とりとめのない(日記)10月_
2023/10/31
短歌は風景の朗読かもしれない。
やけに甘ったるい香水をつけた女性が通り過ぎて、外なのに、しばらく匂いが残っていたから、これは大気汚染レベルでは、と思った。
渋谷を歩くには最適かもしれないが、残念ながら、この垢抜けない町では変に浮くだけだ。
もしかしたら東京から帰ってきたのかもしれないな。
甘い匂いはなんだかすごく都合のいい性欲みたいな感じがして、油断していたら騙されるのではと警戒心が働くのだ。
コカ・コーラが致死量なんじゃないかってくらい砂糖を含んでいるみたいに、甘ったるいものって疑わしい。
だから控えめな甘さのものが好きだし、ケーキは生クリームよりもスポンジの味や弾力を重視している。
うま味調味料みたいな言葉ってあるよな、って思って僕は結構それを多用しているんじゃないかって、思う。
ただ単に口癖みたいなものが多いだけなのかもしれないけれど、これを書いとけば、なんとなく一まとまりになるんじゃないか、みたいな感じで無意識で置いてそうで、それがなんだか、最近の良くないところなのかもしれない、と思ったり。
適度に、とか、充分だ、とか、そういう言葉ってすごく便利な感じ、
ここに書くとあとあと呪いみたいに使えなくなりそうだから、それはそれで避けたいけど、そういうものがあるような気がしてならない。
うまけりゃいいじゃない、とは思うけど、、うま味調味料でそれなりのもの作るより、使わないでめちゃくちゃうまい料理つくれた方がぜったい気持ちいい。
しょうが焼きを前々から作りたい、作りたい、と思っていて、今日、とうとう作った。
おそろしくおいしくできて、もしかして僕は料理が上手いのでは?と思ったけど、単純にレシピが優秀なのだと思う。
ほんとうに美味しすぎて、米を1合食べてしまった。
こんどしょうが焼きにすりおろしりんごも入れてみたいな。
毎日ウォーミングアップとボイトレをしていたら、今までで一番調子がいいんじゃないかってくらい声がでやすい。ほんとうにシンプル。
今までの怠惰がいけなかったんですね。意識がたるんでました。まことにごめんなさい。
フリーライティングの時間を10分3分から、10分2分に変えた。休憩がながすぎると、集中力が途切れることに気づいた。
10分間書くのは大分なれたので、15分でもいいのかな、とか思うけど、なんとなく自分を信用できない。
でも多分15分にしたら、またそれに慣れていくのだろうな。
新しいことをあまり好まないくせに、直面すると案外適用できてしまう、心と身体の差が本当に嫌になる。
頭はどこかですんなり受け入れていて、その通りに動くことで、だんだん頭まかせになって、それがすごく最適化された機械みたいで、あれ、心っていらないの?みたいな気持ちになったりするから、よくない。
2023/10/30
そろそろKindle Unlimitedの契約も切れる頃なので焦り出して、毎朝軽い運動をしながら本を読んでいる。
舞城王太郎の短編集『私はあなたの瞳の林檎』を今朝読み終えて、三年前ぐらいに購入した『好き好き大好き超愛してる。』も読まなきゃなぁ、と思った。
短編集の三作品はどれも面白かったけど
「僕が乗るべき遠くの列車」が一番好きだな、と思った。
「ほにゃららサラダ」が創作にまつわる話をしていて、おもしろいと聞いていたので期待して、実際おもしろかったけど、でもそっちの方がおもしろかった。
最近ボイトレを地道にこなしていて、裏声と地声の音域が二音くらいあがった。これは来てるな...!という感じ。
毎日いい手応え。
今朝は寝起きで歌詞を書いてみた。
創作と言っていいほどの、創作をまともにやってないから、そろそろ書きたい、書けないのかな、と思ってたけど。
なんか今までと比にならないくらい、すらすら書けた。
でも、明日になったら腐臭が漂うかもしれないので様子見。
もし明日見て悪くないなって思えても、いや、そうでなくても、やっぱり三回くらいは書き直そう。
いい曲作れたらいいな、とか思うけど、別に伝えたいこととか、使命感とか、クソほどもない。
でもあるよりマシか。
最近食べる量減ってきたかも。
声がエロいってたまに言われる。いや、それはあなたが変態だからとかじゃなく?と思ったりする。
あまり他人の声をエロいと感じたことがないから、その感覚がよくわからない。
褒め言葉として受け取ってるけど、微妙にセクハラくさいなと思うときもある。
2023/10/2
Kindle Unlimitedで読める岡井隆の『今はじめる人のための短歌入門』を読んでいるのだけど、作歌には初めの頃に多作期があって、その後、恥の感情が生まれて、批評をするようになり、成長していく的なことを書いていて、それでいうと今多分、恥の感情が強くなってきている。
前より安易に詠めなくなって、それを感性の枯渇なのではと不安になっていたけれど、そうではないみたいだ。
たしかに最近は、もっとこう詠むべきでは、違う単語にしよう、並べ替えてみよう、こころの部分は、とかそういう自分の中の明確になってきた基準で短歌を批評するようになってきたのかもしれない。
でも色々考えて、短歌俳句に置いてみたところで後になって、やっぱりこう詠めばよかったとか、全然おもしろくないものがたくさんある。
で、結局なんかいいな、て思っている自分の短歌は時間を掛けてない。
ならばやっぱり多作期をもう一度するべきなのではと思う。
岡井隆は初めたての短い間に一度だけ、と言っているが別にそんなことは無いと思う。
たくさん作ってやっぱり恥をかくしかないのだ。
どうせ短歌のことなどなにも知らないし、
短歌入門だって途中で読まなくなるだろう。
経験値を積むしかないのだ。
最近夢の中なのか、目が覚める瞬間にぼやけた歌詞とメロディが流れる。既存の曲なのか、そうでないのかわからないけど、でもいい曲がふっと浮かんで、すぐに消える。
何かに没頭している最中も、急に浮かんできて、日常に溶けていく。
集中しているときに、時計の構造の音が聴こえるみたいに、世界の回転の音が聴こえるのだとしたら、それはいつか歌にしなければいけないな、と思う。
ときどき、失ってしまえば、すべてがはっきりするのではないか、と思ってしまう。
遠ざかって初めて、全体の景色が見えて、それがなんだったのかわかるってことが、生きていてたくさんあったはずだから。
愛する人に迷いなく好き、と伝えるのは難しい。
好きになると同時に嫌いなところもわかってくるから。
強い瞬きは不安定な点滅だ。
星は遠ざかって初めて、それがいったい何座の、なん等星で、ちっぽけで、見つけられない星かがわかる。
もしかしてそれを特別だと思えたあの瞬間の気持ちを愛していたのかもしれない。
結局はすべて、自分に起るその衝動に揺れていただけなのではないか、と思ってしまう。
確かにあの星は存在して、そうして照らしてくれていたにもかかわらず。
それをさも自分だけによるものだと勘違いしてしまうのだ。
そういうこともある日、遠ざかった頃にわかってしまう。
あの頃と言えるようになる頃に。
2023/10/28
久々に街に出たので、ブックオフや楽器屋やなりをまわって、最近できた大きいダイソーにも寄った。
どこにいっても欲しいものは特になくて、虚しい。
帰りに何を食べようか悩んで、いたるところで漂う焼肉の匂いに何度も引き寄せられそうになったけど、やっぱり一人焼肉に行く度胸がないし、焼肉は人の金で食いたい。
代わりに今日はたまに行く古いレストランでステーキを食べることにした。
いっぱい歩いたので、ちょっと贅沢をするのだ。厨房でじゅうじゅうと肉の焼ける音がしてる。
おいしかった!
