小説が政府や国民に与える影響力
以前読んだマリオ・バルガス=リョサ著、立林良一訳『プリンストン大学で文学/政治を語る: バルガス=リョサ特別講義』には以下のように書かれていた。
ルベン・ガリョ(RG)「あなたの著作が他の国で検閲されたことはありますか?」
マリオ・バルガス=リョサ(MVLL)「私の著作は、私がキューバ政府を批判し始めてから、あの国では発禁になっています。独裁政権下では起こりがちなことで、自律的思考を危険なものと見なして、文学や芸術、創造活動を制限するのが目的です。民主主義の下では、誰も小説や詩が危険で、反体制的でありうるなどとは考えません。この点に関する限り私は、民主主義の方が間違っていて、独裁体制側の理解が正しいといえるように思います。文学は危険だからです。文学は私たちに、世の中を批判的に見つめる指南をしてくれます。私たちは『白鯨』とか『レ・ミゼラブル』、『戦争と平和』、『ドン・キホーテ』のような優れた小説を読んだ後に世の中に目を向けたとき、私たちの内部で何かしらの変化が起きていて、目に入ってくる周囲のことがらに対して、とても批判的になっています。良い小説を読むというのは、美しさに満たされた、完璧で非の打ちどころがなく、すべてが備わった世界の住人になることを意味します。そこでは、悪さえも魅力的なものに変わっています。すべては文学的言語の働きで、私たちに、あらゆる出来事や、その原因と影響を理解させてくれます。文学と比べると現実世界は不完全で整っておらず、混沌としています。だから何か良い小説を読むと、私たちは周囲の現実に対して、とても批判的になります。それは、個人を完全に支配しようとする社会においては、はなはだしく反体制的な働きを意味します。そう考えれば、独裁者が文学に対して抱く不信感がよく分かります。彼らがそのように感じるのは、もっともなのです。