ベネターの基本的非対称性批判(進捗3%)
※現在工事中です(三億年後竣工予定)
本項はDiscordの思想哲学chに投稿していたものの続きである。「前回」や「これまで」などの表現はそういった意味で使われている。本項だけでも独立して読めるように体裁を整えているが、特に「生まれてこなければよかった」の意味などは前回、前々回においてより詳しく検討したため気になった方は参照されたい。
1.基本的非対称性概論
さて、前回までの内容をすっかり忘れた頃合いにいよいよ本題である非対称性の説明に入ろう。ベネターはまず私たちの素朴な感覚を説明する原理として、以下の非対象な価値判断を掲げる。これは反出生主義者か否かとは関係なく普段から多くの人が受け入れているであろう原理、もしくは受け入れている価値観を上手く説明する原理として主張されているということに注意して読んでいただきたい。 (1)苦痛が生じることは、悪いことである。
(2)快楽が生じることは、よいことである。
(3)苦痛が生じないことは、そのよさを享受する人がいない場合でもよいことである。
(4)快楽が生じないことは、現に存在する人が快楽を奪われているという場合でないかぎりは、悪いことではない。
(1)と(2)は「苦痛」と「快楽」、「悪い」と「よい」が綺麗に対称であり、私たちの感覚とも合致しているだろう。ちなみにここでの「悪い」、「よい」とはその人にとっての好悪のことである。
一方、(3)と(4)には非対称さが見て取れる。一つずつ見ていこう。
(3)は「存在している人が苦痛を感じないことはその人にとってよいことであり、そもそもそんな人はいないときでも苦痛がないという点でよい」ということである。そこで気になるのは、後者の「よさ」とは誰に(何に)とっての「よさ」か、ということだ。ベネターの答えは、簡単に言えば、「その人が苦痛なく存在しない世界と、苦痛を持って存在している世界を比べると、苦痛を持って存在している方(なぜならそちら側にしかその人はいないので)のその人にとって相対的に前者の方がよい」というものである。
しかし、(4)はと言うと、「存在している人が快楽を感じないこと(あるいは快楽を感じなくなること)はその人にとって何らかの意味で悪い一方、そもそもそんな人がいないときは快楽がなくとも悪くはない」ことを主張するのだ。私の感覚としてはむしろこちらの説明の方が納得が行くものなのだが――つまり(3)も「そもそもそんな人がいないときは苦痛がなくともよくはない」と言いたいのだが――、(3)側の表現に納得を覚える人にしてみれば「快楽を持って存在しているその人にとっては快楽なく存在していない世界は少なくとも相対的に悪い」と言いたくなるだろう。そして、その二種の表現は実のところ相反する表現ではないと思われる。なぜならば、その人は現にいないのだからその人にとって快楽も苦痛もありえない(すなわちよくも悪くもない)と言える一方、その人を仮定してしまえばその人にとっての相対的なよさ/悪さを持つことも極めて自然に思えるから。であるならば、(3)と(4)は次のように書き換えられるべきなのではないだろうか。
(3)'…(前略)…そのよさを享受する人がいない場合、苦痛が生じないことそれ自体は、苦痛を感じたり感じなかったりする当の本人がいないのだから、「その人にとって」とは言えず、よくも悪くもない(あるいは、「その人にとってのよさ/悪さ」という判断の値域外の事態である)。だが、苦痛を持って存在しているその人を想定することで、苦痛を持って存在している世界と苦痛を持たず存在しない世界は比較することができ、その人にとって後者の方が相対的によいとも言える。
(4)'快楽が生じないことは、現に存在する人が快楽を奪われているという場合でないかぎりは、悪いことではない。だが、快楽を持って存在しているその人を想定することで、存在の如何を問わず快楽を持たない世界はその人から快楽が剥奪されていると捉えることができ、その人にとって快楽を持っている側が相対的によいとも言える。
私にして見ればこちらの方が的を得た表現のように思われる。しかし、ベネターの主張を鑑みるに、こう言い換えることは彼の意に沿うものではない。(3)と(4)を対称的に表現することが許されない理由として彼は次の四つの非対称性を挙げる。彼が言うには、基本的非対称性こそが次の非対称性を最もよく説明するのである。
(ⅰ)生殖の義務に関する非対称性
私たちは、悲惨な人生を送ることになる人を存在させないようにする義務を負うが、幸福な人生を送ることになる人を存在させる義務を負わない
(ⅱ)生殖の理由に関する非対称性
子供をもつ理由として、子供をつくることが当の子供が利益を得ることになるだろうということを挙げるのは奇妙だが、子供をもたない理由として、子供をつくると子供が苦しむことになるだろう、ということを挙げるのは奇妙ではない。
