現代は「情報の濁流」の時代──情報が積まれる理由
参考:『積読こそが完全な読書術である』
1965年の日本人口は9900万人ほどで1万5000点の新刊を受け止めていた。
現代(参考書出版時2020年)の日本人口は1億2000万人ほどで、7万5000点の新刊と半世紀の間に蓄積された200万点、それ以前に蓄積されてきた既刊本を私たちは受け止めている。
アメリカ→日本の人口の約3倍、約21万点の新刊(2012年)
イギリス→日本より人口は少ない、約20万点の新刊
ドイツ→日本より人口は少ない、約9万点の新刊
WHOによると世界人口はこれからも増える見込みであり(2100年には110億人の予測、/kumakocellar/世界人口が増えたのはなぜか?)、グローバル化に伴って書物の量がこれからも増えていくのは自明。
また、現代人には新刊書籍以外にも、テレビ、ラジオ、そして新聞や雑誌といったいわゆるマスメディアの他に、インターネットを介した様々な情報があり、さらにはローカルメディアやミニコミや同人誌などの最近見直されつつあるオルタナティブな情報もある。
現代では様々な情報メディアの発達と普及によって、情報を扱う産業の構造が変化し、その結果として情報そのものも変質を続けている。
例えば電子メールの普及により、人々の働き方は大きく変わった。電話で伝えるよりもはるかに多くの情報を伝達し、互いのパソコンや携帯端末にログが残る電子メールの登場によって、多くの人の業務は加速し、過密化することになった。
電子メールによる働き方の変化のようなものが余暇や学習の領域にまで持ち込まれる。
映画、音楽、ゲームなど様々なジャンルで、または公的・私的を問わない学習の領域でそれまでには考えられなかった密度と速度で処理することが可能になった。
高密度、高速度で仕事やエンターテインメント、学習を処理することが可能になった結果、人は処理可能な「物事」をかつてなく大量に「積む」ようになりました。
返さなければならないメール、こなさなければならないタスク、観たいけどまだ観ていない映画、聴きたいけどまだ聴いていない音楽、遊びたいけどまだ遊んでいないゲーム(いわゆる「積みゲー」)、学びたい言語、興味のある学問の分野、そして、読みたいけれどまだ読んでいない本。現代人は、これまで人類が経験したことのない規模の情報を生み出し、それにさらされて生きることを余儀なくされています。それは、人類史上もっとも情報を「積む」人々が無数に発生しているということを意味しているのです。
参考では、このようにあらゆるメディアで情報が鑑賞されることなく積まれる状況を「情報の濁流」と呼んでいる。