能力を行使しない人たち
書いている自分としても理解しがたい人達ではあるのだが、稀にいる。
世の中には、例えば「高学歴なのにその職業に就いているの?」という人たちがいる。
昔、新聞配達のバイトをしようと思ったときにそこの店長さんに聞いた話だけれど、京大卒なのにトラック運転手をやっている人が知り合いでいるのだと言っていた。
おそらく人間関係が嫌になったからなのだろうと推測している。
似たような事例→全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ | 文春オンライン
これは有名ですよね〜
他にも、5chで見かけたのがたしか「阪大卒で期間工をしている」という例。
メンタル面だと仕方がないかなと納得したりするのだが、他にも、成績が良いのに「家から近いから」という理由で偏差値的にはそれほどでもない高校に入る人が世の中にはいる。成績が良いのに大学進学をしないという選択をする人達がいる。
(最近見てビックリしたのだと、『ゆるキャン△』のEDを歌っている佐々木恵梨さんの学歴は京大卒。「ん?」と思ったが、よく考えるとヒャダイン(前山田健一)も京大卒なのにニコ動から出てきた音楽家だったりする。)
彼らは自分の中の”好き“を優先したのだろう。
【追記】この例は適切ではない。なぜなら彼らは自らの好きを優先しただけであり、結果的に歌手や音楽家になれているのだから自分の能力を行使して職業に就いているとも言えるから。ということで()つけとこう。
こういう事例は勉強に限らず、スポーツや芸術方面にも当てはまるのだろう。
こういう人達を見かけたり、彼らの話を聞くと私たちは「え?なんで?」と思うし、たまに能力をあえて行使しない人達を見て嘆く人がいたりするものだが(自分もその1人かもしれない)、あえてその当たり前を疑ってみると「能力を行使しない自由」もあっていいだろうとも思われる。
つまり、言いたいのは「高学歴なら大企業勤務じゃないとおかしい」「成績が良いなら高学歴じゃないとおかしい」「スポーツの才能があるならプロにならないとおかしい」などと言うことの方がおかしいのかもしれない。
最近始まったダイヤモンドの功罪を思い出した