勝部 直人|M2|20210513|研究発表+討議
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『様々な視点からみたパリ5区、6区』
ゼミ0513
研究対象はカルチェラタン
大学成立背景
12世紀ルネサンスの動きの一つとされている
パリ大学の誕生
サント・ジェヌヴェエーヴという教会を中心にして大学となる
(現在は高校として使われている)
最初期は麦わら通りを中心として学生が多く学んでいた。
パリ大学、ボローニャ大学とが大学の起源とされているが異なる点がある
パリ大学
ノートルダムの付属学校として誕生しているため神学を中心としている
教師が自治の主体となっている(教師も学生も聖職者)
学生と警官の衝突を契機として自治権を獲得
ノートルダム大学
法学が中心とされている。
グレゴリウス7世がローマ教皇を根拠にローマ法を求めようとして研究させていた
学生が自治の主体
教皇権力が大学を自分の側へ引き込もうとした
今後の一次資料として
今後17世紀合理主義哲学体系以降の大学の変化に迫っていきたい。
カルチェラタンの論文は日本になく、12世紀以降の地図集をもとにプロットを行いたい
議論
栗山:なぜヨーロッパ各地からパリ5区6区に学生が集まったのか
→推測だが教会のなかでも地位の高いものが多かったため集まったのかもしれない。宗教的に影響力が高いものがあったからではないか。
:それぞれの区に位置づけがあれば伺いたい
→最初のパリをかこっている城壁があり、ノートルダムがありそれを中心にして都市が出来上がっていたが、パリの中心からずれているのかなどは今後調べていきたい。
青井:学寮という言葉は抽象的、どのように生活、勉強していたのか。追っていくことで都市の形成が追っていけるかもしれない。なんとなく歴史をつかんでいくだけではつかんでいけない
中西:パリ大学がピラミッドになっているのに対してボローニャ大学は並列になっているのはなぜか
→自分でまとめたが、パリ大学は明確に分かれているがボローニャ大学は王様が法学を研究させることを勧めているので、神学とのヒエラルキーがなくなるため並列なのではないだろうか。下
:法学、神学、医学は組織として別になっていたのか
→
青井:学部というのは別々の組織だったのでは、それぞれの学部(college)が集まって大学(university)になっているのでは?
ボローニャの場合は単一の組織になっているか?
→学部という存在はあり、
青井:パリは分散、増殖的、ボローニャは集中的な発展をしたが、要因は何なのか。それを突き詰めていく、その中に生活などが見えてくるしまた教皇と学生の関係、ボローニャの土地は誰が持っていたのか。ロンドンは王様が相当な土地を持っているがパリの場合は?ボローニャの場合は?そこをつきつめていくべき
:一次資料はあるのか
→探し方を改善するが、現状は日本とフランスを比較した論文がある。