『死霊』自序の「私達」
埴谷雄高は「
私達
」という主語をよくつかうので、あまり気にしていなかったが、「
自序
」では「私個人」と使い分けている。
このような忌むべき事態は、勿論、私個人の歪んだ能力に由来するに違いない。と同時に、そこには私達が置かれた不幸な位置というものもある。
『死霊』の「自序」
より
さいきん読み返して気づいた(以前読んだときは印象に残らなかったようだ)。
これをふまえるとそのあとの嘆きめいた徒労感の意味あいがが理解しやすくなった。
いまさら感があるが今後はなるたけ気をつけて読んでみることにする。