「神経目線」を規定するものの1つとしての「遠近感」についての一連の考察
from 神経目線
あれ | 宇田川浩行 | デライト (Delite)から解釈するに、ネットワーク構造の単なる俯瞰が持つ欠点(情報同士の繋がりが無秩序な形でしか呈示されないという点)を避けるために、デライトは「神経目線」というコンセプトを採用している。それにより情報同士の繋がりが「遠近感」(ある種の秩序)を伴う形で呈示されることになる久住哲.icon
前段落で言われている「遠近感」が何であるかを想像するに、次のような次第であると思われる久住哲.icon
各輪郭が「前景」及び「後景」を伴っているということ。
それら前景及び後景が、当の輪郭と距離的に「近い」情報であるということ。
前景及び後景に無い輪郭は、当の輪郭と「遠い」ものとして、さしあたり見えなくされているということ。
当の輪郭から前景又は後景に「移動」すると、今まで見えていなかった「より遠い」輪郭が見えるようになるということ。
前段落で言われている「近い」及び「遠い」という比喩には、次のような含みがあると思われる久住哲.icon
近くにあるものは見え、そして見えるに値する。一方、遠くにあるものは見えず、そして見えなくていい。
なんらかの行為をしようとして、そのために情報を用いようとするとき、この目的にとって必要だったり参考になったりする情報以外は見えなくてよい。また、この目的に無関係な情報はむしろ見えない方がよい。
前前段落で言われている「近い」という表現は、次に引用する文から想像するに、「近場で済ませる」というニュアンスを含む。
そこで『神経目線』になってみると,情報のやりとりは出来るだけ近場で済ませたい,ということになる。つまり,必要十分な情報に最短で辿り付けるように脳は整理されている。(あれ | 宇田川浩行 | デライト (Delite)より)
前段落で引用した文から、次のようなことが言えると思う久住哲.icon
引用文から類推すれば、遠いという表現が意味するところについて、次のように言える。
遠いとは、「近場では済ませきれない」というニュアンスを含む。
遠いとは、「その場からより遠いところへと移動する必要がある」ということだ。
前行における必要を満たそうとするときに、情報同士の繋がりが、その「距離」に関して無秩序な形で呈示されても困る。移動先が元の場所とどの程度遠いかどうかが分からないからだ。
この段落の以上で言われている「遠近感」が意味するものは、情報処理の効率に関する秩序の一種であると思われる。すなわち、「遠近感」がもたらす秩序は、情報処理の効率化に資するものであると久住哲.icon