2022-12-13
ここの筆が進むということは神経の調子が悪いということである。
健康だと物理ノートですら書かなくなる。思案する必要が無いからだ。
思考は自分を助けてくれるはずだ…そう信じたい…とはMilk outside a bag of milk outside abag of milkの主人公が何度も唱えていたことだ。今このゲームを咀嚼しているから調子が悪いのかな。Milkの感想等はまた別ページでまとめる。
最近ますます自分のやりたいこと、生き方、向かっている先、そういったものがわからなくなってきた。
俺たちの人生はひたすら逃避だった。今も多分何かから逃げている。回り道をして、痛みに耐えながら歩いて、怖ろしいことや気持ちの悪いことの先延ばしをする。どこを歩いているのかわからない。
自分のこともよくわからないが、人間たちのこともよくわからない。人間たちは「フリ」をするのが上手い。やる気があるフリ、善良なフリ、意識高いフリ、優秀なフリ。大学時代に就活に対する漠然としつつも巨大な恐怖を抱いていたのはこれのせいか。俺は「フリ」がどうしてもできなかった。そして、「フリ」をしている人間たちが怖かった。
俺はいつだって俺でいたかった。俺である俺を受け入れてほしかった。何もできなくても、何も価値を生み出せなくても。
人間は前頭葉などを発達させることで、意味を考え出すことができるようになった。価値はたぶん意味に含まれる。知らんけど。
「自然」状態の外宇宙に意味など存在しない。意味は人間の中だけにある。人間は意味をやり取りしてる。俺はどうしても意味に意味を見出せなかった。意味じゃない、意義か。意味の意味がわからなかった。意味を作り出せなかった。統制・統合できなかった。ただ漠然と、蒙昧と、広がっている。CGデザイナーのスクールに通って、デザインとはどうやら、漠然とした靄のようなイメージを集めて、固めて、捨てて、くっつけて、人間によって統制された、人間のためのものにすることであることがわかった。俺はこれが苦手だ。結局回り道をしてきても、ここは俺のいるべき場所ではないのだろうか?また逃避の旅をするのだろうか…。途方に暮れる。
俺が得意なことは、たぶん「発見」なのだと思う。蒙昧としたところから、社会にとって何の役にもたたない「ガラクタ」をいちいち発見して机に並べる。研究者に近いが、一度「研究をするための場所」にいたときですら、俺の場所はここじゃないと、自ら出て行った。少なくともこの日本で言う「研究」は、社会のためにあり、社会の役に立つ(もしくは、役に立つ可能性がある)ものしか許されてはいない。研究対象がいかに社会の役に立つのか説明しなければならない。興味が無い。俺の興味と社会の興味が合致しない。繰り返し。俺の天職はきっと画家や哲学者だ。それも、売れないやつ。
居場所はない。どこにもない。俺は自分の居場所というものにも厳密さを求める。そんな条件に当てはまるような場所はない。だから、ここをキャンプ地とする。そこに誰かいて欲しい。人間じゃなくてもいい。心はあってほしい。いぬが良い。
#Diary