佐々木中『万人のための哲学入門 この死を謳歌する』(草思社)
2024-11-13 読了。池袋ジュンク堂に行ったら買えたので、発売日前だけれどもう読んでしまった。ざっくりとした記述で恐縮だが、書評よりも推薦文として受け取ってほしい。
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「哲学を終わらせるつもりのない哲学書は、味気ない」
と筆者は思っている。そうであるからこそ『論理哲学論考』には「価値」がある。そして、その意味において本書もまた、哲学書である。実際に読んで確かめてみてほしい。
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坂口安吾論の『戦争と一人の作家』以後、しばらく出版がなかった佐々木中の新著である。8年ぶりだ。
佐々木中の思想に触れたことのある人物ならタイトルをみてもいわゆる「哲学入門」で想定されるような内容ではないだろうな、と当てがつくものと思う。ただし、当然のことながら、掲題に偽りがあるわけでもない。正しく哲学入門を行う書物であった。
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著者佐々木中が2020年からうつ病と診断されていたことは知らなかった。おそらくはその苦闘の副産物でもある本なのだろう。しかし、そのような病跡学的発想も遥かに相応しい価値づけがある。
それは。この書物は。これから先を生きてゆく人々への贈り物である。『ツァラトゥストラかく語りき』がそうであるように。
入門と銘打ち、平板な通史概説や概念操作のメタゲームを退けて、個々人が哲学的な気分に至る原体験としての「他者の死」から語り始めたこの本は。
そこに虚飾はなく、排除も迎合もなく、自己温存的な言い淀みもない。
どのような思考が哲学と呼ぶに値するか、我々は何と向き合うべきか、希望があるとすれば、それは何か、ともに語らい合うための。
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少し補いを書いておく。
本文中、明に引き合いに出される哲学者・思想家は主としてニーチェである。が、やはり本書も、ルジャンドル理解の中で著者が深めてきた(ドグマ人類学的な)思考に裏打ちされている。
「佐々木中がこれまで構築してきた理論的図式」と「恢癒のための思考」とをひとつの物語として総合した、一人称短編として理解することもまた可能に見える。
そして、再宣言としても受け取れる。つまり、
「読みかつ書くことが糧でなくて何であろうか。藝術が糧でなくて何であろうか」
と。