『カリスマ』感想
『CURE』に比べてあまり知られていない作品だが、これはとても面白い映画なのでみんな見ては?とオモタ 刑事藪池(役所広司)はとある事件の犯人から「世界の法則を回復せよ」と言うメッセージを受け取る。そして森に入る この時点でやばい映画だが、森の中では一本の木(カリスマ)がその毒素によって森を壊滅に追いやっていた。カリスマを生かして森を殺す(殺して再生させる的思想)と、カリスマを伐採して森を存続させる勢力で争いが行われていた
藪池は事件で犯人と人質の両方を生かすことができなかったので、この選択は藪池の境遇とも重なっている
カリスマ支持で弱肉強食論の桐山(池内博之)
自然の協調論でカリスマを伐採すべしと言う植物学者の風吹ジュン(ただ、こいつは協調というが行動的にちょっと怪しい)
他にも色々出てくるが、とりあえずこの二択(途中でカリスマを金で買い取ろうとする松重豊が出てくる)
そもそもこの毒素によって森が滅ぶ〜的な話がかなり眉唾なのだが、登場人物たちは総じてこの木のカリスマ性を信じている
この選択の中で藪池はどちらにも汲みするような曖昧な姿勢を取り続けるが、最終的には「あるがまま」的な姿勢を見つける
実際にカリスマ2号(そもそも第二のカリスマなのかもわからない木)を生かそうとする藪池の行動は周囲から理解されず異端扱いされる。この辺で藪池は「あるがまま」を言い出すが、この時は藪池は何かを悟り、「色々あるけど俺はこの木を生かすぜ」的な何か穏当なエンドを迎えると思わせる。が、そんなことはなかったのは流石である。
この「あるがまま」的な姿勢は「風の赴くまま、自分の好きに生きようや」的な思想に移行可能であり、これは一見平和っぽくて穏当であるが、どのような選択も可能である。暴力的な選択も。社会秩序から逸脱可能な自由さをも手に入れたと言える。
藪池は最後の方に松重豊を拳銃で打ちながらも生かそうとする(この選択には全く迷いがない)。この藪池が暴力によって他人を生かそうとする強力な権力性を持ったということを意味している。
真のカリスマとは誰かというと、それは藪池自身であろう。
この役所広司は『蛇の道』の哀川翔に近い何か吹っ切れた不気味さを感じる。
哀川翔に比べて一見いい人そうに見えるので、それだけに厄介である。この役所広司は黒沢清映画に随所に現れる。
森という存在が持つ恐ろしさと崇高さを映像美として追求している
タルコフスキーの影響
黒沢はこの時期エドワード・ヤンの撮影方法を意識していたらしく、建物の中を建物の外から撮るショットは確かにヤンの影響を感じさせた
桐山の暮らす廃病院?と元植物学者?の風吹ジュンの暮らす自然と人工の共存的ないい暮らし的な家との対比がある
廃墟の撮り方が相変わらずうまい