いいお肉を使っているというわけではなかったけど、無骨な味付けで、コーラやビールが欲しくなる。
口に含むと肉汁とブラックペッパーの濁流。
ソースはにんにくとしょうゆとなんだろう。
プレートにのった、焦げ目のついたスパゲティやフライドポテトにソースが染みておいしい。なにげにこれを食べるのが目的だったりするんだよなぁ。
気づいたことが一個あって、好きな店、絶対ラジオかテレビがついてる。
2023/10/27
日々腹が満たされてる感覚だけが残る。
明日は付き合いで行かなければならないイベントがあるのに雨が降るらしい。
泣き面に蜂ってコト?
そこまで嫌というわけではないけど、下地にはその感情が常にうっすらあるので、仕方がない。
早く終わってくれ〜
音楽理論の勉強がなんだかんだ毎日続いている。
感覚的にやっていたことが、言語化されていて面白い。
頭には入ってるけどまだ実践でパッと閃くレベルではないな、と思う。
やっぱり、学習していったものでどんどん曲を作るべきなんだろうな。
失敗したホットケーキの焦げくさい匂いが好き。明日ホットケーキつくろうかな。
ごくたまに煙草を吸ってみれば何かが変わるんじゃないかな、と思ったりして、肺にも喉にも悪いから嫌だなと即キャンセルしてる。
それに煙草を吸ったら脳が萎縮するっていうし、と思いながらでもアープラで煙草吸ってる人たちって僕より遥かに賢いよなと思ったりする。
喉のためにと、刺激物は基本飲まないし食べないし、お酒は年に3回程度、煙草は一度も吸ったことがないけど、それでも喉を壊したりするし、酒をガバガバ飲んでるのに普通に歌える人も世の中にたくさんいたりして、結局大した影響はないのだろうな、と思ったりする。
2023/10/26
多様性を受け入れられない人って、多様性に含まれないんですか?
この頃だいぶ周囲の水流が落ちついているので、快適に潜める。そんな感じがする。
パソコンや携帯の通知を見直したのだけど、それで大分静かになった。
必要なものにだけ通知を入れておけば、無駄な反応をしなくて済む。
アープラにしばらく顔を出していないからか、ちらほら、あの人元気かなぁ、みたいなことを考えたりしたりして、結局、短歌のことばかり考えてる。
今日は行ったことない近所の肉屋に行ってきた。三元豚のミルフィーユカツが美味しそうだったので、それと、唐揚げと、大きめの玉ねぎを買って、カツ丼を作った。
ミルフィーユカツが思いのほか大きくて、二人前くらいのカツ丼ができあがってしまい、食後はずっと胃に意識が行き過ぎて、まったく集中できずに一日が終わってしまった。
昔は、お腹がいっぱいだとむしろエネルギーがみなぎって、エンジンフルスロットルみたいな感じだったのに、最近は腹八分目くらいじゃないと、集中できなくなっちゃった。あの頃のバージョンに戻っておくれよ。いやでも太るからダメだな。
怖いもの見たさで明日は体重計に乗ろう。
今日って、でもなんかあったかな、みたいな日々をとおりすぎている。
そういえば最近、道端の花もみないし、夕方に見惚れることもすくなくなったし、草の匂いを吸わなくなった。耳はあいかわらずいろんな音を拾っているけど、やっぱり耳だけで拾う旋律じゃ、ちょっと淋しいところがあるなぁ。
え、でももうそれ飽きちゃったよ~、みたいなことが結構生きててあるかもな、って。
ちょっと前にこっそりハマってたゲームに、急に周りがハマりだして、今さらそんなことやってんの~って思ったりする。
楽しそうに話してるのをきくのは、そこまで悪い気はしないけど、だから発売日に買っとけばよかったじゃーんってさ。
流行ってほどじゃないものだけど、ワンテンポ遅れて周りがそれを意識し始めるみたいなことがたまにあって、えぇ~今なの~ってなる。
最近の楽しみはもっぱら長風呂。
いつ頃から好きになったかわからないけど、長風呂しながらぼーっとするのがすきだし、ふやけた指の皮をむくのもすきだった。
お風呂ってちゃんとひとりになれる感じがしていい。まわりに余計なものがないし、余計なものが入ってくる心配もない。
最近は一時間くらいつかってぼーっとしたり、本を読んだり、映画やビデオを観てる。
江國香織がエッセイでお風呂がすきと書いていて、日によってはほぼ一日じゅう入っていたこともあったらしく、夫には籠城と呼ばれているそう。
それを読んでから勝手に親近感を抱いている。
ワイヤレスイヤホンが確実に生活を侵食している。
特にこの頃便利だなと感じるのは、お風呂とトイレと掃除のとき。
PCでラジオ垂れ流しといて、ワイヤレスイヤホンで聴いたり、通話中トイレに行く時に声だけ聴いたり、掃除機をかけながら音楽を聴いたり、いろいろ便利。
ワイヤーがないと身動きがとりやすいし、手に引っ掛かってタブレットやスマホが落ちるなんてこともない。
だから、安心して家事やお風呂が楽しめる。
まぁでも最近は動画も音楽も視聴する頻度がかなり低くなってるから、実際使っている時間は大したことないんだけど。
2023/10/25
ゲイであることは理解するけど、僕が君をゲイだと理解しているからといって、セクハラをしていいというわけではないよね。っていう感じ。
今日はたくさん眠った。たくさん眠ると、活動的になれる。
2023/10/24
しこたまボイトレをした。疲れた。そろそろ新しい発声法を習得したい。
今日なんもしてないや。なんか本読もう。
なんか最近、好き嫌いが極端だけど、公私混同はしなくなったかも。
2023/10/23
お腹痛い。食べすぎ。胃袋縮んだ?
