「名もなきログの積み重ね」
久住哲.icon
code:引用
Logseqのおかげで「プロジェクト」と捉える概念の範囲が大きく広がり、2回以上実行するありとあらゆることは「プロジェクト」と考えるようになった。
昼ごはんはプロジェクトだし、昼に食べたうどんすらもプロジェクトだと考える。
「うどん」すらもプロジェクト……
非常に共感できる。
例えば、どこの店のうどんが美味しいだとか安いだとか、どのうどんが美味しいだとか、うどんをどのように茹でれば美味しいだとか、うどんというモノをプロジェクトと見立ててれば、調べたいこと、実験したいこと、そして人に知らせたいことは色々と見えてくる。
Logseqの場合、日誌における記録中のキーワードをダブルブラケティング([[キーワード]])するだけで、ダブルブラケティングされた言葉についてのログのシークエンス(時系列順に並んだ記録の列)を簡単に生成することができる。それを見れば、自分が日々、そのキーワードに関連してどんなことをしてきたか、どんなことを思ってきたかを眺めることができる。 ダブルブラケティングすることが容易であり、かつ、それによって生まれるログのシークエンスを確認することも簡単なので、プロジェクトの概念がゆるくなる。すなわち、「さーて!プロジェクトXYZにコミットするぞ!」と気合を入れて研究意図をはっきり持ちながら記録を取ってゆかなくても、特定の仕方で日誌を書いてゆくだけであるキーワードの下に記述が集合するということが起こるので、それを「ゆるプロジェクト」のようなものと見なすことができる。
これは、日々繰り返し何かについて言葉を積み重ねてゆくときに、その連日の営みに対してプロジェクト名を付けなくても済ますことができるということでもある。強いて言うなら、ダブルブラケティングされるキーワードがそのままプロジェクト名になる。
その営みのなかでちょっと個人研究企画を立ててみたならば、日々は改善のための工夫の楽しみに溢れるだろう。