『六の宮の姫君』『文放古』読書会
11月4日からの水曜日3週にわたって開催する予定
芥川龍之介
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こんな顔の芸人さんいた気がする
みんなのメモ・感想
『六の宮の姫君』
主体的・能動的に生きる事をしない女性を、わざと描いた?
それで、女学生の読者は、自分たち女性がバカにされてると思ったのかな。
更級日記と六の宮姫君は近いものがあるなと思いました
芥川、結構女性で苦しんでいましたね。
女性問題の事を頭から切り離す為、気分転換の為に王朝物を書き始めたとか、どこかに書いてあったような。
誰か特定の女性が、姫君のモデルになってるのかも?
夢見てるだけじゃ、実際、姫君はダメ?
見かけは流される感じで、実は、したたかじゃないと、良い男、または、良い生活をキープ出来なかった?
結局本人が動かないことには変わらないなあと。でもそれをしてもいいという風には教えられなかったんだろうな。
なんというか、程々で満足していると、肝心なときにも満足してしまうのではないかな。
高瀬舟では満足の気持ちを肯定的に書いていたけど、その満足が悪い方に働いた例、とい感じ。
姫君の心を変えられなかった、男の弱さ、説得力の無さを描いてる可能性も?
当時の男は、いつ捨てるかわからなかった。
姫君も突然両親がなくなって、その時点でもう先が見えなくなってたのかもしれな
芥川が大切にできず死なせてしまった女性に対する、追悼の意味があったりする?
いい子に努めてれば状況は良くなると思ってたのに、という気持ちで念仏を唱えなかったのだと思う。
彼女に意固地になっているところがあったのではとも思う。
絶望しすぎてもうどうでもよくなってたのかな?
死にかけで口動かなかったのかもって思ったけど、めちゃめちゃ喋ってるもんな…
精神的に唱えられなかった理由がある感じかな
希望を持った瞬間が蓮華が見えた瞬間かな。でもやっぱいいやって思っちゃったのでは。
彼女は周りに流されきる方にも、強く自分を通す方にも決めきれなかった。
姫は途中まで流されて、ここぞというところで悔しさを感じて意地になる癖があったのでは。
男はエゴイストになりきれるけど、女はなりきれない、という男女観がある?
姫君は、消極的なエゴイストなのかな。
アルコール死はあの世へいけるのだろうか
最期くらい両親と違う場所に行こうと思って蓮華が見えたけど、やはり両親に引っ張られて蓮華の方に行くのは諦めてしまった?
葛藤するのに疲れて、どちらでもよくなってしまったとか…
脇道それるけど、乳母が結局最後までいてくれるのがすごいな。
古典ではよく、乳母や乳兄弟が主人公に一生ついてくけど、ある意味当時の親子とか、はらからよりも関係が深い。
男が長期出張とか、出世に繋がる女が出来たときいたら、
姫君は、次の男を探すべきだった。
裏事情を教わっても、先に教わっていた表事情にしか耳を傾けなかった。
たしかに親にものすごい不満とか抱いていたわけじゃないし、親が立て続けに亡くなったのは普通に大きな不幸だね。
ズタボロのときに、今まで考えたことないような、汚い生き方をしなきゃって言われてもね。
最初その綺麗ではない生き方でいこうとしたのも、周りのためだろうし。
当時の結婚は、女の家に男が入るんだから、後ろ立てを失った姫君は、相当不利。
特に、お父さんは宮ってことは、天皇の親族なんだから、安売り方針は教えてなかっただろう。
ううん、芥川の話は気分が良くなる話ではないからあまり読んでこなかったけど、大切なことは書いてありますね。
大切な失敗例という感じです。
『文放古』
婦人向けの雑誌で婦人を攻撃してる。
炎上商法的な何かを感じました。
自活できず、結婚難に苦しむ女性。
「自活できない事を罵ってる」と手紙の中には書かれていたけど、自分は本当に芥川が罵るつもりで「文放古」を書いたのか疑問に思いました。
むしろ、夢に破れて妥協しながら生きていく……という点で、芥川は手紙の書き手に親近感を覚えてるように感じました。
手紙を最後に入れた場所に、芥川自身の夢の残骸も入っていた様子なので。
婦人向けの雑誌に掲載されたということは、ある意味女性を啓蒙する意図があったかもしれないですね。六の宮の姫君のように流されて生きるのではなく自分自身で主体性を持って生きてくれ的なメッセージを感じなくはなかった
芥川は自分の奥さんが教養・知識で自分にレベルが合わないので、結婚後も浮気続けてたらしいが、いつも、人妻相手だったみたいなので、別に、女性の経済的自立を重視してたんではないのでは?
手紙の書き手自体は、女性を啓蒙しようとしていましたね。でも、インテリとしての自負が妙に強くて、論点がブレてる感もあった。
女性向け雑誌だったら、啓蒙かも。同じ雑誌にどういう文章が掲載されていたのかにもよるけれど。
「文放古」が掲載された『婦人公論』という雑誌は、知的水準の高い婦人が読者の中心だったらしいです。以前貼った、例の論文によると。
ただこのエッセイによって女性を教育する意図だけじゃないような気がしています。最終文らへんですけど、これも書きたかったのだと思う。この部分は個人的には神経質だった芥川らしい
この手紙、本当に実在する手紙なのかも気になりました。やっぱり広告の為に拵えた、架空の手紙のような気もしてくる。
手紙の口調が話し言葉になっているのも不自然な気がしました。
この時代の手紙って、こういう書き方してたのかな?
トーチカさんも言ってたけどこの手紙が架空だとしたら手紙の中で色んな有名人が出てきてるからなんか巧いやり方だなぁと思います
芥川は芸術至上主義の立場で小説を書いてて、フェミニズムの視点からの批判では、その芸術性を相殺する事はできない。そういうメッセージが「文放古」には込められているとか……論文に書いてあった気がします。
六の宮姫君と杜子春は、芥川に対する印象を変える話だった。ただ不幸せな話をある意味エンタメ的に書いている印象があった。