「人生に意味はない」という事実は生きる理由になりうる
2022/06/03
生にはなんの意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。唯一の理由にだってなる。
シオラン『告白と呪詛』
これの意味は分かる。逆を考えてみればいい。もしも生に意味があったなら、その自分に課せられた使命などというものがあったなら、人間はその重荷に潰されることになってしまう。人間の生に意味などはなく、人は本来自由な存在なのだ、という意味。自分の人生をいかに選択しどのように生きてもいい、という意味だと思う。
06/08
毎日、つぎのように繰り返すべきである。「自分は、地球の表面を何十億と葡いまわっている生きものの一匹だ。それ以上の何者でもない」ーーこの陳腐な呪文は、どんなたぐいの結論をも、いかなる振舞い、いかなる行為をも正当化する。遊蕩も、純潔も、自殺も、労働も、犯罪も、怠惰も、反逆も。
……かくて、人間は各自、みずからの仕業にそれ相当の理由を持つことになる。