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並行読み中の本
面白そうメモ
宮沢賢治 - 存在の祭りの中へ
継続中
雑記 新着順
初めて入ったVC部屋は笑い声が絶えなくて、終わる頃には頬の筋肉に疲れを感じるほどだった。
昨日は忙しかったし疲れてたしで寝る時間も早かった。そのおかげで今日の起床は早かった。午後は読書時間を多めにとってゆっくりしたい。カーテンを通した黄色がかった光で部屋が明るい、いい天気だ。
久しぶりに夜は外食でとった。ホッケ定食にして正解だった、おいしくて余裕の完食。いつにも増して食べ跡が綺麗に見えたので写真に撮っても良かったかなと思った。
コンビニのお菓子でも外食のお膳でも値段上がりした上に量が減らされている。景気の悪さを感じる一方で食べすぎなくて済むと思う自分がいる。
身内の人相が変わってきたような。もちろん素顔は個人差があるけど、笑顔で過ごせているかは結構素の状態でも出るように思う。筋肉の硬さとか。
だいぶ夜が涼しくなって、暖房器具が恋しくなり始める。
こころの処方箋は、最近見聞きする両親と周辺の摩擦を網羅しているように思う。以前両親について姉と話をしたことがあったけれど、その頃より親が無自覚に持っているものの解像度が上がって、今時の◯◯障害や依存症のタグがたくさんつけられそう。“真面目な人の無反省さは鈍感や傲慢にさえ通じるのがある“が今は響く。
空港で売ってるお菓子を通販しようかな、と話したら空港に遊びに行こうと返された。私は交通費の方が高いと思うんだな。も一つ言うと空港に遊びにいくこと自体は構わないけど、人や車の混雑が嫌なのだ。同じ理由で旅行も行ってない。
ボッコちゃん面白いなぁ。一言で言うと鮮やか。まだ1/4読んだところだけどさっそく好みが出る。オチのつき方に大喜利
を感じる。生活維持者のような残酷さや理不尽を分散・公平にした社会のシステムは理想的にすら思う。ただし差別がなければ。
おーい でてこーい
月の光
生活維持者
子供の頃は矯正されたり治されたり、大人になると受け流したりやり過ごしたり。
意外と寂しさって継続の助けになっているかも。物事に飽きにくくなる気がする。
満たされると飽きやすいとか、浮気者みたい。分かち合いに飽きるのかな。
久しぶりにSNSのグループで読書記録を共有しようかと思いついたが、ノルマにすると義務感や焦りから早々にやる気を失くしそうなのでやめた。
満たされるから飽きるのではないようだ。制限される不自由に飽きるのかもしれない。息苦しさだ。
今日も一冊読み終えた。
ギャンブルはしないけど、デジタル時計がゾロ目になるとちょっぴり嬉しい。
かなりの早寝をてしまったのでこんな時間に起きてしまった。仕事をするのにいい静かさ。
灰色の万能さ。
別のPodcastの和歌・短歌を深読みする回が面白かった。
ゆる哲で旧家を“きゅうけ“と読んでいるのが引っかかって調べてみたら二つの読み方があり、話の意味的に“きゅうか”だろうなと思った。自分にも心当たりのあることだけど、外国のものほど母国のものに興味を持てないとかありそう。さらに検索結果に出たAIも読み方を混同していて精度が怪しい。今後AIの回答を信用しきる人は増えていくだろうし、本来の日本語が失われていくスピードが上がりそう。
大昔にタイムスリップできたら、どの時代でどのくらい話が通じるのか興味がある。
自分でゲームする気ないけど、ゲームの動画見るのはやめられぬ。
まだ見たこともないfalloutのゲーム内に出てくる食べ物を解説するマニアックな動画を見つけた(界隈では有名そうなチャンネル)。そこからのFancy Lads Snack Cakesのリアルクッキング動画、裏道を探検するみたいに楽しい。ようつべはまだ遊べる余地がある。不知の強み。
肌寒いくらいの涼しさ。過ごしやすい朝はなんでもできる気になれる。
今日もあとで本を読もう。ゲームから離れた効果は大きい。昨日はポモドーロそっちのけで読みきってしまった。
今日はなんとなく7時から仕事を始めた。外は天気が良さそうだ。体調が安定してて熱中するものがない時期は仕事も苦ではない。珍しく気持ちが仕事を避けようとしてない。避けてはいないがはやく代わりの人が現れてほしい。
何事かにどハマりするのも攻撃性が形を変えたものかもしれない。たぶんそれで欲求不満を解消しているし、熱中する姿は品がないというか、荒々しいと思う。それでメンタルのバランスをとろうとしているが、安定ではない。
インドのサッポロ一番塩らーめんの作り方みたいなシンプルな動画いいな。壷カレーも絶品に違いない。
午後はずっと本読みたい。仕事一件終わらせたからいいでしょ。ゲームには飽きてる。
世捨て人になりきれず労働につきまとわれる人生。
不景気や物価高と言っても富裕層の優雅な金遣いは変わってない。
仕事の話を聞いてワーカーホリックについて考える。
読み辛い作家の文体の話を聞く。
以前、文語体に感じたストレスを思い出す。今思うと理解できないことが劣等感を刺激していたのだと思う。今はそう思わなくなっていて、むしろ読みたくなっているのはなぜだろう。
なぜ人が集まっても幸せになれ(見え)ないのか。
ご褒美に本を4冊買ってもらう。本で餌付けできることを覚えた別の人にも本を買ってもらいそうになるが丁重に辞退。
方丈記を買うか少し迷った。
ゲームのグループチャットでは成果アピ=自慢率が増える。自慢も続くと周囲は飽きるのでアピールしなければいいが、交流下手グループがそれを奪われるとチャットがお葬式になる。この自慢の流れも演技なのか?反応するのも一人くらいしかいない。世間話ができないこの状態は詰みなのだろうか。
若い世代の言葉遣いに困惑する話をラジオで聞いて共感する。
自分の場合、会って話すのでないもののチャットのやりとりで話しにくさを感じている。敬語風の若者言葉、会話中の突然入れられる独り言のような自分褒め等。リアルではまず見ないオタク所作というか、この手のタイプはネット特有なのか?量産型のごとく増えている。人前での演技としてそうなるのか?これに年上がノリを合わせることなのか、合わせないで流すことは大人げないのかも疑問でもやる。音楽性の違いほどのやりにくさがある。
かくいう私も人と会って話す時に無駄に明るく振る舞って後でドッと疲れるタイプだ。上記が演技ならテンション無理しなくていいんだけどなーと思う。私の感じるやりにくさが相手の気遣い由来だったらと考えると、どちらもリラックスになってないのでなんとも言えない気分になる。
作業中、ラジオ代わりにゆる哲学ラジオ。しばらく勉強系のコンテンツから離れていたが、楽しんで聞けるようになってきた。哲学マニアと初学者のとりあわせがいい。Podcastは聴覚で事足りて手元に集中できるし、何よりCMも操作の手間もなくて快適。
制作してるものが一発で決まると嬉しい。早く帰れるし!