最近、歳の近い男性に歌を教えている。
まだ三日くらいしか経ってないけど、大分いい線いってる。
抽象的な部分や身体感覚の言語化がうまいって褒められたので、
これは日々の賜物かなと思っている。
自分の発声が劇的に変わっていっていることが面白いみたいで、ぶっ続けで二時間ぐらい歌ってて微笑ましい。
独学で上手くなり始めた頃を思いだす。
俺、上手くなってる、とはしゃいだと思ったら、あ、今のダメだな、とシビアになったり夢中になっていて、なんだか嬉しい。
やっぱり好きな人がどんどん上手くなっていくなっていうのを改めて感じる。
すごくモチベに繋がるから助かる。
もっと歌上手くなりたいなぁ。
安易な共感がうざいくせに言語化に必死になってるの矛盾?みたいなことを時々考える。
いやいや細かく言えれば言えるほどセキュリティは増える。
解読の楽しみも増える。
2023/10/22
死を悼むのがなんとなく変だな、と思っていたのだけど、たぶん感性に流されている気がして嫌なのかも知れない。
死ってもとからあるレイヤーなのに、どうしてそれに直面したときに後悔したり、するのだろうと思う。
その瞬間瞬間、今は過去となってしまった、今だったものたちに納得して生きてきたはずなのに。
もっとこういうふうに過ごせばよかった、とは今だったときには一度だって思ってない。
それなりに満足した暮らしや時間を過ごしてきたのに、どうして泣くのだろう。
いつかは死ぬとわかっているのだから、今に満足するか、できないなら尽くすしかない。
尽くして泣くならわかる、けれど、尽くしてないことを悔やんで泣くのは、自分の時間を無駄にしたことの後悔でしかない。
でも多分その後悔をしたところで、また泣く。おなじようなことをくり返すのだと思う。
おなじようにまた泣いたら、あのとき泣いた時間を無駄にしている。
人がいつか死ぬことをもうずっと前からわかっているのに、その度に泣く人がいるのだとしたら、なんだか憎たらしい。
誰かのために涙を流すことは美しいのかもしれない、涙を流す行為自体が美しいのかもしれない、でもそれは美しいことを模倣しているだけなんじゃないかって疑ってしまう。
僕はきっと共感できない、人の死に涙を流す人に。
なんかわかりきったことが嫌なんだなって思う。知りあいに発表会に誘われたのだけど、震災を扱ったものらしい。
そのような話を耳にする度に、いつまで、震災で金稼ぎするんだこいつら、と内心呆れてしまう。
誰が好き好んでそれを見に行くのだろうか。語り継ぐことが大事だと言うけれど、そんなことお前がしなくても充分語り継がれる。
わかりきっている。地震が危険なこと、いつかまた大きな地震がくるかもしれないこと。大事なのは備えることでしかない。
どうしてもくだらなく感じてしまう、ただのお涙頂戴をしているじゃないか、って思う。あまりに時代遅れ。
何が書きたかったか忘れてしまった。
アップデートされないのが嫌なのか?変わることとはすこし違う。
おなじような問題に何度も直面するのが滑稽に感じるのだろう。
なんか、人間って結局、過ちをくり返すのかなぁ、みたいな気持ちになって、沈むんだろうな。
カレーを食べられる量が少しずつ減ってきたきがして、あぁ、老いをわかりきっていても、それを体感するのは違うものね、と思う。
2023/10/21
ぼーっとしていたら、日記を書き忘れるところだった。そういう日もあってもいいのだけどね。忘れちゃったな、って思うと少し悲しいので。
でも、書いている最中に書くことがどんどん思いつかなくなっている現状も少し悲しいと感じる。坦々としている。
ここ最近のぼくは自由というより、不自由に縛られることがなくなったのだろうな、と思う。
飛距離が狭まったかもしれないけれど、現状に不満を感じない。そう感じないことをよくないことだと思わない。
首をしめたり、焦らせているのは、自由に対する憧れとか執着だったね。
あの頃に価値があったかどうかは、わからないけれど、あの頃すべてが不思議だと思えたこと、知らないと思えたことは価値があると思う。
今は、なにもかもをわかったつもりになって、わかったつもりの外を一つも見ていない。
心に虫食いができていて、それがいつのまにか広がっているということはあり得るだろうな。
黙って本を読むのも悪くない、と最近思う。最近しずかな空間がすごい好きだ。本を読んだり、フリーライティングをしているとき、集中が深くなって、しずけさに耳を澄ましている自分がいる。
思考して言葉を取り出す、という行為ができなくなってきた気がする。これはダメだろ、とか、もっとこうするべきだ、と言ってくるもう一人の自分がまったく口を出さなくなってきた。前はそれを無視して書くことで、こだわりに浸っていた部分があったのに、この頃はおとなしいから、張り合いがない。
そう、もっとこうするべきだ、ということはたくさんあるのだけど、別にそれをしなくてもいいことばかりで、それはあくまで個人的な好みでしかない。
僕は個人的じゃなくなっているのだろうか。
思考が波打って、反射して、何を言えばいいのかわからない。
2023/10/20
鋭く敏感と柔く敏感。野性的な繊細さ。
音楽は映写する。
ブラウザがとんだ
ブラウザが重く感じたので、タスクマネージャーから強制終了したら、なぜか、パスワードなどのデータがとんでしまったので、いろいろなサイトにアクセスしてIDやパスワードを入力しなおした。
今後はちゃんとした手順で終了さえようと思う。
久々にフリーライティングをしっかりやったら、脳みそが疲弊しまくって眠気がおそう。
死刑執行ボタン
ネットの人となぜか死刑の話になったので、三人で押すくらいだったら一人で押す、という話をした。
だってその三人と顔を合わせるたびに思いだすくらいなら、一人だけでもやもやしている方が数倍マシだと思った。
そもそも判決をくだした人の責任だし、くだされてしまった人もそれ相応の理由がある。
それに振り回されなければいけない執行人、理不尽すぎる。
誰が殺したかわからないから、というのはあるけど、誰もが殺した可能性がある、と考える方がいやすぎる。
ならもういっそ一人で押してしまいたい。こういう話をすると、酩酊状態みたいになる。
倫理観とか、道徳とか、世間体とか、いろんなフィルターが不協和音を生んで脳を揺らす。
『流しのしたの骨』の文章模写がおそらくあと二日で終わる。次は『羊と鋼の森』にしようと思う。音の描写についてもっと知りたいと思っている。
おそらく僕が一番感じ取れる部分はきっと音なので、そこからの言語化をもっとできたらきっと楽しいと思う。音とのふれあい方はおおければおおいほどいい。
2023/10/19
失恋による発声障害
歌の指導がアドバイスが欲しい、とネットの知りあいに言われたので、引き受けた。
こういうときは大体二パターンに別れる。
なんとなく歌が上手くなりたいから、という理由で、こちらの指導を理解しないままなんとなくやって、自分にはできないのかもなぁ、と悟ったつもりになりたいやつ、理想があるんだけど、現状がまったく追いついてなくて無理な発声ばかりしてるやつ。
いい加減な質問とか取り組みでも、そうでなくても僕が損をしないように、基本的には基礎的なことしか教えないようにしている。
発声なんて基礎ができていれば、よほど難しいテクニックでない限りほとんどの応用ができる。
さて、いったいどっちのパターンかな、と思いながら通話をし始めたら、第一声に
「自分、失恋のショックで声が出なくなって、音域が下がってしまって、、、」
これ、もしかしてめんどくさい愚痴を聞かされるのか、と思いながら、ええ、と相槌をうち、
「歌が好きなので、元のように歌えるようになりたいんです」とのことだった。
いままでそんな理由でどうにかしてくれと頼まれたことなどない、僕は音声学の教授や耳鼻咽喉科の医者じゃないのだから、ということをそのまま伝え、
少々困ったな、と思いながらも、とりあえず失恋のショックで声が出ない、というくだらない理由は無視することにした。
失恋のショック程度で声がでなくなるような脆い発声をどうせしているのだろう、とまっさきに失礼な答えに行き着くのが僕の脳みそなのだ。
というわけで、ひとまず、ショック以前の音源があったのでそれを聴かせてもらい、その後、実際に歌ってもらうことにした。
どっちの歌唱も正直別に問題という問題がない、というか、ピックアップしていけばいくらでも問題はあるが、基本的に他人の歌や発声のくせに対して直せとか、悪いとかいうのは正直シケるので、そういう指摘が好きではない。
ただ、案の定脆い発声をしていたので、その脆い部分と実例をあげて、こういった状況だと無理が生じるよね、と確認していった。
ついでにショック以降、歌の頻度が下がったりしたか、普段運動をしているか、などを確認した。
すると、運動などはしておらず、歌う頻度は下がった、と言われたので、
