『モナドロジー』の60
『モナドロジー』の59
『モナドロジー』の61
モナドの混乱
モナドは全てを表現しているが、認識するのはごく一部であるという考え方が述べられる。
制限がなければ
どのモナドも神になりうる
といった可能性が述べられている。
どうして、対象自体が制限されていると言ってはならないのか?
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ただ事実を述べているだけで理由はない(演繹された帰結)
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対象自体が制限されているとすると、対象と対象のあいだに明確な切れ目があるはずだが、実際には、どこで対象を区切ればいいかが判然としないからでは
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