「道」を形成する要素
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反復
反復は道の探求に欠かせない要素である。しかし、反復を「同じことの繰り返し」と捉えると、それは若干異なる。なぜなら、道の探求者の実践は、常に向上し続けているからである。前回の実践よりも、今回、次回とわずかであっても常に向上し続ける。このような意味で、道の探求者の反復は、同じことの繰り返しではないのである。 道への意識
同じことをやっていても、それが道の探求になる場合とならない場合がある。例えば、受験勉強でも学問の研究であっても、それが単なる受験勉強や研究で終わるのか、それとも道の探求になるのかは、それは行う者の意識次第である。これは同時に、既存の道と言われるもの(例えば書道や茶道、武道のような)以外のものでも、道の探求は生じるということを意味する。逆に言えば、既存の道と言われるものをやっていれば道の探究が自動的に生じるわけではなく、やはりそこには何らかの意識が必要なのである。 背後にあるものを見る力
それでは道の探究が生じるか生じないかを分けるポイントは何かと言えば、「背後にあるものを見る力」であると言える。勉強をやろうが、書道をやろうが茶道をやろうが、そこの背後にあるものは実は同じことをやっているのである。この同じことと言うのが、つまり道の探究なのであるが、それは目の前の勉強や目の前の書だけに囚われていては見えないものである。自分は一体そこで何をやっているのかと言う意識。この「背後にあるもの」という点において、書道や茶道などの「道」が老子の言う「道」から来ているものであるという理解がしやすくなる。 最もシンプルに道の探求を行えるものは座禅や瞑想である。これらを続けていると道の探求がいかなるものなのかを身体レベルで実感できる。そして、座禅や瞑想を続けていると他のこと(日常の何気ない動作に至るまで)が道の探求の実践と化す。このような意味で、道の探求の基本となるものが座禅や瞑想なのである。