(ⅲ)生殖に対する後悔に関する非対称性
苦しむ子供を存在させてしまったときに、その子供を存在させたことは、子供自身にとってよくなかったと後悔することは理にかなっている。しかし、幸福な子供を存在させなかったことを、子供自身にとってよくなかったと後悔することはそうではない。
(ⅳ)遠くで苦しんでいる人と、どこにもいない幸福な人に関する非対称性
私たちが遠くで苦しんでいる人について悲しむのは適切である。しかし、どこか別の場所に幸福な人々が存在しないことを悲しむことは適切ではない。
ここでも改めて言うが、以上の非対称性も私たちの受け入れているであろうものとして紹介されている。そして、これに関してはかなり私たちの素朴な実感にそぐうのではないだろうか。
これらの非対称性を受け入れるのならば、次に検討すべきは、本当に基本的非対称性がこれらを合理的に説明できるかだろう。さらに言えば、(3)'あるいは(4)'を採用するのでは説明できないことを示さなければ私たちが基本的非対称性の方を受け入れる必然性はないことになろう。
まずは(ⅰ)から見ていこう。
(ⅰ)は倫理的な規範(義務)の話になっている。(1)に基づくと、悲惨な人生を送ることになる人は苦痛が生じるのだから悪い人生であり、(3)によれば、その苦痛が生じないことは人生そのものを始めないということだとしても(より)よいことになる。この価値論から義務の話に接続させるにはあと一歩であり、具体的に言えば「(その人にとって)よりよい方を選択せよ」などという義務をベネターは想定していると思われる。それは幸福な人生を送ることになる人の側を説明するベネターの論理を考えれば明らかになることだが、「できれば、よりよい方を選択せよ」という倫理観はあると思うものの、そもそも「よりよい方を選択せよ」という義務があるのか疑問に思う人もいるだろう。(ⅰ)の検討の途中ではあるが、先にそのことについて吟味しよう。
間の文章は欠落している……
さて、ではこの基本的非対称性を認めたならば、ここから何が導かれるのだろうか。
一番ここが飛躍している
2.基本的非対称性の再構築
ここまで最大限に好意的にベネターの議論を咀嚼してきたが、基本的非対称性自体が問題含みの概念のせいでベネターもその批判者もかなり曖昧な議論を強いられているように私には見受けられる。ここからはベネターへの批判として書かれた他の人の論考も参照しつつ、一から妥当な基本的非対称性を作り直すことを試みる。それを通じて、ベネターの基本的非対称性のどこに問題があったのかも明らかにしたい。
よさ悪さスケール
害と利の範例。ならば「悪さ」と「よさ」でいいのでは?
???.三億年後に書くかもしれない内容の断片の掃き溜め
3.「四つの非対称性」吟味
4.導かれる倫理的な含意
ベネターはこの議論が正しくとも「必ず生まれない方がよい」ということを示せただけであり、基本的非対称性からだけでは「生んではならない」ことは導き出されないとしている。(そのために「生の質(QOL)」の議論などが要請された)。確かに、出生しないことによって現に存在している側により深刻な害が及ぶならば相対的に悪いことだけから「生んではならない」ことは導かれず、逆に同じ道徳規範の中から「生むべきだ」という結論が弾き出される可能性は十二分にある。その意味でこの議論の結論は厳密には反出生主義に属さないのかもしれないが、消極的な出生主義(子どもは生むべきだが事情があるならば生まなくともよい)があるように、「生むことは悪いことだが必要悪になりうる」という思想は消極的な反出生主義と呼べるのではないかと私は思う。
1、2分の至上の快楽のために1分間の最凶の苦痛を望む人がいるだろうか、という例をあげているが、本当に快楽と苦痛で比較することができないのならばなぜ一生涯の至上の幸福と比べることや一分間の足の痺れと比べることをしないのだろうか
例えば、押すたびに一生幸福だけに包まれた人生を送ることを約束された子どもが生み出せるボタンがここにあるとしよう。
1人あたりの幸福が最大になるように
「生まれてきて本当によかった」と思う子どもを無限に生み出すべきか?
実際にありありと、生まれてくる子どものことを想像できる人ならば「可能な限り生み出すべき」と言う???
非存在の想像は不可能とするといついかなる場合でも生まない方がよいとは言えなくなる。
赤子や動物は「生まれてきて本当によかった」という観念を持ちえないがどうやって判断すべきか?
「生まれてきて本当によかった」と思う子を生んだことは「よい」こと。
「生まれてこなければよかった」と思う子を生んだことは「悪い」こと。
生まないことは「よく」も「悪く」もない。
比較できないならば生まない方がよいと以下にして言えるか。
やはり実在人物原理は正しい???
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