杉浦康平
データ可視化の歴史的文脈のなかで必ず挙がる
だけでなく、日本語のタイプフェイスや文字詰めに大きな貢献をし、グラフィックやブックデザインにおいて膨大な実践と評価がある
時間地図
データ可視化の例として
批判
極座標によってマッピングしなおしたのち、縮尺を変更
同一角度上にある地点に対して可視化が不自然になる
地点への到達時間の計測方法が不明
時間列島のアウトラインで計測?
どこが時間的に遠いのか・近いのかを示すには直感的ではなく、問題を正しく扱えていない感じもある
データ可視化というよりは、地図の読み替え、デザインの仕方・態度表明としての例
彫刻作品?
時間を見たいとしたら以下のような可視化になるはず
アニメーションという時間軸があれば極端な歪ませかた、座標の読み替えは必要ない
https://www.youtube.com/watch?v=WvT8-LKQUJU
というつまらないデータ可視化文脈のつっこみ
彼の凄さは純粋な観察と手を使った実験とスケッチにより詩的なデータの読み替えを多数展開したことであって、その点が逆に浮き彫りになるよな
今日彼のような可視化は埋もれてしまっていると思う
Dear Dataの風合い