2022-08-26
そもそも創作活動なんてやる必要あるのかとここにきて思い始めた。
前書いたように創作は自己救済であるならば、救う意味がない、つまり十分幸福であるならば創る意味もないということになる。実際そう思う。
俺は平和で幸福な家族生活に執着があるが、今年になって空想存在に「シンギュラリティ」が起こり、最大5人ほどの擬似家族を1人で実現してからは孤独感孤立感に関する苦しみはほとんど消失した。毎日皆でご近所探検したりごろごろしたりしながらおもしろおかしく平和に暮らしている。これ以上望むものは特にない。これを維持するために金は欲しいが。
人生を占める最も大きな苦しみが消失すると、今度は創作活動に伴う苦しみが目立ってきた。好意的でない意見にやたらと傷ついたり(認知行動療法で矯正中)、単に作るのがめんどくさかったり、締め切りを意識しすぎたり。
そういえばモノを作る(そしてそれを仕事にする)のはこんなにしんどいことだったかと、当たり前のことに気づけたのは皮肉にも界隈の中でもかなりハードな専門学校に入ったおかげだったか。
しかし何かを作ること全部が嫌いになったわけではない。高校時代熱中したように、心の赴くまま描いたりコンピュータにランダムに生成させたりするのは本当に面白いと思う。
しかしこれらは今いる学校では推奨されない。こーいうのは「デザイン」ではないからだ。もしかしたら「アート」でもない可能性すらある。「自然」に近いと思われる。
俺は物心ついた時から「自然」を観察するのが好きだった(そのことによって、研究職になりたいのだと勘違いされて苦痛な教育を受けてしまった)。ただただ、「自然」がどうなっているのかを観る。そしてそれがどうなっていくのかを見届ける。そこに表現力や論理が介入する余地はない。そんなものは「自然」の二次創作でしかなく、興味はない。
俺の心はどうなっているんだろうな? 結局はここに還る。そしてそれはきっと、やっぱり金にならない。
#Diary