事象そのものへ
Zu den Sachen selbst !
現象学の最も基本的な姿勢
"事象について理性的ないし学問的に判断するということは、事象そのものに即応するということ、つまり論説や意見を去って事象そのものへ立ち帰り、それ自身与えられているがままの事象そのものを問い明かし、事象とかけ離れた先入見をすべて排除するということである。" 『イデーン』H.Ⅲ, 42
CLAVIS.icon立ち帰るべき事象とは何なのかよくわからない
以下を読むと、事象とは個別具体的な経験に限定されないかもしれない。
”経験論者の論証の原理的な誤謬は、《事象そのものへ立ち帰れ》という基本的要求を〈すべての認識を経験によって基礎づけよ〉という要求と同一視し混同している点にある。認識可能な《諸事象》の範囲を明らかに自然主義的に制限しているがために、経験論者にとっては普通の意味での経験がそのまま直ちに〈事象そのものを与える唯一の作用〉と看做されるのである。しかし事象と自然的事象とは無条件に直ちに同定できるものではない。普通の意味での現実がそのまま直ちに現実一般であるというわけではなく、近代科学が通常〈経験〉と呼んでいる、[対象を]本原的に与える作用は、ただ単に自然的現実と関係するだけである。”『イデーン』H.Ⅲ, 43
また『理念』では事象は端的に現存しており、真に明証的に直観されることによって意識のうちに現存していると言われる。
しかし、事象を〈端的に現存していて、ただ単に直観されさえすればよいもの〉のように論じるのは無意味だという。そういう〈端的に現存している〉のは、知覚や想像、想起、述定などの互いに可変的でそれぞれが特殊な構造をもつ特定の諸体験である。
"また事象が体験に内在するというのも、たとえばケースや容器の中に入っているというような在り方ではなく、体験の内部に決して実的に見出されない事象が体験の内部で構成されるということである。〈事象の所与存在gegebensein〉とは、そのような[体験の]現象の内部で自己をしかじかであると呈示すること(表象されること)なのである。そうである以上、もはや事象は決して独自に現存しているのではなく、また〈意識の中へ自己の代表象を送りこむ〉のでもない。そのようなことは現象学的還元の領域内ではとうてい考えられないことであり、むしろ事象は現出の内部に、現出によってし存在し、それ自身与えられているのである。この個々の現出(所与性の意識)が問題にされない限り、事象はなるほど個体的には現出と分離されうるようであり、またそのように思われているのであるが、しかし事象と現出は本質的に不可分である。" 『理念』H.Ⅱ, 11f