福音書の記述を元に描かれた絵画を整理する
聖書を元にした西洋絵画や彫刻などは読者にとって聖書の理解を大いに助けてくれる。
実際、西洋絵画を少しでも知っていると、新約聖書を読んでいて「ああ、あの絵画に描かれていた場面か」と気づき、聖書理解の解析度が上がる。 もちろん難解なイエスのたとえ話が絵画によって分かるわけではないけれど、まず物語をしっかり頭に入れる上で視覚に訴えかける描写に頼る意義はありそう。
少し前の読書会VCでライチさんが「聖書に描かれた絵画を貼っていくのは面白いかも」ということを言ってくれて、確かにそうだと思ったので、西洋美術の復習兼アウトプットとしてこのページで少しずつ整理してみる。
前提
場面は順不同。
中世西洋美術以外のものも取り上げる。バロック様式のものであったり、ルネサンスの時代のものも区別することなく取り上げる。
取り上げる絵画について執筆者の好みが多分に反映されている。
受胎告知
https://gyazo.com/93acef9e3414160705fe96c15d7dddee
フラ・アンジェリコ《受胎告知》、サン・マルコ美術館|File:ANGELICO, Fra Annunciation, 1437-46 (2236990916).jpg - Wikimedia Commons
フラ・アンジェリコの《受胎告知》。受胎告知は様々な時代の画家によって数多く制作されてきたが、おそらく最も有名な受胎告知。 天使ガブリエルがマリアに、聖霊の力によって神の子を身籠ったことを告げにくる場面。
code:ルカによる福音書 - 受胎告知
「その翌月、神は天使ガブリエルを、ガリラヤのナザレという町に住むマリヤという処女のところへお遣わしになりました。 この娘は、ダビデ王の子孫にあたるヨセフという人の婚約者でした。 ガブリエルはマリヤに声をかけました。「おめでとう、恵まれた女よ。主が共におられます。」
ルカの福音書 1:26-28 JCB
https://gyazo.com/ce4c7339372a157591d923cfa0e1b867
エドワード・バーン=ジョーンズ《受胎告知》、1876-1879|Wikimedia Commons - File:Edward Burne-Jones The Annunciation.jpg
聖マタイの召命
イエスが徴税人のマタイを仲間にする場面。
code:マタイによる福音書 - 聖マタイの召命
「イエスはそこを去り、道を進んで行かれました。途中、マタイという取税人が取税所に座っていたので、「来なさい。わたしの弟子になりなさい」と声をおかけになると、マタイはすぐ立ち上がり、あとについて行きました。」
マタイの福音書 9:9 JCB
https://gyazo.com/ae81d772a8487eee9640310f308bb178
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《聖マタイの召命》、1599-1600|Wikimeia Commons - File:Michelangelo Caravaggio 040.jpg
この絵画は「どれがマタイか」という大きな謎がある。一般的にイタリアでは、スポットライトが当たっている髭面のおじさんがマタイだと言われているらしい。しかしバロック美術が専門の美術史家・宮下規久朗は、一番左の俯いている青年がマタイではないかと指摘している。 徴税人という罪人が、キリストに呼びかけられて突然回心するというこの主題においては、帽子を被った身なりのよい髭の男よりも、血走った目で金銭を凝視する若者が主人公であるほうがより劇的となる。また実際に絵のある礼拝堂の入口に立ってこの絵を見上げると、左端の若者が非常に大きく見え、画面の主人公であることが納得できる。
宮下規久朗『バロック美術 西洋文化の爛熟』P100
悪魔の誘惑
イエスが洗礼者ヨハネによる洗礼の後、四十日間の断食をし、悪魔の誘惑に耐える場面。
code:マタイによる福音書 - 悪魔の誘惑
「それからイエスは、聖霊に導かれて荒野に出て行かれました。悪魔に試されるためでした。 イエスはそこで、まる四十日間、何一つ口にされなかったので、空腹を覚えられました。 悪魔が誘いかけてきたのは、その時です。「ここに転がっている石をパンに変えてみたらどうだ。そうすれば、あなたが神の子だということがわかる。」」
マタイの福音書 4:1-3 JCB
https://gyazo.com/e1038f5b94693cf09f7f577455bdbbc0
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《山上の誘惑》、1308-1311|Wikimedia Commons - File:Duccio - The Temptation on the Mount.jpg
ルネサンス以前のドゥッチョの絵画。そのため、遠近法は重視されていないが、代わりにイエスや天使、悪魔が大きく描かれている。この場面ではよく取り上げられる絵画。 https://gyazo.com/a38ecfc91ca6794cbfaca63a706e505f
イワン・クラムスコイ《荒野のイエス・キリスト》、1872|Wikimedia Commons - File:Kramskoi Christ dans le désert.jpg
19世紀ロシア美術を代表する画家クラムスコイの作品。こちらもこの場面で有名な絵画。 手を固く握りしめ、痩せ細ったイエスが岩座に座り、厳粛な雰囲気が漂っている。周りに悪魔はいないが必死に誘惑に打ち勝とうと耐えているのかもしれない。写実的で精神性に溢れた絵画。
イエスの洗礼
イエスが洗礼者ヨハネの洗礼を受ける場面。
code:マタイによる福音書 - イエスの洗礼
「そのころイエスは、ガリラヤからヨルダン川へ来て、ヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けようとされました。 ところが、ヨハネはそうさせまいとして言いました。「とんでもないことです。私こそ、あなたからバプテスマを受けなければなりませんのに。」」
マタイの福音書 3:13-14 JCB
(中略)
「イエスが、バプテスマを受けて水から上がって来ると、突然天が開け、イエスは、神の御霊が鳩のようにご自分の上に下るのをごらんになりました。 その時、天から声が聞こえました。「これこそ、わたしの愛する子。わたしは彼を心から喜んでいる。」」
マタイの福音書 3:16-17 JCB
