが「うんこの力じゃん!」と喜んでいて、鉄琴にビー玉を落としたような声で紡がれるたった三文字の旋律が清澄な響きを持ってスーパーに鳴り渡った。「うん」の踏ん張りからの「こ」の勢いのある振りかぶりは、金属バットでホームランを打ったときの永遠を感じる。あんなに潔く放つことができるのは、きっと純粋な魂がそなわっているからなのだろう。
肺は潔癖じゃないんですね
タバコ吸ってる潔癖症のおじさんに今一番言いたいワード
2023/03/11
「Microsoft To Do」くん、優秀なのかいつ同期したのかまったく記憶にないのにしっかりiPhoneにも通知が来るようになっていて、しっかり監視されているみたいで昂奮した。そんなに言ってくるんだったらやってやろうじゃないか。という気持ちで朝からいろいろやって、気づいたらそれなりにいい時間になっていた。
今日はお昼にずっと気になっていたカップヌードルの味噌を初めて食べたのだけどなかなか美味しかった、味噌味のカップ麺のなかでは今までで一番美味しいかもしれない。カップヌードルシリーズでは珍しく白米に合う味のパンチがあった。カップヌードルシリーズのカレー以外でこんなに白米がしっくり来たのははじめてだ。
十四時四十六分に黙祷をした、久しぶりに空気に耳を澄ました気がする。鳥の鳴き声が聞こえて、青空を旋回する鳥が見えた気がして、とても平和な瞬間だった。きっとたくさんの人がこの瞬間に目を閉じ青空に耳を澄ましただろう静寂がほんの数分だけ漂っていた気がする。テレビやインターネットで流れる震災のニュースなどよりもこの一瞬の方がなにより大事だと思えるようになったのはあの頃より少し死に近づいているからなのだと思う。
今日はお昼ごろからずっと震災について思い巡らしていたような気がする。特別悲しいこともなかったし、失うものもなく、後悔もないのだけど。毎年どう向き合っていくか悩まされる。
周りの人間は忘れないように語り継いでいこう、とか、いい加減メディアもしつこい、とかいろいろ言うし、どちらの気持ちもわからないでもない。それぞれが震災に対しての姿勢を示している中で自分は正直何の関心もない。それを言うのはなんだか冷たい気がして、あまり口にできない。
偶然東日本に地震が起こっただけで、大きな災害がいずれ来ることはわかりきってることで、その対処を怠ってた人間たちが後悔しているのはアホらしく感じてしまうことがある。
それは人が死んだときにだけ急に後悔し始める人間と一緒な気がする。僕はそのときに流れる涙が多分世界で一番嫌いだ。
涙を流すことはきっとゆるされようとする瞬間だと僕は思う。涙を流しているときほど自分が純粋なものと錯覚する瞬間はない。誰かが死ぬこともきっといずれ来る、一秒後自分が生きている保証だってない。なのになんとなく生きるのだ。
僕たちは偶然生かされているだけなのに。どうしてずっと生きていられると思うのだろう。
都合のいい考えにただ現実を突きつけられただけのような気がして、それは自分が悪いだけで、その重さに耐えられないから泣いているだけのような気がして、なんなんだろうと思う。
どんなことがあろうと、次どのようにすればいいかを考えるしかない。
何があったかよりも同じように傷つく人間を少しでも減らせるようにするしかない。
対処とか対策を練っていくしかないだろう。それをあとまわしにしたいなら同じように後悔すればいいじゃないか。
僕はバカだから失敗しないと学ばない、もし人間がみんなバカならみんなが同じように失敗すればいいなと思ってしまう。
毎年毎年こういう胸糞悪いことしか考えられないからいい加減震災の話しを引きずり出すのはやめてほしいと思う。
2023/03/10
「Microsoft To Do」をPCにインストールした。このごろ日課とやることがいろいろごちゃごちゃしすぎていて、頭の中でスケージュールがごちゃごちゃになっているのが不快なので、ある程度期限が決まっているものたちは全部To doにリストアップして、毎朝通知してもらうことにした。
