職場の飲み会とは、残業である
まず最初に断っておくと、筆者は飲み会がそこまで嫌いではない。少なくとも、心の底から積極的に拒絶するほどには嫌いではない。
そして、そのような人物が(であってもなお、)これまでの飲み会参加歴を冷静に振り返った結果として、「飲み会はやはり残業であり、残業であるならしない方が良い」という結論に至っている。
本稿では、この判断の理路をなるべくわかりやすく説明することで、
①世の中に自分に同意する人を増やし
②このドキュメントを執筆・公開することを以ってスタンスの表明および宣言効果による自己規範の実効化
を行う。つまり、外向きの表明・内向きの縛りを同時遂行することが、本稿の目的となる。
## なぜ残業であるのか
端的に要素を列挙する。飲み会が有するこれらの性質が、職場の(あるいはそうでない性質の)飲み会を残業に擬制せしめている。
自由に使える時間を、可視的・即物的利益なしに制限される
人間関係への配慮、またそれに伴う不快をある程度受忍する必要がある
意に沿わない自己開示を要求される場合もある
多くの場合、「いま話したい相手」との1on1ではない
(以下、時間のあるときに加筆)
## 目的と手段の不一致に対する指摘
職場の仲を良くする(または既に生じているヘイトを和らげる)ためのアクティヴィティとしては些かリスキーである(衝突をより激化させる可能性がそれなりにある。飲酒を伴う場というのはそもそもそういうものである)
酒を飲まなければ(席を囲まなければ)腹を割って話せない関係性が問題であり、関係性を構築する手段は飲み会に限られない(本来、より「遅い対話」が求められる場面で、成り行きやなし崩しの飲み会でお茶を濁す気持ち悪ささえある)
飲み会で生じた負を解消するために、個人がさらに別の努力を要することで、これがなければ業務そのものや自己研鑽に充当できたはずの時間や体力が浪費される
(以下、時間のあるときに加筆)
## 擁護への先行再反論
飲み会を擁護する向きの主張として、しばしば
非公式チャネルとしての価値
飲み会でしか救われない関係
が持ち出される。
しかし、これらは、飲み会参加を求める側が、その具体的必要性・代替不可能性について主張・立証すべき事柄であって、参加を慎重に制限しようとする側が、わざわざ積極的に否定・立証すべき性質のものではない。したがって、本稿に反論したい者は好きに送りつけてくればいい。筆者は飲み会の利益をわざわざ検討する労力がもう惜しい。
また、「社会通念上・一般常識的に参加するのが筋である」云々はもはや論外なので特にコメンティングする気も起きないが、自己の立場の復習を兼ねて
その社会通念・一般常識は近年、揺らぎつつある
個人の自由に反行する同調圧力を行使する任意の集団、はより広い意味での人類共同体において、理念的に否定される脆弱な立場である
とだけは言っておく。
## そして、擬飲み会として理解できるもの
飲み会ほど酷いものではないが、最悪、週末を犠牲にするほどの傷を抱え得る行動を抽象化すると以下になる。
そこまで仲良くない・人格的相性の良くない人間との交流を伴うアクティヴィティ
義理で参加しているグループ(LINE・discord等)へのリアクション
現代のタイムライン型SNSへの参加そのもの
(ちなみに筆者はこの認識を明確化したことにより、マスターズ水泳練習会から退き、ゲームは原則的に一人でやることにした)
## スタンス
基本的に予定されていない突発の飲み会には参加しない
予定されている場合も、その内容・重要度に照らして自分の存在が必須でないものには、やはり参加しない
重要人物の歓迎会、四半期に一度程度の決起会・慰労会には(単に自らの良心に基づく均衡作用を以って)参加する
その場合も二次会には参加しない
以上は、今後の人生全体における、飲み会へのスタンスの最低限の宣言である。終電まで残ること(ないしはそれより遅い時間まで飲んで時間と生活リズムと金銭と家族の信頼を一挙に喪失すること)を美徳とするような価値観にはいっさいコミットしないし、それを不満に思うような人間を筆者は極めて自覚的に遠ざけることとする。