『山月記』読書会
10月14日と10月21日の2回にわたって開催する予定
中島敦
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頭良さそうだね
みんなのメモ・感想
難しい言葉たち
隴西(ろうさい)……地名
博学才頴(はくがくさいえい)……学問に対して豊かなこと
天宝(てんぽう)……中国・唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742年 - 756年
虎榜(こぼう)…… 中国で、進士の試験の合格者を発表する掲示板。 転じて、進士の及第者
江南尉(こうなんい)……中国の役職の名前
狷介(けんかい)……自分の意志をまげず、人と和合しないこと
故山(こざん)……故郷の山
虢略(かくりゃく)……地名
帰臥(きが)……官職を退いて故郷に帰り、静かに生活すること
峭刻(しょうこく)……きびしく残忍なさま
進士……科挙の試験科目の名称。のちに、その合格者をいった
狂悖(きょうはい)……非常識で不道徳な言動をすること
汝水(じょすい)……地名
監察御史(かんさつぎょし)……中国で、官吏を監察し、また、地方を巡察して行政を監視した官
陳郡(ちんぐん)……地名
嶺南(れいなん)……中国の南部の「五嶺」(南嶺山脈)よりも南の地方を指す
商於(しょうお)……地名
駅吏(えきり)……宿駅に働く役人
驚懼(きょうく)…… 驚き恐れること
峻峭(しゅんしょう)……厳しいこと
久闊を叙す(きゅうかつをじょす)……無沙汰をわびるあいさつをする
愧赧(きたん)……恥じて赤面すること
経書(けいしょ)……儒教の教典
長安(ちょうあん)……地名
薄倖(はっこう)……幸福に恵まれない運命にあること
倨傲(きょごう)……おごりたかぶること
郷党(きょうとう)……生まれ育った土地
碌々として(ろくろくとして)……平凡なさま
憤悶(ふんもん)……憤り、もだえること
慙恚(ざんい)……恥じて怒ること
暁角(ぎょうかく)……夜明けを知らせる角笛の音
道塗(どうと)……みち
恩倖(おんこう)……恵みと幸福
気になる文
「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事を為すには余りに短い」
「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
漢詩の解釈・翻訳
読書会の記録
10月14日
『『山月記』』の元ネタの一つは中国古典の『宣室志』「李徴」 李徴は天才すぎたんじゃないのかな、というか、彼の知能を理解できなかったのではないかな、と
IQ高すぎて誰にも詩歌を理解できない→自分が才能がないのだと打ちひしがれる
実務は作業の成果が明確にわかるけれど、芸術作品に連なるものってはっきりとわからない(読み手の主観ゲーみたいなとこある)から、そこで理解されなかったんじゃないかなと思った
李徴ASD説
「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
自尊心を捨てるのにも、勇気がいる
自分より才能のない人間の役職が自分より上になって、それが李徴の尊大な部分をより助長させてしまったと思う
天才だったけど、そこに甘える原因となったのが、彼の臆病な自尊心等だと思う
李徴は詩作を評価されたかったのか、詩作を通じて彼の理解者が欲しかったのか
私達の現実世界で「虎になる」瞬間があるなら、どんな時だろう
そういう意味では、李徴は「理解されるレベルの天才」くらいになりたかったのではないかな
山月記は共感できるところと、比喩表現のような不思議なところのバランスが良い
私は彼自身が完璧を求めて出そうとしなかったんじゃないかなと。だから、彼はあのままではいつの時代になっても作品を出さず、評価されなかったと思う。
いくら絶対的な知能の数値が高くそれを詩作に用いたとしても、周りの人に理解されなければ才能がないと決定づけられてしまう。その意味で、やはり世界が彼の知能に追い付いていなかっただけではないか
10月21日
李徴が得たもの、失ったものはなんだろう?
みんなの意見・解釈
得たもの:内面と外面の一致
失ったもの:夢を叶える可能性
李徴が得たもの→(獣としての)自由、兎(たべもの) 遠吠え
李徴が失ったもの→人としての生活、昇進 家族との接点
李徴が得たもの→ある意味俗な人間らしさ
李徴が失ったもの→彼の突き進まんとした先への可能性
李徴が得たもの→特になし
李徴が失ったもの→たくさん
虎になって失ったもの→人間であること
虎になって得たもの→人間味