『歎異抄』第4条メモ
人の感情に左右されたり、
「自分は何もしてあげられないな」とか思ったときには、歎異抄の第四条を思い出してます。
「助けたいと思っても、助けられないのが現実だ」ということですね。
四条では、「そもそも人は人を助けたいと思う」というのが前提になっていそうだなと思う
「すゑとほりたる」ということに価値が置かれているとおもう。
「すゑとほりたる」というのは、「実際には思う通りに助けられなくてもしかたがなくて、むしろ念仏することのほうが、助けるということの理に適っている」ということかなとおもう。
そして、念仏することも、人を助けようとすることも、どうせ同じである。(いずれ仏になり助けるから。)なら、念仏する感覚で、なにかできることをすればよいのかなとおもう。
原文では「おもふがごとく」という言葉が言われている。「思うようには助けられないよ」ということ。けど、現実的に、「相手の荷を担う」とかはできる。これはある種の「たすけ」である。けど、それで相手が救われるとは限らない。むしろ恨まれることもある。
相手の荷を軽くしつつ、相手の心も傷つけないというような「おもふがごとくたすけとぐる」ことはできない。
そして、「それでもいいんだ」と罪悪感なく開き直るためには、「だって、いずれ阿弥陀仏がみんな救うからな」という前提がないと難しい。
そういうシステムだろうなぁ、と。