期待されると自由ではなくなる
「あの人は賢いね」「あの人は有能だね」。こういった賞賛や尊敬の眼差しを実に私たちは欲しがっている。逆に無能や馬鹿のようなレッテルを嫌う。自分を軽視されることに繋がりかねないから。
しかしよく考えてみると、愚鈍であったり無能であると思われる方が自由だ。聡明、有能だとみなされると、そういった発言や振る舞いを求められることになる。もちろん、それに応えなければいいだけの話ではあるのだが、他者からの期待に応えようとし続けるとこれは苦しい。自由ではない。たまにキチガイゲージが溜まってふざけるということもできないし、何か失敗をしてしまったらその賞賛や尊敬の眼差しを向けてくれる相手、期待してくれている相手を失望させることになりかねない。 つまり、逆を言ってしまうと、無能や愚鈍であるということはより自由であるということだ。
ということもあるのだ。
謎定期
大きな瓢箪の使いでを誰もわからない