今日の分のタスクはほとんど完了したのでチェックを押すと、気持ちのいいベルの音とともに完了済みという項目にタスクが移っていくので多少の達成感がある。いろいろ日課を続けるために自分にあったやり方を模索してきたけど、そもそも習慣づけること自体がもう習慣づいてきているようなものなので、あとは着実に続けていけるようにPCにサポートしてもらうことにした。
To Doリストは過去の自分が未来の自分を監視している感じがして面白い気がする。所詮自分だったとしても約束を破るのは罪悪感があるのでより続けやすくなりそうだ。
僕は習慣づけたいとき、まず目的とメリットを挙げて、自分がやる意味を必ず明確にしてからやる。基本的に意味が無いと思っていることに対してやる気がない人間なので、思い込ませるところから始める。
大抵のことは意味が無いと割り切ることが出来るし、大抵のことは思い込みで意味があると信じる理由を羅列することもできる。なんだかんだたまにこんなことやっても意味無いだろ、と思いながらやっている自分も居るけれど、やらないよりマシなのはわかりきってるのでやっている。
僕の根本は熱血努力バカだということを忘れないためにも日課は栄養としても必要だ。
ある程度必要性の思い込みが仕上がってきたら、継続してより意味を見つけながらその必要性を強固にして逃れづらくする。
だんだん安定してくるとやれなかった日やサボった日が多少申し訳なくなり、僕は臆病者なのでどうせ明日か明後日にはやる。
これらをひたすら繰り返す。最初の一、二週間の二、三回はサボってもいいけど連日にならない方がいい。連日になると一気にやる気が失せてどうでもよくなるので、サボった翌日は必ずやることにする。翌日もサボってしまった場合は、基本的にはもう続けない。思い込みが確信に変わる気配がないのでやめる。
日課は簡単な思い込みから始める。結構セルフプロデュースとか躾みたいな感覚でやっている。
これやったら最強になるんじゃね?みたいな軽い提案をどんどん自分にしてとりあえずやるを繰り返す。
どうせ何もしないのだから、何か適当にやっとく。
個人的に日課はながらでできるものを最初にやるのがいい気がする。筋トレとか発声練習とかyoutube観ながらできるやつ。
2023/03/09
今日は新しく買った服を着て街を歩いた。ブラウンのシャギーカーディガンと白のノーカラーシャツに黒スキニーと黒のスニーカー、ブラウンのレザーバッグ。色合い的には秋になってしまったのだけど、新しく買ってまだ着用していないものたちばかりだったので新鮮な気持ちで外を歩いた。ゆったりとしたカーディガンは少し萌え袖になっていてギターを弾くには少し邪魔だったけれどふわふわの生地が毛布みたいであったかかった。いつもよりちゃんと考えて服を選んだので、せっかくなのでどこかお店に入ろうと思って久しぶりにロフトにも行ってみた。香水やボディソープなどの匂いがさっそく漂って、オシャレな人たちや派手な髪の人がたくさん歩いていた。普段一人では行かないのだけど楽器屋さんに行きたかったので、ロフトの中にある島村楽器を目指して、エスカレーターへ。僕はいつもエスカレーターで上がるときに壁の鏡を見る。というか鏡があれば必ず見る。
容姿も気になるし、雰囲気的なものが気になる。自分が発しているものとか、鏡で自分を客観して、こういうやつが今世界にいるんだなぁというのを確認している。折り返し上っていくエスカレーターで、一瞬だけその階にある店をちらっと見ると、無印良品やニトリや、zoffなど、僕でも入りやすい店もちゃんとあるので少し安心する。島村楽器は結構上の方にあるのでどの階になんの店があるのかだいたい把握することができた。島村楽器に到着するとさっそくアコギのコーナーへ。
