#壁打ち 20200501
当事者性。当事者が当事者の支援を行うということ。
自分は「【撮る人を撮る人】を撮る人」になるのか、さしあたって。
当事者と「定型」のあいだで、当事者でありながら「定型」の立場に立って、当事者に「定型」を押し付ける危険と、どのように向き合っているか。その中で当事者としての感覚は実際のところ有利に働くか、足枷になるか。
この問自体、「当事者」と「定型」に二元論に陥っている。何とかなんなえかな、でも「マージナルなもの」に拘るなら、二元論的な切り分け方をしてそのあいだに隔壁を見出さないとできない。二元論を嫌うなら「マージナルなもの」を諦めないことには……。そのへん含めて指導教官に相談しよう、あまりに幼稚なまずい二元論に陥ってたら指摘してくれるように。いやまあそもそも人類は言語を獲得して以来、世界を切り分けずに思考すること自体ができないのだから、これくらいのカテゴライズは許されていいんじゃないか。自分自身としても二元論とはなるべく無縁でいたいのだけど、指導教官は人類学者だからそのへんは厳しいだろうし、嫌うべきまずい二元論をはじくフィルターとして厳格に働いてくれるものとして指導教官を信頼しよう。
半構造化インタビューを使おう──実際のところ他に方法を知らない。みんなやってるからというそれだけの理由で。
ラポール形成が不十分なままインタビューを決行するのが、今とれるほぼ唯一解なのではないか。
指導を仰ぐ点は、
研究計画の是非(問の幼稚さが許容範囲内かどうか)
インタビュー項目作成にあたって参照すべき資料や外せない注意点
ラポール形成が十分でない場合の注意点、最善の尽くし方
よし、これでメール打っちゃおう→いややっぱりだめだ
そもそも、当事者には自己理解が足りない。就労にあたって http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hju/metadata/12319 コミュニケーションが障壁になるというのが伝統的な発達障害者支援の前提だったけども、↑の調査によると自己理解の不足が大きな要因となっている。先端研の流儀にのっとると、自己理解のために語りを得る当事者研究というプロセスこそが重要である、と。
ソーシャルマジョリティ研究の流れに、発達障害当事者による多数派社会認識を乗せられないか
テーマが決まらない→たぶん先端研と関わりを持たんと決まらん→相談段階では、テーマについては触れず「先端研とのコンタクトをこの状況でどうすればよいか」