『シネマ』
1983年と85年に出版された、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる二巻からなる映画論。ドゥルーズは、H・ベルクソンの『物質と記憶』やCh・S・パースの記号論を主な参照項とすることによって、Ch・メッツに代表されるような映画を言語や言語活動との類比においてとらえる言語学的な映画論から距離を取って、映画の独自性にもとづく「イメージと記号の分類」を試みた。映画のイメージはまず、不動の切断面の連続としてではなく、「持続の動的な切断面」すなわち「運動イメージ」としてとらえ直される。この運動イメージそのものは中心なき宇宙をなしているが、脳や身体という「不確定の中心」と結びつくことで、「知覚イメージ」、「感情イメージ」、「行動イメージ」という三つの主要な変種へと区別され、それらのイメージは行動と反応からなる「感覚運動図式」によって連鎖されることになる。しかし、ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグなどの戦後の現代映画とともに、そうした感覚運動図式では処理できない、異常な事態や凡庸な日常が現われ(「純粋に光学的・聴覚的な状況」)、人物たちは行動する者から「見る者」へと変貌する。こうして感覚運動的な延長を中断されたイメージは、過去の潜在的イメージと関係を結び、両者が識別不可能になる点において「結晶イメージ」を構成する。時間はもはや運動を介して間接的に提示されるのでなく、それ自体を直接的に提示するに至るのである。時間イメージはまた、世界の耐えがたさを前にした思考の不可能性から出発して、この世界への信頼を取り戻そうとする試みであるとされた。こうしてドゥルーズの議論は思考、身体、脳、政治の問題へと広がってゆく。それゆえ本書は映画論であるのみならず、後期ドゥルーズの哲学的主著でもある。