入ってすぐ左のところに、アコギ専門の部屋があって、音をよく吸収しそうなカーペットが敷いてあり、壁にはたくさんのギターが掛かっている。街中の島村楽器だからか、近所の同じ店よりもかなり品揃えはよくて、最近目を着けていたギターもいくつか置いてあった。いろいろ触ってみたいとは思ったのだけど、あまり試奏しすぎると店員から購入を期待されるので、今回は一つだけ触ることにした。ずっと気になっていた『プレイヤーポート』というアコギのボディのサイドに楕円形の穴の開いたギターがいくつか置いてあって、その中で一番安くこぶりなものを試奏させてもらった。街中だけあって忙しいのか、かなり声を掛けづらかったもののなんとかカウンターまで試奏のカードを渡す。その店の中で一番えらい感じの店員さんで、ギターの担当の店員に声をかけて試奏だよと呼んだのだけど、お客さんから預かったギターの調整に夢中になっていてまったく指示が耳にはいっておらず。しょうがないなぁという感じで短く息を吐きながら、「どちらのギターですか?」ともう一度僕をアコギのコーナーへ案内した。僕は店員さんにギターのスペースに入ってすぐ右に置いてあったそのこぶりなギターを指した。店員さんはすぐさま椅子と荷物置きを用意してくれて、「カポやピックなど、こちらを自由に使って下さいね」とセッティングしてくれた。
今まで行った楽器屋で荷物置きなど用意されたことがなかったので、嬉しく驚きながら買ってから始めて持ち出したバッグを置き、椅子に座った。「チューニングは?」と訊かれて、「っと、、半音下げで」と応えるとすぐさまチューニングし始めた。
店員さんは慣れた手つきで無駄なくチューニングしていく。そういえばチューニングについて訊かれたのもここが初めてだった気がする。他の店ではとりあえずレギュラーチューニングにされることが多かったように思う。こういう細かい気遣いはすごくありがたい。20秒程でチューニングが完了して、店員さんは軽く素敵な旋律を弾いて僕にそれを渡した。なんだかそれが魔法みたいで、「ごゆっくりどうぞ」と店員さんが渡したときに、特別なプレゼントをもらった気がした。
通常試奏を希望すると、はじめのうちはしばらく店員が張り付いていろいろ宣伝してきたり、質問してきたりと正直鬱陶しいのだけど、その人は忙しかったのもあると思うけれど、さっとその場を立ち去ってくれて存分に弾き鳴らすことが出来た。
最近練習している曲を軽く弾いて弾き心地を確かめる。弦高は低めに設定してあり、大分弾きやすかったし、小ぶりのためか音も綺麗にまとまっていて行儀の良いギターだなと思った。プレイヤーポートから聞こえるギターの鳴りを確認したけれど、この子自体のパワーがすこし大人しめなので、このサイズ感でこの感じならまぁまぁ、という感じだった。しかし噂で耳にしていた低音弦の鳴りがよく聴こえるなどはそこまででもないという感じだった。どちらかといえば高音弦の抜けが良かったので、おそらくこの子自体がかなり高音の鳴りがよくて、それが聴こえているのだろうから、このプレイヤーポートはギターの個体差で大分変わるのだろう。低音弦がある程度しっかり鳴るギターであれば、プレイヤーポートがあると楽しいだろうな、と思った。
ピックでのストロークや、軽くスラム奏法などもやってみたけれど、どれもそれなりにいい感じだった。一番しっくり来たのはランニングベースの曲が一番よかった。音のまとまりがすごくまろやかな感じだから、フルアコ的な響きを持っていたのだと思う。意外とジャズに合うような気がした。一通り弾けるものを弾いて満足したので、返却しにカウンターにいったら、違う店員で「どうでしたか~?」と訊かれた。今までの試奏経験上、あまり褒めると相手も購入を期待するので、「この穴が気になって試奏したんですけど」と応え、「ああ~どうでした?」と訊かれたので、「思ったより、って感じでしたね~」と微妙な反応を示した。