期待されると自由ではなくなる
関連:無能な人、役割期待、役割距離
「あの人は賢いね」「あの人は有能だね」。こういった賞賛や尊敬の眼差しを実に私たちは欲しがっている。逆に無能や馬鹿のようなレッテルを嫌う。自分を軽視されることに繋がりかねないから。
しかしよく考えてみると、愚鈍であったり無能であると思われる方が自由だ。聡明、有能だとみなされると、そういった発言や振る舞いを求められることになる。もちろん、それに応えなければいいだけの話ではあるのだが、他者からの期待に応えようとし続けるとこれは苦しい。自由ではない。たまにキチガイゲージが溜まってふざけるということもできないし、何か失敗をしてしまったらその賞賛や尊敬の眼差しを向けてくれる相手、期待してくれている相手を失望させることになりかねない。
つまり、逆を言ってしまうと、無能や愚鈍であるということはより自由であるということだ。
無能と思われていると、たまに迅速な対応をした場合に評価が上がり、パートさんは饅頭をくれる(ちなみにこのケースはほとんどない)。無能な人#6347f637abc73f0000601e9f
ということもあるのだ。
謎定期
用無用のお話が荘子内篇の冒頭にあった
大きな瓢箪の使いでを誰もわからない