「筋肉使ってないんだから衰えるのあたりまえでしょ」と一蹴。
続いて、弱点が原因で発声が不安定になっていることを指摘し、相手は納得するしかない、という感じだった。
問題点は、筋肉の衰え、それによる発声バランスの歪み、猫背、身体を使った発声をわかっていないことだった。
僕は、基礎連の狂信者なので、ひとまず基礎的な発声とその練習をレクチャーしていったのだけど、彼の耳がよかったみたいで、わりとすんなりと発声の仕方を習得してくれた。
手順を踏んで腹式の発声から、身体の支えや重心のコントロール、全身の筋肉の使い方と、徐々に覚えさせたら、ショック以前よりも声が出しやすくなった、と言われたので、
「じゃあショックは関係ないってことで、もう今後はそういう思い込みとかしないようにしてください!」と言った。
心因性の発声障害、というのはもちろんあるのだけど、そもそも発声の仕方を間違っているやつが大体で、
高い声が出ないとか低い声がでない、というのはそもそも誰にもその声の出し方を教わってないんだから出ないのはあたりまえなのだ。
それなのに、自分は才能がない、とか、高い声が出ない人間なんだな、とかいう余計な思い込みのせいで、身体の使い方に制限がかかったりして、でなくなったりする。
そのロックを解除するのにだいたい時間がかかってめんどうなんだけど、それさえ解除すれば大抵解決する。
こういう思い込みもある意味で、心因性の発達障害なのかもしれないけど、こじれすぎると、それにこじつけるやつが出てきてまじでめんどくさい。
どんなにやっても自分は才能がないから、高音がでないから、というとこに持っていくやつがいたり、自分はこうだから、と発声の知識などなにも知らないはずなのに、自分のことは熟知しているという態度の人間もいる。
今回教えた人は別にこじれてもいないし、耳も身体感覚もよかったので、正直だいぶスムーズにレクチャーできてほんとうによかった。
一件落着して、彼の声も態度もだいぶ晴れやかになっていたので、「それではお支払いの方を」と言ったら、笑ってあしらわれた。
いや、報酬は求めてなかったよ?でも正直、今回だいぶ貢献したよな?とは思った。
レクチャーが終わってその後、ボイストレーニングを受けていた経験があると、聞いたので、見返りとしてどのようなボイトレが役に立ったか、とかを訊いたのだけど、何一つ憶えていない様子で、やっと出てきたメニューもすでに知っているものだけだった。
彼がいつ頃トレーニングを受けていたのかはわからないけれど、やっぱりボイトレって基礎とか座学とかが足りないのだろうな、という印象を受けた。
多分受ける側もそれを考えていないし、教える側を伝えきっていないのだと思う。できないまま長く通ってもらったほうがいいしね。
ひとまず彼には、かならずうまくなってきてまた戻って来てください、と言って解散した。
結局ボイトレって本人の取り組みだから、うまくなったらぼくのおかげじゃなくて、そいつが頑張っただけなんだよな。
なんか今日めっちゃ支離滅裂な感じ。やっぱボイストレーニングってうぜえなぁ。
発声なんて、現象なんだから、出る状態とか要素だけを掴めばええやん。
まじで抜かれないように頑張らないとなぁ。
2023/10/18
三時間くらいぶっ通しで歌ったんだけどすごく疲れた。以前は六時間くらいは行けたんだけどな。大分喉が治ってきて、身体と喉が同期してきた。全身で歌うのはやっぱり気持ちがいい。
たまにたまごかけごはん食うとやっぱうまい。
中途半端に混ぜるのがいいんだよなぁ。
ワイヤレスイヤホンしながら長風呂するのにハマってる。このまま毎日やってたら、脱皮するな。
最近ギターちゃんと弾けてないから、いっぱい弾く時間作ろう。
なんか今日は全然書く気が起きない。なんでだろ。
2023/10/17
豚カルビ丼
豚カルビ焼肉用
ミックス野菜の残りor玉ねぎ半かけ
ごま油
にんにくチューブ
しょうがチューブ
しょうゆ
塩コショウ
コチュジャン
フライパンにごま油をひいたら、豚肉をぶちこむ。少し間をあけて野菜をぶちこむ。玉ねぎの場合は2分くらいレンチンしてからでもいいかも。
塩コショウ少なめ、にんにく・しょうがチューブ適量、しょうゆ二回し、コチュジャンお好みで。
全体に色がついたら、ご飯にのっけて完成。
野菜ミックスの場合は遅めに投入してもシャキシャキしておいしいよ。
立ちながら日記を書いている。最近料理が楽しい。今度ピーマンの肉詰め作りたいなぁ。
タブレットだとどうやらスクラップボックス重い?ブラウザで開いているからか。え、Androidアプリってないの?
ずっとやりたいな、と思っていた曲の写譜が終わった。252小節だったかな。普通に演奏しても12分くらいかかる。頑張るぞ〜。
坐って書く。
昨夜、一時間程かけて、写譜の続きを終わらせてから、だらだらしていたら気づいたら3時半になっていて、外では何かを必死で探しものをしているようなカラスの鳴き声が響いていた。
レースごしにのぞく夜は明るくなっていて、あと数分したら紫がかってくるくらいのタイミングで就寝した。
前日どれだけ遅く寝ても8時には目が覚めるので、そのまま一度起きて、朝食を食べようか悩んだけれど、身体が形を保てないんじゃないかってくらいに、ドロドロとした眠気が全身にまとわりついていたので、そのまま布団に身を沈めることにした。
目が覚めると時間は9時で、大して眠れなかったな、と思いながら仕方なく身体を起こし、ヨーグルトとトマトジュースを食べた。
一昨日めがねを踏んづけてしまって、スペアのめがねを掛けているのだけど、少しフレームが重めでずり落ちるのが気になっていたので、それをどうにかしようと調べていたら、
ダイソーにノーズパッドとメガネフィットという、ズレ防止のアイテムがあることを知ったので、さっそく着替えて近所のダイソーに向かうことにした。
最近の外出は顔もあらわず、髪もセットしないことがおおい。こうしておっさんになっていくのだな、と思いながら、ゆっくり自転車を漕いだ。
ダイソーについて、さっそくメガネフィットを見つけたので、ノーズパッドもあるかな、とさがしたのだけど、それは置いてなかった。
できればノーズパッドが欲しかったので少し残念だけど、メガネフィットを持って、そのまま会計にはいかず、めがねコーナーのめがね用ドライバーを手にとり、200円の座蒲団、リストレストも買ってしまった。
起きぬけの判断力では自制がきかず、また目あてのもの以外のものを購入してしまう100均あるあるをやらかしつつ帰った。
帰ってきて袋の中身をテーブルにならべ、ひとつずつ確認した。
めがね用のドライバーを開封しためしに、めがねのネジを締めてみたが、そもそもまったく使っていなかったのでそもそもゆるんでいなかった。
リストレストは本来の目的ではなく、タンスの上のキーボードの角度を調整するために購入した。
予想通りのちょうどいい角度に調整することができたが、坐ってタイピングをするときは、本来の用途で今使ってみている。わりと快適。手首の負担軽減は結構大事かもしれない。
座蒲団は今坐っている座椅子に敷くように購入した。
メガネフィットはあまり期待していなかったのだけど、装備してみたらかなりフィット感があがって、下を向いてもまったくずれなかったので、鏡を見ながらヘドバンした。それでも全然ずれなかったので、これめちゃくちゃ便利じゃん、すげぇ…!と歓喜。
新しいめがねを購入することも検討していたけど、別に今のめがねに不満はないので、可能であればこのめがねを今後死ぬまで使えたらいいな、と思う。
ただ、一昨日のようにあっけない結末を迎える可能性は多いにあるので、今度、街に出かけるときにめがね屋にはいこうかな、と思っている。
店員と話すのめんどくせ……。
ダイソーから帰ってきて、11時半だったので、そろそろ昼ごはんつくろうかな、と思ったけど、発声のウォーミングアップとかしてないやん、と思ったので、やった。えらい。なんかほんとに喉の調子よくなってきて、今日ちょっといろいろ歌ったんだけど、声が全然裏返んなくて嬉しかった。でもなぜか裏声がでなくなっていた。裏声を犠牲にして地声が最強になる喉なのか僕は。
ってかなんかリストレストいいぞ。これ絶対肘置きも買ったら最強じゃん。買おうかな。無限にタイピングできる気がする。
2023/10/16
昼飯メモ
ゆでうどん 一玉
ミックス野菜 袋の半分
塩コショウ
鶏ガラスープの素(なくてもいい)
豚カルビ焼肉用(豚バラ、細切れでも可) 好きな量
あったらいいヤツ
鰹節
七味 らへん
フライパンに油を軽くひく、豚肉をぶちこむ、すこし間をあけて、ミックス野菜をぶちこむ。
塩コショウ、鶏ガラスープの素適量、どちらも少なめでよし。
やさいがしんなりしたら、ゆでうどんをぶちこむ。
うどんがほぐれたら、まぜそばの素を投入、具材をかきまぜて、全体がたれの色をまとったら完成。
簡単!うまいよ!