その店員さんも「ああ~ちょっと小ぶりなのであんまりはっきりと変化は出ないかもしれないですね」と言い、「ギブソンのモデルなら結構いい感じですよ」と教えてくれたのだけど、ギブソンはガチの高級品で試奏するのはちょっと恐いので、「ああ~なるほど~」と適当な相づちをうった。「参考にしていただければ幸いです」と言われたので、「はい、参考になりました!!」と元気な返答をして礼を言って店を去った。正直YAMAHAのギターとかもう少し触りたかったのだけど、それはまた今度にしようと思う。そういえば全体的にギターの価格も高騰していたので、始めるなら今のうちに買っといた方がいいし、楽器屋の中古なら調整されているので、中古を買うなら楽器屋さんで安く買うといいですよ。
2023/03/08
皮膚が柔いのと、ギターを触っているので冬場の指は常にといっていいほどひび割れている。ここ最近ひび割れていた中指の甲は硬くなってしばらくは割れないだろうけれど、また冬になれば同じように割れるだろうな。
早朝に手書きの日記を書くようになってから約一週間が経ち、それを読み上げるのも日課になった。この頃は稽古もあり、朗読の録音もしているので口を動かす時間が以前より増えているせいか、下唇の真ん中が割けて、舌でなぞるとざらざらしている。滑舌が悪い日には少し大きく口を動かすよう意識しているのだけど、それをやると少し痛い。
割れる前であればリップクリームで対処できたのだけど、割れた後の対処方をわかっていないので今度調べよう。
皮膚が柔いのが爪にも影響しているのかこないだAmazonのダンボールを開けた時に爪が折れそうになった。
グラスネイルをしようか悩んでいるのだけど、リップだのハンドクリームだのいちいちやってる自分を想像していると、なんだか男らしくなくてちょっと恥ずかしいと思ってしまう自分がいる。
2023/03/07
まだ今週は火曜日なのに、もう今週が終わる予感がしていてまた時間だけがどんどん過ぎ去っていくような感覚が襲う。
明日の最高気温は二十度だそうで、春がもうすぐそこまで近づいていることは、あの春色の空を見てもわかる。きっと桜に似合うだろう水色が舞台を整えて待っている。何かを始めなければいけない、動き出さなければいけないという感情が冬眠から僕を起こそうと揺さぶって、全く置きずに寝返りをうっている。春風にまた置いていかれるのだろうか。
今少し詰まっている。何かを書こうという衝動は起こっているのにそれをせき止めているものがあって、どうやってそれを壊すか、壊せるほどの大きな感情かを僕は確かめている。これは理性なのかわからないけれど、せき止めるものが邪魔すぎるし、それに負ける程度の衝動も感情も仕方なく思う。とにかく指を動かして少しでも垂れ流すしかないので今は止まらずに書くようにしている。流し続けることで清潔なものになっていくかもしれないし、新しい通路が少しずつ開通して広がって、大きく放流できるのかもしれない。そういうかもしれないばかりを抱き続けてずっとずっと書くことを今日まで続けているのだから、僕には祈る才能だけはあるのだろうなと思う。そして祈りに誠実であることに関してはもしかしたらちゃんと出来ているのかもしれない。たとえ意味のないものだったとしても書き残すことに意味が生まれるのなら書かねばならない、と今日は思った。
無力感に浸ることが好きなのは強欲だからなのだと思う。初めて現実を突きつけられたときに自分は望み過ぎていたことを知ったし、他人はそこまで望んでいないことを知った。そこで満足できる人間は羨ましかったし、満足できないから支配できるようになった人間も羨ましかった。どちらでもない自分に対しては苛立ちを感じたし、結局何もできない自分を憎んだ。僕はそれで満足できればよかった。憎んで抑圧して抑えきれれば良かった。自分には向いていない、この程度なんだ。そこで折り合いをつけられたら苦しんでいないのだろうな。どこかでそれに従いたくない自分がずっといて、まだもがいている。もがいていれば誰かが救ってくれるのではないか、と、まだ思っている自分と、もがき続けながら泳ぎを覚えようとしている冷静な自分もいるし、溺れようとしている自分もいる。何もできないならできないでそれでいい、と最近は少し思い始めている。何かできる可能性が微塵でもあると僕は納得がいかないのだ。それなら、お前は何もできないっとはっきり首を切り落としてもらうほうがいい。だけど誰も僕を殺してくれないし、殺せるほどの何かを感じることは少い。僕はまだ満足していない。
