「概念」とは何なのか
よく分からない。
例えば、衛生の概念を持つと、「毎日毛布を洗わないまでも、それを叩くことで皮膚片や虫の死骸などを除去することができる」と思いつき、毎日布団を叩くようになるかもしれない。
それは「衛生の概念」を持ったからなのか?そうというよりは、毛布には虫の死骸や皮膚片がくっついているという知識を得たことの結果として、そういう習慣を身につけるきっかけが得られただけではないか。
cman.icon「キレイな状態を保たなければいけない」という動機(≒衛生の概念)がなければ、それらの知識を得ても“そのままでいいか”と思うのではないか?
つまり、知識を得ると、その知識を反映した行為が行われる……というだけでは?
知識(情報)を得ることで、寝具についての衛生の概念が修正され、その結果、衛生保持というコンセプトでまとめられる一連の行為シリーズに変化が生じる……とは言えるかもしれない。
例えば、どうせ毎日毛布を洗うことはできないのだから毛布に対して衛生のために毎日する行為は無いという考えから、たしかに毛布を毎日は洗わないが毎日布団を叩いて塵を落としてもいいだろうという考えへの変化があるかもしれない。この場合、毛布の概念が変わっている。
「毛布の概念」とは?
この場合、生活においての毛布という名の企画と言い換えてもいい。
企画は行動と結びつけられている
企画は行動と無縁ではありえない
企画は行動そのものではない
企画は趣旨を持つ
企画は特殊な行為のための指針になる
新しいものを開発すると、従来から固定されたものを破壊する契機になる