『心的現象論序説』
「はしがき」より
〈言語〉の考察をすすめていたあいだ、たえず、言語の表現が、人間の心的な世界のうちどれだけを作動させ、どれだけを作動させないか、もしも、言語の表出において心的世界がすべてなんらかの形で参加するとすれば、はたしてその世界はどんな構造になっているか、というような疑問につきあたってきた。この疑問は、わたしの言語表現についての考察を基底のところでたえずおびやかすようにおもわれた。 そこで、〈言語〉の考察が、あとに力仕事だけをのこして完了したあとで、心的現象について基本的なかんがえを展開しようとおもった。
いうまでもなく、この領域は、心理学、精神医学、哲学の領域に属していて、わたしはひとびとがわたしの専門とかんがえている文学の固有領域から、すくなくとも具体的には一段と遠ざかることになる。しかし、現在では、一個の文芸批評が独立した領域として振舞おうとするとき、このような文学的常識からの逸脱はまぬがれ難いものである。そしてこの逸脱が、いつの日か文学芸術の固有領域を根源において惹きつけるということを信ずるほかはない。わたしは、じぶんがなにをなしつつあるかを宣告しようとはかんがえないが、なにかをなしつつあることは確かであるとおもわれた。