イングマール・ベルイマン『仮面/ペルソナ』の感想
#映画
映画『仮面/ペルソナ』(1967)監督イングマール・ベルイマンを鑑賞した。
さいほんさんが未明座でおすすめしていた。鑑賞するのは2回目。昔見たときは難解でよくわからなかったので、今度はノートをとりながら見ることにした。
冒頭から細かいカットのモンタージュが入るので目眩がしますな。様々なメタファーが炸裂爆弾。
精神衰弱から失語症になってしまった有名女優が女性看護師の献身的な看護で回復していく心温まるお話。(大嘘)
逆にカウンセリングされ、自分の内面を「告白」していくのは看護師側である。ここが怖いよね〜。
看護師は女優を「崇拝」しているし、女優に「赦し」まで乞うはめになる。宗教的だなあ。最終的には「不安」「恐れ」が現出していく。(信仰のゆらぎ)看護師は婚約者もいる非常に規範的な人物として描かれているが、本能的な側面を告白させられることにより、その仮面が剥がされていく。
また女優側はいつも自意識に縛られている人物であり、他人の目に映る自分との大きなギャップに悩んでいる。常に演技し、仮面を被っているが、自分は空っぽなのだ。ある意味素晴らしい女優なのだが、その疲労から嘘をつかずにすむように喋らない、動かないという選択に至る。(これも失語症という演技なのだが)
この「女優」は看護師まで取り込んでしまう。最終的に女優と看護師は一体化し、ここから非常にわかりづらい終盤は女優側の内面「告白」が始まる。そこには母性、妊娠、息子に対する不安が隠されていた......で、あーだこーだあってちょっとよくわかんないラストになる。演技、仮面、宗教、欲望、不安、抑圧された無意識、他者との同一化、いろんなモチーフが散りばめられてます。全部説明したらつまんないので見てください。アマプラにあります。
一応この映画の主題を『キネマ旬報』編集長(昔の)岡田晋氏はこう説明してくれている。
仮面は人間の本当の顔を抑圧する。仮面の下にある素顔が仮面の重さに耐えかね、もう一人の別な自分を想定する。ここから、いわゆる分身の概念が出発する。<仮面>も<分身>も、ヨーロッパ的自我意識と、キリスト教的戒律から生まれた人間の内的状況であろう。『世界の映像作家9 イングマル・ベルイマン』より引用
内容の話ばかりですが、映像編集も素晴らしいです。HDリマスター版は綺麗で現代でも通じるレベルです。
ベルイマンてスウェーデンの監督なんですよね。彼の作品はリアリズムと神秘的なものが共存してる感じがして、ここらへんがスウェーデンの伝統的な文化と関係あるのかちょっと興味があります。