東プレのキーボードを先月買って、それまで使っていたキーボードは線をぐるぐる巻いて適当な場所に放っていた。
掃除の度に目につくので、できれば再利用したいと考えて、そういえばスマホのアダプターがあるからそれに繋げば有線接続ができるのでは?と試みたが、iphone6sだからなのか反応はなかった。
タブレットの方のアダプターは故障していて、どちらにせよ再利用はできなさそうだし、そのためにわざわざアダプターを買いなおすのもめんどくさいと思って諦めていた。
しかし、まだ使えるものを埃を被せたままにしておくのは心苦しい。
何か方法はないかな、と調べたら普通に100均で買えるアダプターで接続ができるみたいだったので買いに行った。
帰ってきてタブレットに接続したら、電気がちゃんと通ったのか、キーボードが左から右へ鍵盤をなぞるみたいに七色に光って、Aを押したらちゃんと「あ」と文字が入力された。
有線だから反応にラグもない。
とりあえずしばらくカタカタやって、これならいろんな場所で作業できるなと思ったので、腰の高さぐらいのタンスの上に置いて、立ちながら、タイピングした。
フリーライティングを4セットくらいやってるとたまに急激に眠気が来るのだけど、これからは眠くなったら立ってやることにした。
タンスの上にキーボードだけ置かれているのは変な気がするけど、これでまたこの子にも役割を与えることができた。
発声のウォーミングアップをし始めて四日目、順調に喋り声がクソデカくなってきてそろそろ人に嫌われるくらいうるさくなりそうなので適度にコントロールしながらやっている。こんなに響く?ってくらい響くのでヒソヒソ話でもうるさい。
マジで発声のオンオフ意識するのだるい。
響きが口の中でせめぎ合ってる。
響きが強すぎると滑舌がくぐもるからそれも注意しないといけない。
2023/10/15
昨日の短歌よかった気がする。
あとからじわじわきている。
急に降りてくるからメモれる環境にいてよかった。風呂とか、トイレのときやべーって思いながら短歌が消えないようにずっと唱えてるときある。
でも洗面所で手洗って、鏡見てると結局忘れる。
今日はセカンダリードミナントの勉強をした。クオリティチェンジのことを知ったおかげで前よりコード進行の解像度があがった気がする。
ワイヤレスイヤホンを片耳つけて外に出てみた。悪くない。でも耳は塞がない方がいいな。次買うときはそのタイプか、骨伝導買おう。
今朝もラジオを聴きながら、ウォーミングアップをしたりした。
なんとなくつけて、つまみをひねりながら、ホワイトノイズから偶然きれいな音を受信しはじめる瞬間、すこし嬉しくなる。
ぜんぜん興味のない会話がえんえん繰り広げられていてちょうどいい。
内容は聞き取れるのに、まったく頭に入らないし、入らなくていいのが助かる。
最近、人の話に集中するのが苦手になってきた気がする。
真面目に聞いて、共感して、言葉を選ぶのは普通にめんどくさい。
もっとパッとできればいいのに、と思ってしまう。
発声が戻り始めているのか、使っていなかった部分の神経が起きて、かさかさ痛い。
めがね踏んじゃった。フレーム折れました!!あっけない…
かれこれ十年くらい掛けてたから、このまま死ぬまで掛けようと思ってたんだけどなぁ。
当時スペアで買ってた、ちょっと変わっためがねがあって十年越しにそれをメインで着用する。
根拠のない自信で、これ絶対似合うだろと思って選んで、実際試着したら意外と似合う!と親にも好評だった。
ちょっと古くさい感じのフレームだから、当時は恥ずかしくて掛けられなかったけど、今ならそんなに気にならないかも。
でも、あの頃とは顔つきがちょっと違うからなぁ。
次買うなら、丸眼鏡にしようと思っている。
これを機にコンタクトデビュー、、はしない。
流しのしたの骨も来週には読み終わるなぁ。次は何を模写しよう。
この頃、江國香織ばかりだからそろそろ違う人の作品もやってみるべきなんじゃないかって思う。
でも、もう少し江國香織をやって馴染ませながら、他のやつもやろうか。
短編集はたくさん持っているし、それをちょくちょくやりながら、他の人のものもやってみよう。
最近『羊と鋼の森』が欲しい気がしている。kindle unlimitedで途中までしか読めていなかったから。
めがねを壊したのにそこまで落ちこんでいない。明日になったら落ちこんだりするのだろうか。
きっと、ずっと掛けられなかっためがねを掛けるきっかけと、丸眼鏡を買うきっかけを同時にもらったからだろうか。
僕は前進がまったくできないやつだから、こういうきっかけがあると、ある意味開放的な気分になれるのかもしれない。踏ん切りがつくのだろう。
なんか今月よく書けている気がする。気のせいだろうか。なにがよくなったとか、言語化できるものはまったく見当たらないのだけど、しっくりくるものが書けている気がする。
2023/10/14
https://gyazo.com/490898323857f68bbeba1c1cad492f96
買っちゃった、かわいくない?
Bluetoothスピーカーなんだけど、FMラジオも聴ける。今日はラジオをたれ流しながら皿を洗ったり、日記を書いている。
ラジオの話にはまったく興味がないのだけど、誰かが楽しそうに話していたり、幸せそうなお便りを読み上げているのを聴くと和やかになる。
普段聴くことのない音楽がリクエストされて、あれ、これすごいいいな、みたいな発見がたまにあるから、聴きいってしまったりする。
でもやっぱり今朝のラジオで話したけど、マルチタスク苦手になったみたい。
書く方か聴く方にしか集中できない。同時にやろうとすると頭がごちゃごちゃする。
なんで弾き語りはできるんだ?
