リンクがユーザーの利便の為ではなくコンテンツホルダーからの押し付けのために存在するようになっている
<button>にcursor: pointerが当てられてないのは、cursor: pointerがリンクを示すから。手動でボタンにcursor: pointerを当てるのでなく、この慣習に従う方がよい。
記事のレスポンス欄には、反対意見が並んでいる。
「今日ではボタンにもcursor: pointerを当てるのが習慣化しているのでユーザーもそれに慣れている」というのは一旦置いといて、
問題の元には「リンクをボタンのように思う習慣」の存在がある気がする。これはHTML要素の話にはしない方がいい。つまり<a>はリンクで<button>や<input type="button">はボタン、のようにはしない方がいい。当然ながらそれはユーザーは気にしないからだ。
なぜリンクをボタンのように見せたがるのか。それはクリックさせたいからだろう。何故元々リンクはボタンのようではなかったのか。それはクリックできるというだけだったからだろう。クリックできることは示すが、特別クリックしてほしいという意図は伝えず、リンク先に行くかはユーザー主体だった。つまり元々「ユーザー(読者)のためのデザイン」だった物が、「コンテンツホルダーがユーザーを誘導するためのデザイン」つまり「コンテンツホルダーのためのデザイン」になってきている、ということなのだろう。
自分の願望に合わせてでっち上げた理屈だろうか。
これとは別に、パソコンを使うのが当たり前になった結果リンクとボタンの(ユーザー側の)認識の境界が曖昧になってきている、という仮説もある。ボタンは「押すと何かが起こる」ことを示す物だけど、この「何か」にページ遷移も含まれるようになってきているのだとしたら、リンクとボタンを同じデザインにする理由になる。むしろリンクなどいらないのではないか。(反語です、念のため。コンテクストメニューとか無くなったら辛いです)
ウェブページが「読む物」ではなくて「操作する物」になった結果として自然だろう。