『論考』におけるラッセルの序文の誤解
ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』において、バートランド・ラッセルが序文を書いているのだが、この序文に誤解があるというのはよく言われる話である。ヴィトゲンシュタインもそれについては不満を持っていたと言われている。しかしその全てが誤解なのだろうか。全てではないとすれば、何を誤解したのだろうか。正しく理解した部分はないのだろうか。それを理解することは『論考』の深い読解につながるだろう。そこで、ここではラッセルの誤解についてその内実に踏み込んで考察してみたい。 はじめ.icon