日常における倫理的な実践、あるいは指導の話
重要なのは自分自身の仕事を絶えず改善していくこと。
私が知らないことを私は教えられない。
私がよく知っていないことを私はよく教えられない。
最寄り駅という目的地・目標という終わりへの道案内なら簡単だ。
多少は移動距離が長くなってもわかりやすい目印が在る道を伝えようかなど、
その場その人に合わせた話をできる。
仕事の場合、レジでお釣りを渡す「単純作業」にだって工夫の余地はある。
お釣りを手渡しすることがある店では、レシートと小銭数枚を渡すとき、
レシートの上に硬貨を置くようにすると、レシートが手を離した途端に反り返って硬貨が跳ねることがある。
レシートはトイレットペーパーのような形をしており、レシートの紙質はわりと形状を保ちやすいため、
巻きが強い後半になるにつれてそういうことが起こりやすくなる。
地味に面倒なことだ。新人さん、とくに慌てがちな人にとっては一大事ですらある。
じゃあどうするか、どう教えるかってことになるわけだが、とりあえずそれは置いておく。
少なくともここではこんな「単純作業」にも水準がありうるということ、
「単純作業」は存在しないということ、これを言うにとどめる。
「たかがそんなこと」でもああしたらいやそれはダメだからこうしたらと、
文字に起こせば1000は軽く超える。
普段の仕事のなかで「単純作業」化しているところがないかを、
普段の仕事のなかで、空いた時間のなかで考えるというのは、大事なことだ。
そういうことを積み重ねていけば、以前の私からしたら「できない人」だったのが、
「ぜんぜんいける」人になりうる。
「できる人、できない人」は教える者次第。
そして一つの業務に関して反省に次ぐ反省を重ね、その反省にもとづき普段の業務を意識し、
その業務に関する理解を固めていき、理解度を高めていけば、
「とりあえずこことここを抑えとけばオッケー」という判断が「できる」。
時間の制限もある、一度に教えられることに関する制限もある。
そんななかで自分の考えたことをすべて伝える、なんてのは無理な話だ。
それでも一度に伝えられる内容を増やすためには、一度のトレーニング効率を高めようとするなら、
こちらでメモを用意しておくほうがよい。
覚えがよいからといって、その場でわりと早くできたからといって、
その人が次回以降も同じようにできるかはまた別の話だ。
業務によっては次にやる機会が少し後になることもあるが、
そのときに参照できるものがないと、なまじ「できる」ぶん、
なんとなくでやって失敗しかねない。
「できる人」「できない人」両方にとって、こちらがメモを用意しておくことは大事だ。
とくに、どの時間にどの業務をやるのか、というのは大事だ。
各時間帯の客数の傾向を簡単に示しつつ、
「この時間帯はレジ周りで出来る業務をやる」
とか書いておけば、いま何をしたらよいか、ということに関しての戸惑いを減らせる。
それは一緒に仕事する人にとってもより楽なことだ。
シフトに入るようになったらあとは出勤時に売り場の様子を見る。
その出来具合で、「フォロー大変だったんかな、客数はどうかな」
などと当たりをつけておいて、データを見たり、
新人さんがいないとこで一緒に入ってた人に様子を聞いたりする。
そういうことをしておかないと、たいていの人は我慢しがちだから、
耐えきれなくなって溜まった不満が噴出、みたいなことになる。
どの現在も「危機・分岐」の時間、非時間である。
いくらでもだらだら書けそうだからここまで。