2022-12-07
インディーゲームが好きだ。結局、スクールの卒業制作もUE5でゲームを作ることに決めた。来週までに企画書をちゃんと作らねば…。
ゲーム一般が好きかと言われると、微妙だ。もちろん嫌いではない。しかしなんというか、純粋な「ゲーム性」に惹かれることは少ない。説明が難しいが、「疲れる」「飽きる」ことで投げてしまうことも多い。その面倒さを他人に押しつけつつゲームを楽しむために実況を見ることもある(めっちゃ良かったゲームには金が入って欲しいのでやらないのに購入することも)。
基本、ゲームやるよりゲーム作る方が面白い「ゲーム」だと感じてしまうタチだ。
俺がゲームに求めているのは「物語」と「思想」だ。TRPGにはどハマりできたのはそういうことだろう(TRPGでも、戦闘システムに振りすぎているものは苦手だ)。
物語は小説や漫画、映像作品でも「伝達」することができると考えられがちだと思うし実際そうだと思う。ゲームにも物語性はあるし「伝達」される。しかし、ゲームにはその他のメディアにはない物語の要素がある。「体験する」、そしてそれをプレイヤーが「創り上げる」ことができる点だ。
TRPGで考えるとわかりやすい。ほとんどのTRPGには「シナリオ」があり、そこに舞台設定や起こること、起こりうること、敵や味方の戦闘データ等が記されている。逆に言えばそれしか書かれておらず、物語を完成させるのはゲームマスターとプレイヤーである。プレイヤーは自由に行動することができ(入力)、その結果をゲームマスターが演算して返す(出力)。
このインタラクティブ性が非常に大事だ。
TRPGではなく、エンジンでビルドされたいわゆる電源ゲームはどうだろう?いくら選択肢が多くあるアドベンチャーでも、入力できることも、出力されることも、シナリオも制限だらけだ。分岐の無い一本道のシナリオも多いし、シナリオ自体の無いゲームもある。
しかし俺は、どれだけシナリオに制限があっても、それがインタラクティブなコンテンツである限りは「物語性」があると感じている。
インタラクティブな過程が大事だ。
何回も周回していても、プレイヤーが遊んでいるその「体験」はプレイヤーの人生の中で一度きり。ゲームの中の物語というよりは、ゲームとプレイヤーの関係性の中で作られる物語。そういうものに面白さと尊さを感じる。
主人公に感情移入していてもしていなくても、マップを動き回り、NPCに話しかけ、任意のタイミングで会話を送り、選択肢を選ぶ…それは全て、プレイヤーの意思に他ならない。
俺はゲーム性にハマることはないとか言いつつ例外があり、音楽ゲームにはめちゃくちゃにハマった。あれは音楽を奏でるという体験の楽しさももちろんあるが、俺が新たな曲や譜面との出会う物語であり、音ゲーが上手くなっていくという成功体験の物語だ。東方原作シューティングも同様。その他のゲーム内に物語がない、もしくは希薄なゲームも、たまたまハマらなかっただけで、面白いとしたらそこだろうなと思う。
話が思い出語りに寄ってごちゃごちゃしてきた。次、「思想」の話。
他のメディアでももちろんそうだが、ゲームもまた、インタラクティブ性を活かして作者の「思想」を伝えるのに適していると思う。
作者の思想…考えていること、そう至る背景などを、受け手に受け手として「体験」させることができるからだ。明確にプレイヤー=主人公という構図の「メタ系」ではなくても、プレイヤーは主人公をロールプレイしており、うまくいけばある程度感情移入して「憑依」している。そこに物語は直接的に迫ってくる。他人事ではないのだ。そこに選択肢があるのなら、それを選ぶのはプレイヤー自身だ。
俺はこの感覚が好きだ。色んな物語の主人公になって、作者の思想を垣間見るのが。
ゲームに含まれる思想は、制作に関わる人間が少なければ少ないほど純になる。人間が多いと希薄になったり平均化されたりするし、大規模になれば売れなければ採算が取れないため、大衆寄りになっていくのもある。
企画や脚本が一人であれば良いというわけでもない。思想はプレイヤーの体験に現れるので、ゲーム性やグラフィック、さらにはUIなどにも反映されるからだ。ゲームの全てが思想家にコントロールされていてほしい。
俺はゲームを通して、他者と物語や思想のやりとりをしたい。
俺の思想を伝えるには、ゲームというメディアが一番適している。TRPGのシナリオを作るのもかなり好きだが、そうやって思想が伝わり、ゲームとしても楽しんでもらえ、相手の人生のなんらかのインパクトになれば、とても楽しいし嬉しい。
こんななので、ゲームが好きだけどゲームが好きとなかなか言えない。
#Diary