ってかラジオの広告にめっちゃ創価学会入ってきて、ちょっと気になる。
Amazon感謝祭
とりあえず午後ティー無糖2Lとトマトジュースと、激安ワイヤレスイヤホン――これだけ今日届いた――を買った。
――これの使い方ってあってる?使ってみたいんだけどちょっとよくわかってない。
シャオミの1780円のワイヤレスイヤホン、音質はよくないけど防水だから長風呂しながら映画でも観ようかな。
こういうの安く売られてるとダメージが少ないので助かる。
イヤホンは失くしたことないけど、イヤーピースはよくなくしてたから、絶対ワイヤレスイヤホンもなくすと思うんだよね。
安ければ失くしても立ち直りやすいので気楽。ワイヤーがなければないで、ひっかかりがなくてそれもそれで気楽。
今朝ワイヤーがないと落ち着かないって言ったばかりなのにね。
背筋
背筋をちょくちょくやってるんだけど、普通に筋肉痛になった。やっぱ鈍ってるんだな。ストレッチとか筋トレとかこれからちゃんとやるべきだなと感じている。代謝も落ちている気がするし。
2023/10/13
なくなったのは怨念かもしれない。
約束が苦手だ。
約束をするとその程度は違えど多少なりとも期待する。
人間に期待しないように生きてきたはずなのに、いつも約束のせいで矛盾が生じる。
すべてがうざったくてきもちわるい。
ささいな約束でも、そんなのやめようよ、と言いたくなる。
誰がそれを守れるって保証ができるの。
約束、という言葉はこんなにも綺麗な結び目を描いているのに、実際はほつれてばかりだ。
約束をどうしても守りたい、とは思わない、破られても構わない。
あ、でも言葉を裏切ってしまった、という罪悪感が確実に残る。
ウォーミングアップ
久しぶりに15分くらいかけて、発声のウォーミングアップをした。
やっぱり身体が衰えているのを感じる。
身体感覚やそれの記憶にはかなり自信があるけど、記憶が保持されてるからといって、身体も同様ではなく、使わなければ衰えていく。
久しぶりのストレッチで股関節がだいぶ硬くなっていること、発声の支えが不安定なこと、背筋がうまく使えていないことに気づいた。
柔軟性にはかなり自信があったので、開脚もろくにできず、上体を垂直で保つのすらもキツい現状には少々幻滅。
以前よりもブレスコントロールが下手になっていて、だいぶ声がブレまくっていた。
こういったものは結局積み重ねなので、毎日コツコツやっていくしかない。
こんなことくらい毎日継続できるようになってくれ。
この頃無気力だなと思ってたけど、なんか今日はもやもやしているのでとても書きやすい。
曲がりなりにも火が燃えているというのは大事なのだ。
短歌のときもそうだけどちょっとイライラしてたら過敏になってるときとかって意外と詠める。
膨張して今にも破裂しそうだから、世界に触れる面積が多いのかもしれない。
2023/10/12
生い立ち
自分の生い立ちについて誰かに知ってほしい、と去年くらいまでずっとつよく望んでいたような気がするのだけど、それがなくなったような気がする。
成仏した、というよりすり減って、なくなってしまったみたいだ。
どんなふうに僕が歪んでしまったのかを知ってもらえばゆるしてもらえるような気がしていたのだろう。
生きることへの弁明、誰かに懺悔したかったのだ。僕は僕をゆるせないくせに。
生い立ちについて語ったところで、ただ不具合報告書の内容を読み上げるようなもので、
だからそれを納得して、今後もご利用くださいなんてふてぶてしいことができるなら、潔く売りつけたほうがいい。
僕はこの頃、どうやって売りつけるかを考えているような。
河原
発声の悪化の根本をつきとめるために、河原に行った。こういうときは耳鼻咽喉科じゃないの?となるのだけど、前回(約半年前)行ったときに異常なしと言われているので、声帯自体の問題というよりかは発声のバランスだと考えている。
とりあえず思いきり声を出してみたけれど、やはり低音が鳴っておらず、重心も浮ついている。
高い音を中心にロングトーンをしながら、響きを移動させたり、低音を膨らませたりしてみたけれど、思うように広がらなかった。
全体的に芯のない発声になっていて、ピッチは外れていないが小手先の音色という感じが否めない。
軽い高音をメインに歌唱してみたが響きが弱い。
一時間くらい、歌い馴れた歌をいくつか歌ってみたけれど、中低音と中高音から高音の差が激しく。
音が上がれば上がるほど詰まった感じになっていく。
意識的に喉をかっぴらいて、分厚い音色を出そうと試みたがこれも、低音の自然な鳴りが含まれておらず、ぽってりした音になる。
試しにかなり力んだ発声と脱力した発声を交互にやってみたら、
力んだ発声が安定しやすく、脱力した発声がかなり不安定になっていた。
発声が悪くなる前は後者の方が出しやすかったはずなので、デフォで力みが生じている。
一度、身体全体を意識して、もう一度発声をするとすこし以前に近い発声を思いだせた。
余計な力みが抜けたためか、軽すぎて逆にコントロールがしにくいが、どうやら、こちらの方が正しいのは確信的。
また、高音の際に背筋や腰の支えが抜けているのに気づいた。
以前よりも発声のウォーミングアップや身体を意識した発声を行う時間が足りなかったからだろう。
小手先の技術に甘えて、基礎がおろそかになっていたのだと思う。
ひとまず、帰りながら身体を意識しつつ、くちずさんでみたけれど、やはりこちらの方が高音が軽く安定している。
コロナにかかって以降、極端に発声が乱れたような気はしていたが、それにより喉をかばって、変な癖がついたのかもしれない。
力んだ発声を続けていたから、そもそも荒れていたのかわからないが、喉に結構ダメージがきている。
一度完全にゼロの状態でもう一度発声を構築しなおした方が早いな。
とりあえず背筋と体幹と発声のウォーミングアップをしばらく入念に行うことにしよう。
思いきり歌えなかったのは悔しいけれど、ここ最近の発声に対するもやもやが晴れる兆しがみえたのでとてもよかった。
2023/10/11
昨日飲むプリンを買ったんだけど、おいしすぎた。ストローで飲んだ。たまごの自然な甘みが舌を甘くつつむ感じで、鼻腔がやわらかい香りで充たされる。今度10個くらい買いたい。ポイントカードつくればよかった。
めんどくさい週間ぜったい来てる。得るものがないっていうか、たいていのことに興味がない。感性終末到来。
一週間くらい延々と朗読してたい。どうせしない。
2023/10/10
帯紙を捨てられる夢をみた。ぼくはちょっと怒っていた。どうして捨てるのといいながら、小さなゴミ箱のうえに置かれている帯紙を拾って、つけなおしたような気がする。
でも中学生のぼくはよくこの帯紙がうっとうしいな、と感じていたし、いつのまにかボロボロになって捨てていた。
たまに栞がわりに使ったりもしてたけど、ほんとうになんのためにこんなものがあるのか、わからなかったけれど、でも、ここにこれがついている状態が完璧な状態なのだろうな、ということはわかっていた。
だから学校の鞄から、ロッカーから、机のひきだしから、本を取りだしたときに、本の背の部分が何かにひっかかって、ちょっと帯がやぶれたりすると、罪悪感と情けなさがこみあげてきた。
自分のがさつさはほんとうにいやだったけれど、なにかをていねいにこなそうとすると、異様にどんくさくなってしまうのもいやだったから、結局不器用に、ちょっとずつ傷つけていくしかなかった。
高校生になってから、まったく本を読まなかったけれど、図書室はすごくいい場所だったのを憶えてる。広くて、いろんなスペースや椅子があって、中庭側のガラスが鏡張りで、図書室にしてはめずらしく、健康的な匂いと空気感のある場所だった。
あの頃、あの場所でもっといろんな本を読んでいたら、とふと思った。
今日は雨が降ったり止んだりしていて、タイミングを見計らって出かけた途端に雨が強くなっていって、濡れながら秦基博のRainを歌っていた。
用事を済ませたらすぐに帰るつもりだったので、折りたたみ傘などは持っていなかった。
空はかすかに青空がのぞいていて、灰色の雲のすき間からは太陽の光が差し込んでいた。
それなのに雨は強まっていき、すれ違う人たちも、空模様をみて安心しきっていたのか、傘を差していない人がけっこういた。
その人たちは雨で視界がさえぎられて、険しい表情をしていた。
ぼくも大分びしょびしょになっていたのだけど、今さら傘を買ってもしょうがないので、開き直ってぐんぐん進んだ。
目的地に着く頃には雨は弱まっていて、こんなことならもう少し遅めに出ればよかったんじゃ、と思ったけど、とにかく用事を済ませて帰った。