水の中を歩くのに抵抗があるのと当たり前で、何かをするために僕らは必ず何かに逆らわねばならないような気がしている。
僕は創作をするたびにきっと何かに逆らっているし、それは自分に対して逆らう、嘘であることもあるし、現実に対して逆らう嘘でもある。僕はずっと嘘をつき続けている。それに内心気づいているから、自分の創作にどこかうしろめたさとか悪感情が湧くのだと思う。人間はあまりにも矛盾しすぎているので、誠実に向き合える言葉が一つもない。僕は嘘をつかないように生きているけれど、それでも嘘はついている、それに気づかないだけだったり、知らないふりをしたりしている。僕は間違うことしかできない、と結局思うときがあるのだけれど、ではあの人たちは間違っていないのかと考えるとそうではない、みんな間違っている。それを間違いだと思わなかったり、捨てていい問題だったり、気づいていなかったりして、ずるい。受験勉強やテスト勉強でたまにこれは捨てていいと誰かに言われたときになんで?と思うことがよくあった。高い点数をとれることに越したことはないし、理解しないと意味がないし、間違いは少いほうがいい。間違いが少いほうがいい、答えなければ間違いにならないのだろうか。そうして生きている人間がたくさんいるのだろうか。間違うことも正解することも避けている人間がいるのだとしたらずるい。そして今僕は創作をしない、という答えを出すことから逃れているからずるい。
2023/03/06
新しい服を着た
ずっと着れなかったかわいいキャラクターがプリントされたトレーナーを着た。やっと着れた~。かわいいですねって言われたのでよかった。あとこないだzozoで買ったアウターも着た。形がめっちゃいいし、シンプルで好き。袖がかわいい。
2023/03/05
生きることをテーマにした映画
死にたいウイルスが常に身体に潜伏しているので、生きようとか、生きたいとかいう感情にあてられると活性化して発作を起こす。自殺や死との向き合い方について書かれている作品だったが、何度も耳にするような台詞をただなぞっていく形なので、知ってる、という感じだった。
生きることが難しい人に生きていていい、というメッセージを込めて作ったみたいだけど、自分をゆるせるのは自分だけなんだよなぁ、と思った。ゆるすために頭を抱えているわけで。
それをやめてしまったら魂が死んでしまったような気がする。
自然のことわり?
一個人に対するクソみたいな怒りが、人間へすり替わって、人間ってクソだわぁって思ってると、でもいい人間もたくさんいるよねってなって、確かにってなって落ち着いている気がする。
けど消化されないストレスが環境問題につながって、それをぶつける対象をどこかで探す。僕は何かに怒りたいというよりも常に何かに怒っていてそれをぶつけても罪悪感の湧かない圧倒的な悪、敵を探していたり、もしくは全く太刀打ちのできない強大なもの、例えば人間を攻撃対象にして無力さを実感することで自分を冷ましているような気がする。
クソを生産するしか能のない雑魚なのだと時々思う。
2023/03/04
映画館にいった
疲れた、土日だからそりゃ混むわ。
2023/03/03
疲労がやばい。昨日街を散歩してアニメイト行ったからだと思う、あと今日UNIQLO行ったからだわ。
