『2666』のメモ
難しく考えなくても、面白く読める。
1部……キュートな恋愛コメディ
2部……インテリの実存的ドラマ
3部……ハードボイルド
4部……長大な事件報告
5部……ビルドゥングスロマン
※各部にホラー要素あり
以下、考察めいたもの
ボラーニョの言葉:隠された中心、消失点がある。語りてはアルトゥーロ・ベラーノ。
ひとつにはこのように説明できる。たとえば『白鯨』において求めるべき中心、巨大な怪物は白鯨だった。白鯨として存在していた。『2666』においてはそれは隠されている。埋められている。あるいは底にある。これについては、『1Q84』のリトル・ピープルのように、人間の怨恨などの強い感情が呪いのように災いをもたらすという表現もある。
文学、書物への愛着
モチーフの繰り返し、変奏
アルチンボルディという、アルチンボルトのような名前をキーパーソンに付けたのは、この小説の構造つまり細かなモチーフの重なりが全体としてあるヴィジョンを顕すことを示す符牒である。p706
というより、これはこの小説全体が部分とも全体ともいえない(部分でも全体でもある)、ということである。p187
これは、たとえば、「盲目」というメタファーによって表現されている。
この「盲目」のメタファーには種類がある。
「死角の盲目」。他のことに気を取られて目がいかなかったり、隠されているため見えない。
批評家の部の研究者たちは、アルチンボルディを探しに来ているから、サンタテレサで何が起こっているかわかっていない。
「二重の盲目」。盲目なのにさらに盲目になる。
「盲目に見える」。澄んだ瞳ゆえに、盲目の者からは盲目に見える。
ライターが水中メガネを拒絶するのは、彼が「見える者」だから。
「読む」
各部の主人公には、書物を読む場面がある。
彼らが何を読み、どう読み、どういうことを考え(考えず)、世界を見る目がどう変わったかは重要。
批評家の部。アルチンボルディの作品を読む。
アマルフィターノの部。妻からの手紙。吊るされた幾何学の本。
フェイトの部。部族の歴史の本。
犯罪の部。ラロ・クーラが読む警察の本。
アルチンボルディの部。海藻の本。アンスキーの手記。
アルチンボルディの部の、手記の内容
部の並び
それぞれの主人公に見えている危機のレベル
批評家たちは、ほとんど見えていない。
アマルフィターノは不安を感じているが、行動できない。
フェイトは事件に気づき、行動する。
警察たちの一部は犯罪に直面し、捜査をする。
ハンス・ライターは戦争に直面し、サンタテレサの犯罪にも向かう。
アルチンボルディと語り手(ベラーノの関係は、アンスキーとイワノフの関係、アンスキーとライターの関係とパラレル
つまり、イワノフはアンスキーのアイデアを脚色して小説にする。アンスキーはイワノフの小説と人となり、自分の人生を手記に書く。ライターは作家になる。メキシコに行ったら、たぶんベラーノと会うのかもね。『野生の探偵』読んでないからわからん。
見た者と、書く者。見た者は書かれた文を読んで自分が書く者になる。
要素
パルツィヴァール p636
日本人ノブロ・ニサマタ p640 二三又伸夫じゃない?(適当)
大文字の目 p642 まさに二重の目。
エントレスクとハース。罪のあるスケープゴート。
好きな一節集 パフパフ
優しいことをさらりと書いてるのがニクいね。
文化は、失われたり、過ちを犯したりしながらも、つねに姿を変えながら生き続ける。p140
すべてはすべてのなかに、とアンスキーは書いている。p706