リグンガイ|M1|20201125|研究発表+討議
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M1 リグンガイ
偽満州国について
中国は満州国を国家として認めず、偽満州国と呼んでいる
1932年から1941年にかけて官庁を建設
第一庁舎、第二庁舎の同じ平面を使って設計された。外観が大きく異なる部分がある。
タワー型の建物、バロック様式で豪華にみせる
満州国の政府機関の建物は日本影響力を示した
建物の高さも大きな権威を示した
統治と管理に役立つ政治的性質も示す必要がある
満州国の権威機関は傀儡政権の統治と満州国における日本の地位維持するために出現した
この時期の日本建築は擬洋風建築たくさんある
旧中国の文化から近代化された文化に置き換えようとしているため、近代化特徴を建築にも反映させる必要あり
台湾総督府庁舎と満州国政府庁舎は対照的な構造をしている。台湾総督府、支配地の行政のなかで住民の生活に直結する施設の新築が優先された
(議論)
大野
満州国は多くの面で日本文化の特徴を体現している。例えば建物どの部分?
→その当時の日本の建築は、疑洋風建築。この植民地の建築も疑洋風建築。これは日本の文化だと思う。
五族協和(五つの民族が一つの国家を協力してつくりましょうというイデオロギー、ヨーロッパの植民地に対するアジアの対抗)。
青井哲人
- 「擬洋風建築」は、幕末・明治初期の、近世的基盤をもつ大工棟梁たちによる洋風あるいは折衷様式の多様な表現をもつ建築群を指す言葉です。
- 満州国は1932- ですね。擬洋風建築とは時代がまったく違います。
五族協和
日本国内の様式と大体同じ
方形の屋根がある
定冠様式(後にできた言葉、使わない)
皇室の土地、帝室博物館
日本趣味、東洋趣味の様式を求める
1927ねんから1930年代初めらいまで
上に日本の屋根、下に近代建築の壁
これがどんどん当選した、審査員同じだったから
近代建築の敵だった、空気としてのナショナリズム。宣伝
満州に渡った日本の建築家たち
満州の技術者、五族協和、満州様式
西澤やすひこの考え方見方をみて、自身の考え方、方法を見つける。自分はどういうふうにチンタオの建物を考えていくのか。
伊東忠太から始まり、そこから何世代も積み重ねてきた。そのなかで自分はどんなふうに歴史を書くのか考えた。
考えるのが大学院生の役割。
(チャット)
青井哲人
- 「擬洋風建築」は、幕末・明治初期の、近世的基盤をもつ大工棟梁たちによる洋風あるいは折衷様式の多様な表現をもつ建築群を指す言葉です。
- 満州国は1932- ですね。擬洋風建築とは時代がまったく違います。
五族協和
定冠様式
後に「定冠様式」と呼ばれる
日本趣味建築、東洋趣味建築
皇室
帝室博物館