思考にふわふわ漂うもの 25_10月号
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2025/10/16
いろいろなものごとが少しずつあつまって、貝印でも断ち切れない暗澹たる気分を編み上げていく。やるべきことは何も終わっていない。進めるべきことも何も進んでいない。もうなにも起きないでほしい。喉がぐるぐる鳴る。生ぬるい空腹を感じる。わたし、もうなんにも好きじゃない。ただはげしい欠乏を感じることを望んでいる。
2025/10/15
あいされたい。愛ゆえに欺かれたい。愛ゆえに欺いてきたから、私の番が来てほしい。
私を看取ってほしい。もちろん、愛ゆえに。いつか、私の苦痛の日々をいたずらに引き伸ばすことじゃなく、看取ることが真の愛だと気付いてほしい。そして、その私の看取られる瞬間の幸福に人生を懸けてほしい。そこまで愛されたい。そこまで愛されたら、どれだけ幸せだろう。
これ以上、独りの時間を私に味わわせるなんてありえない。そう思ってくれたら。
なんでもいいから、たった一言の挨拶でもいいから、言葉を交わしたい。そう思ってしまうほど寂しくて寂しくてたまらない。
愛されたい。看取られたい。独りはいやだ。ぜったいにいやだ。しぬほどいやだ。独りになるぐらいなら死んでしまったほうがましだ。なのに、僕は今、ひとりだ。寂しさが私の周りにバリアを築いてしまうことをあなたは知らない。愛してるの言葉も、一回じゃ私のところまで届いてくれないことを。
2025/10/14
まどろみの中で、いやなゆめをみた。自分の子供が小学校から帰ってくる。その瞬間から泣きだす。宥めつつ話を聞いていると、「靴下がやぶけてるのはいいの!違うところ見て!」といわれたのでみてみたら、足裏に「親には絶対に言うな」「昼休みにひとりで校舎裏へこい」とか書かれていた
2025/10/13
どこまでいっても、私は真の孤独には触れられない。いつだって、自分が隣にいるから。私と、メタ認知の私とで手をつないで歩んでいるから。私は私を気の毒に思ったり、嘲笑ったり、誇らしく思ったりといろいろな評価を下す。私は常に私に他者からの評価という必須アミノ酸を与えてくれる。だから、誰もいなくてもそれが欠乏することはない。もちろんそれだけじゃ生きていけないので、私でない他者はたくさん必要なのだけれど、そこだけは常に満たされている。私は何が言いたいのだろう?私に親しみを感じていて、それを伝えたいのかもしれない。私、愛してるよ。私も。一生一緒にいようね。一つの体に宿る2つの私(多重人格的なことではなく)。切っても切り離せない、一卵性双生児。エスと超自我の社交ダンス。よくわからなくなってきた。今確かなものは愛だけなのかもしれない。
2025/10/12
わたしは善性のいきものなの。
2025/10/07
お腹が空いて空いて、ご飯のことを考えながらごろごろしていたら1日が終わりそう。早く痩せて、この日々を終わらせたいと思ったが痩せてもこの日々は終わらないんだよなあ。
大切な人に私を諦められるぐらいなら死んだほうがましだ。諦める、というと自己完結しているように思えるかもしれないけれど、それって私を捨てたってことだから。私が駄目になっていくのを受け容れたってことだから。
2025/10/06
またおなかがすいてしまった。まだご飯は食べられない。昨日まではそれが怖くて怖くてしかたなかったけれど、今はそんなに怖くない。大丈夫だ。
ラムネで50カロリーほど摂った。あとプロテインで100カロリーほど摂る予定。今ある分を食べきったらラムネは辞めるつもり。もしくは学校ある日だけ食べるとか。
友達に誘われたのでサイゼ行った。なるたけカロリーの少ないものを……と思ってほうれん草のソテーにしたのだけれど、あとから調べたらあれ200カロリーあるらしい。怖い。
2025/10/05
会いたい。あなたに会いたい。どうしても会いたい。怖い。自分の螺子が飛んでしまいそうで怖い。時間とともに病気が進行していくのがわかる。怖い。もうあなたのくれるごはんですら食べないのが正解だと思えてきてしまった。胃袋が2日からっぽなだけでこんなに怖い。死なないのに。
友達が助けにきてくれたおかげで、チーズハットグをひとつ食べられた。今日食べたのはこれだけだけれど、安心した。食べなくなってからほんの数日しか経っていないのに、永らく体がつめたかったような気がした。
2025/10/04
摂食障害が再発した。すぐ直るかもしれないし、もう二度と直らないかもしれない。
今日は朝にプロテインで100カロリーほど摂って、あとはお昼に紅茶とガムシロップを少し飲んだ。それだけ。ガムシロップの甘みが身体の中に入ってきたとき、体が軽くなって、びっくりした。今はもう戻ってしまったけれど、カロリーと糖分って大事なんだなあと思った。
爪が汚くなるのは嫌だからたんぱく質だけはきちんと摂ろうと思っている。
飲み物以外なにも口にできない、したいと思わないのが怖い。宙に投げ出されたようで、なにかにしがみつきたい。食事は人間の精神を支えるものであるとはっきりわかる。あなたたちにとっては食事なんてただ毎日3食とればいいだけのものなのかもしれないけど、私にとってはそうではない。この気持ちをあなたたちが理解してくれたことなんて一度もない。食欲と空腹が切り離されてしまった世界を感じることもあなたたちにはない。食べないことにだらだらと報酬を与え続けるこの脳は直ったと思ったのに。
