マイナー歴史上人物伝
ここは古今東西の人物で知名度は低いけど、有能だったり、偉業を達成したり、数奇な人生を送った人物の名前と何をした人なのか書いていくノートです。歴史は知名度が全てではないことを知ってもらうために開設しました。学者から軍人までわみんなに知ってほしいという人物をどんどん掲載していきましょう。どれくらいでマイナーなのかの判断は各自でお任せします。
山片蟠桃1748-1821 江戸時代中期-後期の商人,学者。寛延元年生まれ。大坂の豪商升屋の別家をつぎ,本家の番頭となる。本家再興,仙台藩の財政再建に手腕を発揮。一方懐徳堂で中井竹山・履軒(りけん)兄弟に師事し,天文学を麻田剛立(ごうりゅう)にまなぶ。地動説を確信し,神代史や霊魂を否定するなど,実学的合理思想をとなえ,失明にもめげず「夢之代(しろ)」12巻をあらわした。文政4年2月28日死去。74歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本姓は長谷川。名は有躬,芳秀。字(あざな)は子厚,子蘭。通称は升屋小右衛門。【格言など】経済は民をして信ぜしむるにあり(「夢之代」)出典|講談社 足利直冬 元中4=嘉慶1(1387).7.2.南北朝時代の武将。 初代室町幕府将軍足利尊氏の長男。母親の出自の低さから尊氏に疎まれ,鎌倉東勝寺の喝食となる。尊氏の室町幕府開幕後上洛して認知を求むるも冷遇され,叔父足利直義の養子となって直冬と称した。観応の擾乱では直義に味方し実の父と戦う。南朝に降り、京都を奪還するなど戦果をあげる。突如歴史上の記録からも消える。 ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム「大選帝侯」 1620.2.16-1688.5.9 ブランデンブルク選帝侯、プロイセン公。貴族の諸特権を大幅に認める代わりに徴税権をもぎ取り、ブランデンブルク=プロイセンの財政基盤を盤石なものとし、それを財源として軍備を整える。大洪水時代にあってはスウェーデンと結んでプロイセン公国の宗主国ポーランド=リトアニア王国と対峙し、プロイセン公国の宗主権を確立する。また仏蘭戦争においてはスウェーデンをフェールベリンの戦いで破る。これはブランデンブルクという一領邦が大国に単独で勝利した記念すべきものとなった。ルイ太陽王のユグノー追放を命じたフォンテーヌブロー勅令に対し彼らの受け入れを示したポツダム勅令を発布。フランスから多くの技術者やブルジョワを含む移民を受け入れた。 足利義稙
流れ公方の元祖、唯一2回将軍に就任した人物 足利将軍家の中でも2番目に人気という意見もある