Kは『城』の中で充電するか
カフカ『城』は、いつもイイところで邪魔が入る話だ。たとえば、少々唐突なフリーダとの恋愛も、これからグダグダした爛れた生活が始まるのかと思いきや、生活と所属のために労働へと駆り立てられる流れになる。その教員補助の仕事もまるでウケの悪いショートコントのような必死な滑稽さでぬるりと展開される。何より主な登場人物は変わらないので、何度も同じ名前と顔が現れて話がややこしくなる。話がややこしくなるということは、話の筋がこんがらがっているということだ。住所の近い各人が長いコンセントを互いに絡ませ合って右往左往しているようなもので、解決は見込めない。主人公のKは部外者であり、話の筋を持たない。住所もない。コンセントもない。よくできた充電式なのだろう、なぜかなかなかやる気は落ちない。ストレートに読めば逃げ場も救いもないので、肯定的解釈をしてみよう。イイところで邪魔が入り話しがややこしくなるということは、私たちも日夜体験していることだ。悪夢でさえ例外ではない。Kが目的を達成するということは、適切な充電場所を見つけるということだ。『城』に描かれていたのはいわゆる夢の、形而上の世界だけれども、私たちは繰り返し読み進むことで深層のダムを駆動させて、魂のエンジンに充電していく。