『地震の神様』今村明恒
「天災は忘れた時分にやってくる」 という寺田寅彦の有名なあのフレーズは今村の『地震の国』というエ ッセイ中に出てくるそうだ。 (そのため寺田寅彦の自著にはそういった記述がないそうだ)
三陸海岸は昔から津波のよく来る場所で、1933年にも災害はあった。 その震災後に今村は住民らに家を高所に建てよと進言したが、彼等の反対もあって実現しなかった。
南海大地震の予知
1925年北但馬地震、1927年北丹後地震が発生する。 そして次は南海地震と予測した今村は和歌山、徳島、高知それぞれに観測所を自費で設け、次の震災へ備えた。しかし時代は第二次世界大戦へと突入し、1944年に東南海地震、1946年には南海地震と発生。戦中、戦後と荒廃した日本に災害が襲い、今村の努力は無に帰してしまった。
「君子未然に防ぐ」
最後に今村明恒の言葉を書いて終わる。
「地震と震災は区別すべき(略)地震は地殻の変動であり、人間の人力をもって制御することの不可能な自然現象であるが、震災は造営物に対する地震の影響であって、主として人間が自ら招く災害である。(略)もし人類が地震に対して無関心のまま文化を建設するならば、その文化の進歩の何十倍、何百倍と、加速度的に震災は増加するだろう」