「私とは何か」仏教と西洋哲学
ただのメモ
第14回
私とは何か
西洋
古代ギリシャは仏教と親和性が高い
ヘラクレイトス「万物は流転する」
仏教ぽい
プロタゴラス「人間は万物の尺度である」
プラトン・アリストテレスあたりから分かれていく
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仏教と近いことを言っている
貧しい人→自我が薄い人
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デカルト
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カント
仏教に寄ってくる
ヘーゲル
ニーチェ「神は死んだ」
「ヨーロッパはまだ仏教を理解できるまで成熟していない」
フッサール ハイデガー レヴィナス メルロ・ポンティ
仏教には修行というピラミッド状の体系がある
西洋哲学は是々非々で批判していくジェンガ状
仏教は修行を通じてHowを学ぶ
質問
西洋に神が出てきてから仏教と離れ、神が後退してから仏教と親和性が高まっていくように見えるが?
仏教の起った紀元前に思想的に面白いことがいろいろ起こっている
ペスト→魔女狩り
科学の時代へ
ニーチェ「論理的決着は紀元前に仏陀がやってんだよ」
現代のスピリチュアルブーム
質問
私が認識しているのが世界?
唯識論
「空」 色即是空 空即是色
私が認識することで他者が存し、他者が存することで私が存す
唯識論にたつと、私というものが存立しえない
私という認識は瞬間的なもの
認識された瞬間に過去におちていく
可能性としか存在できていない
赤色とは、私がいっている赤色ではないすべての色ではない色
「これ」は「これ」以外のすべてではないものとしてなりたつ
トイレに行った時、どこから💩でどこから私なのか
我々が我々である境界線は曖昧
ピラミッドは石の塊である、石の塊はピラミッドではない
ピラミッドと我々が認識しているだけである
これはここからこれだというロジックはあなたが決めただけである
パフェのたとえ
苺パフェから苺をとったら苺はパフェなのか
パフェから具材をとっていってグラスだけになったらグラスはパフェか
要素を分類していくと無限分岐する
私ではない私を探そうとすると無限分岐していく
西洋でいう形而下の世界
我々は仮の存在にすぎないが私とはこういう存在だといってしまう
ここから苦しみが生まれる
行