帰りは雨が弱まり、雲はひらけ、青空がしっかり見えていた。それに太陽も照ってきて、ふつうにあたたかかった。
でも、このあとも雨が降るかもしれないからとすこし急いで帰ったのだけど、帰宅してから一時間くらいは雨が降っていなかった。
本届いた!わーい!多分来年あたりに読み始めるんじゃないですかね。
2023/10/09
最近youtubeでかわいい女の子を観てるだけの時間があって、なんか虚無だなと思う。
そんなひまがあるならフリーライティングをしよう。
カレーを煮込みすぎたのか、鍋の底が結構焦げついていた。youtubeで動画を垂れ流しながら約一時間ほど格闘したのだけど、それでもまだ微妙に残っているので、明日再戦する予定。
湿気とともに髪の毛のうねりも落ち着いてきた。
猫っ毛なので、夏の間は全く言うことを聞いてくれないので毎年大変。
今年はかなりひどかったため、後半諦めてセットしないで外出した日も何度かあった。
身だしなみ、というか、他人に見られているという意識が薄れてきて、そろそろ一人焼肉とか行けるんじゃないの?って思うけど、未だ実行には移せない。
最近ちいかわが面白くてTwitterの更新を心待ちにしている。モモンガが好きなのでいっぱい出てて嬉しい。セイレーンちゃんもかわいい。次のLINEスタンプたのしみ。
最近考えごとがめんどくさすぎて、何も考えられない。
本日配達予定の本がまったく届く気配のないまま、一日を終えようとしている。
全然遅れてていいから、連絡はしてくれよ。
めっちゃうとうとしてた。さいきんずっとうとうとしてる。夢もみないのに。
2023/10/08
カレー作ったんだけど、うますぎて3杯食べてしまった。やばい。
2023/10/07
ステージチャンネルで歌った。喉ちょっとよくなってきた。鼻詰まってるな。
https://scrapbox.io/files/6520ec9c8a3d6d001cfe5cad.mp3
狂ったように裏声のトレーニングをした。声帯をしっかりピンと張った状態をあまり維持出来ていないような気がしたので。
声帯は弦楽器とおなじような構造で出てると考えるとわりとわかりやすいような気がする。
とりあえず弦はある程度張った状態じゃないといい音は出ない。ダルダルの弦じゃ低い音しかでないし、音階もわかりづらい。
裏声は弦の張力を維持するための筋肉を鍛えることができる。
弦の張力がしっかりしているとピッチもはっきりしするし、高音もきれいにでる。そんな感じ。
ポイントはしっかりと息が流れていること。
響かせるなら、明るすぎず暗すぎない音になってること。
息を吸いながら出せるようになるのも大事。
今日からしばらく裏声強化期間に入る。
最近まったく作曲に取り組んでないな。と思ったので、そろそろやるべきだな、と思う。
基本的に自分のために歌を作るのは気が進まない。
自分に何が作りたいの?何を伝えたいの?と問いかけてみても、無言で首を横に振るだけなのだ。
ぼくはぼくにすらひみつにしていることがたくさんある。
それはじょうずに躾けられてきたからだろうか。
耳の中に水が入ったみたいに頭がごろごろしている。
2023/10/06
次、回鍋肉とか作りたいよなあ。
脂と旨味しみしみのキャベツをジュルジュル食いたい。
今日は強風。
最近前髪分けるのが気持ちいいことに気づいたので無敵。
ホテルビーナスを昨日の夜に観た。
もう5回くらい観てるけど、やっぱり好きなので、原作の本も買った。届くの楽しみ。
感性死んでる気がするので朗読しようかなとか思う。
アープラへの関わりが薄れてるので、なんか書くのを遠慮しちゃってるような気がする。
でもそれにしても、まったく言葉が出てこない。
もっと人間と話すべきか、ラジオでもしてアウトプットをするべきか。
そういえばとりとめのないラジオ今月やってないな。
やっぱ月一では何か話したいよね、とは思うけど、ここ最近話したいことがないんだよな。
かといって聞き手にまわるのがうまいわけでもなく。
ちょっと積極性にかけてますよ、老いですか?
ステージチャンネル私物化しにいくかー
今日は音楽理論のルートモーションとか、接続系理論の勉強をしてたんだけど、ちょっと何言ってるかわかんなくて、ハァ?という感じだった。
とりあえずいまはそういうことで理解しといてってことなんだろうけど
難しくてもいいから理由を教えてくれよ。
いや、でもよく考えればそうならざるを得ないのか?
これさっきもやってた。
いや、うん、そうだな。
一旦距離おくの大事。
今日は文章模写が出来てない。しかしフリーライティングはやった。
何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく、そんなこの世界で。
もうノリでしか日記書けないんですけど!
考えたりするのさらにめんどくさい最近。
無になりて〜
いまどうせ何も出来ないんなら、音楽理論の勉強さっさと進めた方がいいのかもな。
そういやこないだ手を描こうと思ったらおそろしく下手になってて、絶望した。
毎日描かないと下手になるわな。
久しぶりに朗読室で朗読をした。30分以上の朗読をまったくやっていなかったからか、鼻が詰まってきたり、喉が乾いてきたりして、たいへんだった。
抑揚やアクセントもぎこちないし、ら行もあまくなっている。
一度一年ほど間をあけたときにはむしろよくなっていたのだけどなぁ。
でも今の読みは今の読みで堅苦しさがないように思う。
ただ、表現したいことに、体力や技術が追いついていない気がする。
2023/10/05
今日はハンバーグを作りたくなったので、朝起きてさっさと、ひき肉と玉ねぎを買って、さっさと作った。おそろしくうまく出来た。
もう得意料理チャーハンじゃなくて、ハンバーグにしてもいいんじゃないかってくらいにはうまかった。
すっと箸が入ってジョワーっと肉汁が溢れて、桃源郷じゃんって思った。
フリーライティングやろっかなぁ、って思ってから、かれこれ二時間くらい経っててまじで、意思よわよわで草。もうこのまま風呂入って寝るよ?多分。
ってかマジで右手が鈍い。普通に二の腕が筋肉痛になりかけてる。
そういえば今日、夏に買っておいたカーディガンにやっと袖を通せた。かわいいくてルンルルンルルンルルン♪
秋はカーディガン着れるから好き。
今日まだ音楽理論の勉強できていないよ~、フリーライティングもできてないよ~、ってもうひとりの僕が言うてますけど、頭が回らないんです。
うまいハンバーグを作ってしまった達成感で、脳汁が溢れすぎてハイになっちゃってる多分。
そういえばモーニングページをフリーライティング方式にしたら、ちょっと捗った。そうして僕はハンバーグを作るに至ったのであった。
こういう日はDesperado聴くに限る。
感情が動くことがもうすでに世界の色づきなのにな、と思いますが。
安定、というのはどういう尺度なのか、僕はよくわかっていないのかもしれない。
十年持つ家具が安定した作りなのか、それはあくまで人間の基準でしかないしな。
安心、というのはどういうものなのか、僕はよくわかっていないのかもしれない。
心臓の鼓動のように歩けばいいのだろうか、でも案外心臓というのは不規則に動くものだ。
いつもくだらないことばかりに気を取られすぎて、大切なことのひとつも見つけられない。
くだらないことばかりだと言い聞かせて、大切なことのひとつも見つけられない。
手の甲に残った玉ねぎのみじん切りの香りが幸福の余韻をつくってる。
何度も嗅いでしまう。安心する。一生この香りが残っててくれてもいいな、と思う。
こどもの頃に、ふと香った母の手の匂いがするからだろう。
玉ねぎを切ると目に染みていたいけど、切るが一番好きな野菜だと思う。
あるところまでなぞればきっとあなたは四角く丸いのかもしれません。
ほんとうの輪郭を僕はなにひとつとしてしりません。
目で、手で、触れられる部分でしか、あなたの輪郭をなぞることができません。
誰にも負けないように、誰とも戦わないことを選ぶ。
小川や草のささやきに耳を傾けていたいのですが。
人間が嫌いなのは魅力的でずるいから、というのもある。
僕にはそんなもの一つもないのになぁ。
手のひらや指の付根、指先、爪の形をゆっくりとなぞりながら、手で抱擁がしたい。
それぐらいのふれあいがもっとも濃密なものになるのではないか、と思ったりする。
日によって一日中Desperadoを聴いているのに、一節もまともに歌えない。
ホテルビーナスみたくなってきた。
2023/10/04
やばいやばいやばい!ずっと欲しかった本の文庫本出る!うおおおおお!やべーめっちゃ嬉しい。一瞬で目覚めた。やばい!
