適応的選好形成
たとえば今の女子中学生にとって、自分が政治家になって国会で議論したり、大企業のトップとして経営判断を下している姿というのは、なかなかポジティブにはイメージしにくいかもしれません。日本の国会にはスーツを着たおじさんばかりが目立つし、女性が政治家になるには、そういうオヤジたちと付き合えないといけないのかなと感じてしまう人もいるでしょう。
でも、女性の社会進出が進んでいる国においては、かなりちがうはずです。というのも、現実に政治家として成功したり、企業経営者として活躍している魅力的な女性が、実際にたくさんいるからです。「私もあんなふうになりたい」と思える、ロールモデルになるような人がたくさんいれば、職業のイメージもおのずと変わってくる。 なにが言いたいかというと、あなたは政治家や企業経営者よりも看護師や教師が自分にぴったりだと思い、それが自分の自由な意思だと思っているかもしれない。けれども、そういう将来への希望や見通し自体が、すでに社会の不平等から大きく影響を受けているのかもしれないと考えてみてほしい。自分が生まれた家庭の経済事情、生まれた場所、性別などによって、将来なりたい職業、どんな人生を生きたいかという希望が狭められているということはないでしょうか?
──たしかに、あまり大きな夢は抱いていないかも……。
なるべく大きな夢をもちなさい、という話ではもちろんありませんよ。
目の前にある実現が可能そうな選択肢だけに合わせて、最初から自分の希望や目標を狭めてしまうことは「適応的選好形成」と呼ばれます。それがあまりに行き過ぎるのは、よい状態とは言えません。日本でいえば、本当は能力がある女性がそれを発揮しなかったり、貧しいという理由だけで多くの才能が埋もれていたりする。そうだとすれば、その人たちだけでなく、社会にとっても大きな損失でしょう。
アメリカの哲学者ジョン・ロールズは『正義論』において、1人1人の人生にどんな機会が目の前に開かれているかという「生の展望(ライフ・プロスペクト)」における平等こそが大切であると説いた。 飢えないとか、貧困にならないということだけでなく、「どれくらい将来に可能性があるか」ということも大事だと考える必要があるのかもしれない。