忘れていたものを思い出した。外界すべてが穢れである世界を。その欠片でさえ自分の身体に取り込みたくない世界を。まだ思い出しただけ。浸ってはいない。
人間は丈夫だ。ちょっと食べなくても死んだりしない。筋肉が落ちて、骨がスカスカになって、お腹以外ぜんぶがりがりになって、それからようやく死ぬ。そこまではいかない。それがわかっているからたちが悪い。
ごはんが食べたい。あなたと食べたい。食べ物を口にしたいのではなくて、あなたと「ごはん」を楽しみたい。私がそれを避け始める前に。もしかしたら、そのうち禁止されてしまうかもしれないから。
会いたい。あなたにあいたい。あなたに。会いたい
2025/10/03
英検の打ち上げに友達と少し遠出して流行りの食べ物を食べに行った。おいしかった。勉強するために今日は食事を摂ったのだけれど味はわからなかったから、嬉しかった。
自分といるのに疲れた。しばらくはたぶんなにもできずに寝込むだろう。それが私にはきっと許されている。
生涯を共にする自分自身を愛せなくてどうする。この苦痛から逃げてどうする。どうしようもないだろ。唐突に、この苦しみを仕舞い込むためだけに他人を利用することに、きっと興ざめしてしまったのだ。独りで生きる準備を私の心が始めたのだ。どうでもよくなる準備を。
それか、僕とあおちゃんを殺して私になろうとしたのが良くなかったのか。僕とあおちゃんは自由な存在で、私は束縛された存在だ。もしかしたらそれがだめだったのかもしれない。けどもう後戻りはしたくない。いつか来る日だ。
人と、賑やかさは、私を救ってくれる。天国にいるような心地にさせてくれる。それは、変わらない。でも、ぬくもりの輸血に赤子のように丸くなっている日々は、終わらせなければならない。そう思う。
独りでいられないときに独りにされた、あの痛みと苦しみ、それと流し込んだ安定剤は、私に何らかのきっかけを与えたのかもしれない。
わからない。戻りたい。この心の異物を取り除きたい。嫌な予感がする。親しい人に飛びついて、抱きしめられたい。胃袋が気持ち悪い。
2025/10/02
孤独で、おなかもからっぽだ。久しぶりに長めの過呼吸になった。たくさん泣いた。おなかがすいた。ごめんなさい。孤独の恐怖に耐えられなくて。それを心の奥にしまっておくことができなくて。胃袋の悲鳴が聞こえてくる。通話を切るだけで涙が出るなんて異常だ。おかしいんだ。
何かをするどころか、起き上がる気力すらない
絶望しすぎて寝たきりだし、なんとか水を飲んで起き上がってお手洗いに行ったら気持ち悪くて飲んだ水を吐いてしまった。それからまたぐったりしている。朝に少し白米を食べてからは何も口にしていないし、もう寂しすぎて死ぬんじゃないだろうか。
2025/10/01
そうだよなあ。当たり前だ。誰からも見放されて、ただ一人孤独の疼痛を受け止めるだけの日もあるよなあ。そりゃそうだよ。英検3級の過去問の調子も良かったし、カラコンも買えたし、うん、今日は充分良い日だ。だいじょうぶ、きっと。明日になれば、みんな目を覚ましてくれる。みんな私を、ぬいぐるみみたいに愛してくれてるから。孤独に。一方的に。独りよがりに、愛してくれてるから。私には、そうやって愛される覚悟があるから。きみには分からない苦痛がある。それでも、愛されてることのほうがずっと大事だから。形骸化した自分を愛される、自分の輪郭だけを愛されるという違和感。みんな私の存在で自分を慰めているだけだ。私を愛している人は決して私を見てはいない。ただ一つの人の影をみんなは愛している。それが判っているのに、そのまま送る日々のこと。そんなこと何一つきみにはわからずに私を羨むんだろうけど。たまに、気持ちの悪いときもある。けれども、真実の愛を探す旅になど出れない。他人のぬくもりの輸血がやめば死んでしまうから、私は愛に縛りつけられているのだ。一生を、輸血と拒絶反応とともに行きていかねばならない。どうしようもない。そんなの全部わかった上で生きている。私は何が言いたいのだろう?私は不幸だと言いたいのかもしれない。だから、私を羨むのはお門違いだと。でも私は幸福だったはずだ。私は、私の幸福は私の努力と覚悟と苦痛の日々によって成っているものであり、それを用意することもなく無責任に私を羨む人々を軽蔑したいのかもしれない。人を軽蔑したがる自分なんて好きじゃない。でも、私が、私を羨む、ということをたまらなく不快に感じているのは否定しようがない。人が人を羨むための資格というものは存在しないのだと理解しつつ、おまえは私のものを欲しがる資格があるのかと問いかけたくなってしまう。そう、私のものを欲しがる資格。もしかしたら、私は怖いのかもしれない。欲しがられることが。奪われることが。だから、きみに私のものを奪う資格も欲しがる資格も存在しないと叫びたいのかもしれない。欲しがる資格を欲しがる資格さえ、あなたにはないのだと。そう明言することで安心したいのかもしれない。きみの努力と覚悟と苦痛の日々を矮小化して。私の掴み取ったものはきみには無理だから、他の道を探せ。羨むのはやめろ、と。必死になって自分の掴み取ったものを守ろうとする、こんな私も、好きじゃない。じくじく。じくじく。ああ、痛い。人と本当に繋がるための器官、愛されて生まれた子どもたちには備わっている器官、私には備わっていなかった器官、その幻肢痛が、痛い。その穴をどれだけ愛で埋めても、一時的なものでしかなくて、ほら、簡単にからっぽになってしまう。痛い。痛い。あーあ、愛があれば。
いやぁ新しいスマホっていいね!前のスマホでは何故か起動しなかったアプリが起動する!