https://gyazo.com/d4676564a811e2f19192302657109b8e
ヴェロッキオ工房《キリストの洗礼》、1472-1475|Wikimedia Commons - File:Andrea del Verrocchio, Leonardo da Vinci - Baptism of Christ - Uffizi.jpg
ルネサンスの画家、ヴェロッキオの工房で複数人の手によって制作されたとされる絵画。ヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠。この作品は若い頃のレオナルドの手も加わっており、ヴェロッキオとの共作となっている。 https://gyazo.com/48f94341c9267f82affdd5e10de4cd35
エル・グレコ《キリストの洗礼》、1596-1600|Wikimedia Commons - File:El bautismo de Cristo (El Greco, 1597).jpg
マニエリスムの画家、エル・グレコの同主題の絵画。エル・グレコの円熟期の作品。 洗礼者ヨハネの死
ヘロデ王が兄ピリポの嫁のヘロディアを妻にしたことで律法を犯しているとヨハネは批判し、そのことで彼は捕らえられた。ヘロデ王はヨハネを殺害するつもりはなかったが、ヘロディアの方には恨まれていた。ヘロデ王の誕生祝いの席で娘のサロメが見事な舞を披露した褒美にヘロディアはサロメにヨハネの首はほしいことを言わせる。王はやむなくヨハネを斬首することになった。
code:マタイによる福音書 - ヨハネの死
「実はこのヘロデは以前、兄のピリポの妻であったヘロデヤのことが原因でヨハネを捕らえ、牢獄につないだ張本人でした。 それは、ヨハネが、兄嫁を奪い取るのはよくないとヘロデを責めたからです。 その時ヘロデは、ヨハネを殺そうとも考えましたが、それでは暴動が起きる恐れがあったので思いとどまりました。人々がヨハネを預言者だと認めていたからです。 ところが、ヘロデの誕生祝いが開かれた席で、ヘロデヤの娘がみごとな舞を披露し、ヘロデをたいそう喜ばせました。 それで王は娘に、「ほしいものを何でも言うがよい。必ず与えよう」と誓いました。 ところがヘロデヤに入れ知恵された娘は、なんと、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきたいと願い出たのです。 王は後悔しましたが、自分が誓ったことでもあり、また並み居る客の手前もあって、引っ込みがつきません。しかたなく、それを彼女に与えるように命令しました。 こうしてヨハネは、獄中で首を切られ、 その首は盆に載せられ、約束どおり娘に与えられました。娘はそれを母親のところに持って行きました。」
マタイの福音書 14:3-11 JCB
https://gyazo.com/32f21511b46c7185f7b0cf56b2137114
ギュスターヴ・モロー《出現》、1876|Wikimedia Commons - File:The Apparition, Gustave Moreau 1876.jpg
フランス象徴主義の旗手、モローの有名な絵画。ワイルドの『サロメ』より制作年代は早い。 しかし、モローは聖書の記述よりも魔性の女としてのサロメを描いたと言われている。
モローが《出現》を描いた1870年代はフローベルやラマルメなどがサロメを題材にしており、サロメブームが起こっていたらしい。
放蕩息子のたとえ
『ルカによる福音書』に書かれているイエスによる神の哀れを示すたとえ話。よく知られたたとえ話の一つ。
code:ルカによる福音書-放蕩息子のたとえ
「ある人に息子が二人いました。 ある日、弟のほうが出し抜けに、『お父さん。あなたが亡くなってからでなく、今すぐ財産の分け前がほしいんです』と言いだしたのです。それで父親は、二人にそれぞれ財産を分けてやりました。 もらう物をもらうと、何日もたたないうちに、弟は荷物をまとめ、遠い国に旅立ちました。そこで放蕩に明け暮れ、財産を使い果たしてしまいました。 一文なしになった時、その国に大ききんが起こり、食べる物にも事欠くようになりました。 それで彼は、その国のある人のもとで、畑で豚を飼う仕事をもらいました。 あまりのひもじさに、豚のえさのいなご豆さえ食べたいほどでしたが、だれも食べる物をくれません。 こんな毎日を送るうち、彼もやっと目が覚めました。『お父さんの家なら雇い人にだって、あり余るほど食べ物があるだろうに。なのに自分は、なんてみじめなんだ。こんな所で飢え死にしかけている。 そうだ、家に帰ろう。帰って、お父さんに頼もう。「お父さん。すみませんでした。神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。どうか、雇い人として使ってください。」』 決心がつくと、彼は父親のもとに帰って行きました。ところが、家まではまだ遠く離れていたというのに、父親は息子の姿をいち早く見つけたのです。『あれが帰って来た。かわいそうに、あんなみすぼらしいなりで。』こう思うと、じっと待ってなどいられません。走り寄って抱きしめ、口づけしました。 『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。 それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。 死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。』こうして祝宴が始まりました。」
ルカの福音書 15:11-24 JCB
https://gyazo.com/2021bc7488a735411787ef84dd085026
レンブラント・ファン・レイン《放蕩息子の帰還》、1666-1668|Wikimedia Commons - File:Rembrandt Harmensz. van Rijn - The Return of the Prodigal Son.jpg
バロック期を代表するネーデルランド(オランダ辺り)の画家・レンブラントの名画。妻子に先立たれたレンブラント自身の姿が投影されていると言われている。 https://gyazo.com/0ed28e7183f036ceb77bd5ac36348bae
ポンペオ・バトーニ《放蕩息子の帰還》、1772|Wikimedia Commons - File:Pompeo Batoni 003.jpg