アニメイトのオタク達は世の中人の邪魔にならないように、かつこのフィールドには絶対に入るなという強い意志がぶつかり合って、各々が好きなアニメのコーナーをテリトリーをとして防衛してる感じが陰の気が溢れていていい。僕はグッズを買わないので昨日は後輩に粘着して行ったのだけど、アニメイトのオタク達を観察するのは昔から好きかもしれない。
今日は服が買いたくなったのでUNIQLOで適当に買うことにした。
いろいろ試着したけど買ったのは結局二着だけ。ワイの菌が商品についてしまってスマンな、と別に小学校でそんないじめに遭ったわけでもないのに考える。
服屋の店員は存在感があるから少し苦手だ。見られている気がする。
思ったより買うものがなかったのでもうにちゃくZOZOで買った。最初からZOZOでよかったんじゃねえかと思ったけど
2023/03/02
焼肉食べた
人の金で食う焼き肉ってマジでうめぇなあって思ったけど、頼んだホルモンランチセットにレバーが入っていて、ハァ?ってなった。何気に初めて食べたちょっと濡れた砂とひき肉の合い挽きかなぁと思いました。おいしくはなかったな。ホルモンはうまかった。
2023/03/01
老い
最近しゃがむときに無意識にう"ぅーと唸りながら息を吐いていることがあって、老いたなぁと思った。階段を上るときの息切れも昔より早まっていて、気持ちとしては余裕なはずなのに、ぜえはぁ言いながら呼吸を整えている自分がいてむなしい。階段でみっともなく息切れしているのは嫌だし、疲れることは少しでも早く終わらせたいので、常に一段とばしで上ることがおおいのだけど、こないだ屋上へ行くときに、狭い階段でしかも恰幅のいい兄ちゃんが前にいたため、追い越せなかった。仕方なく同じペースで上っていたのだけど、遅い。4階、5階、6階、とやっと彼が目的の階へ到着して、こっからは一段飛ばしていくぞ!と意気込んでいたら思いのほか疲れていて、普段なら駆け足で上るのだけどゆっくり一段飛ばしをした。
9階から屋上に階段は続いていてそれがやけに長い。たかだが自販機で水を買うためにどうしてこんなに大変な思いをしなきゃいけないんだ、と思いながら屋上へ出ると、ドアのすぐ近くに自販機があり、いろはすがあったのでそれを買った。
こんなところに自販機とか、補充する業者さんも大変だろう、と思いながら取り出し口から取り出してキャップを開けてすぐ口をつけた。運動した後の水ほどうまいものはないと思いながら、危うく半分くらい飲み干しそうになってキャップを閉めた。
でもここなら来たら必ず買いたくなるから案外たくさん売れるのかもなと思い、なるほどねと思った。
お好み焼きは割り箸でわり箸で
わり箸ってほんのすこしだけど木の甘味がありません?今日はお好み焼きを食べたんですけど、なんとなくお好み焼きってぜったいわり箸で食べたいよなぁと思って、お祭りの屋台の影響だろうか、と考えながら大きなお好み焼きをほおばっておりました。
お好み焼きはいつも決まった食べ方があって、最初はマヨネーズオンリーで次はマヨネーズとソースで食べる。
今はそうでもないけどマヨラーの名残があるので、最初はマヨだけで。
こんなにマヨネーズをかける機会もなかなかないですから、もう表面がマヨネーズに染まるまでかけては塗りかけては塗り、ただマヨネーズを塗りたくっているだけなんですが、なんでかすごく自由度の高い食べ物だなあと感じます。
本当のお好み焼きはもっとちゃんとお好みの愉しみがあるはずなんですけど。
お好み焼きの自由さはそこだけじゃなくてわり箸で、わり箸にたっぷりついたマヨネーズをなめても、あんまり罪悪感がないんですよね。ちゃんとした箸についているソースやマヨネーズをなめるのはちょっといけない気がするんですけど、わり箸だとなんか大丈夫なような。アイスの棒みたいな感覚があるのかなぁと思ったりしました。
短歌イズム
こないだ久しぶりに台本というものを読んだけれど、人が読み上げたものや、黙読した文字をみてすぐに、あ、七七だ、五七だ、とかいちいち発見してしまって。会話の最中もいまの七五じゃんとか思ったりして、脳内メモに残している自分がいる。