だって単行本がさ、中古で五千円なんだぜ。
ちょっと手出しづらいじゃん。
それが八百円とか買いやん!サイコー!
今年一番嬉しいできごと決定。
やべー楽しみすぎる!!!!!
発声の仕方戻ってきたかもしれん。
地声の高音が裏返んなくなってきた。
今日はここ最近で一番よく眠れた。
だけど朝はなかなか思うように動けなかった。
少し前まで起きたらすぐに行動できていたのに。
モーニングページはこの頃書けていない。
ついこないだまではむしろやる気で、大きなノートも買っていたのだけど、今はえんぴつを持つ気にすらならない。
書くことがないわけではないのだけど、朝の割に、やりたいこととか考えたいことが直感的に出てこないのだ。
朝はネガティブになりにくいみたいなことをモーニングページをおすすめするYouTuberは言っていたけど、根が陰気すぎるのか内容が日に日に暗いのでだんだん書きたくなくなっている。
これからは寝起きにフリーライティングをやってみようか、と考えている。
変に考えごとがこじれていくまえに、フリーライティングですへてを放出してしまった方がいいんじゃないか、と思っている。
でもじっくり考えるなら、手書きの方がいいはずなのだ。
フリーライティングは頭を疲れさせることは出来るけど、負荷をかける感覚は浅い。
もしかすると手書きでフリーライティングをした方がいいのかもしれないな。
明日の朝はそうしてみようか。
タイピングのしすぎとギターの弾きすぎで右手が鈍い。
こういうときはスマホで書いた方がいい。
スマホのときはいつもporterを使っている。
2023/10/03
おひるねした。季節酔いしてるな、って感じ、ほんとうに頭がいたかったり、ぼーっとしてしまうし、最近だと喉もいたいので風邪か?
流しのしたの骨、おもしろすぎて、毎日笑っている。ずっと家族の話をしててかわいい。
今日、だいぶ虚無ってた。
短歌のこと考えてない、トイレに坐ってるときぐらいしか考えてなかった。
なんか今日ピンとくるものがないな、フリーライティングをしていないからか。
最近、フリーライティング信仰がやばい。いまもっともキテるアツいムーブ。
おひるねをかましたせいで、中々眠れなくなっている。こうしてどんどん夜を引きずっていってしまって、昨日のしわよせが明日にくるのだ。
まぁでもフリーライティングしたからいっか、ということにしている。せっかく起きているのだから、という感じで、楽譜を書いたりもしたけど、そういうことをさ、朝早く起きてやればいいんじゃないですか、と思うわけで。
2023/10/02
ねむい。まぶたがねっとりしてる。
排水口にのまれるみたいに、ねむりにおちたい。
短歌詠めるな。なんかやめた。
リズムと気持ちよさだけで作るのをやめようとしていたけど、これしかないのだ僕には。
最近はでも、定型破るのが楽しい。
リズムの違和感もおもしろい。
短歌に対する唐突なコメントに驚く。
自分の短歌にこうして誰かがわざわざ反応してくれるのは、それなりに注目されているのだろうな、とポジティブに受け取っておく。
内容に関してはピンとこなかった。
普通に元の方がいいじゃん、と思っている。
たった一文字変えただけで完全に他人の短歌になったので、愛着が消えて冷めた。
添削というよりかは、主観の好みのアレンジだな、と思ったので、いいね。
内容に対して、というより添削、という言葉に引っ掛かりを感じている。
短歌・俳句に上のような内容を書くか悩んだけども、
あなたの書いたそれと、僕の書いたこれってただの感想ですよね、という感じだし
短歌・俳句には極力、短歌しか書きこみたくないのでやめた。
基本的に僕が詠んだ短歌は、特に思い入れなどない。
仮にあったとして、詠んだ段階で実体を持たない。
生きてきた上で、感じてきたリズムと、肌感から、そうならざるをえなかった文字の羅列を嗅ぎわけただけのもので、
何かを考えてからそれが成り立ったわけじゃない。
青臭い運命とか必然に縋っただけの御神体みたいなものだ、今だってその感覚で文字を書いてる。
そこに大した意味なんてない、本能的にそう書きたくなっただけ。
僕は技術で詠める人間じゃない。
2023/10/01
いいように
あ、いいように扱われているなぁ、とか、都合がいいのだろうなぁ、と感じることがある。
それは被害妄想によるものだったり、イエスマン修行をしていた経験によるものだったり、極端に冷めてしまっている瞬間だったり、にそう感じる。
ときどき、ちょっと人に声をかけられるだけで、あぁひとりの時間が奪われるかもしれない、と警戒したり、それはひとりでどうにかできるものじゃないの?と冷めた感情を抱いてしまう。
ひとりの過ごし方があたりまえすぎると、寂しいと言われても、ならギターを弾けば、本を読めば、何かするべきことをすればいいじゃないか、と思ってしまう。
そもそも、寂しい、という感情はひとりであることの証明というか、ある意味で一番落ち着いた状態にあるような気がしているから、変にその静けさを乱すのはなんだか好きじゃない。
もちろんその静けさをじっと見つめるような時間なら、僕は歓迎なのだけど。
澄んだ湖面を眺めていると、内側が見えてくる、そこに泳ぐ、漂うものの生活が見える、それは不思議でおもしろい。
でもそれはやっぱりひとりで眺めるのがいちばん澄んでいるような気がして、ひとりの時間はかけがえのない財産だ、と思う。
僕はもしかしたら、その財産を人よりたくさん持っているから、いいように扱われるのかもしれないな、とこの頃ちょっと考えていて、
だとしたら、あぁ、たしかにあなたはひとりの時間がすくないものね、じゃあ全然僕のひとりの時間を使っておくれよ、という気分になっている。
他人に必要とされる、というのは悪くない。結局人間は社会的な生き物なのだなということを自覚せざるを得なくなる。
そういうどうしようもないものに流されていくのもいいな、と思う。
きっとこの人はどうしようもない寂しさに流されて、必然ひとりだった僕が巻きこまれているのだ。
きっとあなたも寂しかろう、そんな気持で接してくれる人もいれば、ただ寂しいから埋め合わせたい人もいる。
そういう人たちにいいように扱われていると、あぁ、孤独が擦れ合って、いずれヒリヒリするのだろうな、と思う。
そうして肌寒くなればいい。
たんたかたんか
短歌はやっぱりノリで詠まないといけないな、と思った。これから何百首詠んだって、きっとなんとなく詠むしか、僕には方法がないのだろう、と悟った。
その方法の中で、自分だけの感覚を見出していくしかないのだろう。
今日はなんとなく詠んだ。何も考えないで浮かんだ言葉をいくつか並べた。それは悪くないな、と思えた。だからもうこれでいいんだと思う。
最近自分の中で変にハードルがあがっていたのだと思う。
僕はいい短歌を詠みたいわけじゃなくて、しっくりくるもの、自分が気持ちよくなれる短歌が詠めれば別にそれでいいのだ。
クリーン
なんとなくクリーンナップされました、という感じ。すごく殺風景な部屋の中で、窓の外を眺めている気分。せせらぐような風が吹く。
雑念と邪念
最近、雑念が多かったな、と思う。僕に必要なのは邪念だ。邪念がある、と認識できることがもういいことだ。
生き方を少し間違えていたら、悪魔を崇拝していたかもしれない、とふと思った。
なんかもう眠すぎてなんも書けない今日。