2025年のM1を振り返る
決勝
ドンデコルテ
エバース
たくろう
9票中8票がたくろうに入り、たくろう優勝
結果論ではあるが、今回はたくろうが3番目であったのが功を奏したかなと思う。やはり最後の爆発力のインパクトがすごくて、それで全部持っていた感がある。
この3組に共通する要素が、「個性」と「型」である。3組とも濃いキャラの相方の個性を活かしたネタ作りをしていたなと思う。M1決勝は一回目と二回目に同じ型のネタをする必要はもちろんなく、昨年の令和ロマンやそれ以前のさや香などは全く毛色の違うネタを持ってきていたわけであるが、今回の3組は奇しくも、一回目と二回目に同じ型のネタを持ってきており、だからこそ今回のキーワードの一つに「型」を挙げた次第である。「型」と「個性」というのは密接に結びついている。自分の型を確立するためには、必ずその型には、その者の個性が活かされているからである。別の言い方をすれば、自らの個性を把握し、それを活かせる者のみが型を確立できる。もちろん「型」は一朝一夕で確立することはできない。長年の試行錯誤の上に初めてたどり着くことができる。だからこそ、「型」を確立した者は強い。この3組はその「型」を確立している印象を受けた。
エバースのネタは、佐々木がとんでもない無茶な案を町田に提案することから始まる。これは佐々木の利己的な動機に基づいている。町田は見た目はいかついがお人好しな部分があるため、最初は戸惑うものの段々佐々木のペースに巻き込まれていってしまう。エバースのネタが面白くなるのは、出発点が非現実的というだけで、そこから先はずっと現実的な話をし続けるからである。例えば今回の一回目においては、町田が車になるという設定は有り得ないものの、「自分は立ってられるから駐車場はいらない」、「でも立ってるところを見られると車でないからまずい」、「それなら五分前に連絡してくれ」、というやり取りは非常に現実的であり、ここが面白くなるポイントである。
たくろうのネタは、木村が急にごっこ遊びを始め、赤木が訳も分からないまま、それにのらざるを得なくなるというスタイルを取る。相方が唐突に設定を開始するというのは、エバースと共通であるが、エバースは現実的な話であるのに対して、たくろうの方はあくまでもごっこ遊びであるという相違点がある。また、エバースは佐々木の利益に沿うように町田が利用されるような形になっていくのであるが、たくろうの方は、木村が、ただ自分がやってみたい、試してみたいから付き合ってくれというスタイルになる。エバースは、佐々木が口の上手い詐欺師的ないやらしさが出てくる部分があるが、たくろうの方はそうはならない。さらに、エバースは佐々木がボケであり、町田がツッコミである。ボケが提案する分、出発点が非現実的になるのだが、たくろうは、赤木がボケであり、木村がツッコミであり、ツッコミが提案する形式になっている。木村はツッコミといっても、赤木がボケる場所を整えるお膳立てとしての役割を果たしている。これはネタ中のみならず、フリートークの部分でもそのような場面はよく見られた。ちなみにエバースにおいて、佐々木がボケであり、町田がツッコミであることの違和感があるのは、通常のイメージでは、ツッコミは頭が切れて、ボケは間抜けな感じがするのだが、エバースはそれが逆になっているからである。このように、同じ唐突な提案型のスタイルを取っていても、結果は違ったものになるというのは興味深い。ここにはかなり二人の性格や人間関係が作用しているものと思われる。
赤木のすごい所は、あのおどおどした感じを計算でできることである。計算とはいっても、もちろん本人の素の性格もそのような所はあるとしても、大吉もコメントで言っていたように、相当練習しているはずなのに、あのおどおどした感じを毎回再現できるのがすごいことである。またより長いスパンでみれば、決して短くはない芸歴なはずなのに、あのおどおど感をいまだに保存できているというのがすごい。基本的におどおど感というのは世間ではあまりいいものとはされず、まして芸人とくれば、多様になってきているとは言うものの、人を笑わせる職業である以上、やはり明るくはきはきとした者が理想とされるような現状はあるだろう。これが二流の芸人であれば、周りに合わせておどおどを捨てるか、それができなければ自分は芸人に向いていないと諦めその場を去ることになるだろう。だが、赤木の面白さの核はあのおどおど感に他ならない。これは芸人に限らずどの世界でもそうであるが、周りに流されず自分を保てた者が結局強い。まして逆風があれば通常は折れてしまう所を、ずっと自分らしさを保存していられたという所が、赤木がM1チャンピオンに値する人間だったという所以である。
この「型」という視点から見たときに、残念だったのはヤーレンズである。今回彼らは過去二回とはネタの傾向を変えてきた。これまでは、コント的な役柄を明確にしたネタであったのだが、今回はそのスタイルは取らなかった。ヤーレンズらしさは随所にあったものの、爆発力に欠けたのはそれが原因であったと思う。
漫才というのはお客さんとのコミュニケーションでもある。自分たちはどういうポイントで笑いを取っていくのかという所を短い時間の中でお客さんに伝えなくてはならない。お客はそのポイントを理解できたときに始めて安心して笑うことができるからである。それまではお客の中でも笑いの試行錯誤状態がある。特に初めて見るコンビなどはそのポイントがわからないため、そのコンビの世界観を理解し入り込めるまでに時間がかかる。上手い漫才というのはその導入がスムーズなのである。「それならよく知られているコンビの方が有利じゃないか」。今回なら、ヤーレンズや真空ジェシカのような。それは確かに一理はある。そのようなコンビの笑いへの持っていき方は最初から知られている、それは一つの有利さではある。だが同時にそれは「飽き」「マンネリ化」という危険性も伴う。お客は、理解したいという要求と同時に新鮮さや意外性も求めているからである。だから、M1常連組の有利な点と不利な点、初出場組の有利な点と不利な点が同時に存在する。
それと関係して、M1では毎年必ずと言っていいほど「跳ねる」コンビ、人間が存在する。それが前回ではバッテリィズであり、今回では、ドンデコルテ、渡辺、たくろう、赤木なのであった。この「跳ね」という現象は常連組には起きにくい、というよりも原理的に起きないと言っていいかもしれない。それが既に知られているコンビや人間であれば、「跳ねた」とは言われないからである。例えば、前回の令和ロマンを「跳ねた」と呼ぶだろうか。令和ロマンが跳ねたのはその前の大会だからである。この「跳ね」という現象がM1の最大の魅力の一つなのであるが、これにはやはりこの大会で発見されたというインパクトが重要である。この「跳ね」を利用してそのまま優勝まで駆け上がるケースもある。今回のたくろうがそうであったのだが。この「跳ね」のインパクトがものすごいため、ここは常連組の明確に不利な点であるのだが、逆に言えば、令和ロマンはその「跳ね」を蹴散らすほどの凄味があったともいえるだろう。